「帽子屋さんとネムリネズミについて…ですか?」

私は出来るだけ他のトランプに聞こえないよう、人気の無い場所に鴎を呼び出した。
早速話を切り出したものの、鴎は困ったような笑顔を浮かべている。
やはりこの話題はタブーのようになっているらしい。

「えーと……そうですね、以前私が可愛いって言った家鴨って子を覚えてますか?
その子がネズミなんです」

家鴨は、以前アリスを助けに行った際に聞いた名前だ。
アリスは身体の秘密を知る一人が家鴨だと言っていた。
住人への挨拶ついでに探していたが、その手間は省けたようだ。
森に住んでいると分かれば、隙を見ていつでも会いに行くことが出来る。

「あの、誤解しないであげて下さい。
家鴨ちゃんはいい子なんですよ。
……確かに口は悪いけど、本当は素直ないい子なんです!
アリスもそれを分かってるから、たまに城に呼んでくれるんです!」

ふと、私は鴎が可哀想になった。
家鴨はトランプに追い出されたと言っていた。
鴎にしてみれば、理不尽な理由で突然友達を失ったんだ。
私に真剣に「家鴨はいい子だ」と説明するのは、トランプ達のように家鴨を嫌わないで欲しいからだろう。

「ええ、分かってます。
それで……帽子屋は?」

鴎の友達であり、アリスが城に呼ぶのなら、おそらくはそうなんだろう。
私は鴎の言葉を全面的に信じることにした。
それよりも、私にとって気になるのは帽子屋の方だ。

「え……」

途端に、鴎の表情が曇った。
彼女のこんな表情は見たことが無かった。
鴎がこんな顔をするのだから、帽子屋は相当の人物らしい。

「えーと……帽子屋さんは、雀さんっていいます。
私は……あんまり好きじゃありません。
あの人はアリスの嫌がることばかりしますから……」

ごめんなさい、と鴎が頭を下げた。
どうやらこちらもアリスの秘密を知る人物らしい。
名前を聞いた瞬間はアリスが秘密を守る為に隔離したのかと思ったが、どうやら違うようだ。
雀という人物は、本当に手に負えない人物なのだろう。
そもそも、アリスに嫌がらせをする人間がいることに驚いた。
軍鶏の言っていた「次のアリスを狙う人間」だろうか。

「そうですか……有難う御座います」
「あ、待って下さい!」

これ以上は鴎に聞くわけにはいかないし、仕事の邪魔になる。
礼を告げて立ち去ろうとすると、鴎が思い出したように私に言った。

「多分、今日は家鴨ちゃん、ここに来ると思います。
紅茶が切れたから城に貰いに来るって言ってたから……!」

……都合のいい事は重なるものだ。
私はもう一度礼を言い、茶葉のあるキッチンへと向かった。



キッチンへ行くと、扉に掛けた覚えの無い「掃除中 立ち入り禁止」の札があった。
どうやら私の考えは正しかったようだ。
私は意を決し、扉を開けた。

「……!?」

中に居た少女が驚いた顔でこちらを向く。
ネズミの耳を象ったようなリボンで栗色の髪をポニーテールにし、何故か私と同じ燕尾服を着ていた。
この城の制服のような物ではあるが、決まっている訳ではないので、着ていない人間の方が多い。

「誰?」

私がトランプでは無いと見るや、少女は私を睨んだ。
札を見なかったのか、とでも言いたげだ。

「私は、二週間前からここで働いている燕と言います」

私は正直に答える。
少女は長い髪を弄り、へー、とだけ答えた。
それきり、沈黙。
……堪えきれなくなり、私はもう一度口を開いた。

「あの、家鴨……さんですか?」

少女はポカン、とした表情を浮かべてから、また髪を弄って答えた。
髪を弄る癖があるらしい。

「んーそうだよ。
あひるがあひるだよ。
ありすちゃんに聞いたの?」
「いえ、鴎に」
「あーかもめちゃんねー。
あの子お人好しだもんねー。
えんちゃんみたいな右も左も分からないような戦力外の新人にも優しいんだ」

思っていても、自分の友達を、お人好しと他人の前で言い切るものだろうか。
しかも馴れ馴れしくちゃん付けした上、私まで面と向かって馬鹿にしている。
アリス相手にもこの調子なら、確かにトランプも怒り心頭だろう。

「で?
えんちゃん、紅茶どこ?
ありすちゃんに許可は取ってあるからさぁ、ちょっとあひるに分けてよ。
あひるんちの紅茶、馬鹿がグビグビ飲むからすぐ無くなっちゃうの」
「馬鹿?」
「じゃくちゃん。
あひるが脈絡なく馬鹿って言ったら十中八九じゃくちゃんのことだよ。
他のみんなもそーだと思うよー」

あーあ、なんであんなのと一緒にされちゃうかなー。
そう言って家鴨は不満そうな顔をする。
トランプには反逆者として同列に思われているようだし、それが不満なんだろう。

「あれー?
えんちゃん、紅茶どこやったの?
あひるがいた時はここにあったんだよー?
だってあひるの背の届くところに用意してたもん」

家鴨が戸棚の下の方を探しながら不思議そうな声を上げた。
ここにいた頃は背の届く場所にあったということはつまり、家鴨がここの管理をしていたということだ。
今は私と軍鶏が交代でしている料理も、以前は家鴨が一人で担当していたのだろうか。

「これですか?」
「そう、それ」

私は手を伸ばし、棚の上に乗っている缶をいくつか取った。
ここに来たばかりの頃に、低い位置にあったのが取り出しづらかったので私が移動させたのだ。
今思えば、あれは家鴨の身長に合わせて並べられていたのだろう。

「どれがお好みですか?」

アリスは毎日違う紅茶を飲む。
その為、茶葉は常に数種類用意されている。
私は順番に茶葉の名前を挙げたが、家鴨は「あーもういいよ」とそれを制止した。

「えっとねー、あひるはありすちゃんみたいなブルジョワ味覚じゃないからさー。
正直飲めればなんでもいいんだよね。
じゃくちゃんが紅茶しか飲まないから、あひるも仕方なく飲んでるけどさー。
あんな奴の為にありすちゃんの美味しい美味しいおリッチ紅茶貰うのは嫌だしー、適当に安いのか余ってるのくれればいいよ」

アリスの紅茶好きは皆の知るところだが、その紅茶をここまで言うとトランプも
激怒するだろう。
しかも本人は至って悪気は無い様子だ。

「では、アリス様が最近飲まれない……」
「あーそれでいいよ。
適当にそれちょーだい。
旬が過ぎて賞味期限の切れた湿気ったやつなんかさいこー」

私が知らずにアリスの気に入っている茶葉を渡せば、アリスに嫌がらせをするという雀の思惑通りになるのだろう。
家鴨はそれを阻止したいように見える。
さすがに家鴨の言う程の酷い物は置いていないが、アリスが最近「なんか味と香りが落ちた気がする」と言って敬遠していた茶葉を渡すことにしよう。
私が茶葉を家鴨の持って来た容器に入れ替えると、家鴨は思い出したように鞄をあさった。

「はいこれ、お礼。
あひるの焼いたスコーンだよ。
新人のえんちゃんが焼いたのよりは美味しいんじゃないかなー。
一応、ありすちゃんのおやつ作ってたのあひるだしねー」

家鴨の取り出したスコーンは、チョコチップの入ったものだった。
可愛らしいラッピングがされたそれは、こんな茶葉のお礼としては十分すぎる。
私は礼を言ってスコーンを受け取り、微笑んだ。
再び馬鹿にされたが、そうはいかない。

「以前、アリス様は私のスコーンを褒めて下さったので、どちらが美味しいかは分かりかねます」

大人気ないが、何も出来ない新人扱いされるのはお断りだ。
私が言い返すと、家鴨は驚いたように目を丸くした。

「あの我が儘なありすちゃんに美味しいって言わせたの?
たった二週間で?」
「ええ、まあ」

家鴨によると、アリスが素直に美味しいと言うのは珍しいのだという。
そういえば軍鶏の作る食事でもアリスが味を褒めるのは数える程しか聞いたことが無い。
私の作った料理も、始めは文句しか言われなかった。

「フルーツケーキを作ったら、こんなものは食べられない、と投げつけられたんですよ。
それ以来、特訓しましたので」

不味いと言われた上にせっかくのケーキを頭にぶつけられたのが、私はとても悔しかった。
それでなんとしてでもアリスに美味しいと言わせようとしたのだ。

「へー、普通ならそこで怒っていいと思うけどねー。
ありすちゃんってば傍若無人だし。
そんなありすちゃんがいいって人ばっかりで、ここって実はマゾの国なんじゃないのかなー。
ケーキぶつけられてもむしろ頑張っちゃうなんて、えんちゃんも相当キてるしー」

家鴨はそう言って髪を弄る。
……遠い昔にも、同じことを誰かに言われた気がした。

『本当に――って変わってるよね。
あんな我が儘な奴の言いなりになって、さ。
あそこまでされたんだから、言うこと聞くのなんか止めて怒ってもいいと思うけど』

その時、私はなんと答えたのだろう。
私は首を振り、思ったままを口にした。
そう、私は分かっているのだ。

「アリス様は、寂しがり屋なんですよ。
我が儘なのは、どこまでなら許してくれるのか、距離を計っているから。
本当は一人が怖いんですよ」

私の言葉を聞き、家鴨が髪を弄る手を止め、笑った。
今まで無表情だったため、初めて見る笑顔だ。

「ここのことは分からないくせに、ありすちゃんのことは分かるんだねー。
あひるの中で駄目新人からそこそこ使えるマゾ家来に格上げしとくよ」
「それはどうも」

本当は、家鴨もアリスのことを大切に想っているんだろう。
口は悪いが、アリスを守ろうとしているのが分かる。
元々はこの城にいたのだから、当然といえばそうかもしれないが。

「じゃー紅茶もらったし、あひる帰るねー。
また二、三日したらあの馬鹿と一緒にここに来るから、その時えんちゃんにも会わせたげる。
とびきり馬鹿で鬱陶しいけど、えんちゃんマゾだから大丈夫だよねー」

ひょい、と窓から飛び降り、家鴨は手を振って走って行った。
長居をすると誰かに見つかる可能性があるからだろう。
数日後には堂々と正面から来るようだし、その時に雀がどのような人物なのか探ればいい。
アリスを守る、それも私の仕事の一つだ。
それに、次に会った時にはきっちりと否定しなければならないことも出来た。
家鴨は一体私を何だと思っているのだろう。

「私は別にマゾじゃないんですけど」

見つかるといけないので小さくなった後ろ姿に叫ぶことも出来ず、私の呟きは手に持ったスコーンの方へ落ちていった。



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