ベッドに倒れ込むと、自然に溜め息が漏れた。
俺は何者だったのだろう。
そしてアリスも。
「分からないことが多すぎる……」
血の通わない冷たい身体、人間を消失させたあの能力……。
聞いて話してくれるとも思わないが、尋ねてみる必要がありそうだ。
服をクローゼットにしまうのも面倒になり、俺は上着を椅子にかけ、装飾品を適当に机に置いた。
少し眠ろう。
そう思いベッドに腰掛けた瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
「燕?」
アリスの声だ。
俺は溜め息をついて立ち上がり、ドアを開けた。
「よかった、寝てるかと思ったから」
アリスはすっかり着替えていて、リボンをふんだんに使った可愛らしいピンクのドレスを着ている。
少し真剣な顔をしたアリスが、服がかかっていない方の椅子に腰掛け溜め息をついた。
「どうせ隠したって調べるつもりだろうから、きちんと話しておこうかと思って」
言いながらアリスが手袋を取る。
先ほど見たのと同じ、白すぎる手だ。
「お前はなかなか頭がいいみたいだし、気が付いてるかもしれないけど、僕の身体は大部分が機械で出来ているんだ」
ベッドへ腰掛けた俺の方へ手を伸ばしながら、アリスは何でもないように、さらっと言ってのけた。
機械だって?
驚く俺のことなど無視して、アリスは続ける。
「それを隠す為に僕達は見た目が人間に近い偽物の身体を着ているんだ。
もちろん僕の頭に脳は入ってるし、血管も重要な部分には残ってる」
つまり、アリスが機械なのではなく、身体だけが機械だったということか。
訳が分からなすぎて、逆に納得せざるを得ない。
「作った奴はこの偽物の身体のことを『ギタイ』って呼んでた」
ギタイ?
……義体?
「そして僕達の本体は『ソタイ』って呼ばれてた。
僕は全身がそれだけど、腕だけとか、脚だけとか、いろんなパターンの奴がいた」
……アリスはとても失礼な言い方をすると「改造人間」といったところだろう。
身体が機械である以外、普通の人間とかわらない。
しかしそれは人間と呼べるのだろうか。
「人間」の定義が分からないので、俺にはなんとも言えないが。
「見たい?」
アリスが笑った。
俺が僅かに頷くと同時に、アリスが自分の左手を掴む。
アリスの左肘がパキン、と無機質な音を立てた。
「お、おい……!」
「大丈夫、別に痛くないから」
アリスが力を込めて左手を引き抜く。
中から現れたのは、まるで針金のような、骨に似た細長い腕だった。
しかしそれはよく見ると、確かに機械で出来ている。
「アリスが人間じゃない、なんて騒がれたら気分悪いでしょ。
だからこれは秘密にしておいて」
苦笑しながらアリスが左手を戻す。
なるほど、アリスも不安に感じているのかもしれない。
自分が人間なのか、そうではないのか。
「……分かった、そうするよ」
俺の言葉にアリスは笑顔で頷いた。
「このことを知ってるのは軍鶏と、雀って奴と、家鴨って子。
それ以外の奴には黙ってないと駄目だよ」
家鴨……。
鴎が友達だと言っていた子か。
「……変なの」
いずれ鴎に会わせてくれるように言ってみよう。
俺が一人で納得していると、アリスの呟きが、不意に俺の思考を遮断した。
変?
一体何が?
俺が聞き返すと、アリスは不思議そうな顔をして頷いた。
「なんで僕、会ったばっかりのお前にこんなこと話してるんだろう。
しつこくお前に聞かれても誤魔化せばいいのにさ。
僕がアリスになる前からいる奴だって、ほとんど知らないのに……」
アリスの秘密を知る者はあまりいない。
そこに会ったばかりの俺を加えるのは、確かにおかしな話だ。
それが何故なのかは、アリス本人も分かっていないらしい。
ああでもない、こうでもない、とアリスはしばらく悩んでいる様子だった。
が、すぐに笑顔を浮かべ、立ち上がった。
「まあいいか。
助けてもらったし、それなりに強いみたいだし。
僕は意外と出会ったばっかりのお前を信頼してるのかも」
もうご飯出来るらしいから、それじゃあ。
そう言ってアリスは走り去った。
信頼とは、おかしなことを言ってくれる。
俺は彼に助けられ、そして彼を助けた。
そのせいだろうか?
俺はベッドに寝転がり、目を閉じた。
「信頼、か……」
帽子を被った、金髪の少年が立っていた。
少年は何か叫びながら、俺に向かって手を振っている。
叫んでいるのは俺の名前のようだ。
俺は首を横に振って答える。
「彼が俺を信頼していると言った」。
少年の表情が曇る。
「俺は彼に助けられた、その恩は返さなくてはならない」。
俺の言葉を遮るように、少年が叫ぶ。
それでも、俺はこう答えた。
「俺の名前は、燕だ」。
「お前!結局昨日あのまま寝て起きて来なかっただろ!
今日も起きて来ないで軍鶏にばっかり仕事させてさ!
ちゃんと軍鶏に謝――」
時計が十時過ぎを指した頃、アリスが乱暴に部屋の扉を開ける。
ノックくらいすべきではないだろうか。
「あ、あれ……?」
「アリス、燕は昨日のことで疲れてるだろうし別に……ん?」
まず、アリスが困惑した様子を見せた。
後に続いて部屋に来た軍鶏も同じように首を傾げる。
「おはようございます」
「え?あれ?もしかしなくても……燕?」
軍鶏がぽかんと口を開けた。
扉の横にかかった鏡には、眼鏡をかけた黒髪の男が映っている。
昨日の夜にトランプに頼んだ道具は、今朝には部屋に揃えられていた。
「なんだよこれ……?
髪染めにハサミに眼鏡ケース?」
アリスが机の上に並んだ物を、眉を寄せて一つ一つ手に取った。
ついでに言うと、部屋の隅のゴミ箱は切った髪を掃除したビニール袋が入っていたりする。
「今日からここで使用人として働かせて頂きます、燕と申します。
どうぞ宜しく、ご主人様」
恭しく頭を下げて微笑むと、アリスは――ご主人様は可笑しそうに笑った。
「……いいね、うん。
銀髪もいいけどさ、お前わりと黒も似合うよ」
「まあ確かに似合うけどさー……。
お前、極端にキャラ変えすぎじゃない?」
なかなか上機嫌のご主人様とは対照的に、軍鶏は少し呆れたような顔をしている。
「ええ。形から入るタイプですので」
私が眼鏡を上げながらそう言うと、
「ああそう」
軍鶏も少し笑った。