人間は、「サンタクロースの袋のようなもの」なのだと何かで読んだ。




off




「…え?ハル、意味分かんない…」

俺の言葉にカイは犬っコロのように目を丸くして首を傾げた。
確かに突然そんなことを言われれば当然の反応かもしれない。

「一度で聞け、役立たず」
「いだっ!…うぅ…ハルが張り込み中に面白い話してくれるって言うからてっきり…
テレビとかの話だと思ったのにぃ…」

ぽかん、と頭を叩けば不満をぐちぐちと垂れ流す。
生憎ホシはまだまだ現れそうもない。
何か気を紛らわそうと、こいつに話を持ちかけたのが間違いだったのかもしれない。

「いいか、一度しか言わないからよーく聞け」

俺としては、無知なこいつに呆れるばかりだが説明をしてやるのは
悪い気分ではないので、よしとする。

「サンタの袋の中には何が入ってる?」
「何って…プレゼントでしょ?」
「じゃあその中には?」
「え?」

サンタの袋に入っているのは「ラッピングされたプレゼント」もしくは「箱」であって
「プレゼントそのもの」では無い。
そう説明してやるとようやく納得したように二、三度頷いた。

「人間も同じなんだよ」

人間は所詮血や臓器や体液の入った袋でしかない。
まず血や体液という「プレゼント」があり、それをラッピングする管があり、
さらにそれを包む臓器があり、骨があり、筋肉があり、
…最終的にそれを包んでいる「サンタクロースの袋」が人間の皮膚だ。
「表からはそれしか見えない」という意味でもその比喩は悪くないものだと俺は思う。

「…それ何の本?洋書?」

一通りの説明の後放った第一声はそれだ。
なんとも味気のない感想に少しばかり苛立ってしまう。

「忘れた、…少なくとも洋書じゃなかったけどな」
「ふーん…おんなじ日本人にもそんなの考えてる人もいるんだね…」

すごいなぁ。
カイはそう言って目を輝かせた。
お前が普段頭使ってないだけだ、と言いたいがおそらく言っても
鬱陶しい反応が返って来るのは明白なのでやめておく。

「日本人は金でも何でも包むのが好きだからじゃないのか?」
「………」

こいつの相手をするくらいなら黙って張り込みを続けていたほうがマシだったかも知れない。
そう思えて仕方がないので会話をそれで終わらせようとした。
しかし、カイは妙に何かを考え込んでいる。
そして頬杖をつきしばらく考えた後、無邪気な微笑みを浮かべてこう言った。


「そこまでして、人間って何を包んでるんだろ?」


無邪気なのは恐ろしい。
平然とそんなことを言えるのだから。 

「………」

俺は思わず閉口した。
いつもの笑顔のはずのカイがやけに綺麗な顔に見える。
まるで大人ぶった子供のような表情。
予想外な出来事にしばし返す言葉を失ってしまう。

「…お前は分かるのかよ?」

漸く返した言葉はまるで自分の無知さを露にしたようで、腹が立つものだった。

「僕はね…」

既に無邪気な先程の笑みは消えていた。
それを見て安心してしまった自分にさらに腹が立つ。

「僕は心を包んでると思うんだけど、どうかな!?」
「………」

俺は黙って煙草に火を点けた。
一瞬のあの顔はなんだったんだと考えながら。
目を輝かせて凄い?とでも言いたげな顔はさっきと違って無邪気というかガキそのものだ。

「で?」

さっきのカイとはまるで違う。

「へ?…えーと…。
人間が袋だとしたら、中にラッピングされてるのはその人の心じゃないかなって…。
だから、心が無くなっちゃったら人間は死んじゃうんだよ」
「要するに死体は心が無いからただの袋に成り下がっている、と」
「…そーいう言い方…」
「要約すればそういうことになる」

カイは軽く肩を竦め、頬を膨らませた。
また少し確信を突かれたようで驚いたが本人はそのことに気付いていないらしい。

「偶像崇拝、だな」
「…ハル、さっきから何言ってるか分からない…」

やはり自覚無しか。
自分がどれだけ恐ろしいことを言ってるか分かっていない。
俺は苛立ちを抱えながら、窓の外を見た。

「心なんて信じてどうなるんだよ」

俺がそう言うと、カイはただ綺麗な笑顔で

「信じない方が楽になれるのかも知れないけど、信じてたいから」

残酷な程綺麗な笑顔でそう言った。


――確かに、信じない方が楽になれるだろう。
俺もそんなものを信じる気はない。

『本当にそうだった?』

信じてなどいない。
信じていては、俺の目的は達成出来なかっただろう。

『本当にそうだったの?』

クス、とあの残酷な笑みを浮かべるカイ。

「大好きだよ、ハル!」

無邪気な笑顔で俺に飛び付くカイ。
どちらもカイに違いは無い。
暗い過去を乗り越え、綺麗に笑える姿は羨ましいとも思った。
いつも過去を見ている俺とは違う。
それが羨ましいと同時に、嫌悪感を覚えた。
一種の同族嫌悪だったのかもしれない。

『こいつはswitchの鍵。
俺の生きる目的そのものの鍵をこいつが握っているんだ』

それが分かった時は随分と悩んだ。
鍵を開けると、カイは死ぬ。
目的か、命か。
…しかししばらく考えて分かったのは目的こそ俺の命そのものだと言うこと。
やはり俺は自分の命を取ること。
俺がカイを嫌っていること。
逆にカイは何故か俺を好いていること。

利用してやろうと思った。

職業柄、誰かを利用するのには慣れていた。
後はカイに上手く近付くだけだった。

「え…ハル…今、なんて…」
「一度で聞け役立たず。
お前が好きだって言ったんだ」

いつもの調子で告げた偽物の一言に涙を浮かべ頷くカイを見ても俺は冷静だった。
利用されてるとも知らないで、馬鹿な奴だとそれだけを考えていた。

『本当に?』

いつか「サンタの袋」の話をした時も、自分がすぐにそうなることも知らずに…と
心のどこかで笑っていた。
そして、今。
カイは床に血と脳漿と脳髄を撒き散らし、「袋」に成り下がっている。
もうピクリとも動かないただの袋。
…そろそろ床を掃除しないとな。

「利用されてるとも知らないで、馬鹿な奴」

声に出してそう言ってもカイが頬を膨らませるあの仕草はもう見られる筈もない。

「本当に…馬鹿な奴」

馬鹿な奴、なのに。
どこかで俺は後悔しているのだろうか。

『本当は、どう思ってたの?』

響くのは、あの冷静なカイの声。
俺はお前を道具として上手く扱った。
その巧みさは自画自賛したいくらいに。
そしてカイが俺の道具になってしばらくしたある日、カイは遂に口を開いて言った。

「…いいよ、ハルが一緒なら怖くない」

そう言って涙を流しながら今まで自分の記憶の底に沈殿していた
忌まわしい記憶を話すカイはどんな気分だったのだろう。
今はそう考えることが出来ても、
あの時の俺は漸く目的が達成出来る、と必死になっていた。
そんな俺を知ってか知らずか、カイが最後に言い残した言葉。

「ただ…僕が話し終えたらこれを見て欲しい。
…僕の最後の言葉」

…そうだ。
あの手紙にはなんと書いてあったのだろう。
カイに渡されたそれを開き、白い可愛らしい便箋の震えた文字を俺はゆっくりと目で追った。

『ハルへ。
これを渡した時、僕はきっとこの世にいないと思う』

…なんの捻りもない芝居がかった文章だ。
カイが苦笑しながら書いたのが目に浮かぶ。
俺は溜め息を吐いて続きを追う。
なんの期待も込めずに。
だがそこには、信じられない内容が書かれていた。

『僕、本当は分かってたんだ。
ハルが欲しいのは僕の抱えた秘密だってこと…
僕はハルが大好きだった。
本当はもっと早くハルに教えてあげるべきだった。
ハルのためなら思い出して心が壊れても平気だと思った。
だけど、嘘でもハルが好きだって言ってくれて嬉しかった。
僕だってハルが無理して言ってることくらい分かってたんだよ?
…死ぬ前にハルと一緒にいたいって思っちゃったんだ。
でも、いいよね?
最後くらいワガママ言ったって許してくれるよね…?

…ねぇハル。
僕の秘密でハルは幸せになれそう?
僕は一緒にいられないけど、ハルが目的を達成出来て幸せになってくれるといいな。
ハル、好きだよ。
たとえハルが僕のこと好きじゃなくても僕は大好きだよ。
幸せになってね

衛藤 快』

カイは、分かっていたんだ。
全部分かった上で俺に利用されていたんだ。

「カ、イ…」

カイはもう動かない。
先程までそれは袋だと冷静に見ていた自分はどこへ消えたのか不思議なくらいだが、
そんなことを考えている暇は無い。

「カイ…っ!」

結局何も分かっていなかったのは俺の方だった。
ずき、と胸が痛み、思い出すのは無邪気なあの笑顔。

「ハル」

役立たずと言われて不満そうな声。
雨の日に気だるそうな俺を心配する声。
何かを不安に思い、泣きそうな声。
そして明るく無邪気で幸せそうな声。
カイは色々な声でいつも俺を呼んでいた。
いつか呼べなくなるのを分かっていたからだったのかもしれない。

「俺は、お前を利用して…」
『本当に?』

冷たい声でカイが告げる。

『今までのが全部演技だったって言い切れるの?
たまに緩む表情は偽物だった?』

それはまるで俺の本心をえぐり出そうとしているようで、やけに強く響いた。

『違うだろ?倉林。
本当はお前だって――』
「やめろ!」

俺は言葉を遮るように叫んだ。
しかしもう遅い。
気付いてしまったのだから。

「カイ…」

俺はそっとカイの亡骸を抱き締める。
カイの中にあった「心」は血と一緒に流れ出てしまったのだろうか。
こんなに近くにいるのに、カイが遠い。
見える場所にあるのにけして手の届かない場所にカイはいた。
本当は分かっていたんだ。
カイの日溜まりのような笑顔に心を温められていたことくらい。
ただ、それを認めることは俺の目的…命を失う気がして怖かったんだ。
やはり俺は自分の事しか考えていなかったらしい。

「幸せになれ、だって…?」

俺はそっとカイの頬を撫でながら、もう一度手紙に目をやった。
また心が冷えていく。
しかしもうこの氷が解けることは無いだろう。
太陽は沈んでしまったのだから。

「勝手なこと言ってんじゃねーよ…!」

眼鏡が雫で滲む。
カイ、「俺が幸せになること」がお前の望みなら、俺は手を尽して幸せになってやる。
見てろ。

がちゃり。

俺はカイの硬直した手から拳銃を抜き取り、弾を詰めた。
そして、カイの傷と同じ位置に銃口を当てる。

「無責任な事ばっかり言いやがって…。
自分の望みだけ押し付けて勝手に完結させんな。
俺の傍にいる以外出来ない役立たずのくせに。
お前は俺の傍にいる以外出来ないんだから、黙って俺の傍にいればいいんだ。
今まで通り毎日三食作って風呂焚いて俺の相手してればいいんだよ」

ちなみにそれは今までカイが俺の傍で自主的に行った事だが、まるで下手なプロポーズだ。
苦笑しながら俺は引き金を引く。
一瞬の轟音の後、世界が無音になった。
床に散らばる血と脳漿と脳髄。
このまま心が流れ出て、混じり合ってしまえばもう何もすれ違うことは無いのだろうか。
結局我が身可愛さで随分な回り道をしたが、行き着く答えはこんなにシンプルだったらしい。

『ねぇ、本当はどう思ってたの?』

もう一人のカイが俺に問う。

「カイ、」

そこから先は言葉に出来なかったが、カイは満足そうに笑った気がした。
俺はカイの冷たい手を握り、幸福感の中ゆっくりと目を閉じた。



Happy End...?

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