例えば、転んで怪我した時とか、例えば、人間を殴った時とかさ。
僕らのからだからはアレが流れて出てくる。
アレって、知ってる?
まっくろで、ぬるぬるどろどろで、てつのあじがするの。
きゃはっ、気持ち悪いよね!
……血、って言うんだけどさ。
まあとにかく僕らのからだにはそんなものが流れてるんだって。
それが空気や栄養を運ぶから、僕らは生きてられるんだって。

「それがどうした?」

もう、ゼラは鈍感なんだから。

「僕らはそんな気持ち悪いものに生かされてるんだよ」



ぼくらのなかにはまっくろなえきたいがながれている



まったく、嫌になっちゃうよね。
まっくろでぬるぬるどろどろした気持ち悪い液体が僕らの中を流れてるなんてさ!

「……だから?」

ゼラの綺麗な顔が少し歪む。
怒ってるみたいだ。

「だから、だからね」

こんな気持ち悪い液体なんて、僕のからだから出ていっちゃえ!
……って思ったんだよ。
だからね。

「だからこんなことをしたのか」

冷たい声とは裏腹にゼラが僕の手首を乱暴に掴んだ。
指が傷口に当たり、痛みが走る。

「全部流れ出てしまえばいいと思ったのか」
「うん」
「そうか……」

僕が頷くとゼラはため息を吐いて呆れたように僕を睨んだ。

「きゃはっ!……あ、あはは……」

怖いなあ、もう。
笑って誤魔化してみようとしたけど、ゼラの表情は相変わらずだった。

「……こんなもの全部出ちゃえばいいんだ。
それで僕を剥製とか機械にしてよ。
そうすれば気持ち悪いものは全部無くなるし、美しいままでゼラの傍にいられるよ」
「ジャイボ、お前には幾つか話をする必要がありそうだな」

心底呆れたような顔で漸く手首を放して、ゼラは僕の頬に右手を添えた。
さっき手首を掴まれた時に付いた僕の血がぬるぬるして気持ち悪い。

「僕はお前を剥製にするつもりも機械にするつもりはない」

……どうして?

「中身の無い抜け殻なんて……」

僕はゼラの言葉の意味が分からなかった。
どうして?
ねぇどうして?
ゼラ、僕はいらないの?

「どうして!?」
「それは、」

ゼラが続きを答える前に僕は感情を吐き出した。

「僕はゼラを愛してるんだ。
だけど僕はこんなに醜いんだ。
だからゼラに愛してもらえるように美しくならなきゃいけないんだ。
だから僕の中の気持ち悪い液体も、汚い心も、全部外に出ちゃえばいいんだ!
人形になりたいんだ。
剥製になりたいんだ。
機械になりたいんだ。
ううん、ゼラの傍にいられるならなんだっていい!
僕は……僕は……」
「ジャイボ、そんな顔をするな」

ゼラの左手が僕の涙を拭った。
さっき僕の手首を掴んで血まみれになった右手とは違い、白くて綺麗な手だった。
僕はこの手に釣り合う人間になりたいのに……。

「お前はこんなに美しいじゃないか。
なのにどうしてそんなことを言うんだ」

違う。
僕は首を横に振った。
こんなんじゃ、全然足りない。
もっともっと美しくなきゃ、ゼラに嫌われちゃう。

「ジャイボ……お前は僕の顔に泥を塗る気か?」

不意にゼラが僕の顔に両手を添え、真っ直ぐに僕を見つめた。
寒気がするほど綺麗な顔。

「僕がこんなに美しいと思っているものを、お前は醜いと言うのか?
僕の目が節穴だと言うのか?」

僕は首を振ろうとした。
しかし僕の顔はゼラの両手が添えられていて、生憎横に動かせない状態だった。
君の眼鏡、度があってないんじゃないの?
……そう言って誤魔化せればどんなにいいだろう。
僕はまるで蛇に睨まれた蛙になった気分だった。
逃れる術がない。
仕方なく僕は視線をゼラの後ろの灰色の壁に移してみた。

「ジャイボ」

ゼラが優しい声で名前を呼ぶ。
それと同時に僕の顔を包んでいた手が離れた。
漸くゼラの視線が外れ、僕は小さくため息を吐いた。

「――!?」

しかし、急に目の前の景色が歪んだのに驚いて顔を上げた。
まるで僕の目にモザイクがかかったみたいに歪む景色。
原因はゼラが僕にかけさせた彼の眼鏡だった。

「な、何するのさ?」
「いや、ジャイボは目が悪いのかと思ったんだ」

はあ?
僕は思わず首を傾げた。
何を言っているのかさっぱり意味が分からない。

「目が悪いなら眼鏡をかければいいだろう」
「何それ」

相変わらず意味が分からない。
僕は苦笑しながら眼鏡をゼラに返そうとした。
僕は特別目がいい訳じゃないけど、眼鏡をかけるほど悪くもない。
度のあわない眼鏡だと、目の前のゼラも灰色の壁もぐにゃぐにゃぼやけて混ざってしまう。
ずっとそのままだと頭がクラクラするしね。
しかしゼラがそれを制止する。
いつまでもクラクラしてるのはいい気分じゃないし、早く外したいんだけど、ゼラがそう言うなら仕方ない。
僕は眼鏡をそのままにしてゼラとその後ろの壁との境界あたりをちらちら見た。

「よく見てるんだ、ジャイボ」

ゼラは本気で僕の目が悪いと思っているんだろうか。
僕は歪んだ景色の中のゼラらしき部分を見つめた。
どんなに眉間に皺を寄せて目を細めても、やっぱり景色は歪んでいる。

かち、かち。

歪んだ景色の中で不意に聞き覚えのある音がした。
なんだっけ、最近……いや、ついさっき聞いたような気がする音だ。

「……よく見てるんだぞ」

ゼラが念を押すように言った。
その言葉と、次のゼラの呻き声で僕は漸く音の正体を知った。
あの音は、さっき僕が使ったカッターナイフの音だ……。

「っゼラ!」

僕はぐにゃぐにゃの景色に手を伸ばし、尚も自分を傷付けようとするゼラの手からカッターを奪った。

「なんてことを……!」

どうしてこんなことを。
あんなに綺麗な手なのに、傷が残ったらどうするんだ!とか。
理由も無くそんなことするなんて馬鹿じゃないの!?とか。
……いろいろ言いたいことはあるのに、言葉にならなかった。

「ジャイボ、僕の血は黒いか?」

僕がなんとか血を止めようとゼラの腕を掴んでいると、ゼラが静かにそう言った。

「え?」

意味が理解出来ず聞き返すと、ゼラは僕の目の高さまで手首を掲げた。

「僕の中に流れているのは、お前の言う黒くてぬるぬるでどろどろで鉄の味がする液体か?」

ぼやけた視界に入った液体は真紅だった。
まるでモノクロの世界の中で、唯一ゼラの手首だけが赤く輝いているみたいだ。

「違う、違うよ!」

僕は目の前の赤い液体で濡れた手を、両手で包み込むようにぎゅっと握った。
彼の液体が付着した手はぬるぬるもどろどろもしなかった。

「ゼラの中に流れているのはあんな汚い液体とは違う!
ゼラの中には赤くて綺麗な液体が流れてるよ!」

ああ、なんてきれいなゼラ。
君の中身はとってもきれいなんだね。

「お前も同じだ、ジャイボ」

……え?
意味が分からず目を白黒させていると、ゼラが僕の手をぐっと握り返した。
ゼラがこんな風に手を握り返してくれるなんて。
僕は馬鹿みたいに目を見開いてゼラが握り返した手を見ていた。

「お前の血も、まるでライチの実のように赤いじゃないか」

僕の血とゼラの血が混じりあって肘まで流れる。
二人の腕が真っ赤に染まった。

「見えたか?」

僕は頷いて、震える手で眼鏡を返した。

「ゼラ、僕の中身は汚くないの?
醜くないの?気持ち悪くないの?」

視界がじわり、と涙で滲んだ。
目を擦ると血が目に入り、さらに視界が赤く滲んだ。
だから言ったじゃないか、とゼラは呆れた顔をする。
だけど僕にはとっても重要なことだったんだよ。
僕がぐしぐしと目を擦っていると、仕方ないな、という様子でゼラがため息を吐いた。

「何度も言うが、お前は美しい」

ゼラは僕を泣き止ませようと思ったらしい。
まるで子供をあやすみたいに、ほんの一瞬だけ優しい微笑みを浮かべた。
多分、僕くらいゼラを好きにならなきゃ分からないくらい一瞬だったけど。

「……それより、先に消毒だな」

ゼラが頭を押さえながら立ち上がる。
どうやらゼラは早速貧血らしい。
僕は慣れちゃってるから平気だけどね。

「ごめんね、ゼラ」

救急箱を取りに行くゼラの背中に僕は小さく謝罪した。
僕より美しい誰かが現れたら、ゼラは迷わず僕を捨てると思う。
だから僕は誰よりも美しくなきゃいけない。
だから、僕は。

「うわ、顔中血だらけ」

暗いガラスに映った僕の顔は随分と血で汚れてしまっていた。
手も、肘まで真っ赤に染まっている。
服が汚れてないのが不幸中の幸いかな。

「……きゃはっ」

窓ガラスに下らない作り笑いを浮かべてみる。
僕、ちゃんと綺麗に笑えてる?
なんか違うな……。
あーでもない、こーでもない。

「何をしているんだ?」

ガラスに向かって百面相をしている僕にゼラが背後から声をかけた。
ちょっとびっくりしたのは内緒。

「ゼラをメロメロにする笑顔の練習ー」

きゃはっ!と付け足して僕は振り向いた。
もちろん半分本当で半分嘘。

「下らない事をしていないで、さっさと手を出せ」

ゼラの手には保健室なんかにある沁みる消毒液が握られていた。

「ゼラから先にやってよ、僕は平気だから」

ゼラの手の傷はもしかすると僕より深いかもしれない。
初めてだと加減ってものが分からないから困るよね。

「僕は平気だ」

そう言ってゼラは手首を口元に持っていった。
その仕草がなんだかゼラっぽくなくて、面白い。

「僕がゼラの手首、舐めて治してあげようか」
「……人間の口には雑菌が多くて、舐めるとそれが怪我の悪化に繋がることもあるんだぞ」

残念ながら傷を舐めると治るというのは迷信らしい。
いっそ僕の菌がゼラの中で繁殖しちゃえばいいのに、なーんてね。

「じゃ、僕の傷舐めて」

僕がそう言うとゼラは「話を聞いていたのか?」という風に顔をしかめた。

「僕の中にゼラの菌とか唾液とか入れば僕も綺麗になれるかも」
「また下らない事を」

どうせ消毒液が嫌なだけだろう、だって。
半分は正解ってことにしといてあげる。

「僕は本気でそう思ってるのにな」

わざとらしいため息を吐いてみるけど、ゼラは黙々と手当てを続けるだけだった。
真っ赤な指。
洗ってくればいいのに。
洗っても取れない?
なんてね。

「人を殺すことをさ、両手を真っ赤に染める、とかって言うよね」

僕ね、ずっとそれが疑問だったんだ。
僕はずっとずっと血が真っ黒に見えてたんだから。

「きっと自分が、美しいと思える人の血は真っ赤に見えるんだよ。
僕は僕を美しくなんかないと思ってるけど、ゼラが美しいと言ってくれるなら今のところそうなんだと思う。
それが分かったから、僕の血も真っ赤になったんだよ。
ゼラとおんなじ真っ赤になったんだよ」

僕が興奮気味にそう言うと、ゼラは少し馬鹿にしたように鼻で笑った。

「お前の血はずっと真っ赤だったさ、ジャイボ」

ゼラがそう言うなら、そうなんだと思う。
僕はゼラに包帯を巻かれた手首を見つめた。
この管を流れる液体がずっと真っ赤でありますように、そう祈って。

ああ、ぼくらのなかにはまっかなえきたいがながれている。



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