「じゃあね」
「ああ、ありがとう」

俺は車から降りながら礼を言い、手を振った。
タマ達はドライブに戻るそうだ。
シュレーティンガーの機嫌は直るだろうか。
せっかくの休みだっただろうに、悪いことをした。

「おーい」

しかし、今はそれよりも俺の給料とティムだ。
気を取り直し、俺は扉をノックする。
少し待つが返事は無い。
実はこの扉には小型のカメラが取り付けられていて、網膜だかなんだかの検査をした上で返事が返ってくる仕組みだ。
分かっているから、俺は動かずにじっと待った。
これも機密保持の為だ、仕方がない。

「カイル!」
「ぶっ!」

大声と同時に突然扉が開いた。
扉は鼻にクリーンヒット、思わず俺は鼻を押さえてしゃがみこむ。

「あらら、大丈夫?」

俺の顔の前に、ぷらん、と三つ編みのおさげが垂れ下がった。
赤毛のそれを辿り視線を上へと移すと、眼鏡の少女が少し屈んで俺を見ている。

「久々に会ったが……相変わらずだな、サン」

赤毛を揺らしてサンはニコッと笑った。
黙っていれば可愛いと常々思う。

「あー、サンがカイルの兄ちゃんに暴力振るってやんの!
さっすが暴力女だな!」

奥から出て来た青い顔の少年が、サンを指差して笑った。
こいつはエンキ、顔が青いのは病気とかじゃなく、そういうものらしい。
耳も尖ってはいるが、ティム達と同じこの世界、「K」の人間だ。

「誰が暴力女ですってぇ!?
あんたは別に出て来なくていーから、黙って奥でプリンでも食べてなさいよ!
仕事の邪魔すんな馬鹿!」
「うるせーブス!」

……俺がこいつらを苦手な理由が、これだ。
サンは細かいことに気が付く奴だし、科学者としての実力もある。
エンキは何故か俺を慕ってくれているようだし、可愛がってやりたいと思う。
だがしかし、何故かこいつらは年中こうして口喧嘩ばかりしている。

「馬鹿馬鹿馬鹿!」
「ブスブスブス!」

仲が悪い訳ではないようだが、何が理由なんだろうか。

「それよりイチは?ティムは来てるのか?」

埒が明きそうもなかったので、俺は二人を止めながら尋ねてみた。

「ん、あぁ、地下への階段下りてすぐの部屋」

サンは簡単にそう説明するなり、再びエンキと口喧嘩を始めてしまった。
止めるべきだろうか。
いや、日常茶飯事だし、無視しても大丈夫だろう。
俺は礼だけ伝えて邪魔にならないうちにその場を離れた。



地下への階段を下り、一番近くにあった扉を開ける。
俺にはさっぱり分からない機械に囲まれた部屋で、二人は踊っていた。
片方は軍帽と軍服を身に着けた金髪の少年。
もう片方はノースリーブのワンピースを身に着けた白髪の少女で、首の機械からはまだコードが出ている。
俺に気付いたのか、ティムがぴたりと踊るのを止めた。
それに合わせてイチも動きを止める。

「カイル、随分遅かったね。
もっと早く追いかけて来ると思った」

これでも車で来たんだぞ。
そういうとティムは、あはは、と笑った。

「車なんかより、ホバーシューズの方が断然速いからね。
すぐ着いちゃったんだよ」
「確かにお前のは……」

イチが制御しているから、と言おうとして、俺は息を呑んだ。
イチはメンテナンス中だったのだ、制御出来るわけがない。

「…………」

ボバーシューズが地面から浮き、抵抗無く走れるのは、反重力の装置が働くからだ。
そしてそれを動かすには、重力やら引力やら、膨大な計算が必要になる。
それをコンピュータに処理させて初めて、あの靴は浮くのだ。

「イチはここにいた。
お前は別の制御装置を無断で使って来たのか?」

イチは「性能が良すぎて誰も使いこなせない為に」欠陥品と呼ばれ続けていた。
普通のホバーシューズは自転車くらいの速度を出すのが限界だ。
しかし圧倒的な性能を持つイチが処理しているティムの靴は、車を超えるスピードを出すことが出来る。
イチと同じくらいの能力を持つ物などそうは無い。
身近過ぎて理解し難いが、国家機密のレベルなのだ。

「どうなんだ、ティム」

つまり俺はこう聞いている。
お前はとてつもなく危険な物をその靴に抱え込んで来ているんじゃないのか、と。
そんなことをすれば会議どころの騒ぎじゃない。
文字通り、首が飛んでもおかしくはないだろう。
ティムにはどうもこの辺りに自覚の無い部分がある。
自分では普通のつもりが周りから見ると、とんでもないことをしているなんてこいつにはよくある話だ。
以前も持ち出し厳禁の書物を持ち出したり、法律に抵触するような真似をしたりした。
今度という今度は許してもらえなくたって、おかしくはないのだ。
まだ若いのに一生檻の中なんてのはごめんだ、そんなことがあってはならない。
俺だってティムを疑いたい訳じゃない。
疑いたい訳じゃない、が、前科が前科だけに、よく確認しておかなければならないところだ。

「…………」

そんな俺の考えを汲んだのか、ティムは口を噤んでにっこりと笑った。
笑ったあと、むっと怒ったような顔をした。

「失礼なこと言うね」

険悪なムードを感じ取ったのかイチがオロオロし始める。
さっきまで笑顔で踊っていた人間がそうなれば、誰だって同じ反応をしただろうが。

「僕はちゃんと自分で計算したんだ。
勿論イチにはかなわないけど、僕にだってそれくらいは出来る」

……おいおい。
ティムはここまで来る間に、一般的なパソコンがようやく自転車程の速度で動けるようになる数式を、それ以上の早さで解き続けて来たと言うのだ。
ティムの頭の良さは知っている。
しかしそこまでとは思っていなかった。
というか、普通無理だし、やってみようとも思わない。

「イチ、わかる。
ティムならできる、わかるよ」

まだ若干訝しんでいる俺に気付いたらしく、イチがティムを庇うように立ちはだかる。
こいつはティムに助けられなければ処分されていたらしい。
そのせいか、いつもティムにくっ付いている。

「ティムの言うことは本当よ」

階段を下りてくる音に振り向くと、喧嘩はもう終わったらしいサンが立っていた。
本当か、と問えばティムとサンが同時に頷く。
念の為かサンはティムの靴をもう一度まじまじと見て、眼鏡を上げながら言った。

「うん、やっぱり外部入力装置しか付いてない」

そんな離れた場所から点検もせずに分かるのだろうか。
……いや、こいつには分かるだろう。
理由は二つある。
一つは、彼女の眼鏡は特殊な物で、それで視力を飛躍的に上昇させていること。
もう一つは、こいつが、イチをメンテナンス出来るほどの知識を持っていることだ。

「あのさ、カイル。
何?なんで身内疑うの?
もしかしてティムを陥れたいわけ?」

少し怒ったような口調で言いながら、サンがこっちを睨んでくる。
そういうわけじゃない、俺は自分の職務を全うしてるんだ。
頭に浮かんだことをそのまま言うと、サンは疑うような眼差しを深めた。

「んなわけねーじゃん!」

腕を頭の後ろで組みながらエンキがサンに続いて階段を下りて来る。
じゃあなんだってのよ、とクエスチョンマークを頭に浮かべて振り向いたサンに、エンキが笑顔で答えた。

「カイルの兄ちゃんは置いていかれたのが寂しかったんだよ、多分」

……おいおい、おいおいおい。
俺は少しの間、エンキの言うことが理解出来ずに固まっていた。
サンが吹き出し、ティムが目を丸くし、イチが首を傾げたのは分かったが。

「へえ、そーなの、ふーん。
結構カワイイところあるじゃない」
「いや、それは無い。
断じて違う」

俺は首を横に振ったが、サンはニヤニヤと笑うばかりだ。
どうやら俺の話を聞いてないらしい。

「だってカイルの兄ちゃん、前にティムがいなくなった時も慌てて、」
「そんな昔のことはいい!」

余計なことは喋るな!
ケラケラと笑うエンキにそう怒鳴ると、サンがまた笑い出した。
爆笑してる二人は無視して、俺は何か弁解をしようとティムに目をやる。

「ふうん……そうなんだ、ごめんね」

が、しかし遅かったようだ。
ティムがにっこりと笑う。
この話題は既に、ティムの中では決着してしまったらしい。
最悪だ、と俺は思った。
ティムの中で、俺についての知識に「寂しがり屋」なんて項目が追加されてしまったかもしれないからだ。

「あっはっは、カイルかわいーっ!」
「ティム、今度はカイルの兄ちゃん置いて来んなよ!」

しかし、どうしてこの二人はこうも五月蝿いんだろうか。
ちなみに今度の五月蝿いはギャアギャアと喚くという意味の五月蝿いではなく、お節介、に似た意味の五月蝿いだ。
こいつらは色々な意味でとにかく五月蝿い。
だからこの二人は苦手なんだよ。

「ああったく、来るんじゃなかった」

給料なんて気にせず、本部のカフェでコーヒーでも飲んでいればよかった。
そんな俺の呟きは、誰も聞いていなかったらしい。
いや、一人いた、イチだ。
イチはこちらに歩いて来るなり、俺の肩を叩いた。
無表情のまま。

「ふぁいと」

感情の無い瞳でイチは言う。
気遣いは有り難い。
……有り難いんだが、余計に悲しく、惨めになってしまい、俺は肩を落とした。



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