「なんでわざわざせっかくの休みに浜田の家なんかに来なきゃならねーんだよ」

授業中、うっかり眠ってしまいノートをとり忘れた俺は、浜田にノートを借りることにした。
ただ借りて帰れりゃよかったのに、浜田は「どうせならうちで勉強しよう」なんて言い出した。
そして俺はノートの為に仕方なく、不本意ながら、浜田の家を尋ねたのだった。



カプチーノ



「おー、泉!」

よく来たなぁ、とかなんとか言いながら浜田は俺を中に引っ張り込んだ。
浜田はノートを机に広げ、やる気十分らしい。
バカはバカなりに大変なんだろう。
対照的に俺は、ただちょっとノートを写すだけの予定が勉強会に発展してしまい、憂鬱な気分だ。

「あ、わり。
コーヒーしかないけど、いい?」
「ノートよりジュース用意してろよ」

別にコーヒーでも構わない。
だけど、どうしてだろう。
浜田の言葉に素直に従うのはシャクだ。
いつもつい、なんとなくトゲのある言葉で返してしまう。

「ジュースよりコーヒーのが安いんだって」

主婦か、お前は。
俺の言葉に浜田は苦笑しながらコーヒーカップを机に並べた。
……何かが違う。
ただの白いコーヒーカップには妙な違和感があった。
俺の方に茶色のコーヒー、浜田の方に黒いコーヒー。
中身が違う。

「浜田、普通砂糖とミルクってカップの外に置いて出さねぇ?」
「え?」

あ、ああ、なんて何度か頷いてようやく浜田は自分のミスに気付いたらしかった。

「いやー、つい」

悪ぃごめんな、と頭をかく浜田。
なんか、ムカついた。
俺だってコーヒーに砂糖と牛乳入れられた、なんてそんな下らないことじゃいちいち怒らない。
問題は相手が浜田だということ。
浜田に、俺が飲むコーヒーには砂糖と牛乳が必要だと思われてること。
つまり、浜田に子供扱いされたということ。
確かに俺は年下だけど、いっこくらいじゃそんなに変わらない。
もちろん、本当にただうっかりしていただけで、別にそんなつもりはなかったのかもしれない。
それでも、たとえ勘違いでも浜田に子供扱いされるのが、俺は大嫌いだった。

「子供扱いすんなよ」

俺は浜田をじっとりと睨んだ。
浜田は相変わらずのアホ面だった。
どうやら俺が何故怒っているのか、分かっていないらしい。

「ごめんごめん」

な?、なんて笑顔で浜田はコーヒーカップを差し出した。
その態度が子供扱いしてんだって何で気付かないんだよ。

「いらねぇ!」

俺は浜田の差し出したカップではなく、浜田の方にあったカップを掴んだ。
俺は子供じゃないから、苦いコーヒーも平気なんだぞ。
そう見せつけてやりたくて、浜田が止めるのも聞かずにその中身を口に運んだ。

「――っ!」

瞬間、俺の舌と喉がビリビリ痺れるのが分かった。
コーヒーは信じられないくらい苦くて、信じられないくらい熱かった。

「泉!」

慌てて浜田が水をガラスのコップに汲んでくる。
俺は浜田からコップをひったくり、中身を一気に飲み干した。

「大丈夫か!?」

大丈夫なはずはなく、俺は口を押さえて頷いた。
ジワリ、と目に涙が溜まる。
くそ、なさけねぇ。
子供じゃないとこ見せようとして、火傷するなんて馬鹿みたいじゃねーか。

「泉、口開けて」

浜田が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
情けないのと恥ずかしいのとで、俺はうつむいたまま少しだけ口を開けた。
口の中を冷まそうとして無意識の内に息を荒くしてしまう。

「…………」

浜田が黙った。
口開けろって言うから開けたのに、なんなんだよ。
わけわかんねー奴だな。

「はまら?」

何故かこっちが心配になり、口を開けたまま名前を呼んでみる。
今度は顔を押さえて転がり始めた。
意味わかんねー通り越してキショい。

「やべー、泉かわいー」
「は?」

かわいーかわいーとかなんとか言いながら浜田はのたうちまわっている。
なんの病気だ。

「だって、その顔は反則だろ!」

浜田曰く。
「目に涙を溜めて口を半開きにして息を荒くしてうつ向いてこっちを上目遣いで見ながら名前を呼ぶ」のが大変お気に召したらしい。
……浜田は変態なのか、そうかそうか。
もしかして俺、子供扱いどころか馬鹿にされてるのか?

「馬鹿にしてんのかよ」

ようやく痺れがマシになった口を手で仰ぎながら浜田に尋ねる。

「え?なんで?」

するわけないじゃん、と浜田。
まあ、そうだけどさ。

「子供扱いはしてるだろ」

浜田のことは、嫌いじゃない。
ただ、浜田の俺を子供扱いするところが嫌いなだけだ。

「してないよ」

浜田は笑って俺の頭を撫でた。
してるだろ、それ。

「俺は泉を可愛がってるだけだって」
「意味わかんねぇ」

子供扱いじゃなくて、可愛がってる?
どう違うんだよ、それ。
つーか、可愛がるってのもどうだよ。
俺は男なんだから、可愛いなんて言われても嬉しくねーよ。

「だから、子供扱いすんのも可愛がんのもやめろ」
「えー」

えーじゃない。
……確かに俺はまだガキだけどさ。
顔もわりと童顔だしさ。
身長もチビだしさ。
自分がガキなのは分かってるんだ。
だけど、浜田にだけは子供扱いされたくない。

「無理してコーヒー飲んだり、ここまでムキになって反論したり、そっちの方がガキみてぇなのは分かってっけどさ。
俺は……」

もう二度と野球で浜田に並ぶことは出来ないから、せめてこんなとこくらいは並んでたいんだよ。
……そう言いたかったのに、言葉にならなかった。
声にする前に益々自分が情けなくなって、言えなかった。

「……泉ってさ」
「なんだよ」
「すっげぇ可愛いよな」

……は?
何言ってんだこいつ。
人が真面目な話をしてんのに、その感想が可愛い?
そもそも話聞いてたのか?

「何度でも言うけど、別に泉を子供扱いしてるわけじゃない」

浜田は急に真剣な顔になった。

「俺は泉が好きだから、泉を可愛いと思うから、頭撫でたり抱き締めたりしたくなる。
……けど、泉が嫌なら出来るだけ止めるよ」

ただなんかの拍子にうっかり抱き締めたりしたらごめんな、と浜田が笑った。
……浜田は、俺のことを一番に考えてくれる。
俺が心の底から嫌だって思うことは絶対にしない……と思う。
だから今回も本気でそう言ってるんだって分かった。

「やだよ馬鹿浜田」
「え、いや、ええ!?」

しょーがねーだろつい抱き着くくらい!とかなんとか浜田が喚いている。

「そうじゃねーよ」

本当に浜田は馬鹿だ。
どうしようもないくらい馬鹿だ。

「俺だって機嫌良い時と悪い時あるんだよ。
今日はたまたま悪かった、から、別に……」

素直に謝るのは苦手だ、特に浜田相手だと。
でも言わないと馬鹿の浜田は分からないから、俺は言い訳するみたいにうつ向いてぼそぼそ言った。

「別に、その」

こういう時は素直に言えない自分が嫌になる。
俺は一言も謝らないで、浜田に次々我が儘を言ってしまうからだ。

「そ……そこまでしてくれなんて頼んでねーよ!」

馬鹿浜田!と付け足して俺は叫んだ。
ますます情けない。
子供扱いされたくないのは、浜田と対等でいたいから。
本当は頭撫でられたり抱き締められたりするのも、好きなんだ。
でもそんなこと言ったらガキだって言われそうで、嫌だ。
そんなこと一言も伝えないで、俺はまた浜田に我が儘言ってる。
察しろ、なんていつから俺はそんな無茶苦茶なヤツになったんだろう。
浜田のせいだ。
……なんて、また浜田のせいにして我が儘言ってる。

「……泉」
「なんだよ」
「可愛い」

はぁ!?
そう言うなり浜田は俺を抱き締めた。

「ちょ、おい!浜田苦しいって!離せよ馬鹿!」
「お前、さっきから馬鹿馬鹿言い過ぎ」

う、と俺は言葉に詰まった。
俺がさっきから口癖みたいに使ってる言葉で浜田を怒らせてしまった……かもしれない。
浜田は滅多に怒らない。
だから俺もつい馬鹿とかなんとか、浜田にいろいろ言い過ぎてしまう。
分かってるんだけど、つい照れ隠しに口をついて出る言葉。
浜田もそれを分かってるから、怒らない。
だけど、今回は俺が我が儘すぎた。
浜田は滅多に怒らないけど、怒ると怖い。

「ご、ごめん、なさい」

俺は蚊の鳴くような声で謝った。
謝り慣れてないせいもあるけど、本当に言い過ぎたと思ってるからだ。
浜田は俺の為に一緒に勉強しようって言ってくれて、俺の為にコーヒー淹れてくれたのにさ。
俺は勝手に不機嫌になって、やっぱりガキだ。
浜田と対等になれるどころか、ますます浜田が遠くなる。

「……泉?」

浜田が抱き締める力を緩め、俺の顔を覗き込んだ。
俺が珍しく謝ったのに驚いたらしい。

「…………」

どうして俺って、浜田に反発してばっかなんだろ。
素直になれない自分が悔しい。
いっつも俺は浜田に酷いこと言ってからこうやって後悔するんだ。
はじめっからもっと素直になれればいいのに。

「泉、大丈夫、怒ってないよ」

浜田が笑った。

「ちゃんと分かってるからさ、無理しなくていいって」

分かってる?何を?
俺が怪訝な顔をすると、浜田は俺の頭を撫でた。
いつもなら「やめろよ」ってはね除けるけど、今日は大人しく撫でられておく。
頭を撫でる時の浜田の手が一番好きだなんてことは一生言わないし、言えない。

「むしろ、泉はそこが可愛いんだから」
「……はぁ?」

……どういう意味だよ、それ。
我が儘ばっかのガキでいいってことか?

「だって、我が儘で生意気じゃない泉は、なんか泉って気がしないし」
「浜田は俺をそんな風に思ってんのかよ」

確かに俺は我が儘で生意気だけどな。
俺が拗ねると浜田はそうじゃなくて、と苦笑した。

「ごめんな、言葉足りなかった。
訂正、俺は我が儘で生意気だけど、意地っ張りで寂しがり屋で甘えんぼの泉が好きだよ」

浜田は俺を膝に乗せ、後ろから抱き締めてゆっくりそう言った。
……反則だろ、そんなこと言うなんて。
浜田は卑怯だ。
馬鹿で変態の上に、卑怯だ。

「あー、泉赤くなってる」
「なってねーよ!」

浜田が俺の頬をつつく。
またかわいーとかなんとか言ってやがる。
くそ、この変態め。

「……ばーか、浜田のばーか!」
「いっ……!」

悔しくなり、俺はそう叫んで頬をつつく浜田の指に噛み付いた。
もちろん、本気で噛んだりはしない。
浜田は「泉酷い……」とわざとらしく手をプラプラ振って、俺が噛んだ指を舐めた。
絶対わざとだ、こいつ。

「浜田」
「んー?」

俺は後ろに首を反り返らせて、浜田を見上げながら言ってやった。

「俺、これからも我が儘言うから」
「いいよ、俺もそのぶん可愛がるから」

な。
俺が真っ赤になると、浜田はまた「やっぱ泉可愛いよな」って笑った。
……この笑顔は。

「そうはいくかっ!」

予想通り浜田が笑顔でキスしようとしやがったので、俺はおもいっきり頭突きをかました。
命中した部分を押さえて呻く浜田。

「この変態馬鹿浜田!」

そう言ってみたものの、俺の顔は真っ赤だし、心臓は浜田にも聞こえそうなくらいドクドクいってる。
キスされそうになったくらいで、どうしてこんなに慌ててるんだよ俺。
くっそ、情けねー。
俺はまだまだ素直にも対等にもなれそうもない。
それが悔しくて、悲しくて、置いていかれそうで、俺は浜田の服をぎゅっと掴んで呟いた。

「浜田、」

俺がお前のこと嫌いになるまで、俺のこと嫌いになるなよ。
そう言って俺は笑った。
浜田は真っ赤になった。
ふん、ざまーみろ。
これからも、ずっと我が儘言って浜田を困らせてやる。
それで、いつか背中に追いついてやるんだ。
その後は、俺が追い越して浜田の手を引っ張ってやるんだ。

「それまで、嫌いになるなよ」

何も答えずに、浜田は俺の頭を撫でた。
浜田は俺が飽きるまでいつまでも俺の頭を撫でる係にしといてやろうと思った。



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