雪が降った。
三月にもなって、とスザクは溜め息を吐いた。



ホワイト・デイ



傘をくるりと回し、傘に積った雪を落とす。
既に三月も半ば、暦の上ではとっくに春だ。
なのに、まったくよく振る。
慌てて引っ張り出したマフラーに顎を埋め、スザクはもう一度溜め息を吐く。
マフラー越しに吐いた白い息はすぐに空に溶け消えた。
道行く人は誰もが彼と同じように季節はずれのコートを着こんでいる。
カレンダーを見れば本当に不自然な光景だ。
不自然といえば、妙に番いの人間が多い。
スザクはたった今すれ違ったカップルをちらりと見た。
仲睦まじく会話する男女。
この寒い中、その二人の周りだけ温度が違う気すらする。

(……あれ?)

ふと、スザクは女性の方が何かの包みを持っていることに気が付いた。
可愛らしいラッピングのされた半透明なそれの中身はお菓子らしい。
おそらくクッキーだろう。
よく見ると、この辺りを歩いているカップルのほとんどがそれを持っている。

(ああ……そうか)

スザクは、少し先にある店の広告を見て漸く気付く。

(今日はホワイトデーだったのか)

女性の好みそうなメルヘンな概観のケーキ屋の店頭には「ホワイトデー限定」の文字が踊っていた。
その店だけでは無い。
そこかしこに似たような広告がある。
なんだ、僕が気付いてなかっただけか。
スザクはマフラーの下で、はは、と笑った。
やけにカップルが多いわけだ。
それに気付いた途端、スザクは一人で歩いている自分が場違いに感じた。
まるで自分だけが周囲と違う世界にいるようだ。

(違う世界、か)

そう、自分は違う世界の人間なんだ。
あんな風に、愛する人と心の底から幸せそうに笑いあうなんて二度と出来ない人間。
明日からはまた戦場に身を置く日々が始まるだろう。
戦って、戦って、また次へ。
それだけの毎日が。
スザクは顔を上げた。
この道を真っ直ぐ行けば、アッシュフォード学園だ。
今思えば、あそこでの生活は本当に楽しかった。
イレヴンだなんだという煩わしい枠組みの無い、変わった生徒会の面々。
差別され続けたスザクにとって、それは本当に有難いものだった。
それに、ルルーシュやナナリーと昔のように過ごせたことも。
あんなに楽しかったのは久しぶりだ。
戻れるなら戻りたい、と思う。
しかし、それは到底無理な話だ。
ナナリーやカレン、そして以前のルルーシュはもういない。
他のメンバーも記憶を操作されてしまっている。
関係の無い大勢の人間を巻き込んで、今更あわせる顔も無い。

(……それでも、こんな僕でも皆の役に立てるなら)

自分が戦うことでエリア11が、日本が救われるなら。
それだけを考え、今のスザクは行動している。
それが償いであり、あの生徒会への恩返しだ。
スザクは決意を新たにし、空を見上げた。
相変わらず季節はずれの雪が降り続いている。
そして恋人達の群れも。
傘に積った雪を落とし、スザクは踵を返した。
その時だった。

「それにしてもすごい雪だね、兄さん」
「ああ、今日は温かいものを作るか」

前から、見覚えのある人物が歩いて来たのは。
忘れもしない、ユーフェミアの仇。
親友。
そして――。

(……駄目だ、ルルーシュに会うのはまずい)

スザクは頭を振り、冷静に考える。
今のルルーシュには、ゼロだった頃の記憶は無い。
なら、自分が会ってどうする?
何と言えばいい?
立ち止まり葛藤するスザクを、ロロがちらりと見た。

「ん?どうした、ロロ?」
「ううん、なんでもないよ!」

雪のせいで視界が悪かったのが幸いだった。
ルルーシュはスザクには気付かなかったらしい。
反応ひとつ無くすれ違うルルーシュに、スザクの傘を持つ手に力が篭る。
さっきのロロの視線は、まるで釘を刺すようだった。
スザクもそれは分かっている。
だからこそ、なおさら手に力が篭った。

(全部忘れて、君は笑っているのか)

偽りの弟に、幸せそうに笑いかけるルルーシュ。
いつもナナリーにそうしていたように。
嘘で固められた世界に気付かず、あんなに幸せそうに。
それが、スザクには許せなかった。
だが何故許せないのか、何が原因で許せないのかは分からない。
ナナリーが可哀想だから?
自分がこんなに手を汚しているのに、彼はのうのうと生きているから?

(……僕を忘れたから?)

スザクは首を振った。
ここでずっと立ち止まっているのも不自然だ。
もう帰ろう。
歩き出そうとしたその時。

「ほわぁっ!?」

ぼすっと鈍い音と、ルルーシュの悲鳴が背後で聞こえた。
そして、こちらに飛んできた傘。
思わずスザクが振り向くと、雪に足をとられたらしいルルーシュが転んでいるのが目に入った。

「大丈夫!?兄さんっ!」

ルルーシュ、と思わず出た声を、ロロの大声がかき消す。
危なかった。
今の声は本当に、無意識に出てしまったものだ。
もしロロが叫ばなければ、ルルーシュに聞こえていたかもしれない。

「気をつけなきゃ駄目だよ!
なんともない!?」
「あ、ああ……」

ロロのあまりに必死な叫び声に、周りの人間がクスクスと笑った。
意図が別にあるのだと知っているスザクは一笑も出来なかったが。

「ロロ……そんな大声で言うことないだろう」
「だって兄さん、思いっきり転んだから……!」

ルルーシュが自分の服に付いた雪を叩き落とす。
しかし、雪の勢いが増しているため、傘を差さなければ積る一方だ。
スザクは自分のすぐ傍に転がっていた傘を拾い上げ、ルルーシュの方へ近付いた。

「ああ、すみません」

スザクは出来るだけ顔を見られないようにしながら、ルルーシュに傘を差し出す。
その気配に気付いたのか、ルルーシュが頭についた雪を払いながらはにかんだ。

(まるで他人だ)

ルルーシュは、本当に忘れてしまったのだ。
そうでなければ、とっくにスザクだと気付いて何か言うはずなのだから。
気付かれないうちに踵を返し、スザクは早々にルルーシュから離れた。
もしかしたら、という期待が無かったといえば嘘になる。
だからこそスザクの落胆は大きい。
あんな他人行儀な言葉を交わすくらいなら、いっそ会わない方がよかった。

(分かってたじゃないか、ギアスの力は)

スザクは早足で路地裏に逃げ込む。
分かっていたことだというのに涙が頬を伝った。
不意に屋根から落ちた雪が、傘を軋ませる。
その雪を見て、スザクは白い息を吐いた。

(……あのまま放っておけばよかった)

あのまま、傘を渡さずに逃げていればどうなっていただろう。
ロロの持っていた傘は、二人で入るには狭すぎる。
それにきっとルルーシュのことだ。
ロロ一人に傘を使わせたまま、自分は雪にまみれて歩くだろう。

(そうすれば、雪に埋もれてしまうだろうな)

真っ白な雪がルルーシュを覆い隠し、やがて飲み込む。
まさに今のルルーシュだ、とスザクは笑った。
季節はずれの雪はますます強くなっていく。
まるで、本当にスザクの思いを受け、全てを飲み込むかのように。



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