三好は閉口した。目の前に広がる現実と、口の前に差し出された誘拐犯の手料理に。
「ほら、そんな顔してないで早く食べなよ。それとも、嫌いな物でも入ってたかな?」
 そんな三好を見て、誘拐犯こと臨也はニヤニヤと笑った。三好の反応が思っていた通りのものだったのだろう。
 先程の足音は臨也が料理をする音だったようだ。そうして出来上がった温かいスープが三好の前に置かれている。惜しむらくはそれが臨也の作ったものだということだ。そうでなければ喜んで食べたのに、と三好が思う程に美味しそうなスープである。
「俺が優しくしてあげてる間に食べた方がいいと思うよ? ……だって君、一人じゃ食べられないだろう?」
 臨也の言葉に、三好は歯噛みした。手首に巻かれたヒモが痛む。
 スーツケースから出されたと同時に、三好は両手両足を縛られ、自由を奪われた。眠っている間にそうしなかったのは、抵抗を阻止するというよりも屈辱を与え抵抗する気力を奪うことが目的だからだろう。その証拠に、臨也は暴れる三好をわざわざ抱き上げて椅子の上まで運んだ。三好にとっては屈辱以外の何物でもない。
 そして今度は楽しげに笑いながら、まるでおままごとのように三好に料理を食べさせようとしている。
 臨也が三好を拉致した目的は分からないが、少なくとも三好に対し恥辱の限りを尽くそうとしていることだけは確かだ。そうと分かれば尚更三好には口を開けることなど出来ない。
「……ふうん、そんなに嫌なら仕方ないね」
 頑なに拒否する三好を一瞥し、臨也は溜め息を吐いた。そしてようやく三好の口元に持っていったスプーンを下ろす。
 やっと諦めたのか、と三好が僅かに緊張を弛めた瞬間だった。
 突然臨也が立ち上がったと思えば、ガタンと派手な音がして、三好は床に転がっていた。椅子を蹴られたのだ、と三好は冷静に現状を把握する。この状況をあっさり飲み込めたのは、床に転がるのが今日二度目だったせいもあるだろう。
 両手を後ろで縛られた状態では起き上がるのもままならない。三好に出来るのは身をよじることだけだ。
「はい」
 三好と同じ目線に屈んだ臨也が、にっこりと微笑みながら何かを三好の前に置いた。そしてまるで犬を可愛がるように三好の頭を撫でる。
「食べなよ、自分で」
 それは、先程のスープだった。
 三好は表情を歪め、嫌悪感を露にする。またも期待通りの反応だったのか臨也は満足そうだ。
「そうそう、今が何時だか教えてあげてなかったね。夜中の一時だよ。そんな時間にわざわざ夕飯を作ってあげる俺の優しさに感謝して食べるんだよ?」
 まさかとは思ったが、やはりこれは犬や猫のように食えということらしい。
「俺はもう寝るから、三好君も早く寝るようにね。じゃあおやすみー」
 臨也は今日一番の明るい笑顔で三好の頭を再度撫でた。そして、ふざけるなと睨み付ける三好を完全に放置し、外へと出てしまった。
「…………」
 臨也の気配が完全に消えるのを確認してから、三好は舌打ちをもらした。当然、この状況で食事など取るわけがない。無視してさっさと逃げ出そうと三好は不自由な手足で這って玄関へと向かった。
「……なんだこれ……」
 ようやくたどり着いた玄関でドアノブを見上げ、三好は目を見開く。ドアノブの上に存在するはずの鍵が無い。いや、正確には鍵穴が付いている。つまりこの部屋は外からしか、或いは外からも中からも鍵を使わなければ開かないようになっているということだ。その用意周到さはさすが臨也というべきか。
 部屋は物色するまでもなく、助けを呼べそうなものは存在しない。せめて調理器具が残っていれば武器になっただろうが、臨也は全て手を伸ばさなければ届かない位置に片付けてしまったようだ。立つことすらままならない三好にはどうやっても届かない。
 念のため窓の外も見たが、飛び降りられる高さでは無さそうだ。しかも外の風景には人気が無く、閑散としている。助けを呼んでも気付く人間はいないだろう。
 つまり三好には、ここから逃げ出す手段は存在しないということになる。三好は落胆したように座り込んだ。相手はあの臨也だ。早く逃げなければ、何が起こるか分からない。
 ――臨也さんは、僕をペットか何かの代わりに飼うつもりだろうか。
 だとすれば、ここはきっと犬小屋だろう。この状況で出来ることなどひとつも無く、三好は仕方なく床に転がり、目を閉じた。



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