No.077 自殺禁止令



「駄目ですよ」

ボクの声に、先生はゆるゆる頭を上げた。
その目は哀しげに潤んで、酷く儚いものに見える。
先生の唇が「なんで」と言いかけたのを見て、ボクはもう一度強い口調で言った。

「駄目ですよ先生。
ほら、渡して下さい」

ボクが出した手に、先生は大人しく今まで持っていたものを乗せた。
なんてことはない。
ただの食事用のナイフだ。

「死なせて下さい」

先生の声は震えていた。

「私は死にたいのです」

そう言いながら、先生は泣いていた。
子供のように嗚咽をもらし、ボクの前にへたりこむ先生はどうしようもなく弱い生物に見える。
ボクは先生の頭を撫でた。

「先生がいなくなったら、ボクは生きていけないんですよ。
だから死にたいなんて言わないで下さい」

ボクの言葉に、先生が肩を震わせる。
怯えているんだろうか。
だけど、きっと無理もない。
先生をここに閉じ込めたボクがそんなことを言うなんて。

「先生は何も心配しなくていいんです。
先生はただここにいてくれれば、それで」

ボクが優しく抱きしめると、先生はボクよりずっと強い力で背中にしがみついてきた。
本当に子供みたいだ。
ボクは思わず笑って、先生の髪に口付けた。

「先生は、」

言いかけて、止めた。
先生はボクを憎んでいるのでしょう、なんて。
先生は先生を監禁したボクを殺したいんでしょう、なんて。
先生はそれでも自分を愛してくれるボクが好きなんでしょう、なんて。
だから先生はボクを憎んでいる自分がボクより憎くて殺したいんでしょう、なんて。

「久藤くん……?」

急にボクが黙ったせいか、先生はおずおずと手を離して、ボクから離れようとした。
ボクは首を振り、先生の腕を掴んで阻止する。

「先生は、ずっとここでボクと一緒にいるんですよ。
だから自殺なんて許しません」

ボクが微笑みを浮かべると、先生はまた泣き出した。
涙でぐしゃぐしゃになった顔すら可愛らしいと感じるのは先生だからだろう。

「先生、泣かないで」

ボクが涙を拭ってやろうとすると、先生は急に微笑みを浮かべた。
弧を描く唇とは対象的に、目は吸い込まれそうなほど虚ろだ。

「なら、久藤くん。
どうか私を殺して下さい」

先生の穏やかな声に、何故かボクも泣き出しそうになる。
それを隠すようにボクは先生をもう一度抱きしめた。



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