Depend
一
幾重にも張り巡らされた厳重過ぎる程のセキュリティ。
毎日家から出入りするのに手間が掛って仕方がないが、大切なモノを盗人の手から守る為だ。
仕方がない。
寧ろ、足りない位だ。
もっともっと厳重に、誰にも盗られないように、勝手に飛んで行かないように。
もっと、もっとだ。
どれだけ厳重にして警戒したって、大切なモノを守る為には全然足りない。
守る為ならどんな手間も惜しまない。
ただ一人、彼を失わない為ならば…。
二
がちゃり。
最後の鍵が開いた。
鈍い金属音を立てて鎖と南京錠が床に落下する。
古典的でセキュリティとは呼びがたい物だが、
最新のセキュリティだけを警戒して入った盗人には効くだろう。
南京錠は特注品で簡単には開かないようになっているしな。
彼に悟られないように、邪魔なそれらを横に蹴る。
大切な「セキュリティ」をそんな扱いにするのもどうかと思うが、
俺がいればこんな物よりは遥かに彼を守れる確率は上がるだろうから。
そう、全て彼の為。
その為にこんな田舎まで引っ越して来て、
田舎にふさわしくない程セキュリティに金をかけているのだから。
「ただいま」
扉を開け、奥に向かってそう言えば
「おかえりなさいっ!」
可愛らしい、少し高い彼の声。
正直、この声を聞くまで朝出掛けてから気が気じゃ無い。
どれだけ厳重な鍵でも安心出来ない。
家に入り、彼の嬉しそうな声を聞いて漸く俺は表情を緩めることが出来る。
すぐに彼は走って来るだろうから。
「おかえりなさい、アスラン!
おかえりなさいっ!」
ほら、やっぱり。
薄いピンクのエプロンを揺らしながら、
それとお揃いのウサギの絵が描かれた可愛らしいスリッパをぱたぱた言わせて…
「アスランっ!」
彼は、俺に飛び付く。
漸く飼い主が帰ってきた子犬みたいだ。
赤い首輪が更にそうさせる。
頭を擦り寄せる仕草は猫みたいだが、彼にはそれ以外の愛情表現は出来ない。
両手が塞がっているから、身体をぶつけるように飛び付き、頭を擦り寄せるしか出来ないのだ。
「ただいま、キラ」
そう言って頭を撫でてやる。
ちゃりちゃり、と金属音がして、大切な彼…キラが俺の手にそっと手を重ねた。
そして、二人で微笑んでリビングへ移動する。
ふんわりと今日の夕食の香りがしている。
この時間を幸せと呼ぶんだろうな。
漠然とそう思い、笑みが溢れた。
キラもつられて笑ってくれた。
三
「ねぇ、アスラン…。
これ外してよ…」
ソファに座り、上目使いでおずおずとキラが自分の手首を指差す。
そこには、少し鎖の部分の長い手錠。
か細い白い手首に架けられたそれは、やはり少し重いらしい。
「駄目だ」
「えー…」
不満な時は子供っぽく駄々をこねるのがキラの癖らしい。
「どうして?
いいじゃない、アスラン」
俺に怒られるのを恐れているのか、控え目にキラは言う。
「手錠を外してくれ」と。
「何度も言ってるだろう?
…キラ、お前を守る為だよ」
少し鬱陶しそうな顔をしながら、俺は更に続けた。
「お前には力が有りすぎるんだよ、キラ。
それを封じる為だってお前も納得しただろう?」
こくこくとキラは頷く。
少ししゅんとして、それでもちゃんと俺の話を聞く。
「…何?」
さてと、キラ。
今日も始めようか?
君を俺の傍に縛り付けておく為の、躾を。
「それともキラは、また殺したいのか?」
こっちが不機嫌そうにキラに顔を向けながらそう言うと、キラはビクッと肩を震わせ横に首を振った。
「まだ殺し足りないの?」
横に首を振る。
否定。
「まだ戦争したかった?」
否定。
「MS乗って戦いたかった?」
否定。
「違うだろ?」
漸く首を縦に振る。
肯定。
「もう戦争なんて嫌だろ?」
肯定。
「もうあんな物乗りたくなんか無いだろ?」
肯定。
「もう誰も殺さないんだろ?」
肯定。
俺は溜め息をひとつ吐いた。
ここまでは完璧だな。
ふとキラを見ると小さく震えている。
久しぶりの躾に怯えているらしい。
でも、これはお前を守る為なんだよ。
躾の無い飼い犬が誰かに噛みついて、保健所なんて連れて行かれたらたまらないだろ?
そうなる前に躾をしておくんだ。
「でも、キラ。
お前が望まなくてもお前には力が有りすぎる」
少し戸惑って、肯定。
ちゃんと自覚してきたらしいな。
「人より優れた者を人は疎ましく思う。
天才は偉大な功績を成すまで理解されないことが殆んどだし、
ナチュラルとコーディネイターの戦争もその為だ。
分かるか?」
今度は否定も肯定も無し。
こっちはまだ理解させるのは程遠いな…。
「そして逆に、人はその力を味方にしようとする時もある。
誰よりも優れた者を自分を守ってくれる存在にしておけば危険が無くなるからな。
これは分かるだろ?」
少し辛そうだが、肯定。
もう泣きそうな顔をしているが、途中で止めては躾にならない。
「ナチュラルより優れたコーディネイター。
更にそのコーディネイターより優れた者がお前…」
「わ……」
ぐい、と彼の首輪の鎖を引っ張る。
自分のすぐ目の前の彼の顔はもう泣きそうに歪んでいる。
身体を震わせ、目に涙を溜めたまま不安げに俺を見るその表情にドキリとさせられる。
何だ?もっと俺に躾されたいのか?
クス、と俺は微笑みキラの耳にそっと唇を寄せた。
キラは擽ったいのか少し伏し目がちに俺の様子を伺っている。
「お前、そんな優れ過ぎた自分が何て呼ばれるか分かるか?」
びくっと身体を震わせ、目を閉じる。
そしてふるふると横に首を振った。
クスクス、とまた俺は笑い、行為の最中に使う様な甘い声でそっと囁いてやった。
「化け物」
先程とは違う意味でキラの身体が震える。
ぎゅっと俺の服を掴んで、目を見開き、首を横に必死で振る。
「分かるか?キラ。
キラはいい子だから分かるだろ?」
「や、違…。
僕…僕は…っ」
気が動転してるらしい。
違う、違うと繰り返し、泣きながら必死で否定を続けている。
「それとも、分からない?
自分が化け物だって分からないか?」
「ぐ…ぅ…違う…」
ぐいぐいと鎖を引っ張るが、彼の言葉と行動は変わらない。
「ああ、そう。
分からないんだ?」
今度はとんでもなく冷たい声で、鎖を離してそう言った。
「分からないんだね、キラは。
ああ、そうなのか。
じゃあもう一度軍に入って戦ってみるか?
キラなら前の活躍もあるしすぐ前線に出られるな?」
「い、嫌…!
戦いたくないっ…!」
戦うという言葉に反応し、今度は子供のようにわんわん泣き出した。
時々しゃっくり上げるのがなんだか可愛らしい。
「そう、嫌だろ?
それにお前が特別な存在になればなるほど人はお前を特別な目で見る。
しかもいい意味よりは遥かに悪い意味の方が強い目で」
「あ…ぁあ…、あ…」
ぼろぼろ涙を溢すキラの顔にそっと手を添える。
「俺は、お前をそんな奴らから守りたいんだ」
「僕…を…?」
頷き、キラの華奢な身体をぎゅっと抱き締める。
細くて、折れてしまいそうだ。
「そうだよ…、お前を守りたいんだ。
分かってくれるか…?」
「でも…、僕…」
涙の溜った紫電色の目が少し伏せられ、哀しそうな表情が浮かぶ。
「僕…化け物なんでしょ…?
僕と一緒にいたら、アスランまで…アスランまで変な目で見られちゃうよ…」
馬鹿だね、キラは。
「俺はキラの為なら構わない。
俺はそれでもお前を守りたい。
例え世界がお前をどんな風に扱ったって、俺はキラの味方でいるよ…。
だから、何時までも俺と一緒にいよう?
…俺がずっと一緒にいてやる」
「アス、ラン…」
こんな言葉に惑わされて、キラは馬鹿だね。
「アスラン…っ!
僕も…僕も一緒にいたい…!
僕はみんなにどう思われても、君がいれば平気…。
僕は君以外に何も、誰もいらないから…!
だから僕と一緒にいて…!」
切羽詰まった声でキラは一気にそう言って、綺麗な紫電色の瞳を不安げに揺らし
ている。
馬鹿だけど、すごく可愛いよ。
そうやって俺だけ見てればいい。
「お願いだよ、アスラン…」
俺はわざと不機嫌な態度を崩さず、黙っていた。
顔色を伺うように上目使いでキラはこっちを見ている。
「…俺もキラ以外、いらない」
今度は優しく抱き寄せてみる。
少し微笑むと俺が機嫌を直したのに安心したようだ。
少し卑怯だったとは思うが、キラがちゃんと俺と一緒にいたいと思ってくれているのには安堵した。
四
漸くキラが落ち着き始めた頃、不意に携帯からコール音が響いた。
キラは最近この音を怖がる。
何故かと聞けば俺が自分を置いて何処かに行ってしまうのではないかと不安になるかららしい。
大丈夫、と言い聞かせ、仕事の電話だと言う名目で部屋の外に出る。
それは、カガリからの電話だ。
「もしもし…」
『アスラ…ぐすっ…』
向こうから聞こえてくる声は泣き声混じりのものだ。
『キラが…キラがまだ見付からなくて…。
オーブの全力を上げて探してるのにそれでも見付からなくて…!』
ちなみに、キラはある日突然失踪したことになっている。
俺が自宅に連れてきた直後からたっぷりと躾をしてやったので、
もう抵抗なんて考えられないだろう。
「キラは…まだ見付からないのか…」
『…すまない。
辛いのはアスランも同じで、私がしっかりしないといけないのにな…』
弟を心配するいい姉であることは確かだが、今の俺には邪魔な存在の一人だ。
でも俺もこの電話だけはキラを心配する自分を作らなければならない。
「キラは必ず何処かにいる。
焦っても仕方ない…落ち着いて探すしか無いんだ」
『…そうだな…うん、分かった…。
また連絡する…』
五
がちゃ。
電話の切れる音がして、今の俺にはうざったい泣き声が漸くいなくなる。
俺は部屋に戻り、そっとキラの頭を撫でた。
「……?
どうしたの、アスラン?」
「何でもないよ、ただこうしたくなったんだ」
キラは目を細めて俺におとなしく撫でられている。
今この安心しきった表情を見ることが出来るのは俺一人なのだろう。
「キラ、何処にも行くなよ?」
「行かないよ、アスランの傍以外には」
クスクスと綺麗に笑うキラ。
そんな彼がどうしようもなく愛しく感じる。
キラのこの顔は誰もを虜にしてしまう。
…だから危険なんだ。
昔っからこの笑顔のせいで俺がどれだけ苦労してることか…。
「ふふっ…アスランも何処にも行かないでね…?」
楽しそうに笑う彼の笑顔は何処か悲しそうだ。
冗談のような言い方だが、離れたくないと訴えているように見える。
「ね?アスラン?」
キラはほんの少し首を傾げ、俺の顔を覗きこんだ。
俺はただ微笑み、キラを抱き締める。
キラは少し驚いた顔をしたが、すぐにまた幸せそうな顔をした。
「しょうがないな、キラは…」
そう言って頭をぽふぽふ叩くとむっとした顔をされた。
「子供扱いしないでよ、アスラン…」
「子供だろ?
俺にずっと一緒にいてほしいなんて…」
苦笑しながらキラの耳を少し触ってみると、相変わらずの反応だった。
「だからアスラン…っ!
耳駄目だってば…!」
「キラが可愛いのがいけないんだろ?」
そうだよ、キラが可愛いのが悪い。
キラが可愛いから、そのせいで俺もおかしくなってしまったんだよ。
「…俺はずっと一緒だ。
心配しなくていい」
「アスラン…!
ありがとう、アスラン…っ!」
キラはいつもの綺麗な笑顔のまま、涙を流した。
「あれ…?
あははっ…ごめん…。
ずっと一緒にいてくれるって言われたら嬉しくて…」
「大丈夫。
心配しなくても俺は何時までもキラと一緒にいるよ…」
ねえ、キラ。
本当に君が流した涙は一緒にいられるのが幸せだったから?
それとも…もう逃げられないって理解したから?
「キラ、愛してる」
「僕も…好きだよ」
どっちだって構わない。
何も心配しなくていい。
どうせ逃げられないし、逃がさないから。