「お兄様、『逆チョコ』ってご存知ですか?」

夕飯の席で、ふとナナリーがそう切り出した。
なんでも、今年は逆チョコとやらが流行らしい。
日本のバレンタインデーは女性が男性にチョコレートを贈る日だが、その逆で男性が女性に贈るという意味だそうだ。

「じゃあ、俺がナナリーにチョコレートを贈れば『逆チョコ』になるのかな」
「お、お兄様ったら……私はそんなつもりで言ったんじゃ……!」

俺の言葉をナナリーが赤くなりながら否定した。
会話を聞いていた咲世子がクスクス笑っている。
しかし、まったくおかしな話だ。
男性は逆チョコの上にホワイトデーまで要求されるとは。
どう考えたって売り上げを伸ばすための意図的な流行だ。
そんな物に騙される男がいるのだろうか。
――バレンタイン当日まで、俺はそう思っていた。
そう、爽やかな笑顔でチョコレートを抱えて来たスザクを見るまでは……。



製菓会社の陰謀だ



「会長、これどうぞ!」
「あらー、ありがと。なかなか気が利くじゃないっ!」

スザクは生徒会室に着くなり、丁度そこにいたミレイ会長にチョコレートを手渡した。
市販とはいえ、バレンタイン用にラッピングされたチョコレートは普通のに比べるとずっと高価だ。

「あれ、おはようルルーシュ」

スザクは呆然と扉の前で立ち尽くしていた俺に漸く気付いたらしい。
笑顔で声をかけてきた。

「あ、ああ……」

会長に渡すところを見るまでは早くもチョコレートを貰ったのかと思っていたんだが、違ったらしい。
まさか本当にチョコレートを持って来る奴がいるとは……。
そんなことを考えているとは露とも知らない様子でスザクは「どうしたの?」と不思議そうな顔をしている。

「よーし、ミレイさんが特別にチョコをあげよう!」

会長もスザクにチョコレートを貰って上機嫌なのか、ニコニコと笑いながら俺にチョコレートを差し出してくる。
少々複雑な気分になりながら俺は礼を言ってチョコレートを受け取った。
特別、の中にリヴァルは入っているのだろうか。
ふとそんなことを考えてしまう。

「あ、シャーリー!」

俺が鞄にチョコレートをしまっている間に、窓の外をシャーリーが通ったらしい。
スザクはさっと手を振るなり、窓から見えたシャーリーのところにさっさと走って行ってしまった。
一体いくつ用意しているのだろうか。

「あららー。スザク君どっか行っちゃうなんて、貰い損ねちゃったわね」

会長がニヤニヤと笑いながら頬杖をつく。

「貰い損ねた?何をです?」
「チョコレートよ、チョコレート」

欲しかったんじゃないの?
会長は面白がっているらしい笑みをたたえて、俺を見ている。
俺が、スザクから?

「べ、別に……俺はスザクからなんて……」
「あら?ナナちゃんのチョコのことを言ったんだけど?」

え?
俺が思わず聞き返すと、会長はクスクスと笑った。
どうしてこの人は、こうやって人をからかうのだろうか。

「貰いたかったんじゃないの?
『ナナちゃんの』チョコレート」
「そうですね、『ナナリー』も喜びますから」

俺がわざと強調して返したのを聞いて、会長は笑いをこらえているらしかった。
まったく、この人はどうしてこうも鋭いんだろうか。

「会長、そろそろ授業が始まりますよ」

お先に失礼します。
俺はひっくり返るぎりぎりまで椅子の脚を上げている会長を無視し、さっさと生徒会室を出た。
これ以上、余計なことを見透かされるのは困る。

「うふふ、スザク君に宜しくねー」

背後から明らかに笑いの混ざった声が聞こえたが、俺は何も聞かなかったことにした。



シャーリーを始め他のクラスからもチョコレートを貰い、鞄がラッピングされた箱や袋で一杯になった頃に、漸く放課後は訪れた。
スザクは俺の想像以上にチョコレートを貰ったらしく、リヴァルに羨ましがられている。
そういえば今日は殆どスザクと話していないな。
いつもなら有り得ないくらい会話をしていない。
少し寂しくもあるが、仕方ないだろう。
話しかける前にチョコレート攻めにあっていたからだ。
別に避けられている訳じゃない。
……ただ、今日はお互いにタイミングが掴めないだけだ。
そんな女々しい言い訳を頭の中で始めてしまい、俺は自嘲した。
何がチョコレートだ、バレンタインデーだ。
しかも逆チョコ?馬鹿らしい。
チョコレートをひとつでも多く売りたい会社の考えそうなことだ。
何をいちいち気にしているんだ、俺は。
さっさと帰ろうと俺は席を立った。
スザクはといえばチョコレートをくれた女子に、会長に渡した物と同じチョコレートの箱を差し出している。
ふと、スザクと目があった。
俺が目を逸らす前に、スザクの手が動く。
襟を引っ張る、サイン。
屋上で待ってろということらしい。
知ったことか、お前は適当にチョコレートをくれた誰かと帰ればいいだろう。
そう言ってやろうかと思ったが、不意に朝の会長の言葉が頭をよぎった。
そうだ、どうせならナナリーの分のチョコレートだけ受け取って帰ろう。
スザクからだと言えばナナリーは喜ぶだろうし。
俺はそう考え直し、屋上への階段を上った。



「で、何の用だ?」

待つこと数分、漸く現れたスザクに早速俺は問う。

「用って言うほどのことじゃないんだけど」
「ならいいだろう、さっさとチョコレートを渡したらどうだ」

俺が軽く手を動かすと、スザクが「え?」と首を傾げた。

「チョコレート。ナナリーの分くらい、残ってるだろう?」
「あ……うん、まぁ」

スザクが俺にチョコレートを手渡す。
俺は奪うようにそれを受け取り、踵を返した。

「ルルーシュ?」

スザクが俺を呼ぶが、俺は無視して足を進める。
俺は何を拗ねているんだろうか。
馬鹿馬鹿しい。

「もしかして、僕のこと避けてる?」
「…………」

いつもとは違う冷たい声が背後から聞こえ、思わず俺は足を止めた。
避けてるだと?
何を言ってるんだ、それはお前の方じゃないか。

「もしかしなくても、避けてるよね?
どうして?僕が何かした?」

コツコツと足音が近付く。
スザクがゆっくりとこちらへ歩いて来る音だ。

「ねえ、ルルーシュってば」

足音は俺の真後ろで止まった。
スザクは、少しの間そのまま黙っていた。
俺も何を言っていいのか分からず、しばし沈黙が訪れた。

「僕、今日はずっと君から――」

先に口を開いたのはスザクだった。
同時に、スザクの腕が俺へと伸びる。
俺の腕を掴もうとするその手をとっさに振り払い、俺は叫んだ。

「何の話だ!お前はさっさとチョコレートをくれた誰かと――」

チョコレートをくれた誰かと帰ればいいだろう!
そう言い切る前に、ぐっと手首を掴まれた。
手首に食い込む指に、思わず顔をしかめる。
なにそれ、とスザクが呟いたのが分かった。
その言葉に一瞬怯んだが、俺は首を振って言葉を続けた。

「……朝も随分楽しそうだったじゃないか。
会長でもシャーリーでも誰でも好きにすればいい」

分かったらさっさと離せ。
そう言って振り解こうと手を振るが、スザクの力はますます強くなるばかりだった。
悪いのはお前じゃないかと苛立ち、俺はもう片方の手で殴ってやろうかとスザクの方へ身体を向けた。
が、その瞬間、不意にスザクの力が少し緩んだ。
何事かと顔を上げると、思ったより至近距離で視線がぶつかった。
反射的に視線を外した俺とは対照的に、スザクは俺の顔をじっと見ている。
目を丸くしているところを見ると、怒っているという様子ではない。

「あのさ、もしかして……妬いてる?」

……今、こいつはなんと言った?
妬いてる?

「僕が会長達にチョコ配ったり、他の女の子にチョコ貰ったりしてたから……」

妬いてる、とはつまり。
スザクが俺に構わず他の誰かと仲良くしていたから嫉妬している、と?

「だ、誰が妬くかっ!」

俺は渾身の力をこめて手を振り解こうとするが、びくともしない。
くそ、馬鹿力め!

「休み時間になって僕が話しかけようとしても、僕が女の子に声かけられたらどっか行くしさ。
さっきも僕を無視して帰ろうとしてたし……」
「それは……」

別に、妬いてた訳じゃない。
タイミングが悪かったんだ、それだけだ。
俺は再び頭の中で言い訳した。

「僕、ずっと君がチョコレートくれるの待ってたんだけど」

うつむいて誰にともなく言い訳している俺に、不満そうな声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、スザクはふてくされたような顔をしている。

「今年はこっちからあげるのも流行ってるみたいだから交換しようと思ってたのに……」
「ち、ちょっと待て!お前が俺を避けてたんだろう!」

そうだ、朝も俺を無視したのはスザクの方だ。
先に避けたのはお前じゃないか。
スザクはそんなことを言われるとは思いもよらなかったらしい。
驚いたような、少し怒ったような顔をしている。

「僕が君を避けるわけないだろ!?」

確かに。
俺は思わず納得した。
言われてみれば、そうだ。
滅多なことがない限り、こいつが俺を避けるようなことはない。
ということは……。

「なら、お互いにただの勘違いか……」

俺はスザクを避けていないし、スザクも俺を避けていたわけではない。
つまり、今日俺が悩んだのはすべて杞憂だったということになる。
俺もこの行事に踊らされた一人、ということか。

「で、くれる?チョコ」

勘違いだと分かった今、それを断る理由はどこにもない。
しかし、どうしてこいつは恥ずかしげもなくこんなことを言えるのだろう。
俺にはどうしたって真似出来ない芸当だ。

「……チョコレートケーキなら用意してある」

俺は恥ずかしさを誤魔化すように早口で言った。
スザクと、ナナリーの分。
味は悪くないはずだ。

「よかった、今から食べに行っていいかな!」

俺に何か言う隙も与えず、スザクが俺の腕をぶんぶん振った。
ケーキと言ってもたいした物じゃない。
ここまで嬉しそうな反応をされるとこっちが恐縮してしまう。

「ああ、その方がナナリーも喜ぶだろう」

俺はさっき預かったナナリーの分のチョコレートをスザクに返した。
直接スザクから貰った方が喜んでくれるに違いないからだ。
スザクはチョコレートをしまう代わりに、今までと違う箱を取り出して言った。

「はい、君の分」

今までのチョコレートよりも、ますます高価そうな箱。
ここまで見事に製菓会社の罠にはまるとは。
俺はあまりのお人好しぶりに頭が痛くなった。

「それはいいが、そろそろ離したらどうだ」

とにかく、くれると言うからには有り難く頂戴しよう。
箱を鞄に入れようとして、気が付いた。
腕はまだスザクが掴んでいる。

「あはは、ごめんごめん」

スザクが笑って謝るが、手を離す気配はない。
それどころかその手はゆっくりと腕を伝い、俺の手を握った。

「おい、どういうつもりだ」

眉をひそめてみるが、スザクの笑顔はまったく揺るがない。

「どうって……駄目かな?」

バレンタインだし。
そう言って笑うスザクを見て、俺は思わず頭を押さえた。
何がバレンタインだ。
ただの陰謀だ。
それにこうも簡単にひっかかるとは、こいつはどこまで単純馬鹿なんだ。
馬鹿には馬鹿なりの限度があるだろう。
キラキラと目を輝かせているスザクを見て、俺は盛大に溜め息を吐いた。

「……クラブハウスの誰も見てない場所ならいいぞ」



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