ハロー、ハロー、ねえ、聞こえてる?



アローンアゲイン、ワンダフルワールド



毎日、暇を見つけては高い場所へと行くのが僕の日課だった。
君の居る場所へ、少しでも近付きたかったから。

カツン、カツン。

階段を未だ履き慣れない靴が叩く。
やはりこの衣装は彼にこそ相応しいものだ、と感じた。
彼はいつからこうすることを考えていたのだろう。
ふと、いつか彼がユフィのことについて何も弁解しなかった時のことを思い出した。
もしかすると、形はどうであれ、始めから僕に殺させるつもりだったのかもしれない。
いつだって彼は自分勝手だった。
それに頼んでもいないのに余計なお世話を焼きすぎる。
そこがいいところでもあったのだけれど。
溜め息を吐きながら、僕は屋上へと続く扉のドアノブを回した。
屋上から吹き込む風がマントを揺らした。

「誰もいない、か」

ここの管理をしているのはナナリーなので誰もいなくて当然だ。
しかし、一応、念の為に僕は周囲を見渡すようにしている。
広い屋上には先日の雨で出来た水溜り以外には、何もない。
そのことを確認し、僕は仮面を脱ぎ捨てた。
水溜りに映った僕の顔には、何の感情も無かった。
ただ、僅かに疲れの溜まったような顔をしている。
酷い顔だ。
ろくに睡眠も取らず、悲しみを忘れる為に仕事に打ち込んできた結果だろう。
感覚という感覚が麻痺して、もう喜びも哀しみも感じない。
あるのは、ただ、君に逢いたい、それだけ。
彼と過ごした楽しかった日々も、
彼と憎み合い、哀しんだ日々も、
もう何も思い出せない、考えたくもない。
それくらい、今の僕は衰弱しきっていた。
それでも、だからこそ、仮面があるのは幸いだったのかもしれない。
頬を伝う涙も、この仮面が隠してくれる。
彼もそうだったのだろうか。
この仮面の向こうで、泣いていたのだろうか。
そうかもしれない。
優しい彼のことだ、きっとそうだ。

「だけど、君と僕は違うよ」

君には涙を拭う手があった。
たとえその手を血に染めていても、代わりに涙を拭ってくれる人間が君の周りにはいた。
僕の手は君の血で真っ赤に染まっていて、涙を拭うことなんて出来そうもない。
そして、僕には涙を拭ってくれる人間は誰もいない。
誰もいなくなってしまった。
君と僕、いつまでも二人で涙を拭い合うことが出来たなら、どんなに幸せだっただろう。
どうしてもっと早く僕が彼の涙を止めてやれなかったんだろう。
どうして僕は……。

「――もう一度だけでいいんだ」

僕は空へと手を伸ばした。

「君に逢いたい。
そして、君の涙を拭ってあげたい」

返事は無い。
僕の手は虚空を彷徨うばかりだった。

「ねえ」

ざあっと風が吹き、マントを煽っていく。

「もう一度だけ」

ハロー、ハロー。

「ねえ」

聞こえますか。

「お願いだから」

聞こえていれば、どうか返事を。

「ルル――」

いつまでも返事は無かった。
ただ、僕の声だけが風の中に消えていった。

「うわぁあああ――っ!!」

ああ、だから思い出したくなかったんだ。
ルルーシュ、僕は君が思っているほど強くなかったんだ。
君の予想の範囲なんて簡単に超えるくらい、弱かったんだ。
だって、名前を呼ぶだけで、涙が溢れて止まらなくなるのだから。

「どうして、どうしてっ……!」

僕は屋上のフェンスを叩いた。
力の限り何度も、何度も。

「どうして君が、死ななければならなかったんだ!!」

ガシャン、とフェンスが一際大きな音を立てた。
気がつくと殴っていた右手の感覚はもう、ほとんど無くなっていた。

「どうして……」

フェンスを掴んでいた左手が、力なく地面に落ちた。
それを追うように、右手もだらりと垂れ下がる。
どうして君は死んでしまったんだろう。
どうして僕は生きてしまったんだろう。
それだけがぐるぐると頭の中を廻っていた。
流れた涙が屋上に、小さな水溜りを新しく作っている。
涙が枯れるなんて嘘だ、と思った。
僕の頬を伝う涙はいつまでも止まる気配が無い。
さっさと枯れてしまえばいい。
まだ仕事がたくさんあるんだ。
そうだ。
それにそろそろ仕事に戻らなければ、ナナリーが心配する。
仮面を被り直そうと、僕は顔を上げた。
その時だった。

「久しぶりに見たかと思えば、随分酷い顔だな」

懐かしい声が降ってきたのは。

「その調子で、本当にゼロとしてやってるんだろうな?」

その声の主を、僕が間違えるはずがない。
君は、僕のところにやってきてくれたんだね。

「まったくこれじゃあ、何の為にお前にこの世界のことを頼んだんだか――」

その言葉に、僕は笑った。
声の主は「何がおかしいんだ?」と訝しげに言う。
やっぱり君は、変わっていないんだね。

「君のいない世界になんて、僕は意味を見出せないよ」

僕が振り向くと、案の定、彼は困ったような顔をしていた。
だけど僕はお構いなしに続ける。

「やっと分かったんだよ。
僕にとっての『本当』は、君だけだったんだ。
君がいない世界は有って無いようなものだ。
君はナナリーの為に生きていたんだろう?
同じように、僕は君の為に生きていた。
だから――」
「スザク」

僕の言葉を遮り、彼は笑った。
とても哀しそうに笑った。

「分かった」

その言葉の意味を問う前に、ふわりと彼の細い身体が浮き上がった。
斜め上空に浮かんだ身体に、僕はゆっくりと手を伸ばす。

「もういいんだ。
一緒にいこう、スザク」

ルルーシュも、同じように手を伸ばしてきた。
不安定に浮かぶ彼の手を、僕はしっかりと握り締める。
ぽた、と冷たい雫が降り、僕の涙と交じり合って、水溜りへ落ちた。

「――ははっ、なーんだ」

頬を次から次へと涙が伝う。
これは僕の涙なのか、それとも彼の涙なのか、もう分からない。

「君も、僕がいない間は随分酷い顔をしてたんじゃないか」

ギアスのせいとは違う、真っ赤になった目。
そのことを指摘すると、ルルーシュは照れたように笑った。

「毎日お前の五月蝿い声が聞こえたからな」

――ああ、よかった。
僕の声は届いていたんだ。
だから、君は来てくれたんだね。

「これからは、お互いそんな顔しなくて済むよ」

君と一緒なら、そこが僕の居るべき世界。
それは、なんて素晴らしい世界だろう。
彼につられたのか、僕の身体もゆっくりと浮き上がる。
僕は笑った。
ルルーシュも笑った。
刹那、世界が反転した。
まるで映画のフィルムを見るように、ゆっくりと僕の身体は地面へ向かっていく。
涙が上へ上へと流れていくのが何故かおかしい。
僕はどうなってしまったんだろう。
分からない。
確かなのは、この手の温もり。
君が共にいるということ。
握った手から伝わる彼の体温を感じながら、僕は呟いた。
ハロー、ハロー、何処かにいる君と僕、ワンダフルワールド――。



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