情報屋、ノロケる



 大通りは制服の少年達で賑わっていた。学校帰りに友人達と寄り道しているのだろう。
 時刻は午後五時を回ったところだが、もう陽は傾いている。今日は連日続いた煙霧も無く、冬の澄んだ空気も相まって久々に美しい夕焼けが街を染めていた。
 そんな夕焼けの中を、夜よりも暗い色のバイクが走り抜けていく。
 嘶くような独特のエンジン音に下校中の学生達が振り返り、真っ黒なバイクを見て何やら騒ぎ立てていた。バイクを指差す者や、スマートフォンを取り出して撮影を試みる者もいる。逆に、まったく興味を示さない者も。
 ――あまり見ない制服の子だな。
 そんな反応に慣れきってしまっているバイクの主は、信号待ちの間に撮影されているのも気に止めず、冷静に学生達の様子を分析した。
 ――今日は金曜日だし、きっと学校帰りに足を伸ばして池袋まで遊びに来たのだろう。このあたりの子はもう私を見ても驚かないことが多いからな。
 信号が青になったのを確認して、バイクは車の間を縫うように発進した。音も無く、という表現そのままに。そしてすぐに学生達の目を避けるようにして、脇道へと続く角を曲がった。
 バイクの主セルティ・ストゥルルソンは巷で噂されている通り、首無しライダーである。その呼び名が表すように首から上が無く、ヘルメットの中は闇が広がっているだけだ。しかし彼女は今更それを隠そうとは思っていないし、わざわざ人目を避ける必要も感じていない。
「やあ。さすが、時間通りだ」
 人目を避けたいのは――正確には、ある人物に見つかりたくないのは、彼のほうの都合だ。
 約束の場所で既に待っていた折原臨也は軽く手を振ってみせた。
『わざわざ池袋まで来るなんて、なんの用なんだ?』
 セルティはバイクを停め、臨也に歩み寄りながらPDAに文章を入力した。池袋まで出てきたとなれば、また厄介事を持ち込む気なのではないか。そんなニュアンスを暗に含んだ文章だ。
「俺が何か企んでるとでも? 心外だなあ。今日は金曜日だし、俺だって仕事終わりに浮かれて遊びに来たくもなるさ。そのついでに用事を頼もうと思っただけだよ」
 言葉の裏側はきちんと伝わったようで、臨也は減らず口を返してきた。こうなることが分かっていたセルティは気にすることなく次の文章を入力していく。
 ついでと言うだけあって臨也の依頼は特に急ぎではないらしい。来週でも構わなかったが、今日池袋に来る用があったので、あわせてセルティに荷物を渡しておこうと考えたのだという。
 話を聞きながら、セルティは存在しない首の代わりにヘルメットを少し傾げた。新宿まで呼び出されなかったのはこちらとしては有り難いが、池袋に来るのは臨也にとってリスクがあるはずだ。その臨也が池袋まで足を運んだとなれば何か意味があるに違いないのだ。先程言っていたように浮かれて遊びに来るとは思えない。
 聞いたところではぐらかされるだろうが、いったい何を考えているのか。
 セルティの疑問は予想に反してすぐに解決した。臨也へとかかってきた電話によって。
「――もしもし、三好君?」
 電話を取った臨也の第一声で、セルティはその向こうにいる相手を知った。三好吉宗という少年だ。一度海外に引っ越していたが、最近また池袋に戻ってくることになり、こちらで独り暮らしをしていると聞いている。どうやら臨也は彼と会うために池袋までやって来たらしい。
「そうそう、その店だ。先に入って待っててよ。俺もすぐに行くからさ」
 臨也の口振りと漏れ聞こえる声から、セルティは二人がどこかの店で待ち合わせをしていることを知った。どこかのカフェか、少し早いが夕食を一緒に取るのかもしれない。
 三好は最初に池袋に来たときから臨也とよく行動を共にしていたが、セルティはそれを良く思っていなかった。臨也は情報屋などという裏社会の住人のうえ、何を企んでいるか分からない。彼が特定の人間に近付くときは、殆どの場合、相手を利用するためなのだ。そんな人間に善良な高校生が関わるなどあってはならないことだ。セルティも以前の事件で三好とは友人と呼べる間柄になっているため、なおさら三好を臨也とは関わらせたくないと思ってしまう。
 三好は持ち前の社交性で、池袋の様々な人間と友人になっている。もし臨也が彼を本当に危険にさらすことがあればセルティだけでなく、臨也が注目や警戒をしている人間の多くを敵に回すことになるだろう。もちろん臨也も、三好を下手に巻き込めばどれほど自分が不利になるか分かっているはずだ。
 だからといって楽観視は出来ない。ある程度は臨也の動向にも注意しておかなくては。盗み聞きをするのは気が引けるが、セルティは二人の電話に黙って耳を傾ける。
 いつものことだが臨也が一方的に喋っているようで三好の声はあまり聞こえてこない。せいぜい、気の無い相槌くらいだ。臨也の声がやけに弾んでいるのが滑稽なほどの。
「…………」
 不意に臨也がセルティを見て、きょとんと目を瞬かせた。会話を聞いているのを咎められるのかと思いきや、表情を見るに、完全にセルティの存在を忘れていたらしい。
 ――自分から呼び出しておいて、それはどうなんだ。
 セルティはわざとらしく腕を組んで、人差し指で自分の腕をトントン叩いて見せた。今の今まで楽しそうに話していた臨也の顔が歪む。水をさされたとでも言いたいのかもしれないが、待たされているセルティこそ文句を言いたいところだ。
「……うん、それじゃあ」
 やっと臨也は電話を切ることにしたようだ。セルティはこれまたわざとらしく貧乏揺すりをしながらそれを待つ。
 そこで大人しく切ればいいものを、どうやらセルティが急かしたのが気に入らなかったらしい。臨也は何故かセルティを一瞥すると、ニヤリと含みのある笑みを浮かべた。そして声のトーンを落とし、囁くように三好に告げる。
「また後でね、三好君。愛してるよ」
 数秒の沈黙ののち、電話は三好によって切られたようだった。それを確認し耳から電話を離してから、臨也はまったく申し訳ないとは思っていないくせに、形式的にセルティに謝罪の言葉を述べた。
 ――…………。
 もしもセルティに顔があったなら、今だかつて無いほど渋い顔で臨也を凝視していただろう。或いは、心底可哀想なものを見る目をしていたかもしれない。その顔を臨也に向けられなかったのが、セルティにとって久々に感じた首が無い不便さだった。
『今のはどうかと思うぞ』
 言いたいことは山ほどあるが、なんとか抑え、セルティはそうコメントするにとどめた。
 臨也が人間を愛していると公言しているのは知っている。三好は人間であるから、もちろんその対象に含まれているのだということも。だからといって、電話を切るときの挨拶としてその言葉を用いるのはおかしいのではないか。例えば新羅が恋人であるセルティに対して言うのは分かる。というか実際に言ってくる。しかし臨也のそれが世間一般の意味とは異なることを三好も知っているだろうし、だとすれば確実に不快になるだろう。
 そういった内容を思いきり凝縮しての一言だった。
 しかし臨也は少しも動じる様子はなく、むしろ楽しげに笑ってみせた。いつもの、人間達が右往左往するのを見ている時のような悪意ある笑みではない。それとは対極の無邪気さすら感じさせる笑みだった。
「へえ、どうして? 恋人との電話ならごく自然なことだと思うけど。むしろ、どこかの闇医者よりはマシなほうじゃないかな」
 あまりにも臨也が自信たっぷりに語るのでセルティも納得しそうになった。なるほど、確かに新羅の過剰で恥ずかしいほどの愛情表現に比べると逆におとなしいぐらいかもしれない。
 ――……って、ええっ!?
 数秒を要し、やっとセルティは気付いた。
 臨也は恋人と言った。しかし相手は三好だ。いや、臨也からすると全人類が恋人なのかもしれない。だが臨也があんなふうに人間を扱うのは、少なくともセルティが知る限りでは今回が初めてだ。ということはまさか、言葉通りの意味で恋人ということなのか。
「それじゃあよろしく。俺はもう行くよ、せっかくのデートだしね」
 驚きのあまり固まっているセルティに、臨也はかさばるアタッシュケースを遠慮なく押し付けてきた。そしてひらひらと手を振ると、踊るように軽い足取りで待ち合わせ場所へと向かう。セルティはただ呆然とそれを見送ることしか出来なかった。
 ――ど、どういうことなんだ? 臨也と、三好君が、付き合ってるってことか!? いったい何がどうして……!
 無いはずの頭を抱える動作をしながらセルティは混乱していた。点滅するように、さまざまなことが浮かんでは消える。その中で、ひとつだけはっきりと分かったことがあった。
 ――静雄が知ったら、大変なことになる。
 いつか来てしまうであろうその時を想像し、セルティは身震いした。もし巻き込まれたらセルティも無事では済まないだろう。鬼神と化した静雄が暴れまわれば、下手をすると池袋の街の存亡にすら関わりそうだ。
 ――とにかく、三好君に詳細を確認しておこう……。
 セルティも、こんな恐々とした気持ちで他人の馴れ初めを聞くことになるとは思わなかっただろう。このあいだ新羅とSF映画を見た時と同じくらい震えながら、セルティは三好に送るメールを作成した。



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