バレンタインデーから一ヶ月が過ぎた三月十四日。配る際にお返しはいらないと明言してから渡しているし、学生は春休みだ。わざわざ呼び出してまで返そうというやつもそうはいないだろう。
そういった理由が重なって幸か不幸か今年もあたしへのお返しはゼロというわけだ。
そもそもあの程度のチョコレートで三倍返しにありつこうなどとおこがましいことは考えていないしな。本当に三倍返しにされても気を遣うから、何も無い方が平和でいい。ホワイトデーのお返しも、
「キョン子、日曜に探索に行くぞ!遅れたら死刑だからな!」
……涼宮ハルヒコからの呼び出しも。
遅れるか行かないかすれば春休み明けにあたしの服は襟だけサイズが変わってしまうことは目に見えているので、あたしは集合時間に間に合うように早めに家を出た。集合場所は大型デパートの前だそうだ。日曜だし人が多いんじゃないだろうか。
そんなあたしの予想は正しく、いつもなら全員集まっている集合時間の五分前にも関わらずそこには誰もいなかった。
ううむ、待ち合わせ場所はここでいいはずだが。朝比奈さんなんかは誰か来ていないか探しに行ってしまってそうだし、人の波に流された可能性もある。こういう時は慌てず騒がずその場を動かないのが一番だ。まだ五分あるしゆっくり待つとしよう。いざとなれば携帯電話という文明の利器もあるしな。
……そう思ってここに立ち尽くしてからどれくらい立っただろう。あたしには軽く数時間くらいに感じたが、なんてことはない。たった三十分しかたっていなかった。
何度かハルヒコにメールと電話をしたが、あたしの携帯電話はウンともスンとも鳴らない。どうなっているんだ、まったく。自分から誘っておいて遅刻とはいい度胸だな。死刑だって言ったのは誰だ?
……いや、あたしの言いたいことはそれじゃない。そりゃあ確かに文句も言ってやりたいが……。
まあ、なんだ。いくらあたしでも、いつまでも独りぼっちでこんなところに立ち尽くしていると不安にもなるわけだ。日曜日、カップルやら家族やらが楽しげに歩いているのにあたしは連絡の取れない人間を黙って待ちぼうけ。この年になって迷子の子供気分を味わうとはね。よくも帰らず待ったもんだと褒めて欲しいくらいだ。
「キョン子!」
そろそろ帰ろうか……そう思い始めてやっとそいつは現れた。ついさっきまで自転車で全力疾走していたらしく息を切らせている。さて、何て言ってやろうか。遅刻?罰金?死刑?
「そんな顔すんなよ」
悪かったって。
ハルヒコはぷいっと明後日の方向を向きながら小さく呟いた。よっぽど慌てて来たのか顔が赤い。やれやれ、普段は謝罪なんて一言もしないくせに、珍しく謝られたら何も言えないじゃないか。
ん?そんな顔って一体あたしはどんな顔をしていたんだ?自分ではいたって普通のつもりだったんだが。
「他の三人はまだなのか?」
「三人とも用事があるってさ」
なんてこった。つまりあたしはハルヒコと二人で不思議探索をしなきゃいけないらしい。他の誰かと組めれば探索のふりをして楽しくショッピングが出来ると思っていたんだが。
「で、どこに行くんだ?」
仕方がない、多忙な奴らばかりだし。あたしはショッピングはきっぱり諦めることにした。
「古泉とみつるの服を買いに行くんだよ!」
おっと、これは意外。本日の活動内容はショッピングのようだ。こっそり自分の服でも見るかな。
しかしその考えは甘かったようだ。
「これとかみつるにいいんじゃねーか?」
「いや……それはちょっとどうかと思うぞ」
ハルヒコはかなり変な――というか何かを狙いすぎな――服ばかりを持って来るので目が離せないのだ。
いくらあたしが朝比奈さんを可愛いと思っているとはいえ、猫耳眼鏡メイドは反対するぞ。確かに可愛いだろうがな。
そもそもお前はどこからそれを見つけたんだ。
「じゃあ、古泉にこれはどうだ?」
なんだそのフリルだけで一キロはありそうなドレスは。どこのブルジョワ貴族だ。しかもそれ、胸が無いと着られないだろう。忌々しい。
あたしが反論するとハルヒコは色違いを持って来た。そんなに欲しいのか、それ。
「たまにはまともな服を選んだらどうだ?」
おっと、それは無理か。お前が探してるものに出会うには萌えがどうとかまともじゃないのがどうとかが関係してくるもんな。もう出会ってると言っても信じないし、好きにすればいいさ。
なんて考えていたらいつの間にかハルヒコはいくつか服を持ってレジに並んでしまっている。あそこまで堂々と女の服を買われるといっそ清々しいな。
すでに十二時も過ぎていたので、あたしとハルヒコは昼御飯にありつくことにした。
何も言ってないのにハルヒコは自分が払うと言っている。そういやハルヒコにしては珍しく遅刻してきたんだった。
ハルヒコが遅刻するのは珍しい。一番最初に集合場所に来て待ってるらしいからな。あたしがかなり早く着いた時もほぼ必ずいる。
それなのに、今日に限ってどうして三十分も遅刻したんだ?
「別に。俺だって寝坊する時もあるんだ」
へえ、ハルヒコが寝坊とは。一体どうしたんだ。目覚まし時計のアラームをセットし忘れたのか?
「そんな訳ないだろ」
じゃあ、わくわくして眠れなかったとか。
……おい、何故そこで黙る。図星か?図星なのか?
しかし、こいつでも浮かれて眠れなかったりするんだな。なかなか可愛いところがあるじゃないか。
「なんだよ」
どうやらあたしがどんなことを考えていたのか察したらしいハルヒコが不機嫌そうに眉を寄せる。
「別になんでもない」
ハルヒコ、お前は勘違いしてるようだがな。あたしにとって可愛いは褒め言葉だぞ。
その後あたし達はアイスを食べたり、ハルヒコを引っ張って髪ゴムを見に行ったり、普通の高校生らしく楽しんだ。これだよ、これ、あたしが求めていたものは。
途中ハルヒコが噴水に金を投げれば魔方陣が浮かび上がるとかなんとか言ってたのは記憶から消しておこう。
「そろそろ帰るか」
結局夕方までここで過ごしてしまった。しかし一日で回りきれない広さってのはどうなんだろうね。
じゃあまた。
あたしが自転車に乗り、そう言って手を振ろうとした時だった。
「キョン子!」
「ん?」
こんなことするか?普通。
ハルヒコはあろうことか乙女の顔に紙袋を投げつけたのだ。
「やる」
なんだこの紙袋は。見覚えがあると思ったらなんてことはない、さっきあたしがハルヒコを引っ張って入ったアクセサリー店の紙袋だった。やれやれ、荷物持ちか?あたしにタグを取ってこいと?
しかし、紙袋を開けて中身を確認すると中に入っていたのは猫耳でも眼鏡でもブルジョワ貴族でもなかった。
「ネックレス……」
小さな飾りが一つだけついたシンプルなネックレスだった。いや、ちょっと待て。なんだこれは。詫びか?詫びのつもりか?いくらハルヒコが三十分遅刻したからといって、その程度でこんな高価な物を貰うわけには……。
「バレンタインに貰っただろ、チョコレート」
何故こんな物を貰ったのか理解出来ず、慌てるあたしを見かねたのかハルヒコがため息をついた。
なるほど、ホワイトデーか……。しかしあたしはお返しはいらないと言ったはずだ。なのにこんなものを貰っては、まるでお返しを期待してチョコレートをばらまいたみたいじゃないか。
返す。ホワイトデーは受け取らないと決めているんだ。
何度言ってもハルヒコは聞かない。そんなところで気を遣われても困るぞ。
「あたしは絶対ホワイトデーは受け取らないからな」
それにハルヒコからあんな物を貰うと……気まずい。
「じゃあ、ホワイトデーじゃなければ受け取るんだな?」
ホワイトデーじゃなければ、って何を言い出すんだお前は。
「分かった、ホワイトデーだと恥ずかしくて受け取れないんだな」
いや、だからそうじゃなくて。……まあ、それもあるが。
まったく、どう反論したものやら。あたしがなんとか言い訳しようと頭を捻っていると、ハルヒコはとんでもないことを言い出した。
「じゃあ、ホワイトデーは関係なく、これは俺からの個人的なプレゼントってことにすれば受け取るんだな!」
な、なんだって。まあ、そういうことではあるけど。いや、それも駄目だろ!
「それでいいだろ、今日はホワイトデーじゃないんだからな」
あたしが言葉を返せなくなっているうちに、ハルヒコはさっさと紙袋を押しつけて自転車に跨がってしまった。
「じゃあな」
無意識に顔が熱くなるあたしを置いてハルヒコは遠ざかって行く。あたしは返事を返すのも忘れて遠ざかるハルヒコに間抜けな視線を送り続けていた。
まったく、何を考えてるんだかな。仕方がないのでこのネックレスはありがたく頂戴しておこう。……しかしハルヒコ、これだけは言わせてもらうぞ。
個人的なプレゼントって、そっちの方が恥ずかしい。