兄様は新しい任務に就くと言って、今は遠い遠い国にいるのです。
もう離れてから三年も経つけど、僕は平気です、兄様。
少し寂しいけれど、兄様はお国の為に勇敢に戦っているんだもの!
今日も兄様がいつ帰ってきてもいいように、お部屋を綺麗にしておこうっと。
それからいつでも美味しいご飯を作れるように、お買い物に行くんだ!
「いやはや、哀れですね」
僕の後を、小さな男の子がてくてく付いてきます。
男の子は錫杖を持っていて、まるでお坊様みたいだ。
「哀れですね」
男の子は錫杖をシャンと鳴らして、ただただ僕の後を付いてきます。
薄ら笑いを浮かべ、僕の背中に話しかけながら。
「あの……何か用なのですか?」
気味が悪くなった僕は、たまらず振り向いて声をかけました。
「…………」
男の子は何も言いませんでした。
しかし僕が振り向いたのを見るやいなや、その笑みを更に深くしたのです。
「……くぅい」
僕は困りました。
だって男の子のまんまるな目が、まばたきもせずに僕を見ているのですから。
「――御兄弟に会いたいのでしょう?」
唐突に、男の子は言いました。
何故僕と兄様のことを知っているのでしょう。
とてもとても不思議でしたが、僕は正直に「はい」と答えました。
「うふふふ」
男の子は意味ありげに笑いました。
いえ、意味なんて無いのかもしれません。
「私は小坊主です。
ダイヤモンド清水ともいいます。
うふふふふ」
男の子はよく分からない名前を勝手に名乗りました。
どちらも名前としてはどうかと思ったので、僕はお坊様と呼ぶことにします。
「御兄弟に会いたいのでしょう」
男の子は同じ言葉を繰り返しました。
「はい、お坊様。
僕は兄様に早く会いたいのです。
でも、兄様はお国の為に頑張っているのです。
だから、極卒は我慢するのです」
僕も、同じことを言いました。
その言葉を聞いたと同時に、男の子は優しげな笑みで頷きました。
それはそれは優しい、まるで仏様のような微笑みで。
「ええ会えます、会えますとも。
きっと会えます。
――来世か、来々世か、来々々世か。
とにかく会えます」
僕は首を傾げました。
来世、だなんて大袈裟です。
戦争が終われば兄様は帰ってくるのですから。
「おや、まあ、あろうことか!」
僕が素直に聞くと、男の子は大袈裟な程にのけぞってみせました。
「なんと哀れな。
よろしい、私が真実を説いてさしあげましょう」
その声は見た目に似合わず、どこか迫力があります。
男の子は驚く僕を置き去りに、錫杖を鳴らして告げました。
「極卒、お前の兄はもうこの世にいないのですよ」
……え?
僕は聞き返しました。
兄様が、もうこの世にいない?
それはつまり――
「そんなはずが……」
「考えてもご覧なさい。
この国が戦争しているのなら、何故普通に買い物が出来るのです?
もう戦争は終わっているのです。
なのにお前の兄は帰って来ない。
どういうことか分かりますね?」
男の子は吸い込まれそうなくらい大きな目で、僕を見上げていました。
兄様が?
そんなはずがない。
子供の戯れ言だ。
「嘘、だ」
笑い飛ばしてしまいたかったのに、僕の声は震えていました。
男の子は微笑むばかりで、まるで全てを見透かしているようです。
僕は思わず膝をつきました。
兄様が……なんて信じられません。
それでも、男の子の言葉は僕の頭の中でぐるぐる回るのです。
そしてまるでそれが真実のような錯覚に陥ってしまうのです。
「悲しむことはありません。
人が人である限り、逃れられぬ輪の中にいるのです。
いつかまた巡り会うこともあるでしょう」
男の子はしゃがみ、僕と同じ目線になりました。
その言葉はどこか残酷なくせに、今の僕には救いのように感じられたのです。
「兄様に、会える……?」
ああ、兄様、兄様。
兄様に会いたい。
兄様に抱きしめて欲しい。
「――ですが、輪廻転生とはその者の生前の行いによって決まるもの。
お前の兄は戦争に行き、数多の人間を殺すという業を積んだ。
生まれ変われば果たしてどんな過酷な運命を背負うやら。
逆にお前は健気に兄を待ち、模範的に暮らしている」
少し難しい話でしたが、僕は考えました。
よくは分かりません。
分かったのは、このままでは僕と兄様が同じラインに立つことは出来ない、ということでした。
僕がそれに気付いたのを察したのでしょう。
男の子はまるで僕を後押しするように言いました。
「お前が兄と同じ運命を背負い、少しでも同じ道を歩く可能性を掴みたいと考えるのなら。
……後は分かりますね、うふふふ」
僕は立ち上がりました。
やるべきことは決まった、僕は兄様のように、お国の為に戦う兵隊さんになろう。
そして、少しでも兄様に近付くんだ!
兄様がもういない、なんて信じたわけではありません。
僕が戦争に行けば、きっと兄様に会える。
僕から兄様に会いに行けばいいんだ。
そう思ったからです。
「お坊様、あなたは……」
「私は小坊主です。
疑っても無駄ですよ。
うふふふふふふ」
男の子はもう付いてきませんでした。
僕は男の子に頭を下げ、帰路につきます。
「――え?」
男の子が後ろで何かを呟き、僕は振り向きました。
しかし不思議なことに、そこに男の子の姿はありませんでした。
まるで幻だったみたいに消えてしまっていたのです。
男の子が何を言ったのか、男の子は本当にそこにいたのか。
僕には分かりません。
でも、僕が兄様に会いに行くと決めたのは確かなのです。
待っていて下さい、兄様。
極卒はきっと兄様のお役に立ってみせます。
(「戦いなさい、極卒。
戦って、戦って、この世に一切の衆生が無くなるまで戦いなさい。
それしか人が涅槃に至る道は存在しないのですから。
うふっうふふふふふ」)