「お前のせいだっ!」

私の目の前で主人が手にした鞭を振り上げた。
薄暗い地下室では目に痛いほどの金髪と白いフリルが、その動きに合わせて踊る。
嗚呼、私の血であの服を汚せば、また鞭が振り下ろされるだろうな。
なんてことを私は漠然と考えていた。
ヒュン、と鞭が空気を切り、私の裸の上半身に振り下ろされる。
二十七回目。

「お前がっ!疑われるっ!ようなっ!ことをっ!するからっ!」

二十八、二十九、三十、三十一、三十二。
背中が焼けるように熱い。
消毒液がどれだけ沁みるだろうか、なんてことを考えている場合じゃないんだろう。
今日も私の主人はご機嫌斜めらしい。
ついこの間、こうやって鞭で打たれたばかりだというのに。
そろそろ城の包帯が無くなってしまんじゃないだろうか。
買い足さなければ。
後ろで縛られている手も痺れてきた。
この縄だけでもなんとかしてくれないだろうか。
そういえばさっき眼鏡も割られてしまった。
今月は節約するしかなさそうだ。

「おい」

不意に伸びた何かに下らない思考を停止させられ、私は上を向かせられた。
彼の足だった。

「聞いてるのかよ」

ご主人様はまるでボールで遊ぶ子供のように、私の顔を二、三度ぽんぽんと上に蹴り上げた。

「ええ、もちろん」

こんなことはもう慣れてしまっている。
私はご主人様に笑顔を返した。
対称的に主人は眉間に皺を寄せた。

「何笑ってるんだよ、ねえ」

私が思い通りにならないのが不満なのだろう。
主人はもう一度私の顔を蹴り上げた。
この体勢は首が疲れるので止めてもらいたい。
何より、これ以上時間がかかると夕食の準備に支障が出る。
そろそろ終わらせてもらえないだろうか。

「白ですか。ドレスに合わせられた?」
「はぁ?」

意味分かんないんだけど。
ご主人様は不満げに首を傾げた。
どうやら、まだ分からないらしいご主人様に私は言ってやった。

「先程から私などには勿体無い素晴らしい眺め、有難う御座います。
パンツ、丸見えですよ。ご主人様」

私がフルスマイルを浮かべると、ご主人様の表情が固まった。

「なっ……!」

みるみる真っ赤になるご主人様。
あ、その顔いいですね。カメラが無いのが残念です。

「っのばか!」
「――っ!」

胸を思い切り蹴られ、私は無様に床を転がった。
そもそも、貴方には性別なんて存在しないのだから、そんなことで本気にならなくても。
そんなことを言うとまた蹴られるので止めておく。

「なんで?どーして!?わけわかんない!」

咳き込む私の身体に、また容赦なく鞭が振り下ろされる。
三十三。

「どーしてお前は僕の思い通りにならないんだよっ!
お前はいっつもそーだ!いっつも!いーっつも!」

容赦なく振り下ろされる鞭。
もはや何度目だか分からないそれに、私は黙って耐えていた。
度重なる鞭の衝撃のせいで、私の手を縛っていた縄もとっくに切れてしまっている。

「本当にお前は……!」

身体中が悲鳴を上げている。
そろそろ、まずいかな。
そう思っていた矢先だった。

ぽた。

鞭の代わりに、冷たい液体が降ってきたのは。

「もう……なんでだよぉ……!
どーしてお前はさぁあ……!」

顔を上げると、主人は年齢相応の子供に戻っていた。

「ひっく、ふぇえ……!」

小さな子供が泣きじゃくるようにして、主人はしゃがみ込み、泣き出した。
その姿は先程まで私を鞭で打っていたとは思えないほどだ。

「すみません、私の不注意が原因でした」

やれやれ、ようやく終わったようだ。
私は痛む身体を起こし、主人の頭を撫でた。

「違う!違うんだ!燕は悪くない!
ごめんね、ごめんね……!」

こうして謝る姿を見ていると、今までの痛みも全て吹き飛ぶ……。
というのはさすがに言いすぎだが、幾分ましになることは確かだ。

「痛かったよね?
僕、ほんとはこんなことしたかったんじゃないんだ……!
なのに、僕、こんなことして……!」
「大丈夫ですよ、なんともありませんから」

なにかある度に私に八つ当たりする癖はきっとどうやっても直らないだろう。
……私でなければ、きっと死んでる。

「……燕、僕のこと嫌いになった……?」
「なりませんよ。なるわけがない」

彼の暴走はこれで終わる。
いつもそうだ。
主人は、嫌われることを極端に恐れている。

「うん、よかった」

最後に主人は微笑み、私に抱きついたまま眠ってしまった。
この小さな身体の何処にあれだけの力があるのかといつも思う。




「終わった?」

ぎい、と金属が軋む音がして地下室の扉が開いた。
赤い髪の少年が中に入って来る。

「軍鶏」

少年――軍鶏は救急箱を持っていた。
鞭でぼろぼろになった私の手当てをするのはいつも彼の役目だ。
本来ならば私の主人の護衛であるはずだが、私が来てからは私の手伝いも兼ねている。

「今日は早かったな」
「ええ、いい眺めでした」
「聞いてねえよ、このスケベ!……今日は白か、ふーん……」

私の言葉を聞いて軍鶏は笑った。
が、何かを確認するように呟きながら、僅かに顔を赤くした。

「アリスは寝たの?」

アリス。
私の主人の名。
しかし主人はそう呼ばれることを嫌う。

「ええ、『ご主人様』は寝てしまいましたよ」

だから、私だけは彼をアリスと呼ばない。
軍鶏はアリスという呼び方にとっくになれてしまったらしく、今更変えようとは思わないらしい。

「ところで、今回の喧嘩の原因は何?」

喧嘩、か。
私は苦笑した。
私が鞭で打たれるだけの一方的な喧嘩だ。

「トランプの一人が『執事の燕のやつはとっくに記憶が戻ってるに違いない』とかなんとか言ったらしいですけど」
「ふーん」

軍鶏は興味無さそうに、ウサギのような垂れた耳の付いた帽子を被りなおした。
記憶を失い、拾われた私がここで働いてから随分経つ。
そう思う者がいるのも当然だろう。

「そのトランプなら、雀がシメちゃったよ。
アリスを泣かすんじゃねぇ!って叫びながらさ」
「おや、またですか」

雀はいちいち荒っぽい。
彼のせいでどんどん城の警備が手薄になっている気がする。
アリスを守ろうとするのはいいのだが、加減を覚えた方がいい。

「……なあ、燕。オレ思うんだけどさ」
「はい?」

軍鶏は神妙な面持ちでこちらを見た。
私は笑顔だった。
気、悪くすんなよ、と言って軍鶏は口を開いた。

「お前さ、そのトランプの言う通り……記憶……戻ってんじゃねぇ?」

私は笑顔のまま答えた。

「さあ、ね。どうでしょう」



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