遂に言ってしまった。
「あなたは最低ですね」と。



Матрёшка



彼女は長いものには巻かれろ、というのか強い者に媚びへつらう。
へどの出るような笑顔でペコペコ頭を下げる。
かと思えば、自分より弱い者には高圧的な態度で無理難題をふっかける。
他の天狗に、こうも自分勝手な者はいない。

「椛、頼みがあるのだけど」

ほらきた。
彼女はわざとらしく私より少し上の位置で停止して、私を見下ろしている。

「この書類を届けておいて欲しいの」

どうせ帰るところだし、ついででしょう?
彼女はそう言って笑みを浮かべた。
さっさと受け取れと言わんばかりに書類を私の眼前へと突きつけて。

「それは命令ですか」

私の言葉に、彼女は気分を害したようだった。
しかし一流記者というだけあり、顔に出すことはしない。
彼女は例の媚びるような笑顔で私に書類を押し付けた。

「やだなー、頼みたいって言ったじゃないですかー。
お願いです、お願い!
それじゃっ」

おそらく次の取材に行くのだろう。
「きゃぴっ」という効果音でも出そうな笑顔だ。
私は去ろうとする背中に、静かに言った。

「あなたは、最低ですね」

彼女はそれを聞き逃さなかったようだ。
ぴたりと止まったかと思えば、不思議そうにこちらを振り向く。
私はもう一度同じ言葉を繰り返し、更に続けた。

「一貫性というか、信念がありません。
相手によって態度をころころ変えて。
あなたには、自分が無い」

私の強い口調とは裏腹に、彼女はてんで悪いとも思っていなさそうに苦笑を浮かべた。
この態度。
こののらりくらりとした態度を非難していると言うのに。

「あやややや。
椛もなかなかきっついことを」

これはもう何を言っても無駄だろうと私は口をつぐんだ。
書類をぐしゃりと握り締め、踵を返す。
しかしすぐに肩を掴まれた。
仕方なく振り向くと、彼女の不服そうな表情がある。

「椛をモノに例えるなら、金太郎飴かしら」

しかしすぐに彼女は元の笑顔に戻った。
掴み所のない不快な笑顔。
言葉の内容も相まって意味が分からない。
聞き返す私をなだめながら、彼女は続けた。

「椛は確かに真面目だと思うわ。
金太郎飴みたいに、どこで切っても同じ。
主義主張の変わらない、信念と一貫性の塊ってとこかしら」

褒められているのだろうか。
私は意図が分からず、肩を掴む彼女の手をただただ見ていた。
彼女は私のことなどお構い無しに続ける。

「でも、私はマトリョーシカなんですよ」

マトリョーシカ?
私は首を傾げた。
以前河童に見せてもらったことがある。
大きな人形の中から小さな人形が次々出てくるおもちゃだ。
彼女は、自分を例えるとマトリョーシカだという。
なかなか意味が理解出来ないでいる私に、彼女は続けた。

「マトリョーシカの中には同じ形の人形が入っている。
でもそれぞれの人形は色や絵や大きさが違う、まったく別の人形。
単体で見れば違う人形なのに、組み合わせると『同じ物』として扱われる。
面白いと思いません?」

彼女は人差し指を立てながら、得意気に言った。
私はそんなふうに考えたことなどなかったので、曖昧に頷く。
記者である彼女とはそもそも考え方がまったく違うのだから当然だ。

「マトリョーシカはマトリョーシカの中に入ってる限り同じ物、つまり一貫性を持つんですよ。
椛は私を単体の人形ごとでしか見てない。
ひとつだけを見て最低だとか言うのは早計じゃないですか?」

私は黙った。
彼女は彼女なりに、何か信念があるらしい。
彼女は笑顔だが、怒っているのが伝わってきた。

「なら、それを組み合わせたとして。
あなたの信念とは、なんなのですか」

私は最後にそれだけを聞いた。
それを彼女が答えられるなら、私は先程の言葉を撤回しよう。
真剣な面持ちの私に対し、彼女はいつもの笑顔だった。
いや、いつものものとは違う。
嫌らしさの欠片もない清々しい笑み。

「それはもちろん、射命丸文としてスクープを追いかけることよ。
その為なら私はなんだってするし、誰になんと言われようと構わない。
……まあ、たった今椛には反論しちゃったんですけどねー」

私は急に自分が恥ずかしくなり、頭を下げた。
同時に、金太郎飴とは私に対する皮肉も込められていたのだろうと気付く。
融通がきかない、視野が狭い、と。

「あややや、謝ってくれるなら書類届けといて下さい。
じゃ、私はちょっと博麗神社あたりまで行ってきます。
なんかお酒があるとかで!」

彼女はぶんぶんと手を振り、言うが早いが神社の方へと飛んでいってしまった。
私は書類を持ったまま、うきうきと飛んでいく後ろ姿を呆然と見送る。
自ら人間に関わりに行く天狗など聞いたことがない。
取材とはいえ、自由奔放にも程がある。

「……そうか」

不意に私は気付いた。
私が彼女を嫌悪し、最低だと罵った理由。
私は、彼女が羨ましかったのだ。
飄々としていながら、一切自分を曲げない彼女に憧れていたのだ。
……だからといって私は彼女のようにはなれないだろう。
だけど、彼女を見習ってみることくらいは出来るのではないだろうか。
少し視野を広げてみる、とか。

「文さん!」

私は全速力で彼女に追い付いた。
彼女は驚いたような顔をしている。
私が追いかけて来るとは思わなかったのだろう。
しかし構わず私は口を開いた。

「あの……。
今日は仕事終わりなんです。
帰って書類を届けたら、後学の為に私も文さんにご一緒して構いませんか?」

彼女は目をぱちくりさせていた。
私自身、そんなことを言うとは思っていなかったのだから当然だ。
同僚に聞かれたら、熱でもあるのかと心配されるだろう。

「もちろん、いいわよ」

しかし彼女はおかしな態度を取るでもなく、微笑みを浮かべて頷いた。

「だって馬鹿騒ぎは多ければ多いほど楽しいし、絵になるんだから。
じゃ、ここで待ってますから、帰って着替えて来なさい」
「はい!」

私はぶんぶん頷き、今来た道を引き返した。
一度ちらりと後ろを振り向くと、彼女は宣言通りそこで待っていて、こちらに手を振っている。
盗み見た書類は実に真面目な内容で、私は自分の未熟さに赤面した。



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