甚だ疑問なことがある。
俺は何故「赤木しげる」と卓を囲んでいるのだろう。

「どうしたの、カイジさん。
危険牌でも引いた?」

俺の対面で、ガキのくせに余裕綽々な笑みを浮かべたしげるが頬杖をついた。
俺は出来るだけ顔に出さないように気を付けて、引いてきた牌を確認する。
危険……どころか、おそらくしげるの本命だ。
自分の運の無さにガックリくる。
目の前の悪魔に運を全部吸い取られてる気さえしてきた。
これは、切れない牌。
俺は今抱えている牌から出来る限り安全な道を模索する。
流れは全く俺に無い。
俺の手がバラバラなことや、既に二人がリーチをかけている状況から見ても明らかだ。
そう、今は凌ぐ時……!
より安全な道筋で、長く生き延びるのが最善の策のはずだ。
俺は考えに考えて「ここなら安全だろう」という牌を選び、指でつまんだ。
つまんでから――ギョッとして、俺は牌を戻し、全く違うところを打った。

「なんだ、引っかかると思ったのに」

俺の隣でリーチをかけているアカギがククッと笑う。
出す直前に気付いたアカギの戦略。
どこからかは知らねえが、多分待ちが俺の予想と変わってる。
俺の出しそうな牌を狙う形に……!
気付かなきゃ振り込んで飛んでただろう。
……それでも、この一回は凌いだ。
次でなんとか立て直さねぇと――

「……悪ぃな、カイジ」
「はい?」

下家の赤木さんが引いてきた牌を見て頭をかいた。
そして、卓にカランという音が響く。

「リーチだ」

……つまり、俺以外リーチ。
俺だけ圧倒的に不利。
しかもほぼ間違い無く、俺の手牌は全部危険牌。
どうなってんだ、これ……!

「後はカイジさんが振り込んでくれるのを待つだけ……」
「何言ってんだよ。
カイジさんは俺の方に振り込むに決まってる」

どうやらツモ上がりも自分が振り込んでしまうことも考えてないらしい二人が殺伐とした会話を始める。
まあ、こいつらなら平気でやってのけそうだけどよっ……!
くそっ……誘われるままこいつらと麻雀したのが間違い……!
一体どうしてこうなったんだか、思い出せない。
多分ダラダラ会話の流れでこうなったんだ。
……待てよ、もしかしたらその時から乗せられてたのかも……学習しろよ俺!
おかげでどこもかしこも地雷原。
どっちに足を踏み出しても吹っ飛ぶ、そんな状況っ……!

「――じゃあ、トップの言うことを最下位が何でも聞くってことで」

……は?

「ちょ、ちょっと待てよアカギ。
今なんてった?」
「聞いてなかった?
だから、最下位がトップの言うことをなんでも聞くことになったから」

なるほど、最下位がトップの……とっくに俺が最下位確定じゃねぇか!
他の三人はこれを和了ればトップになるって僅差だ。
……が、俺は駄目っ……!
最下位は覆らない……!

「ううっ……なんで俺がこんな目に……」

肩を落とす俺を気にかけてくれたのか、赤木さんが「まぁそんな落ち込むなよ」
と言ってくれた。
でも多分二人を止める気は無いんだろう。
そういう人だ。
一体どんな無理難題を言われるのか、と唸る俺に気付いたのかしげるが「俺はね」と切り出した。

「もし俺が勝ったら、一日カイジさんに一緒にいてもらうんだ」

ふふ、と笑いながらしげるが言う。
……なんだ、意外と普通じゃねぇか。
年相応のかわいいお願い、とも言える。

「そして朝まで倍プッシュだ。
寝かせないよ、カイジさん」

……と思ったらかわいくなかった。
全然かわいくなかった。
年相応もクソも無く、しげるは悪魔みたいな顔で笑っている。
こいつもかわいいとこあるんだな、なんて思った俺が馬鹿だった。
ため息をついて額を押さえる俺に、今度はアカギが口を開いた。

「じゃあ俺はカイジさんを連れてどこかに行くよ。
出来ればうるさいガキと中年のいない所」

アカギの言う「ガキ」がそりゃあもう冷たい目でアカギを睨む。
万が一こいつらが本気で喧嘩したら死人でるかもしれねぇ……。
一触即発の雰囲気に耐えきれず、俺は目だけで赤木さんに助けを求めた。

「何言ってんだお前ら。
カイジは俺に振り込むに決まってんだろ」

いや、そうじゃねぇだろ!
……とは言えなかった、赤木さん相手じゃ。
おかげで三人がますます険悪な雰囲気になった気がする。
そのまま俺が口を挟めずにいると、三人の会話は更にこじれてきた。
俺が誰の嫁かとかなんとか話してるらしい。
いやいやなんだよ嫁って!
俺は嫁いだ覚えはまったく無いってのに、当事者を蚊帳の外にして勝手な話しやがって……!
勝手に上がり込んで、麻雀して、無茶なルールふっかけて、なんなんだよっ……!
ふつふつと怒りのわいてきた俺は思わず立ち上がっていた。

「黙って聞いてりゃ勝手なことをスズメみてぇにピーチクパーチク言いやがってっ……!
さえずるなっ!」

俺が怒鳴るなんて夢にも思っていなかったのか、三人がポカンと同じ顔をしてこっちを見てくる。
そのせいかなんだか気恥ずかしくなり、俺はすぐに座った。
……いや、なんで俺が座ってんだよ。
今のは明らかにあっちが悪いじゃねぇか。
…………。
……くそっ、大人気ねぇ……!
俯いた拍子に出かけたため息は、しげるの声で引っ込んだ。

「カイジさん」
「……なんだよ」
「ぴーちくぱーちく……って何?」

そこかよ!
俺はきょとんと目を丸くするしげるに思わずツッコミを入れた。
いや、しげるだけじゃない。
どうやらアカギも引っかかるものがあったらしい。

「スズメはチイチイパッパ……って昔聞いた気がする」
「パッパって何だよ」

アカギが煙草をふかしながら似合わない単語を口にする。
チイチイ……なんてかわいい擬音、似合う顔じゃねぇだろ。
ちなみに、残念ながら俺は聞いたこともない。

「ピーチクパーチクはひばりじゃなかったかい」
「え、そうでしたっけ?」
「さぁ、俺も知らねぇな」

そう言って赤木さんも煙草に火をつける。
大人組がお手上げになったとこで、しげるが首を傾げた。
俺達がよく分かってないのに、しげるだけははっきり分かってるらしい。
ジェネレーションギャップってこういうことを言うんだろうな。

「俺達がスズメ、ねぇ……。
ああ、カイジさん、そういうのがやりたかったの」

いいよなー若いもんなー、なんて頷いてた俺に、しげるが納得したように笑いかけてきた。
その笑みはどっちかというと、俺が危険牌をひいてきた時に見たアレだ。
なんで今その顔で笑うんだよ。
ていうか「そういうの」って、どういうのだよ。
俺が聞き返すと、しげるは楽しそうに笑って答えた。

「カイジさん、スズメの学校って歌、知ってる?」
「いや……知らねぇ」
「じゃあ歌ってあげるよ」

メダカの学校、なら聞いたことはあったが、スズメは無い。
どうやらスズメもメダカと同じく童謡らしい。
しげるは音楽の授業でやるみたいに、俺達の前で歌い始めた。
昔聞いたことがあるような無いような、懐かしい感じの歌だ。
そんな童謡と、俺と、どんな関係があるってんだよ。

「あらら、カイジさんって本当に鈍いんだね」

ククク、とアカギが笑うが、俺にはさっぱり意味が分からなかった。

「あぁ、なるほどな」

赤木さんもおかしそうに笑う。
また俺だけ置いてけぼりかよっ……。

「俺達がスズメなら、カイジさんはその先生だねってこと」

丁度学生服だし。
そう言ってまた楽しそうに笑うしげる。
……いや、全然意味わかんねぇし。
「むしろ逆の方が似合いそうだけど」なんてアカギの言葉もさっぱりだ。

「まぁそれはカイジが勝ったら、でいいだろ。
そういうルールだ」

赤木さんの口から出た言葉と煙草で、俺はハッと我にかえった。
そうだ、まずはこの勝負だ。
スズメだメダカだ言ってる場合じゃねぇ。
二人は楽々安牌を切って、また俺の番だ。
何回見ても絶望的。
でもここで逃げ切らないと、俺の平穏な生活が――

「――そういや、赤木さんがどうするか聞いてませんでしたけど」

俺がそう口に出すと、赤木さんは煙草を持った手を口に当てて、考えるような仕草をした。
他の二人は聞いたのに、赤木さんには聞いてなかった。
あいつらより常識がある分、無茶なことは言わないはずだ……と思う。
もしも圧倒的に簡単な命令なら、わざと差し込みたいくらいだ。

「まぁ、そうだな……お前が期待してるような生易しい内容じゃねぇだろうよ」

何でもなさそうに赤木さんは煙を吐く。
結局、三人とも似たようなものらしい。
「赤木しげる」って根っこが同じせいだろうか。

「はぁ……どこを切りゃいいんだ」

どうせ全部危険牌なんだ。
と、なれば適当に切ったって構わない。
でも、それだけは絶対にやらねぇ。
どんなときでも諦めなければ可能性はある。
俺は頭をフル回転させて、一番安全な牌を選んだ。
俺の考えじゃ、ここが最も安全。
でも、もしそう考えると睨んでこの牌で待ってたんなら。
もし俺の考えが読まれてたんなら、それは負けたってことだ。
そんときは潔く認めよう。
それで、倍プッシュでもなんでもしてやろうじゃねぇかっ……!

「……どう、だ?」

俺は下を向いたまま、祈るように牌を切った。
さっきまでと変わって、沈黙が痛い。
通った……のか?
そう思った矢先だった。

「ロン」

ククク、と嬉しそうな笑い声付きで、その声は降って来た。
これで俺の点棒は無くなり、最下位が確定したわけだ。
くそっ……やっぱりこいつらと麻雀なんかしたのが間違いだった……!
俺は俯いたままため息をつく。
顔を上げれば、一体誰に振り込んだのかが分かるだろう。
そうすりゃ、家でダラダラ……なんてことはしばらく出来なくなる。
でも無理矢理決められたルールなんか、俺が本気で抗議なり抵抗なりすれば無かったことに出来るんじゃないか……?
なのにそれをしないのは、それもいいか……なんてどこかで考えてるからで。
……だから甘いとか言われんだろうな……。
――よし。
俺は意を決して、顔を上げた。



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