No.074 バイブル



「あの、隊長っていつも本読んでますよね。
何の本なんですか?」

その言葉に私は本から顔を上げる。
ブックカバーをつけた本。
確かに外から見るとそれが何の本なのかは分からない。

「あ、やっぱり聖書とかですか?」

いつも(特に私の前では何故か顕著に)オドオドしている通信士が本を覗くようにして尋ねてくる。
何故聖書、と言い出したのかは私を知る者なら疑問にすら思わないだろう。
なんせ、私の実家は教会だ。
私はとりあえず本をパタンと閉じ、その本を、ぶん投げた。

「うっさい!
読書の邪魔っ!」
「ヘブッ」

投げてから「あ」と気付く。
大事な本を投げるなんて、なんてことをしてしまったんだろう!
私は慌てて本を拾い上げた。
怒りっぽい性格というのは実に困ったものだ。
直さなければ、とは思っているのにどうもうまくいかない。

「隊長、酷いです……」
「泣くな、鬱陶しい。
男がメソメソするんじゃない」

本は新人通信士の鼻にヒットしたらしい。
赤くなったそれを押さえながら目に涙を浮かべている。
それを一喝し、私は本の様子を見た。
……うん、大丈夫そうだ。

「……で、結局何読んでるんですか」
「意外とめげないよね、お前」

通信士は鼻声で再び同じことを聞いてきた。
思ったよりしつこいぞ。

「うーんまあ、大体ユジーン君の言った通りだよ」

私は適当に答え、しっしっと手を振った。
それを呼ばれたと解釈した(どこをどうやったらそうなる……)のか、通信士はこちらに近寄ってきて隣に座った。

「聖書ですか……」

離れろ、という目で見ても通信士は離れようとしない。
最近気付いたが、何故か私はなつかれているようだった。
通信士は唸っている。
唸るなら他所でやってくれ、と言おうとした時、通信士は向日葵のような笑顔をパッと浮かべて言った。

「似合わないですね!」

……そうか死にたいか。
私は無言で通信士にチョークスリーパーをかけた。

「すみませんっ!
隊長すみませんーっ!」

落ちられても邪魔なので、適度なところで解放しておく。
今のはいくら私でも傷付いたぞ。
私が舌打ちすると、通信士はチワワのような眼差しですがり付いてきた。
暑苦しい……。

「違うんですっ!
軍人が聖書読んでるのってなんか似合わないなー……って思っただけで!
隊長のことじゃないんですぅ!」
「……ああ、そういうこと」

私は通信士の頭を手で押さえながら頷く。
確かに私は人殺しだ。
人類皆兄弟っていうなら、私は肉親を殺した罪で地上をさ迷うことになる。
自分と国を守る為に兄弟も異教徒も区別無く殺戮する。
言われてみると矛盾した話だ。

「まあでも、いいんじゃない。
私神とか信じてないから」
「そ、それ言っちゃっていいんですか……」

私があまりにもサラッと言ったせいか、逆に通信士が狼狽えた。
でも実家が教会だというだけで、私は軍人なのだから関係無いじゃないか。
実家の手伝いで讃美歌なんかを歌ったりしているが、私の本業は軍人だ。
戦場で助けてくれるのは神じゃない、自分自身なのだ。

「……そもそも私が読んでるの、ユジーン君の考えてる聖書とは違うだろうし」
「ええっ!?
嘘ついてたんですか!?」

私の溜め息に、通信士は大袈裟に驚いた顔をした。
リアクションが大きいのは見ててなかなか面白いが、軍人としてはマイナスだろう。

「私にとっては聖書だよ」
「はあ……」

未だに怪訝な顔の通信士に、私は例の本をポンと渡した。
何か言いたそうだが、笑顔で「読め」と伝える。
通信士は若干嫌そうだが、上司の命令だ。
逆らいはしないだろう。

「小説……ですか」
「読み終わったら言いなさい。
続編も貸すからね。
これで君も前進翼の素晴らしさをしっかり学ぶといいよ」
「そういえば隊長って前進翼でしたね」

ここで前進翼の素晴らしさを語ってもいいのだけど、それは私の聖書に任せよう。

「ステルス性能なんて必要無い。
見えても落とせない動きをすればいいんだからね」

通信士は何か言いたい様子だったけど、私は会話を切って新しい本を取り出した。

「今度は何の本ですか?」
「今渡したのと同じだよ」
「何冊持ってるんですか……」



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