「やあ、また君か」

インターホンがあるのにわざわざノックを行う徹底した呼び掛けに応じれば、さっきまで扉を叩いていた手をすっぽりポケットに隠して、少年が微笑みを浮かべながら立っていた。

「こんにちは、臨也さん」
「飽きないね、君も。
毎日毎日俺なんかのところに来て楽しい?
特に何か見つけた訳でも無いんだろう?
……それとも学生さんだから暇なのかな。
転校してきてしばらく経つけど未だに友達がいないとか?」

少年は挨拶をしたきり、俺の言葉にもただただ微笑んでいる。
人懐っこい、嫌悪感を感じる人間は存在しないであろう微笑み。
これはもう、一種の才能とさえ言える。
なんといっても、この人間は、あの化け物のシズちゃんでさえ懐柔し、先輩後輩の当たり前のような異常な関係を築き上げたのだ。
内面はむしろ、あの化け物が毛嫌いしている俺に近い、というのに。
ちらりと少年の方を見れば、クエスチョンマークを浮かべながら大きな目で不思議そうに俺を見ていた。
何も知らない人間ならば簡単に騙されてしまうだろう。
見抜けたのは、多分、俺が同類だったからだ。

「まあいいや、上がりなよ、三好吉宗君」

俺の言葉に、三好吉宗はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
人懐っこい、無邪気な、子供っぽい笑顔だった。



三好吉宗はいつも通りソファーに腰掛け、俺の出したティーカップに息を吹きかけている。
常に微笑みを絶やさない彼だが、今日はそれがいつも以上のもので、なんだか機嫌が良さそうだ。

「何かいいことでもあったの?
俺にもお裾分けしてくれないかなあ」

人間、気分がいい時は普段言わないこともポロッと言ってしまうものだ。
何か弱みを握れそうな発言でも出やしないかと、俺は向かいに座って適当に話題を振った。
三好吉宗は何も言わない。

「…………」

大抵の場合、こう聞かれれば饒舌になるものだと思ったが、彼は違うらしい。
三好吉宗は一度カップをソーサーに置き、肩を震わせ始めた。
笑っているようだ。
何がそんなにおかしいんだろう。

「っあははは!」

ねえ、と言いかけたところで三好吉宗はついに腹を抱えて笑い出した。
基本的に無口な彼が爆笑することはあまり無い。
何か変なことを言っただろうか。
特に思い当たるところは無いけれど、念の為にここ最近の自分の行動を振り返ってみることにする。
なにせ三好吉宗という人間は神出鬼没で、どこで俺の姿を見ているか分からないからだ。
もしかすると、どこかでマズい取引を見られていたり、弱みを握られている可能性もある。

「これ」

俺の心配をよそに、三好吉宗は飲みかけのティーカップを指差した。
いくらなんでも、それだけで理解出来るような超能力は持ち合わせていない。
そんな俺の視線も三好吉宗は一笑し、どこか勝ち誇ったように言葉を続けた。

「最初からミルクが入ってるんですよ。
それで、臨也さんが、わざわざ僕の好みを覚えてくれたんだなぁ、って」

俺はその言葉に、眉をひそめた。
三好吉宗は俺にとって、愛すべき観察対象であると同時に、危険な存在だ。
どこにでも溶け込んでしまうダラーズに似た性質の彼が、いつの間にか自分の敵になっている可能性もある。
良い意味でも悪い意味でも、三好吉宗は注目していなければならない人間だ。

「当たり前だよ。
君は毎日のようにここに来てるし、俺の大事な取引相手だ。
機嫌を損ねるようなことはしないよ」

だからこそ、俺は彼の情報を些細なことでも集めている。
例えそれが、こんな嗜好品に関することでも。
何がきっかけで彼が完全に敵側につかないとも限らない。

「ましてや俺は情報屋だよ?
どんな小さな情報でも、それが命に関わる可能性もあるからね」

俺が大袈裟に手を広げて見せると、三好吉宗は首をすくめて、それはどうも、と言った。
少し表情が曇った気がする。
興味深い反応だ。

「うん?
もしかして何か期待したのかな。
もっと別の答えとか」
「まさか。
僕なんかのことまで覚えなきゃ生きていけない臨也さんに同情しただけです」

三好吉宗はもう、いつもの微笑みを浮かべてカップを口に運んでいた。
彼の無口はこの毒舌を隠す為じゃないかと疑うほど、スラスラと辛辣な言葉が出てくる。
それがまた三好吉宗という人間の面白いところだ。
もっととんでもないことを言い出したりしないだろうか。
そっちの方が楽しめる。

「どうかな、何か隠してるみたいだけど。
素直に言ってごらんよ」

俺が頬杖をついて意地悪く催促すると、三好吉宗は少し眉尻を下げて困ったような顔をした。

「言わなきゃいけませんか?」
「無理にとは言わないけど、出来れば聞いてみたいなあ」

俺の言葉に、三好吉宗はますます情けない顔になってしまった。
これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
実に愉快だ。
さあ早く言ってよ、と催促すると、三好吉宗は深刻な顔で俺の目を真っ直ぐに見て言った。

「じゃあ言いますけど……お察しの通り、臨也さんが僕の好みを覚えてくれてたのが嬉しかったからですよ。
何故か分かります?」
「君の口から聞きたいな」

…………。
これはこれは、面白い台詞が聞けそうだ。
俺はニヤリと笑って、三好吉宗を見つめ返す。
その視線を受けてか三好吉宗はすうっと息を吸うと、ゆっくり口を開いた。

「実は、僕は、臨也さんのことが、好きなんです。
――って言うと思いました?」

三好吉宗はわざとらしくゆっくりと、微笑みを浮かべながら言った。
どことなく、その微笑みは嘲笑に近い。

「昨日入ってなかったミルクが今日はきちんと入れられてたことに、学習能力というか、なんというか……。
そういう変化をリアルタイムで見られたからですよ。
それに、昨日と今日の間に臨也さんが何を考えてミルクを入れる結論に至ったのか。
それを想像したらなんだか可笑しくて」

俺は思わず笑った。
やっぱりこの子は他の人間とは違う。
いつもいつも予想の斜め上の返答をする。
いいね、やっぱり君、面白いよ。
俺が呟くと、三好吉宗は俺と同じように頬杖をついてにっこりと笑った。

「まあ、臨也さんのことは好きですけどね。
僕と考え方が似てるし、話していて楽しいから。
そこは嘘じゃないですよ」
「それは有り難いね。
俺も君のことは結構気に入ってるよ」

そう言って俺と三好吉宗は同時に笑った。
お互い、言葉の裏側は同じだ。
そういう意味では、俺は愛する人間達の中でも、特に三好吉宗を愛していると言えるだろう。
だって、こんなにも面白い人間は他にはいないんだから。
そして多分、向こうも同じことを思っている。

「なんだ、両想いですね」

三好吉宗はけろりとした顔で、そんな一見恥ずかしい台詞を吐きながらカップの中身を飲み干した。
外は既に暗くなっている。
思ったより長話をしていたらしい。
彼は制服だし、早く帰った方が良さそうだ。
俺が提案すると、三好吉宗はこくりと頷いて立ち上がった。

「あ、そうだ、臨也さん」

扉に手を伸ばしかけたところで、三好吉宗はくるりと振り向いた。
何か言い忘れたことでもあったのだろうか。

「何?」

と、俺は聞き返した。
聞き返したつもりだった。
しかし俺が口を開くより、彼の行動のほうが早かったようだ。
一瞬何が起こったのか分からず、突然のことに思わず目を白黒させていると、驚くほど近い距離で、爪先立ちの三好吉宗が笑っているのに気付いた。
ほんの一瞬触れたものがなんだったのかを考えるには十分すぎる情報だ。

「臨也さんこそ、こういう答えを期待してたみたいだったので」

三好吉宗はほんの少し首を傾げて、悪びれもせずにそう言った。
なんだそれは。
その言葉が出る寸前で、先程の会話が浮かんできた。
どうやら根に持っていたようだ。

「……それはそれは、とんだ迷推理だね」

俺はなんとかそれだけ言った。
悔しいことに、上手く言葉が出てこない。
それくらい三好吉宗が、想定外の突飛な行動を取る人間だということだ。
ますます興味が湧くと同時に、警戒心も強くなる。

「じゃあ、明日もミルク入り、期待してますね」

そんなふうに俺が考えを巡らせていることなどお構いなしに、三好吉宗はヘラリと笑った。
俺は出掛かった舌打ちをこらえて、肩をすくめる。

「さあ、どうかな。
そんな些細なことは忘れてるかもね」
「臨也さんが自分から生命線を捨てるなんて考えられない。
明日出てきたのがミルク無しなら、僕の反応を観察する為だとしか」

やはり、鋭い。
こんなふうにニコニコ笑っていても、やっぱり油断出来ない。
油断すれば、その瞬間に相手の駒になってしまう。

「でも、臨也さんも、たまには人並みの反応をするんですね。
なかなか面白かったですよ」

そう言ってほんの少し嘲笑ったかと思えば、すぐにそれは消えてしまう。
こうやって三好吉宗は様々な人間を懐柔してきたんだろう。
俺は何も答えなかった。
代わりに、少し自嘲を込めて笑う。
彼はそれに気付いたのか、例の人懐っこい笑顔を浮かべて言った。

「ご馳走様でした、色々と」



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