むかしむかし
あるところに、
なまえのない
かいぶつがいました。



なまえのないかいぶつ



「なまえなんてなくてもしあわせ……か」

私は絵本を閉じながら、呟いた。

「何を読んでいるんだ?」

背中に重みを感じて振り向くと、そこには私と同じ顔をした少年がいた。

「絵本か?
……『なまえのないかいぶつ』?
随分おかしな本を読んでいるんだな」

私と瓜二つの少年は、私の手から絵本を引ったくり、帽子を被った緑色の怪物が描かれた表紙を指でなぞった。

「どんな話なんだ?」
「なんだ、気になるのか?」

私は絵本のページを捲りながら、話し始めた。
名前の無い怪物が東と西の二手に別れて名前を探しに行くこと。
東へ行った怪物は人間の中に入りその人間の名前をもらうが、最後には腹が減ってその人間を食べてしまうこと。
怪物はとある少年の名前が気に入り、空腹をこらえるが、たえられずに周りの人間を全て食べてしまうこと。
やがて西へ向かった怪物と再会するが、
その怪物は『自分達は名前の無い怪物なのだから、名前がなくても幸せだ』と伝えたこと。
怪物は西へ向かった怪物も食べてしまい、結局誰もその名前を呼ぶ者はいなくなったこと。

「…………」
「ルルーシュ?」

少年、ルルーシュは私が話し終えても黙っている。
どうしたというのだろう。

「ゼロ」
「何だ?」
「お前は、最後に怪物が西へ行った怪物を食べてしまったのは何故だと思う?」

ルルーシュは妙に悲しげな表情をしていた。
その表情が気にかかったが、私は答えた。

「自分を否定されたからではないのか?
自分が苦労して手に入れた名前を、無意味なものだと言われたのだから」

自分の歩んだ道を全て否定されたような絶望感。
それ以外の答えが、私には思いつかなかった。

「この怪物は自分に名前が無いことが不安だったのではないか?
他人と関わって初めて自分の存在が認識出来るのなら、
誰にも呼ばれることがない怪物は自分の存在を酷く曖昧に感じたのだろう」

と言っても、ふと目に留まった絵本についていちいち小難しく考察をしている訳ではない。
思いついたことをそのまま私は話しているだけだ。
どちらかといえば感想に近いのかもしれない。

「お前もそうなのか?」

私の目を覗き込みながら、ルルーシュが静かな声で言った。
紫水晶に似た美しい瞳は、まるで私の考えを見透かそうとしているようだ。

「ゼロは、記号だ。
同じ格好であれば、人はそれをゼロと呼ぶ。
お前の固有名詞ではない」
「そうだな」

ルルーシュは、私に何を言おうとしている?
こんなに悲しげな表情を浮かべて。

「俺にはルルーシュという名前がある。
ファミリーネームも、経歴も、他の全てが偽りでも、俺は確かにルルーシュだ。
しかし、お前は違う」

ゼロとは、英雄を表す記号だ。
今までも、これからも。

「ゼロは、お前の名前ではない。
一時的にお前が名乗っているだけだ」

……ルルーシュは優しい子だ。
偽りしかない私の為に、こんなに悲しそうな顔をしてくれる。

「そうだな、それでも構わない。
少なくとも、今の私はゼロなのだから」

私のゼロとしての役目が終わった時、私はどうなっても構わない。
ゼロ以外の誰かになろうとも、私の存在そのものが消えてしまっても。
ルルーシュの為になるのなら、どんな未来が待っていようと、一向に。

「私は、お前の他には何も必要無い。
名前も、経歴も、存在も。
お前がそこにいて、幸せであること以外は何も」

西へ行った怪物が、自分達が「名前の無い怪物」であることが幸せであると気付いたように、私も既に知っている。
「名前の無い怪物」という立場が既に彼らの名称であるように、私には「ルルーシュを守る為の影」という立場と名称があることを。
ルルーシュがそこに存在するなら、その隣に私はいる。
そしてそれが私の名前となる。
ゼロだろうと、他の名称だろうと、それは私だ。

「お前が思うほど、私は不幸でも不安でもない。
お前がいることが私の幸せなのだからな」

ルルーシュは曖昧に頷き、絵本を傍らに置いた。

「そうか」

まるで泣いているような表情で微笑みながら、ルルーシュは私の正面にまわった。
どうしてこんなにも悲しげな顔で笑うのだろう。
儚げな微笑みを浮かべるルルーシュを見ていられず、私はその身体を抱き寄せた。

「俺が、お前に全てを押し付けてしまった。
曖昧な存在としてお前を作り出してしまった。
だから、お前は俺を恨んでいるんじゃないかと思ったんだ。
なのにお前は……」

本当に優しいな、ルルーシュは。
優しいからこそ、一人では抱えきれなかったのだろう。

「ルル、私はお前に感謝している」

まるで子供をあやすように、私は言った。

「私はお前に出会うことが出来てよかった。
お前を守ることが出来てよかった。
いつも本当に、心からそう思っている」

本来生まれる筈のなかった私を、この世界に生み出してくれた。

「有難う、ルルーシュ」

私の言葉に、ルルーシュが少し頬を染めた。
が、直ぐに眉間に皺を寄せ、いつもの表情に戻ってしまった。

「な、何を言い出すんだ!
恥ずかしい奴め……」

ぷいっとルルーシュが顔を背けるが、それが赤くなった顔を隠す為なのは明白だ。

「まったく、そんな事を考えていたのなら、俺の心配はただの杞憂じゃないか!」
「そうだな」

今までのしおらしい態度はどこへいったのか。
ルルーシュはいつものルルーシュに戻っていた。

「それにしても、お前が私をそんな風に思っていたとは」
「う、五月蝿い!」

余計な心配をさせてしまった罪悪感もあるが、今はルルーシュが私を心配してくれたという嬉しさが勝る。

「有難う、ルルーシュ。本当に」

なるほど、確かに名前など必要ないのかもしれない。
そのことに最後まで気付かなかった怪物を憂いながら、私は顔を赤くして私の名称を叫ぶルルーシュの頭を撫でた。



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