「……ゼロは、俺の頼みなら何でも聞いてくれるのか?」
薄暗い部屋の中、ふとルルーシュが顔を上げた。
Pinch!
ルルーシュはかなりの意地っ張りだ。
はっきりと口に出して誰かに助けを求めることはあまりしない。
……言わないうちに感じ取って実行する私にも問題があるのかもしれないが。
「そうだな、多少例外はあるだろうが私に出来ることなら何でも」
ルルーシュの望みに応えるのが私の役目だ。
この答えは考えるまでもなく当然のことだと言える。
ルルーシュも分かっていて質問したらしく、ふっと微笑んだ。
「命令でもか?」
「頼みと命令の違いは些細なものだ。
ルルーシュがどちらを使おうと、私は頷くだけだ」
私にルルーシュの命令を断る理由はどこにも無い。
ならば、少々言葉の形が変わるだけと言える。
「例えば……代わりに宿題をして欲しい、というのはどうだ?」
宿題か。
少なくとも学生レベルの物なら、私にとって難しい物ではない。
だが、それは出来れば自分でやるべきだ。
「私はお前の為にならないことはしない」
私の言葉を聞いてルルーシュが笑った。
やはり分かっていて聞いたらしい。
「どうしても分からなければ隣で助ける程度はするがな」
例えば、ルルーシュが高熱で寝込み、やむを得ない場合。
そういう時は代わりにテキストくらいは終わらせるだろう。
それでも、後でルルーシュに復習させるのだから同じことだ。
「そうだな、じゃあ俺が『ストレスが溜まったから殴らせろ』と言ったら?」
「別に構わない」
ルルーシュは言葉に詰まった。
少しくらいは答えることを躊躇うと思ったのだろうか。
あまり腕力の無いルルーシュでも、殴ればそれなりに痛い。
しかし私を殴ってルルーシュに何か得があるのなら、私はその事実だけで痛みなど消え失せるだろう。
「『暇だから腕立て伏せをして見せろ』と言ったら?」
「体力とお前の暇の続く限りは」
「『三回まわってワンと鳴け』と言ったら?」
「それでお前が喜んでくれるのなら」
「『試しにC.C.に告白してこい』と言ったら?」
「……出来ればやりたくはないが、何か事情があるのなら」
私が次々に答えたのを聞き、ルルーシュが溜め息をついた。
私を見る目に、どことなく疑いの色がある。
簡単に受け答えされるとかえって疑いたくなるものだ。
「お前は俺が『死ね』と言ったら死ぬのか?」
これはまた、有りがちな質問だ。
答えは決まっているのに。
「ああ」
ルルーシュの顔が歪んだ。
一体彼は、なんと答えて欲しかったのだろうか。
「まさか。冗談だろう?」
「私が冗談を言っているように見えるか?」
ルルーシュが私にそう言うとしたら、それは私が必要無くなった時。
私の存在理由はルルーシュ、それだけ。
ならば私はルルーシュが必要としなくなった時点で死んだと言っても過言ではない。
私はわざわざ死ねと言われる前に、死んでいるのだ。
「ゼロ」
ベッドに座っていたルルーシュが、少し離れた椅子に座っている私の前へと足を進めた。
どうやら怒らせてしまったらしい。
私も一応立ち上がり、ルルーシュの前に鏡のように立つ。
「嘘だろう?」
「嘘ではない」
ルルーシュの額が、私の額にコツリと当たった。
至近距離で視線がぶつかって初めて気付いたが、アメジストの瞳が僅かに揺れている。
「ルルーシュ?」
何故、ルルーシュはこんなに悲しそうな顔をしているのだろう。
私がそっと頬を撫でると、ルルーシュは同じように手を伸ばし、私の頬をつねった。
突然の事に驚き、思わずそのままの格好で硬直してしまう。
「馬鹿、冗談に決まってるだろう!」
ルルーシュは私の頬を一通り引っ張って満足したのか、今度は私の首に腕を回して来た。
そして私の服の襟の辺りに顔を埋めて小さな声で呟く。
「頼む、死なないでくれ、命令だ」
最後は殆ど消えてしまいそうな声だったが、私の耳にはその声がはっきりと届いた。
命令だから生きるのではない。
私は、自分の意志でルルーシュと共に生きていたいのだ。
もしかするとルルーシュは、そんな当たり前のことを改めて言って欲しかったのかもしれない。
「勿論だ、私は死なない」
しかし、一体どうしたというのだろう。
今日のルルーシュは妙に感情的になっている。
いつもなら自分からこんな風に抱きついてくることは無いのに。
「そうだ、許さないからな。
お前は一生俺と一緒なんだ。
俺を置いてどこかに行くなんて許さないからな」
分かってる、と言う言葉が聞こえているのかいないのか。
ルルーシュは私を逃がすまいとしているかのように、ぐっと腕に力を込めた。
「私がルルを置いてどこかに行くはずがないだろう?」
出来る限り優しく、そう呼んでやればルルーシュが小さく頷いた。
……またスザクが原因か。
いい加減、あんな奴のことなど忘れてしまえばいい。
私の方が奴よりもルルーシュを愛しているに違いないというのに。
「ルルーシュは……」
ルルーシュは、私とスザクのどちらが好きだ?
そう聞こうとして、止めた。
この質問はルルーシュを困らせるに違いないからだ。
「ゼロ?」
私が続きを言わないせいか、ルルーシュが不審な目で私を見ている。
「……いや、なんでもない」
忘れてくれ。
私がそう言ってあやすように背を叩くと、ルルーシュは少しムッとしたような表情を浮かべた。
「ゼロ、俺にだってお前が何を聞こうとしたかくらい分かる」
さすがはルルーシュ、と言うべきだろうか。
ルルーシュは頭の良い子だ、私の言いたいことくらい理解したのだろう。
それを誤魔化して、尚且つ子供扱いした私に腹を立てたらしい。
ルルーシュは私を真っ直ぐに見て、言った。
「この際だからはっきり言うが……俺の一番はスザクだ」
一番はスザク……か。
ルルーシュの言葉に、私は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
大袈裟な表現ではない。
私にとって、それだけルルーシュは大切な存在なのだ。
「そうか」
どう返答すべきか、その答えは簡単だ。
私はなんとか取り繕って、涼しげな顔をしてみせた。
分かっていた筈なのに、いざとなると落ち込む自分が情けない。
私は自分で思っている以上に女々しくて嫉妬深い人間らしい。
「話は最後まで聞け」
私が内心穏やかではないことを悟ったのか、そう言って今度は耳を引っ張られた。
スザクのことなど名前も聞きたくない私に、ルルーシュはこれ以上何を聞けと言うのだろうか。
「確かに一番はスザクだ。
でも、ゼロは俺の特別なんだ」
「特別……?」
特別。
他とはっきり区別されること。特に、他とはっきり区別して扱うこと……と私は認識している。
私の思い上がりでなければ、私はルルーシュの中にある順位とは別の場所に位置する存在ということになる。
「……ルル、つまり私は……」
「勘違いするなよ、一番特別なのはナナリーだ!」
一番特別、とはおかしな言葉もあったものだ。
私はこらえきれず、ルルーシュの頭を撫でながら笑った。
ルルーシュがムッとした顔をしているが、私は構わずに笑顔を返す。
「可愛いな、ルルは」
「な、何を言い出すんだお前は!」
同じ顔じゃないか、というルルーシュの反論はもっともだ。
しかし私は、顔も中身もルルーシュの方が可愛いと言い切れる自信がある。
「私はそんな風に真っ赤になって慌てたりはしない」
絶対に慌てたりしないとは言えないが、それでも顔には出さないだろう。
それに対しルルーシュはよくよく観察すると、意外と表情に出ていることが多い。
「お前がポーカーフェイス過ぎるんだ!
ちょっとは緩めたらどうだ!」
痛いところを突かれたのか、ルルーシュがムキになって私の頬を引っ張る。
同じ顔なのに、引っ張って楽しいのだろうか。
そう考えるとルルーシュも、私とは似て非なる顔をしているという自覚があるのかもしれない。
私は頬からルルーシュの両手を離させ、その手を握った。
「お前の為以外で緩めるつもりはないな」
言いながら、私は微笑みを浮かべて見せた。
ルルーシュは真っ赤になってしまっている。
緩めろと言うから緩めたというのに、仕方のない子だ。
「お前はどうしていつも……!」
ルルーシュは顔を赤くしたままブツブツ何か言っている。
私はルルーシュに従ったまでだというのに。
……ということにして揚げ足を取ると、面白い反応が返ってくるからやめられない。
「ニヤニヤ笑うな!」
どうやらいつの間にか顔が緩み過ぎていたらしい。
ルルーシュが恥ずかしそうに叫びながら私の胸を叩くが、痛くも痒くも無い。
それもこれも、ルルーシュが可愛すぎるせいではないだろうか。
「緩めろと言われたから従っただけだ」
「くっ……!」
何度でも言おう、私はルルーシュの言葉従っているだけだ。
ルルーシュも分かっているらしく、悔しそうに私を睨む。
あまり怒らせて口を利いてもらえなくなるのも困るので、そろそろ謝っておくことにしよう。
「今のは少し意地悪が過ぎたな、すまない」
「またお前は俺を子供扱いして……!」
いけない、つい頭を撫でてしまった。
今のは完全に無意識だったのだが、ルルーシュはご立腹らしい。
腕を組み、ムスッとした顔で私を見ている。
「すまなかった、ルル。
お前が嫌がるなら、もう――」
「嫌じゃない」
もうしない、と言おうとした私を遮り、ルルーシュは蚊の鳴くような声で呟いた。
嫌じゃない、と言ったのか?
「別にもっと撫でさせてやってもいいぞ」
ルルーシュが再びベッドに座り、手を伸ばして私の頭を引き寄せた。
これで断れば、おそらく「命令だ」とでも言うのだろう。
ルルーシュも本当は寂しがり屋だ。
ましてや、あの男と何か喧嘩でもしてきたのだろう。
誰かに触れていないと不安になってしまうのだ。
「なら、もう少し撫でているとしよう」
そして、そんな時の為の私だ。
断る理由は何もない。
私はルルーシュの隣に座り、艶やかな黒髪を撫でてやった。
「すまない」
ルルーシュが申し訳なさそうに微笑む。
謝る必要など無いのに。
「構わない、私はお前の為だけに存在しているのだから」
ルルーシュはもう一度「すまない」と呟き、私に寄りかかって目を閉じた。
私はルルーシュが眠るまで、ずっと頭を撫で続けた。
「本当にルルーシュは優しい子だ」
そんな優しいルルーシュを傷付けるとは、スザクめ。
ルルーシュのふりをして同じ目にあわせてやるのも悪くはないかもしれないな。
そんなことをすればルルーシュが悲しむので、やりはしないが。
「おやすみ、ルル」
私はルルーシュの身体を横たえ、部屋を出た。
勿論、風邪をひいたりしないように布団をかけて。
「…………」
カレンに頼んで、スザクを殴ってもらうか。
そんなことを考えて、また私は笑った。