「何をしているんだ?」
 ラフな格好のルルーシュが僕の隣にしゃがみこんだ。対する僕は非常にごてごてした服で、邪魔なマントが地面に擦れないように微妙な体勢でしゃがんでいる。気を抜くと、地面どころか前にある小川に裾が浸かってしまいそうだ。
「……人形か?」
 ルルーシュはマントと格闘する僕ではなく、僕が手にしているものを見て、不思議そうに言った。
「流し雛だよ」
 僕が手を離すと、小川に映ったルルーシュの顔の上を、雛が流れて行った。



流刑雛



「人形に自分の厄や穢れを移して流して、無病息災を祈るんだよ」
 ルルーシュなら知ってるかもしれないけど、僕は一応説明しておく。その間中ルルーシュは健気に流れて行く雛をじっと見ていた。
 何を考えてるのかは分からないけど、あまりジロジロ見ると怒られるから水面に映る自分の顔に視線を移す。すると突然、映っていた僕の顔が揺らいだ。
 何事かと波紋の中心を見ると、そこにはルルーシュの白い手があった。
「どうしたの?」
 僕はちょっと驚いて、ルルーシュに声をかけた。まだ小川の水は冷たいだろう。ルルーシュの手がいつも以上に白くなってるのが証拠だ。
 ルルーシュは返事をせず、手をゆらゆら動かしている。そのたびに広がる波紋が、水に映る僕とルルーシュを歪めた。
「駄目だな」
 ふと、独り言のようにルルーシュが呟いた。当然僕は「何が?」と聞き返す。
 ルルーシュの手が、ばしゃんと音を立てた。
「流れない」
 溜め息混じりの微かな声が、水の音と一緒に僕の耳にしっかりと届いた。
 それきり重い沈黙とルルーシュの立てる水の音だけが僕らの周りを支配していく。何が、とはもう聞かなかった。
 全ての人間の憎しみと穢れが、こんな小さな小川に収まり、流れるはずがない。
「……ルルーシュ」
 僕はルルーシュにそっと紙で出来た人形を渡した。ルルーシュの分も作っておいた流し雛だ。しかし、ルルーシュは「いいんだ」と受け取らなかった。
「流すつもりも無いからな。これは俺が抱えていなければならないものだ」
 ありがとう、とルルーシュは笑った。その笑顔はとても寂しげだ。これじゃまるでルルーシュが流し雛そのものじゃないか。
 僕は眉尻を下げ、そして――
「っ!?」
 一際大きな音が響いた。何が起こったのか分からないのか、ルルーシュは目を白黒させている。目を白黒させながら、ルルーシュはぺたんと小川の中に尻餅をついていた。不慮の事態に対応出来ないのは相変わらずらしくて、不謹慎にも僕は笑ってしまう。
「な……何をするんだ、スザク!」
 ルルーシュは少し考えて、やっと僕が突き飛ばしたことに気付いたようだ。
 ぷりぷり怒り出したルルーシュの隣に、僕も足を踏み入れた。膝より下くらいの深さとはいえ、マントの裾が完全に小川に浸かっている。ルルーシュにも早速怒られたけど、僕にとってそれはどうでもよかった。
「ほら、僕も流れないよ」
 僕は精一杯の明るい笑顔で、ルルーシュに言った。ルルーシュは少し目を見開いて驚いた風をしている。だけど僕の言いたいことが伝わったのか、すぐにいつもの顔になって、呆れたように笑った。
「当たり前だ。俺が流れないんだから、質量のあるお前が流れるわけが無いだろう」
「あはは、そういう意味じゃなくて」
「……ありがとう、スザク」
 はにかみながら、ルルーシュが言う。ようやくルルーシュの顔に笑顔が戻った。
 それが嬉しくて、僕は濡れるのも構わず小川に膝をつき、ルルーシュを抱きしめた。珍しくルルーシュも甘えてるのか、素直に腕を回してくる。
「それに、君は十分すぎるくらい流されてここまで来たじゃないか。だからもうそんなこと考えなくていいんだよ」
 そう言うと、今度は返事が無かったけど、僕の気持ちは伝わったんだろうか。伝わっても、きっとルルーシュは納得なんてしてくれないだろう。本当に頑固だから。
 僕は見えないのをいいことに、ルルーシュの背中を持ったままだった人形で撫でた。流し雛はこうすると、その人の厄を背負ってくれるらしい。
「スザク?」
「なんでもないよ」
 ほんの少しでもルルーシュの負担が軽くなることを祈って、僕は雛を川に流した。雛はルルーシュの代わりに宛ての無い流刑の旅に出る。
 人類の憎しみを背負った流し雛はるると流れて行って、見えなくなった。それを見送る間、僕はきつくルルーシュを抱きしめていた。



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