だだっ広い部屋の真ん中に、テーブルがぽつんと置いてある。
それを挟んだ俺の向かい側で、真っ白な衣装に身を包んだ怪盗が高々と叫んだ。

「レディースアンドジェントルメン!」
「俺しかいねーよ」

そう、だだっ広い部屋の中には、俺と奴の二人だけなのだ。



heart



「こういうのは気分が大事なんだよ」

俺の言葉を聞いた怪盗は、そんなことを言って笑った。
確かに、観客がたった一人というのは味気ないかもしれない。
天下の大泥棒、怪盗キッドの最後のショーとしては。

「……なあ、キッド」
「んー?」

キッドは生返事をしながらキラキラ光る何かの破片を手で弄んでいる。
あれが、目当ての宝石だったんだろうか。

「なんで、あんなことを俺に」
「さあな」

キッドは俺の問いに、そう笑っただけだった。
何故真っ白な部屋の中で敵であるはずの俺達が仲良く座っているのか。
話は数時間前に遡る。



キッドが宝石を盗み出した翌日の今日、俺の携帯に電話が入った。
怪盗キッドだ、話があるから来て欲しい。
そんな訳の分からない電話だった。
指定された場所に着くと、そこには何の変哲もない学生が立っていて、奴は自分がキッドだと言った。
試しにいくつか謎かけをすると、簡単に解いてみせる。
俺は、この学生の言うことを信じることにした。
キッドは俺が信じるなり、まるで自己紹介でもするように今までのことを喋りだした。
自分の名前や、父親のことや、キッドになった理由。
それから、自分がビッグジュエルを狙っていたわけ。
誰かに聞いて欲しくてたまらなかったみたいに饒舌で、俺は相づちを打ってそれを聞いた。
そして今、今日が自分の怪盗キッド最後の日だから、とあの白い服に着替え、俺の前に座っている。

「なーに、簡単なことさ。
俺を幾度となく苦しめてくれた名探偵と、最期に一度話しておきたかったんだよ」

にしし、といつものキッドとはまるで違う笑顔で、キッドは笑った。
多分、こっちが素なんだろう。

「自白なら警察でやりゃあいいだろ」
「おいおい、ひっでぇなー。
私はこれでも名探偵殿に敬意を表してここに呼んだんデスヨ?」

素と演技が混じったおかしな口調で話しながら、キッドが何かを取り出す。
長方形の束、それはキッドのよく使うトランプだった。
キッドはそれを裏返したままシャッフルし、さっとテーブルに並べてみせた。
テレビのマジックショーで見たような光景だ。

「……一枚選んだら当ててくれるのかよ?」
「お望みとあらば、それでも」

俺の皮肉をあっさりかわし、キッドはいつもの不敵な笑みを浮かべた。
カードを裏返す寸前で手を止め、俺の様子をうかがっている。
この一見普通のトランプに、何か細工があるんだろうか。
いや、トランプと見せかけて案外違うのかもしれない。
裏の柄は確かにキッドの使っているトランプと同じだが、トランプかどうかは確かめていない。

「カードの裏に何があるのか……。
――さすがの名探偵でも推理は無理か」

キッドは俺を挑発するように、わざと落胆したような声で言った。
そこまで言うなら当ててやる。
俺は腕組みをしながら頭を働かせるが、一向に答えは出てこない。
それもそうだ、この怪盗がやすやすと推理させてくれるわけがないのだから。
カードの裏に、というのも曖昧だ。
それはトランプの柄と数字を当てろという意味なのか、それとも別の何かが隠れているのか。
マジックショーなら定番は鳩だが、どう見てもそんなものが隠れている気配は無い。

「それでは、答えを見せて差し上げましょう」

咳払いをし、えらく紳士ぶった口調で言いながら、キッドは長い指を翻した。
パラパラとカードが一斉に捲れていく。
それはやはりトランプで、ひとつ違うことといえば真ん中のトランプに妙な膨らみがあることだった。
束の半ばにあったハートのAには、丁度ハートの柄の部分に何かがくっついている。

「さて、これは何でしょう?」

赤くてプニプニとしたゼラチン質のそれはどう見ても、グミだ。
俺は思ったままを口にしたが、キッドは愉快そうに首を振った。

「いいえ、これは心臓です」
「心臓……?」

そう、心臓。
キッドが頷く。
それがどういう意味なのか、どうしてそんなことを言い出したのか……。
何もかもが分からなくて、俺は眉をひそめた。

「これは怪盗キッドの、私の心臓。
そのカードの末路が私の末路」

言葉とは裏腹に、キッドはとても楽しそうだ。

「私は、私の最期を、貴方に選んで頂こうと思いまして」

……何を言ってるんだ、こいつは。
俺はキッドとカードを交互に見た。
こんなグミ付きのカードが心臓?
そして、それを俺に破かせようって?

「……俺に犯罪者になれってのか?」
「おや、信じて下さるんですか?」

ふざけたような態度を取るキッド。
心臓だなんて、嘘に決まってる。
だから奴もふざけた態度で俺をからかってるんだ。

「別に、破かなくてもかまいませんよ。
火を付けるなり、水に沈めるなり、お好きな方法を」

俺はカードを手に取り、じっとそれを見つめた。
どう見たって、ただのトランプだ。
ただのトランプなのに、キッドがふざけているのは逆に、それが真実だからじゃないかと思えてくる。
いくらなんでもカードを真っ二つにした瞬間にキッドも同じになるとは思っていない。
ただ、キッドがトランプと同じことを、例えば火を付けるとキッドも自分に同じことをするんじゃないだろうかと思えて仕方がなかった。
結局、トランプの末路がキッドの末路、という言葉通りなわけだ。

「…………」

トランプを軽く曲げると、キッドの笑みが僅かに深くなった。
どうやら本気らしい。
俺がキッドの命を握っている。
この状況について、今度こそ真剣に考えてみることにした。
キッドは泥棒で犯罪者だ、裁かれて当然の人間ではある。
本人もそれを分かってるから俺を呼んだと見て間違い無さそうだ。
つまり、キッドは俺に自分を裁かせようとしている……んだろうが、今度はその意図が読めない。
俺よりもおそらく中森警部辺りの方が長い付き合いはありそうなのに、敢えて俺を選んだ理由は?

「……そういうことかよ」
「はい?」

やっと出た結論に、思わず笑みがこぼれる。
キッドは、死ぬことで罰を受けようとしている。
法で裁かれたなら、下手をすれば終身刑だ。
それでは、奴の望んでいるものは手に入らない。

「確かに、ガキが怪盗キッドを殺したなんて誰も信じねーだろうな。
なるほど、自殺も出来ねー臆病なコソ泥が考えそうなことだぜ」

自分では死ねない、しかし殺してくれる相手はいない。
そこで、俺を呼び出したってわけか。

「なら、こっちも誠心誠意対応する必要はねーよなぁ?」

キッドが何かを言う前に、俺はトランプを小さく折り畳み、口の中に放り込んだ。
そして、それをゴクンと飲み込んでやる。
子供の喉には少しキツいが、飲めない程じゃない。
キッドは俺の一連の行動を呆けた顔で見ていた。

「さあ、お前の心臓は食っちまったぜ?
どうする怪盗キッド?」

俺の言葉を聞き、呆けていたキッドがやっと反応する。
トランプを飲み込む、という行動を思い付くことすらしていなかったんだろう。
キッドはまず驚いたような顔をしたが、それは少しずつ崩れ、やがて破顔した。

「っははは……!
食っちまうのは予想外だった!」

もうさっきまでの口調なんて忘れてしまった様子で、キッドが腹を抱えて笑う。
俺が何の躊躇も無くトランプを破り捨てるとでも思っていたんだろうか。

「いやー、さすが名探偵だ」

キッドはさっきトランプに付いていたものと同じグミを頬張り、思ってなさそうに言った。
俺はフンと鼻をならし、訳の分からないことをしてくれたコソ泥を睨む。
奴はいつもの不敵な笑みを浮かべていた。

「本当に……大外れだよ、名探偵」
「なっ……」

大外れ……?
聞き返す俺にニヤリと笑い、キッドが両手を広げてみせた。

「この怪盗キッド様が、そんな汚ぇことを考えると思ってんのかよ?
死ぬ度胸が無い?
子供にやらせる?
本当に俺がそんな理由でお前を呼ぶとでも?」

馬鹿にしたような言葉とは裏腹に、キッドは怒ったような口振りだ。
訳の分からないことを次から次へと言われ、こっちも苛立ってくる。

「……何が言いてーんだよ」
「とんだ的外れな推理しか出来ないヘボ探偵には、一生分からねーだろーなぁ」

キッドは新しいグミを口に放り込みながら、喧嘩をふっかけてきた。
そこまで言われて黙っていられるわけがない。
何だと、と俺が言い掛けた時だった。

「正解は、これだ」

怒鳴ってやろうと身を乗り出した俺の唇に、何かが触れた。
次の瞬間、口の中には甘酸っぱいイチゴの味が広がっている。
それはあの、ハート型のグミの味だった。

「ここまでされなきゃ気が付かねーのか?」

キッドは俺の頬に手を添えたまま、至近距離で呆れ顔をした。
ここまで。
ここまで、って?

「え?……お?」

ついて来ない頭を必死で働かせていると、キッドがため息をついた。

「俺は、名探偵が選んだ答えに従おうと思ってたんだよ。
自首しろってんならそうするし、死ねって言われたらそのつもりだった。
だから呼んだんだよ」
「ちょ、ちょっと待て!
何で俺がオメーの今後を決めなきゃならねーんだよ!」

キッドのますます意味が分からない言葉に、俺はやっと口を挟んだ。
何が言いたいのか、まったく理解出来ない。

「そこまで言わなきゃ分からねーのかー……」

はっきり言え、と詰め寄る俺に、キッドは頭をかいた。
そんなことを言われても分からないものは分からない。
じっと答えを待つ俺を、キッドが今まで見たことが無いほど真剣な目をして見つめた。

「名探偵のことが好きだから。
……って言ったら伝わるだろ?」

ゆっくりと、キッドはそう言って笑った。
……今なんてった?
……好きってあの好きか?
俺が聞き返すと、返事の代わりなのか、キッドが俺の頬に唇を落とした。

「そう。
だから選んでもらおうとしたのに、まさか食っちまうとは。
自首しろでも死ねでも無いんじゃ、どうすりゃいいんだか」
「なっ……!
しっ……知るか!」

頬への不意打ちに動揺しつつ、俺は慌ててそっぽを向いた。
何故なら、キッドが楽しそうにニヤニヤ笑っているのが見えたからだ。

「――ってのは嘘。
本当はもうどうするか決まってるんだ」
「そうかよそりゃ良かったな!」
「俺の心臓は名探偵が食っちまったからな。
文字通り、俺の命は名探偵が握ってるってわけだ。
そいつを握りつぶされないよう、せいぜい名探偵のご機嫌取りだな。
使いっぱしりになって毎週毎週、推理小説と美味しい料理をプレゼント……ってとこか」

がっかりしたような顔とは逆にキッドは楽しそうだ。
俺はため息をついて、自分の腹部を撫でた。

「つまんなかったら、警察に突き出してやっからな」
「おや、これは意外なお返事」

てっきり俺が断ると思っていたらしいキッドは、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
その顔を見ていると、今更ながら不安になってくる。
本当にこれでよかったのか、と。
だが、俺は首を振った。

「仕方ねーだろ、死なせたくなくなっちまったんだから」
「……え?」

シルクハットを置き、顔を上げるキッド。
その顔は、さっき見たものよりも更に驚いた表情を浮かべている。
その顔のせいで余計に恥ずかしさを覚えつつ、俺は息を吸い、言った。

「なんでもねーよ、快斗」



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