これはとある学園の青春の一ページである。



「ねえねえ! ねえねえねえ!」
 翠色のポニーテールをぶんぶんと振りながら、少女は走っていた。その先では髪をオレンジに染めた少年が今まさにパンにかじり付こうとしている。
「ねえねえティガティガー!」
「ちょっ……」
 ティガと呼ばれた少年は彼女が何を企んでいるのか一瞬で察知した。野生の勘などではなく、彼女を知る者なら同じことを考えただろう。
 奴は、俺の食ってるパンを狙ってやがる。
 ティガにとって、この昼食は死活問題だ。何より今日の昼食は大好物のポポサンド、味覚音痴の雑食には絶対に渡したくない。
「ティガティガティガぁあー!」
「おいコラ待て待てまギャアアアッ!?」
 ティガは咄嗟にパンを持っているのとは逆の手で突進を阻止しようとした。しかし少女は止まるどころか、勢い余ってティガの手に食らいついたのだった。
「イビル、てめェ何しやがる! 離せっ!」
「はれ? おいひくはい……」
 少女イビルはそう言っておとなしくティガを解放した。ティガの言葉を聞いたからではなく、それが自分の食料にならないことに気付いたからだろう。
 ティガは噛まれた手をぷらぷら振って痛みを逃がした。
「で? てめェ何でよりにもよってこの俺様のメシ狙いやがった? 自分のメシはどうした? あん?」
 それなりに凄んだつもりだったが、イビルはけろりとしている。反省の色は皆無だ。
「お腹すいて早弁した! だからねだからね、嬢は今お腹すいて死にそうなの!
 死にそうなの!」
「うおっ!? 髪の毛振り回しながら迫ってくんな!」
 自分を嬢と呼ぶイビルに苛立ちつつ、ティガは今度こそ突進を回避しようとした。
 しかしパンを狙うイビルの連続噛み付きのホーミング性能たるや凄まじく、しかもしつこい。そんなイビルに、遂にティガの堪忍袋の緒が音を立てて切れた。
「〜っんの! やらねェ! って! 言ってんだろうがァアア!」
「きゃあ!?」
 ティガの大きすぎる咆哮に、周囲の空気がビリビリと震えた。その勢いに押されるように、イビルが後ろへ吹っ飛ばされる。
「ひどいひどい! ティガの馬鹿ー!」
 コロンと床に転がったイビルは、そのまま起き上がることも忘れてぎゃんぎゃん喚いた。まるで駄々っ子だ。
 ティガは迷惑そうに耳を塞ぎながら、呆れた視線を投げかける。
「つかよ、俺様がメシ渡すと思うか? 優しいナルガ君にでも頼んだ方が確実だとは思わねェのか?」
 ナルガ、というのは二人の友人だ。物静かで大人しい、二人とは正反対の少年だ。イビルと同じ年頃の妹がいるので、イビルのことも同じように可愛がっている。なのでティガに頼むよりは確実に昼食を分けてもらえるに違いない。
「えーナルガはいいよ。だって貰ってもお腹一杯にならないもん! 絶対絶対!」
 しかしイビルはぶんぶん首を振ってきっぱりと否定した。
 なんでだよ、と聞き返そうとしたティガもすぐに納得する。
 ナルガはかなりの小食で、二人とは比べ物にならないほど食べない。二人がそれぞれ十食べるとしたら、彼は三くらいの量しか食べないのだ。そんなナルガの昼食を奪っても腹が膨れるはずもなく、むしろただでさえ食べないナルガから食事を奪うなど心配でとても出来やしない。
「ナルガ全然食べないもんねー……。ケルビとかお腹いっぱいにならないよ」
「確かにあいつちゃんと食ってんのかな?」
「……僕がどうしたって?」
「うおっ!?」
 二人が溜め息を吐いたと同時に、突如黒髪の少年が顔を覗き込んできた。あまりにも気配が無く、突然影のように現れたのでティガが思わず一歩退く。
「なんだよ、ナルガかよ……」
「僕の名前が聞こえたから、呼ばれたのかと思ったんだが……」
「あァ、お前耳いいもんな」
 ナルガはティガに対して気怠げな視線を向けた。そしてティガの持つパンとヨダレを垂らしてそれに近付くイビルに目を留めるなり、ますます気怠げに首を振る。
「……違ったみたいだな。それどころか、来なければよかったと後悔してる」
 ナルガは何故自分が呼ばれたのか、一瞬で悟った様子だ。
「どうせ、僕から昼食を奪おうとしてたんだろ?」
「違うよ違うよ!」
 二人を見るナルガのじっとりした目を、イビルは力一杯首を振って否定した。その拍子にティガの頬にイビルの髪が当たり、ティガがぎゃんっと悲鳴を上げる。
「ナルガからご飯とったら死んじゃうもん! 嬢も相手くらい見るよ! 見るよ!」
 相手見た結果が俺ってどういうことだ……。
 髪による往復ビンタをくらいながら、ティガはどこか他人事のようにげんなりとそう考えた。そのせいで一瞬、スキが生まれる。
「だから――ティガのを貰うのっ!」
 ぱくっ。
 いや、ガブッに近いかもしれない。
 とにかくイビルがその一瞬のスキを逃さず、ティガの手にあったパンに食らいついたのだ。ティガの手ごと。
「……ッアァアアア――!?」
「ごひほうはま!」
 気付いたティガが叫んだ時にはもう遅い。ティガが慌ててヨダレまみれの手を引き抜いた頃には、大事な昼食はとっくにイビルの腹に収まっていた。
 そのショックがとてつもなく大きかったのだろう。ティガは握り締めた拳をわなわなと震わせ、空腹にも関わらず腹の底から怒号を上げた。
「て、て、てめェエエ! 俺の昼飯返せェエエ!!」
「きゃんっ! ひどいひどい!」
 その勢いで再びイビルが後ろに吹っ飛ぶ。しかし腹一杯になった彼女には、ティガの怒りなどどこ吹く風。
「本当にティガって乱暴! ねー、ナルガ……」
 イビルは文句を言いながら、同じく吹っ飛ばされたナルガに同意を求めた。
 求めたのだが。
「……あー! ナルガー!?」
 どうも耳のいい彼にはティガの声が相当なダメージになったらしい。ナルガは見事に目を回して気絶していた。
「うわっ! ナルガ悪ィ! お前がいるの忘れてた!」
 慌てて駆け寄ったティガが揺すっても、ナルガに起きる気配は無い。それどころかキラキラと頭の上に綺麗なお星様が見える。これはしばらく戻ってこないだろう。生憎、現実には気絶から回復する為のボタンとレバーは無いのだ。
「うーん……回避性能……回避性能……」
「あー……」
「あーあー……」
 そんなナルガの様子に、二人は「やってしまった」と顔を見合わせるのだった。
「ナルガー……まじ悪かったって。起きてくれよー」
「……このまま起きないなら、ナルガの昼ご飯貰ってもいいかな? じゅるじゅるり!」
「なっ……!? 誰のせいでこうなったんだよ! ちょっとは反省しろ!」



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