「――話を戻しましょう」
俺の隣に座った女が長い黒髪をかき上げながら言った。
その眉間には深い皺が刻まれている。
いや、この女だけじゃない。
この場にいる人間はただ一人を除いて、全員が疲れた顔をしている。
半円型に並べられたテーブルに囲まれ、ニコニコと笑っている少年だけが無駄に明るい雰囲気を振り撒いている。
そろそろこの話し合いも決着するだろう。
半円型に並べられたテーブルの端で、俺は欠伸をかみ殺した。
「何故、貴方はあの男を逃がしたのかしら?」
女の言葉で視線が少年に集まる。
テーブルに囲まれたパイプ椅子に座る少年は、悪びれた様子もなく自分の金髪を弄っていた。
「あの男は貴方を殺そうとした。
貴方を知る者なら、貴方への攻撃が、それだけで死にも値する罪に問われることを知らない筈はないのに。
そんな男を貴方は逃がしてしまった。
それは何故?」
少年が髪を弄る手を止めた。
丸い目を更に丸くしながら、少年は漸く口を開いた。
「何故?
逃がすのに理由がいるんですか?
追って殺す意味があるんですか?」
少年の澄んだ青い瞳に女が映っている。
女が苦笑を浮かべた。
「別に貴方を責めてるんじゃないわ。
ただ、どうしてそうしたのか聞きたいだけなの」
嘘だ、と俺は思った。
少年の敵は、やがて自分達の敵になる。
そうなる前にどうして殺さなかったのか。
こいつらはそれを問う材料が欲しいんだ。
「そうですねぇ」
それに気付いているのかいないのか、少年はヘラヘラと笑っていた。
いや、気付いているに違いない。
気付いているからこそ、彼はわざと他人を苛立たせるような態度をとっている。
他人を苛立たせる皮肉は、彼の得意技だ。
「えーと」
少年の間延びした声を聞き、俺の隣の男が貧乏揺すりを始めた。
この調子なら、もう帰れそうだな。
俺は笑い出しそうになるのをこらえながら、少年が続きを言うのを待った。
「えーと、何?」
女も苛立っているらしく、少し早口に喋った。
それなのに少年は俺の方を向いて、手を振るのだからたまらない。
こっちは笑いをこらえるのに必死だというのに。
「それはー……」
「それは?」
少年が小首を傾げ、何かを考え始めた。
やがてその顔は、ぱっと明るい笑顔に変わる。
「空が蒼かったからです」
その場にいた誰もが、ぽかんと口を開けた。
俺はたまらず笑い出してしまい、それを見て少年も笑った。
「っティム!」
女が怒りを露わにし、立ち上がった。
やば、と少年――ティムが呟き、扉へと走る。
「待ちなさい!こら!」
女が止める間もなく、ティムは笑いながら外へと飛び出していった。
相変わらず元気だな。
女は追うのを諦めたらしく、ため息を吐きながら俺の方を向いた。
「お疲れ様です、レディ・ネス」
女は黒髪を一つにまとめ、俺の方を睨んだ。
レディ・ネス。女はそう呼ばれている。
「貴方、よくあんな子の監視役になれたわね」
「どうも」
ネスは到底理解出来ない、と手を広げてみせた。
ティムは『時を渡る少年』と呼ばれる者達の一人だ。
『時を渡る少年』にはひとりひとりに監視役がつく。
俺はティムの監視役だ。
「未だに信じられないわよ。
あんな子がタイム・マスターだなんてことも、貴方がその監視役をしていることも」
『時を渡る少年』の中でも飛び抜けた力を持つ人間。
その意味を込めて彼はタイム・マスターと呼ばれている。
その力は絶大だ。
故に、監視役である俺の責任は重い。
あまりそういった面倒事を好まない俺にそれが務まるのが不思議なくらいだ。
「さて、俺もそろそろ監視に戻るかな」
俺はさっきし損ねた欠伸をひとつして、立ち上がった。
「今回もしっかり頼むわよ」
後ろでネスが無責任に手を振る。
俺は軽く手を振り返し、部屋を出た。