縁側で兄弟並んで茶を啜る。
これほど平和なひと時は無いだろう。
ふうっと息を吐きながら右隣に座る弟の様子をちらりと伺う。
とはいっても右目は見えないので、ちらりと、とは言わないのかもしれないが。

「なー兄貴、暇だ」

弟は湯飲みを手にしたまま、庭を眺めていた。

「なー……」
「暇なのは平和だからだ。
いいことじゃないか」

俺は弟をたしなめ、同じく庭に目を向けた。
庭のカエデはまだ夏の色をしている。
秋になれば、紅葉が美しくなるだろう。
そうなれば、またこうして縁側で紅葉を共に眺めるのも風流。
実に楽しみだ。

「――暇だッ!」

そんなことを考えていると突然、弟は立ち上がって叫んだ。
せっかくの風情が台無しだ。
仕方のない奴め。

「マサムネ、茶はもういいのか?」
「いらねーよ、こんな苦い茶なんざ!
兄貴に付き合ってたら茶で腹が一杯になりそうだ!
俺様は忙しーんだよ!」

名を呼びながら急須に手を伸ばすと、マサムネは突然そう喚いて部屋へと戻っていった。
暇だ、と叫んだばかりじゃないか。
何か気に障るようなことをしただろうか。
しかし、せっかく眼に良いという薬効のある茶を買って来てやったというのに、それを苦くて飲めないとは。

「まあ、仕方ないか……」

俺は独り言と共に溜め息を吐いた。
……マサムネは俺を嫌っているらしい。
確かに俺は何一つ兄らしいことをしていないし、仕方のないことだ。
いや、憎んでいると言った方が正しいかもしれない。
マサムネが病で片目を失ったばかりの頃、仕事が忙しいと家に一人残してきたことが何度もあった。
幼い弟にはどれだけ心細かっただろう。
そして今は怪我と病を理由に自分の危険な役目を弟に押し付け、のうのうと生き延びている……。
兄としてだけでなく、人間としても最低だ。
俺は一番大切なものを傷つけてきたのだ。
右目を失ってやっとそれに気付いた。

「本当に俺は至らぬ兄だ」

今日のようにマサムネを気に掛けても、そうするのが遅すぎた。
マサムネは「今更兄貴面すんな!」とでも思っているに違い無い。
本当に守りたかったものすら守れないとは、なんと愚かな話だろうか。
兄として、17代目として、人間として。
どこを見ても俺という人間には価値が無い。
そう、生きている価値が――

「何やってんだよ兄貴」
「……マサムネ?」

ふと気付くと、隣にマサムネが訝しげに佇んでいた。
いつの間に部屋から出てきたのだろう。
まったく気付かなかった。

「今にも腹ァ切りそうな面しやがって」
「いや、少し考え事を……」
「はっ、またどうせロクでもねーこと考えてたんだろ」

マサムネはそう言って嘲笑を浮かべた。
ロクでもない、とはなんだ。
俺がこんなに真剣に悩んでいるのに。
そう言いたかったが、俺は一度深呼吸して抑えた。

「茶のおかわりを貰いに来たのか?
それならまだ――」

気を取り直し、急須を手に取る。
そこでふと、おかしなことに気が付いた。
急須が随分と冷たい。
そしてマサムネが、現れた時以上に怪訝な顔をしている。

「茶……って。
あんな前からずっと此処に居んのかよ!?」
「あんな前?」

同じく訝しむ俺に、マサムネは庭を指差した。
いつの間にやら空が赤くなり、庭を同じ色に染めている。
どうやら俺は随分長い間此処にいたらしい。

「身体冷やすなって医者に言われてんだろ、この馬鹿兄貴!
俺様が来るまで気付かなかったのかよ!」

マサムネは声を荒げながら、俺の手を乱暴に掴んだ。
まだ初秋とはいえ、日が沈むにつれ随分冷えるようになっている。
確かに俺の身体はマサムネの言う通り冷たくなっていた。

「マサムネ?」

しかし、それ以上にマサムネの手は冷たい。

「どうしたんだ?
お前の手も随分冷えているじゃないか」

マサムネはこちらを向こうとせず、俺の手を引っ張ってずんずん歩いている。
一体どうしたというのだろうか。

「おい、マサムネ。
聞いてるのか?」

掴まれていない方の手で肩を掴むと、ようやくマサムネは足を止めた。
しかしけっして振り向こうとはしない。

「聞いてるのかって何だよ……俺が呼んでも聞いてねーくせに」

マサムネの絞り出すような声は酷く震えていた。
……呼んだ?
マサムネが、俺を?
考えることに集中しすぎて、外界の声が聞こえていなかったのか?

「すまない、さっきも言ったが考え事を……」
「今だけじゃねーよ!
さっき茶飲んでる時も、ガキの頃からそうだ!
いつも何考えてんのか分からねーんだよ!
そんなに考えるのが大事か!?
兄貴は俺といるより、何か考えてる方がいいんだろ!」

マサムネは俺の言葉を遮り、叫んだ。
そしてハッとしたような表情を浮かべる。
自分の言葉に驚いたのだろうか。

「っ俺様としたことが、何言ってんだ……」

すぐにマサムネは取り繕うように首を振り、俺の手を離した。
俺はずっとマサムネのことを考えていた。
いつもいつも弟について考え続けてきた。
それもマサムネが大切な弟だからだ。
しかしマサムネからすると、俺はそのように見えていたのだろうか。
目の前のマサムネを見ようとせず、一人で考え込んでいたのだろうか。

「……確かにお前の言う通り、俺はいつも悩み、考え込んできたのかもしれない。
しかし一つだけ分かって欲しい」
「……なんだよ」
「いつも俺が考えていたのは、お前のことだけなんだ。
お前に兄として何もしてやっていないこと、お前に18代目を押し付けたこと……いつもお前が俺を恨んでいるのではと考えていた」

俺はマサムネの目を見据えて言った。
口にすると、改めて思い知る。
俺は実に情けない兄だ。
こんな兄を持ち、マサムネは呆れているだろう。

「……馬鹿兄貴」

案の定、マサムネはそう言ったきり、背を向けてしまった。
確かに今更謝って済む問題ではない。
今までの俺の態度を思えば仕方ないだろう。

「飯が出来てる、って呼んだんだ。
とっとと食いに行けよ。
片付かねーとみんな困るだろうが」

マサムネはそれだけ言い残し、部屋へと戻ってしまった。
また怒らせてしまったらしい。
こうして益々嫌われてしまうのだろうな。
しかしこればかりは仕方がない。
マサムネのことになると、とにかく心配が尽きないのだ。
情けない、女々しいと言われても構わない。
俺はこれからもマサムネの心配をしたり、喜ばせようと苦心したり、頭を悩ませ続けるのだろう。
例えそれで当のマサムネに嫌われるとしても。

「皆、すまない」

出来る限り取り繕い、17代目の顔で俺は襖を開けた。
膳には一見質素だが手間のかかる料理が並んでいる。
早速口に運ぶと、見た目以上の味わいが広がった。

「今日は随分と手の込んだ料理だな……。
それに美味い。
これを作ったのは誰だ?」

俺の問いに、その場にいた者達が顔を見合わせた。
一体どうしたというのだろう。
俺が答えを待っていると、部下の一人がおずおずと口を開いた。

「口止めされているのですが……作ったのは18代目です。
17代目には自分が作ったと言うな、と言われていたので……」

マサムネが?
そうか、あの時。
ようやく俺は気付いた。
あの時マサムネの手が冷たかったのは、料理をしていたからだったのか。
そして料理が完成し、俺を呼んだが返事が無かった……それであんなことを。
俺は本当に兄失格のようだ。
食べ終えたらすぐにマサムネの部屋へ向かわなくては。
何と言えばいいのだろうか。
まずは「先程は済まなかった」と謝るべきだろう。
そして料理のことを褒めればいい。
しかしこの料理を作るのに手が随分冷えていたな。
手が荒れたりしないだろうか。
それにあんな冷えた手で料理をして大丈夫なのだろうか。
まさか包丁で手を切ることは有り得ないだろうが、火傷くらいはしてもおかしくない。
マサムネはせっかちなところがあるからな。
慌てて怪我をしていないか心配だ。

「――17代目、如何なさいました?」
「あ、いや、何でもない」

いつの間にか箸が止まっていたらしい。
また考え込んでしまっていたようだ。
これではマサムネが怒るのも無理は無い。
少しは改善しなければ。
俺はマサムネの作った料理を口に運びながら、しっかりと肝に銘じた。
……そうは言っても、いざマサムネを見れば余計なことを考えてしまったのは、また別の、仕方のない話だ。



Back Home