散歩に行くから付き合え。
アリスにそう言われ、私は食器を洗う手を止めた。

「食器は軍鶏やトランプに頼むか、後からやればいい。
今は散歩に付き合え」

このような強引な誘い方にもすっかり慣れてしまった。
私はさっさと水を止め、アリスの後ろをついて行く。
薔薇庭園を見に行くそうだ。

「……今日は、いつもと雰囲気が違いますね」
「ん?……ああ、服のせいじゃないの」

今日のアリスは白いブラウスに黒いショートパンツを着用している。
そういえばここに来てから、初めて見る格好だ。
いつもドレスや、それ以外でもスカートの姿しか見たことが無かった。

「こういう格好が嫌いなわけじゃないけど、いつもみたいな可愛い服のが好きだな」

そう言ってアリスは白黒のニーソックスを上げた。
肌を隠すためだろう。
この格好でもアリスはもちろん手袋をしている。

「……おい、誰が隣歩いていいって言った?」

ニーソックスを上げ終えたアリスが、横を向いて眉をひそめた。
アリスの後ろを歩いていた私は、いつの間にかアリスに追い付いてしまっていたらしい。
おそらく、彼が止まる前から。

「お前、自分の歩幅考えなよ。
お前が普通に歩いたら僕なんかすぐに追い越しちゃうじゃないか。
主人の前歩く召使いがどこにいるんだよ。
ほんと無駄に脚長いんだから」

アリスは怒っているというよりも呆れた口調で、私の脚を何度か蹴った。
もちろん手加減はされている。

「すみません、私の不注意でした」
「……分かってるんならいいけど」

素直に謝ったのがよかったのだろうか。
アリスは再び前を向き、さっさと歩き出した。
私も「はい」と返事をし、同じく後ろについていく。
勿論、今度は追い抜かないよう気を付けながら。



庭園の薔薇はトランプの手入れが行き届いているので、いつも綺麗に咲いている。
私が滅茶苦茶にした薔薇もすっかり元通りだ。

「アリス、お散歩ですか?」

丁度剪定をしていた鴎がアリスに話しかけてくる。
随分トランプの数が少ないのは、買い出しに出掛けているかららしい。

「だから皆さん、今はいないんですよ。
アリスが薔薇を見に来たことは伝えておきますね」

そう言って鴎は頭を下げ、仕事に戻った。
彼女一人が面倒を押し付けられたのは明らかだが、アリスも口には出さない。
鴎が喜んで引き受けたこともまた明らかで、それに水をさしてしまうからだろう。
家鴨にお人好しと言われるのも分かるかもしれない。
しかしアリスも鴎のことを気にかけているようだし、私が何か言う必要は無いだろう。
私は黙って庭園の奥に進むアリスに付き従った。

「ここならいいか」

しばらく無言で歩いていたアリスが、剪定のされた薔薇の前で足を止め振り返った。
周りには誰もいない。
どうやらトランプの来ない場所を探していたらしい。

「――今日、雀が来ることになってる。
トランプがいないのも、どこかでそれを聞いたからだと思う」
「ああ……噂の」

トランプ達に嫌われ、アリス自ら追い出したという雀。
確か軍鶏が月に一度だけ帽子を持って城に来ると言っていた。
今日がその日だったのか。

「お前には今日一日、僕を守ってもらいたい」
「守る……雀からですか?」

私の言葉に頷くアリス。
雀はアリスの座を狙って暗殺でも企てているのだろうか。

「今回がお前の本当の初仕事だ。
使えないようなら出てってもらうからな」

アリスはぶっきらぼうに言うが、本当に追い出す気はなさそうだ。
私が職務を全うすると信じているらしい。
しかし雀は、私と軍鶏に同時に警戒させるほどの人物なのか。
気を引き締めた方が良さそうだ。

「僕をちゃんと守れよ、燕」

アリスはほんの僅かに表情を緩め、私を燕と呼んだ。
彼の付けた名前。
私は燕尾服の裾を撫でつけ、頷いた。

「無駄よぉ、アリスぅ」

その時だった。
私とアリスの間に、飛び降りてきた人間が割って入ったのは。

「なっ……!」

迂闊だった、薔薇の木の上をつたって来たのか。
そう気付くと同時に、私の身体は動いていた。
アリスに迫る敵を蹴り飛ばし、すぐさまアリスの前に立ちはだかる。
蹴りが甘かったのか、吹っ飛んだ敵はすぐに帽子を拾い、立ち上がった。

「あらぁ、そのコが燕君かしらン。
家鴨の言うとおり、素敵な下僕ねぇ」

被り直したシルクハットに燕尾服。
こいつが帽子屋、雀と見て間違い無さそうだ。
無さそうだ、が。

「あの……アリス?
なんですかあの気持ち悪いのは」
「なによぉ、失礼しちゃう!」

綺麗に巻かれたツインテールを揺らし、帽子屋がこちらを指差した。
目には包帯を巻いているが、盲目なのだろうか。
その見た目や声はどう見ても……男だ。
私よりゴツいし。

「それが例の馬鹿だよ、えんちゃん。
さすがのえんちゃんもあの気持ち悪さじゃ耐えられないよねー」

帽子屋と同じように薔薇の木から飛び降りて来たのは家鴨だ。
家鴨の言うとおりだとすると、やはり。

「あなたが城から追い出されたという……」
「燕君、初めましてねぇ。
お姉さんが帽子屋の雀。
燕君なら特別に『雀ちゃん☆』って呼んでいいわよぉ」

お断りします、と出かけた言葉を飲み込んで、私はアリスをちらりと見た。
雀の緩い空気とは対照的に、アリスはキッと唇を噛んでいる。

「アリスったら、ドレスの方がキュートだって言ってるのにぃ」
「……っお前の喜ぶ格好なんて、死んでも嫌だ」

雀に服のことを指摘され、そこでアリスは漸く口を開いた。
いつもと違う格好だったのは、そういうことか。
辛辣なアリスの言葉にも雀は平気で笑っている。
それが余計にアリスを苛立たせているようだ。

「あなたの仕事は帽子を渡すことでしょう」

私は遠回しに「帽子を置いてとっとと帰れ」と雀に伝えた。
雀は一瞬唇をつり上げ笑ったが、すぐに口を尖らせる。

「んもぅ、アリスも燕君も本当につれないんだから」
「まーあひるもえんちゃんを全面的に支持するけどねー。
これ以上ありすちゃんに歩く猥褻物みたいなじゃくちゃん見せるのやだし」
「ちょっと、誰が猥褻物よぉ!」

家鴨の言葉に地団駄を踏む雀。
はっきり言って気持ち悪い。
私の可哀想なものを見るような目に気付いたのか、雀はキーッと声を上げた。

「なによなによぉ!
寄ってたかって、失礼しちゃう!
アナタ達がそんな態度なら、お姉さんだって考えがあるんだからね!」

そう言って雀がこちらを指差したのと、家鴨が「しまった」という顔をしたのは
殆ど同時だった。

「――っ!?」

私がまばたきをしたその一瞬で、雀は忽然と私の前から消えてしまったのだ。

「駄目よぉ、燕君。
アリスのこと、ちゃぁんと守らなきゃあ」

不意に背後から聞こえた雀の声は嘲笑うかのようなものだった。
しまった。
雀の狙いはアリスだったのだ。
私がすぐさま振り返ると、雀は後ろから抱き締めるようにしてアリスを捕まえていた。
アリスは必死で抵抗している。
あれだけ触れられることを嫌うアリスだ、無理も無い。
いや、それよりも早くアリスを助けなければ。
あの体勢では、アリスの命が――

「離せ馬鹿!
この変態っ!
帽子だけ僕に渡して帰れ!」
「やーん、暴れるアリスもかーわーいーいー。
お姉さんチューしちゃおうかしらン」
「うわ、ちょ、やめろ馬鹿っ!」

……命、が?

「こら、燕!見てないで助けろよ!」

雀の顔を必死で遠ざけるアリスの悲痛な叫びで、漸く我に返る。
確かにアリスを守るのが私の仕事だ。
しかし、これは何だ?

「あの……アリスを守れというので、私はてっきり、雀がアリスの命を狙っているのかと……」
「誰に聞いたのそれ?」

私の言葉に、ポカンと家鴨が首を傾げた。
そういえば雀のことを私は「アリスの嫌がることばかりをして追放された馬鹿な帽子屋」としか聞いていない。
アリスの殺害云々は……確かに私の想像だった。

「じゃくちゃんはさ、ありすちゃんが好きで好きでたまらないんだよねー。
だから触られるのが嫌いなありすちゃんにベタベタしまくってさ。
毎日五回は『かわいいからチューしちゃう』とか言ってたしー。
ありすちゃん怒って当然だよねー」

家鴨の説明を聞き、やっと私は事情を飲み込んだ。
つまりアリスの「守れ」とはそんな大袈裟なものでは無く、雀を自分に近付けるなくらいの意味だったらしい。
なるほど、そういうことだったのか。
私は腕を組み、うんうんと頷いた。

「細い脚が見えるのもいいけど、やっぱりスカートを捲りたいじゃなぁい!
だから毎回言ってるのにぃ!
次こそはスカートじゃなきゃ無理矢理ひんむいちゃうわよぉ!」
「絶っ対嫌だ!
もう半分ひんむいといて何を今更……!
今すぐ離れるか死ね!
――おい燕!
助けろって言ってるだろ!
この馬鹿力をなんとかしろ!
家鴨も見てないで止めろ!」

ベルトを取られかけているアリスの叫びが静かな庭園に響く。
美しく咲いた薔薇とあまりにも不釣り合いで、私は思わず笑った。
ただ、これ以上アリスの機嫌を損ねるわけにはいかないので、雀を無理矢理引き剥がす。

「じゃ、先に部屋に帽子運んどくからねー」
「ちょっ、痛い痛い!
自慢の髪が抜けちゃうぅ!」

家鴨が引き剥がされよろけた雀の髪を掴み、城へと引きずっていく。
雀よりも家鴨の方が馬鹿力だと思ったのは気のせいだろうか。
遠ざかる二人を見て、アリスがため息を吐いた。

「すみません、意外と楽しそうだったので」
「どこがだよ」

アリスは恨めしそうに私を睨む。
実際、楽しそうだったのだから仕方がない。
なんにせよ心の底から嫌がってはいなかったのは事実だ。

「…………」

私の考えを見透かしたように、アリスが再びため息を吐く。
そして怒ったような呆れたような顔をしながら、私を指差して言った。

「後で僕の部屋に来い。
色々言うことがあるからな」
「ええ、楽しみにしています」
「……少しは反省しろよ」



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