赤いランプが近付いて来る。
耳障りな音を鳴らしながら、ボクらの方へと。
ボクの隣を歩いていた先生が、ハッと顔を上げた。
先生は怯えたような顔をしていた。
大丈夫ですか。
ボクの声は耳障りな音にかき消された。
先生はぐっと襟元を手で掴んで隠した。
襟元を掴んだ手をもう片方の手で掴んで、さらに隠した。
先生?
ボクは声をかけながら、先生をじっと見つめた。
まるで自らの手で自分の首を絞めているようで、ボクは少しの間、目を奪われていた。
先生の怯えた白い顔が赤いランプに照らされて、とても綺麗だと思った。
ランプはボクらの横を通り過ぎ、交差点で曲がって見えなくなった。
行きましたよ、先生、大丈夫ですよ。
先生は何も言わなかった。
けれどボクの手を突然ぐっと握った。
痛いですよ。
と、ボクは言おうとした。
だけど、ボクはそれをしなかった。
先生の冷たい手が震えていたからだ。
ボクは何も言わなかった。
何も言わずに、手を繋いだまま歩いた。
連れて行かれるかと、思いました。
先生が少し俯いて、ぽつりと呟いた。
はい?
ボクは意味が分からず、聞き返した。
先生は苦笑していた。
見られたら、きっと私は病院へ連れて行かれてしまいます。
先生は首を指ですうっとなぞった。
街灯に照らされて、首をなぞる手の内側の傷がちらりと見えた。
白い手首の赤い傷。
古いのも、新しいのも、いっぱい。
見えているのに気付いていないのか、先生は言葉を紡ぎ続けている。
先生、重い病気ですから。
困ったように笑いながら、先生は頬を指でかいた。
久藤くんがいないと、先生、おかしくなってしまうんです。
酷い病気でしょう、先生は照れながらそう言った。
白い頬が仄かに赤く色付いていて、ボクは思わず微笑んだ。
ボクも、先生がいないとおかしくなってしまいます。
同じような言葉でボクが返すと、先生は儚げな笑顔を浮かべた。
知ってるんですよ、先生、ボクたちが普通じゃないってことくらい。
同性だから、とかそれ以前のどこかが、もうとっくに麻痺していることくらいは。
ボクは心の中で呟いて、先生の手首を掴んだ。
先生が僅かに顔を歪める。
ねえ先生、今日もいっぱい痛くしてあげます。
わざと傷の部分を掴んでそう言うと、先生は恍惚とした表情を浮かべた。
はい、ありがとうございます。
先生の傷を付けたのはボクだ。
手首だけじゃない。
先生の身体中にボクの傷痕が残っている。
だけど、それを望んだのは先生だ。
ボクには先生を傷付けたいという欲望があったし、先生には傷付けられたいという欲望があった。
だからボクらは、恋人になった。
先生、止めて欲しかったらいつでも言って下さいね。
ボクは笑った。
ボクは、先生を乱暴に扱ったりはしない。
先生は硝子細工よりも繊細だから、その通りに扱うんだ。
そしてその上で、ボクは傷を付ける。
先生もそれを望んでいる。
やっぱり、ボクらはどこかおかしい。
先生、ボクは先生が好きです。
ええ、先生も久藤くんが好きですよ。
ボクらはおかしいけれど、幸せだ。
これがボクらの幸せなんだ。
ボクはぎゅっと先生の手を握った。
冷たい手の僅かな温もりが、先生が生きている証拠。
先生は切ったら血が出る、それも先生が生きている証拠。
先生は放っておくと本当に死んでしまいそうだから、ボクがこうして先生を生かすのだ。
きっと、誰にも理解してもらえないけど。
あっ、赤いランプ。
先生が近所のマンションの前に止まっていたそれを指差した。
ボクらを迎えに来たわけじゃなさそうですね。
冗談めかしてそう言うと、先生は、はい、と頷いて笑った。
あのランプがもしもボクらを迎えに来るとすれば、どちらを迎えに来るのだろう。
傷付いた先生か、傷付けたボクか。
或いは、両方か。
ねえ先生、もしもランプがボクらを迎えに来たら、二人一緒に狂いましょう。そうすれば病院でも一緒ですよ。
先生は返事をしなかった。
ただ、先程と同じ恍惚とした表情でボクを見つめていた。