さて、どうしたものか。
 三好吉宗は丸い目だけを動かして、自分の状況を確認した。
 身動きは取れない。何かに手足をくくりつけられているらしい。背中をふわりと包み込む柔らかい物はベッドだろう。つまり自分はベッドの上に、まるで昆虫の標本のように縫い止められているらしいのだ。
 しかし三好は声を上げたり、暴れたりはしなかった。すぐ傍らでよく知る人物が自分を見下ろしていたからだ。
 ――折原、臨也。
 三好は心の中で名前を呼び、その男へと視線を移した。
「やあ、おはよう」
 男の向こうに見える外の様子から、今が夜であることが窺えた。三好は夕方頃に臨也のもとを訪ねたことを思い出す。それからあまり時間は経っていないようだ。
 周りに人の気配は無い。自分が元居た場所から考えても、ここがまだ臨也の家であることは間違い無かった。
「ちょっと君に用があってね、悪いけど一服盛らせてもらったよ。ちなみにご両親には連絡済みだから安心してここにいていいよ」
 聞いてもいないのに、臨也は勝手に説明した。
 これは普通に犯罪ではないのだろうかと三好は思ったが、どう反応すればいいのか判断に困った。あまりにも臨也が悪びれずに言ったからだ。おそらく出された紅茶に薬が入っていたのだろう。見抜けず飲んで眠りこけた自分が悪いのでは、と思ってしまうくらい、臨也の口調は自然だった。
「……何が目的ですか?」
 三好はこの状況になってから初めて口を開いた。臨也を咎めるのではなく、意味が分からないという声色。
 監禁まがいのこの状況で、犯人である自分を睨みもしない三好に、臨也は逆に興味をしめす。
「さあ、何だと思う? 当ててごらんよ、名探偵さん」
 そう言って臨也は子供のような笑みを浮かべた。臨也は愉しげな表情で三好を観察している。
 三好はその視線を出来るだけ意識の外に追いやりながら、状況把握に努めた。首を少し動かすと、嫌でも目に入る『それ』の意味を理解しようと必死に。
「これ?」
 そんな三好を愉悦の目で見ながら、臨也は床に並ぶ『それ』の一つを手に取った。
「これはなんの変哲も無い、ただの水だよ」
 『それ』――二リットルのペットボトルの中身が、とぷんと音を立てて揺れる。臨也曰わく、ただの水。それは三好にも分かる。
 ただ、問題はそれが十数本、ずらりと床に並べられていることだ。
 三好の脳裏を、ふと不吉な予感がよぎる。それはどんどん膨らみ、嫌な汗が頬を伝った。その様子を臨也が笑みを浮かべて観察している。
「水責めには二種類あってね。沈めるのと、飲ませるのなんだけど」
 それはまるで幼稚園児を相手に何かを説明してやるような、そんな柔らかい口調だった。口調だけではなく、表情も、眼差しも、すべてが慈悲に満ちている。
「…………っ」
 それが逆に、三好の恐怖心を煽った。先程の予感は当たってしまったようだ。汗がどっと噴き出す。
「水っていうのはさ。この世で最も手軽に手に入る最凶の凶器で、しかも犯罪者製造機なんだよ。だって犯罪者の100%が水を飲んだことがあるんだから。怖いよね。早く取り締まるべきだよね」
 そんなふざけたことを言いながら、臨也はペットボトルの蓋を開けた。
 臨也が本気らしいことを悟った三好は、キッと臨也を睨んだ。降伏する意思の無いことを強く表明するかのように。
「泣いて『助けて下さい』ってお願いすれば、やめてあげなくもないよ?」
「……臨也さんは、僕を殺す気なんですか」
 三好は臨也の甘い誘惑にも聞く耳を持たず、淡々と問うた。泣いて謝ったところで解放される保証は無い。ならば出来る限り抵抗してやろう、というのだろう。
「まさか! 俺が大好きな人間を殺すわけないだろう? 君ほど面白い観察対象も滅多にいないし。俺は君が苦しんで泣いて謝るところをちょっと見てみたいだけだよ?」
 まったく悪びれず、臨也はけろりと言ってのけた。
 そこまでは、実は三好も予想していた。ただ確証が無かっただけだ。しかしそれも手に入った今、三好は安心してこの状況に甘んじることが出来る。
「そこにある水の量なら気を付けないと、僕は水中毒を起こして死ぬかもしれない。そうでなくても人間の胃は水を吸収出来ないから、その前に胃が破裂して死ぬかもしれないし、休む間無く飲ませれば気管に入って溺死するかもしれない。……とにかく気を付けてくれないと、僕は死にます」
 三好は珍しく饒舌に喋った。殺さないと臨也は言ったが、それに限り無く近いことをされるのだから事故が起きる可能性もある。念には念を入れての、三好なりの命乞いだった。
 三好がそんなことを言い出すとは思わなかったのだろう。臨也は可笑しくてたまらないというふうに笑った。
「へえ……お利口さんだね。俺の助手にしてあげてもいいよ」
「死んでも嫌です」
 顔を歪める三好に、臨也は再び笑った。今までとは違う、悪魔のような背筋を凍らせる笑みで。
「とりあえず二本くらいいってみようか、三好君」
 あくまでも強気な態度を崩さない三好に馬乗りになり、臨也は機嫌の良さそうな声で告げた。
「いつでもどうぞ」
 死刑宣告に似たそれに、三好はにっこりと笑顔を返してみせる。



「っぐ、げほっ!」
 背中を叩かれ、三好は口から大量の水を吐き出した。本当にこんなに飲んだのかと、三好自身が驚く程の量だ。
「う、えぇ……」
 びしゃびしゃと口から溢れた水がシーツに水溜まりを作る。どこか他人事のように、三好は『ベッドがこうなったらどこで寝るんだろう』と臨也が床で寝るところを想像した。
「アハハハハ!」
 肩で息をする三好を見て、臨也は狂ったように笑っている。笑いながら、次のペットボトルに手を伸ばそうとする。
「あれ」
 しかしそこには空のペットボトルが転がっているばかりだ。どうやらすべて使ってしまったらしい。飲ませるばかりでなく、意識を失った三好を起こすのに使用したせいだろうか。
「もう終わりか。つまらない」
「ぐっ!? うぅ……」
 最後に臨也は、強めの力で三好の腹を殴った。三好の口から胃に残っていた水が溢れ、目にじわりと涙が浮かぶ。手足を縛られたまま身を捩る三好は芋虫のように無様で、臨也は嘲るように鼻を鳴らした。
「そうそう、最初っからそういう顔をしておけば良かったんだよ。俺は君のそういう顔が見たかったんだから」
「…………っ」
 三好は徐々に遠ざかる意識の中、最後の力で臨也を睨んだ。射殺そうとするような目。
「へえ、まだそんな目が出来るとは思わなかったよ」
「…………」
 臨也がそれに反応したと同時に、三好は意識を手放していた。最後まで結局、三好の意志は折れなかったことになる。
「……どんどん感化されてきてるね。今の目なんて、あの化け物そのものだ」
 臨也は溜め息を吐き出し、ぐったりとしている三好の手足を自由にしてやった。反応は無い。生きてはいるようなのでまあいいか、と臨也は気にも留めなかった。
 ここのところ、三好は静雄になついている。静雄の方もやっと出来た後輩ということで、可愛がっているようだ。そして静雄は、臨也には近寄るな、と三好に言い続けているらしい。
 臨也は薄ら笑いを浮かべ、三好の涙を指で掬う。
「君は俺の愛してやまない人間の一人なんだから、シズちゃんなんかには渡さないよ」
 そしてそれをぺろりと舐め、悪魔じみた笑みを更に深くするのだった。



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