◇◆



「ヨシヨシ! どうしたんだよそれ!」
 三好が学校に到着するなり、隣のクラスのはずの正臣が飛んできた。どうやら先に学校に来ていた杏里が怪我のことを既に話していたらしい。幸い、何故怪我をしたのかというところまでは話していないようだ。
「今度は階段の一段目で転んだ? ……お前運良いのか悪いのか分かんないなあ」
 三好が予め用意していた答えを返すと、正臣は呆れたように頭をかいた。以前にも階段の踊場で転んだ、というとんちんかんな言い訳をしている。正臣が呆れるのも当然だろう。
 ――さすがに無理があったかな……。
「うん、そうだな……。運、うーん……」
 実はバレているんじゃないか、と三好は正臣の顔色を窺う。正臣は顎に手をやり、何かを考えているようだ。
「――よし!」
 三好が声をかけようとした瞬間、いきなり正臣がグッと拳を握ってガッツポーズを作った。そして腕を大袈裟に広げるなり力説を始める。
「いいかー、ヨシヨシ。お前に健康運が無いならやるべきことはただ一つ。健康の女神様を振り向かせることだ。つーまーりナンパだ。よーし行け、ヨシヨシ! 健康運を女神様ごとゲットして来るんだッ!」
「はいはい。今から授業だから、ナンパは今度にね」
 高々と叫んだ正臣を帝人が押しのける。冷たすぎる反応は気心の知れた友人だからこそだ。正臣もそんなことはとっくに分かっているので、わざとらしくなだめるように掌を前に出して言った。
「まあまあ、最後まで聞けって。ヨシヨシが健康の女神様をナンパする。んで俺達に紹介してもらう。これで俺達も無病息災間違いナシ! ついでに俺に一目惚れした女神様とラブロマンスなんかが始まっちゃったりなんかしちゃったりして……! どうよこの完璧な計画!」
「はい三好君、これ休んでた間のプリント。僕のでよければノートも貸すからね」
「ありがとう」
 正臣の話を完全にスルーし、帝人はにっこりと笑った。三好も笑いをこらえながらプリントの束を受け取る。
 無視された正臣からガーンという効果音が聞こえそうだ。三好がそう思ったと同時に、正臣が口で言った。
「三好君、具合はどうですか」
 明るく迎えてくれた二人とは対照的に、杏里は心配そうな表情を浮かべている。三好の怪我の理由を知る一人だからだろう。
「園原さん、ごめん。いろいろ迷惑かけて……」
「いえ、迷惑だなんてそんな。私は何もしてませんし……何も出来なかったから……」
「そんなことないよ。園原さんがあの時、僕を見つけてくれたんだから」
「なになに、ヨシヨシ。ちゃっかり抜け駆けして杏里と会話するとは、命が惜しく無いんだな? 帝人大魔神のローキックが顔面に炸裂しても、俺は知らないぜー?」
 でも、と言いかけた杏里を遮り、くだけた口調の正臣が割って入った。二人の間の重苦しくなった空気を何とかしようとしてくれたらしい。帝人も正臣に呆れ果てたような素振りを見せながら、二人を気遣うように会話に入った。
「ローキックで顔面って……」
「だーかーらっ! 帝人が大魔神に変身して、身長が三倍くらいになるんだよ! そしたらローキックでヨシヨシの頭が吹っ飛ぶだろ? だろ?」
「三好君の前に正臣の頭が吹っ飛ぶと思うよ」
「おいおい、俺の頭が吹っ飛んだら何人の女性が悲しむと思ってんの? 間違いなく世界遺産レベルの喪失だぞ? そうなったらもう俺の進路は首無しライダーしか残ってな……いや、それはそれで池袋中の女性の注目の的か?」
 そんないつも通りの掛け合いに、クスリと杏里が笑った。ずっと三好に心配そうな表情を向けていたので、彼女の笑顔を見るのは久しぶりだ。
 よしウケた、と正臣が大層なガッツポーズをする。帝人も杏里の笑顔に悪い気はしないのか、照れたように笑った。
 ――こういう日常も悪くはないな。
 三好もつられて笑いながらそんなことを思った。こうして友人達と年相応にはしゃぐのは、人間を観察するのとは別の楽しさがある。こういうことを、青春を謳歌する、というのだろうか。
「そうそう、キックで思い出した! ヨシヨシ休んでたから知らないよな」
 突然正臣が思い出したように三好に向き直る。欠席している間に何かあったのか。首を傾げた三好に、正臣は身振り手振りを交えて説明した。
「帰り道を一人で歩いてたら、八頭身で筋肉ムキムキで百メートルを三秒で走る河童がいきなり殴りかかってくるって噂があるんだよ! なんでも見た奴がいるとか、怪我人が出たとか……」
 三好は思わず顔をひきつらせた。現実になった虚構はとんでもない方向に独り歩きしているようだ。最初の話の面影はまるで無く、自分を殴った存在も消えてしまっている。
 ――まあ、それはそれで面白いか……。
 三好は正臣の言う「河童」の姿を想像してみた。しかしベースを臨也にしたのが間違いだったのだろう。ただの訳の分からない生物が誕生し、三好は苦笑いを浮かべた。



◇◆



「――それはまた、聞いた噂と随分違うっすね」
「だよねー。私達が聞いたのなんか、ツインテールの美少女って話だもんね」
 学校帰りに本屋に向かった三好は、そこで遊馬崎と狩沢に遭遇した。
この二人ならば例の噂について知っているだろうと思い、試しに聞いてみたところ、やはり噂は独り歩きしているようだ。一体どこがこのふざけた噂の出所なのだろうか、と三好は首を捻る。さすがに、試しに臨也にツインテールをつけてみるほど馬鹿ではない。
「いやいやいや、八頭身ガチムチツインテールの美少女かもしれないっすよ」
「それはちょっと斬新すぎるでしょ」
 二人は腕組みをし、河童の姿を思い浮かべているらしい。真剣そのものな遊馬崎に対し、狩沢は軽く引いたようなリアクションを返す。
 遊馬崎の発言で想像するのもおぞましい生物が生まれそうになり、三好は慌てて頭を空っぽにした。
「私はねー、スーツと眼鏡が似合う細身の黒髪クーデレ青年の方がいいなぁー」
「それなら俺は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる幼馴染みの女の子みたいな河童がいいすねぇー」
 ――それは予想じゃなくてただの希望じゃ……。
 様々な要素を挙げながら河童について語る二人に、三好は表情を強ばらせた。既にただの「どんな河童に会いたいか」になってしまっている。
 しばらく二人は一般人には分からない暗号のような会話をしていたが、突然狩沢がパンッと手を叩き、叫んだ。
「っていうか河童がどんなだったかなんてヨシプーに聞けばいいじゃん! 当事者なんだから!」
「そ、そういえば! ヨシヨシ君、我々の予想は当たってたのか教えて欲しいっす!」
 狩沢の言葉で目から鱗が落ちたように、遊馬崎も三好に詰め寄った。
 二人はダラーズであり、三好が一番始めに流した情報を知っている。三好は知らないが、セルティから三好の話した内容を聞いている。だからこそ余計に噂と比較して気になるのだろう。
「そうですね……」
 どう答えておくべきか。三好は少し思案した。しかし二人の興味は河童そのものに対してで、その正体ではない。ならば多少は構わないだろう。三好は頷き、狩沢の方を見た。
「どちらかというと、狩沢さんの予想に近いと思います」
 その言葉を聞いた瞬間、狩沢が謎の奇声を発した。そして興奮した様子で三好の手をガッと掴む。何かの地雷を踏んでしまったようだ。三好は思わず後ろに一歩下がった。
「ヨシっち、もっとkwsk(くわしく)お願い! 身長とか外見とか!」
 狩沢の目が爛々としているのは気のせいだろうか。三好はたじろぎながらも、それなりに正直に答えた。
「外見は大体狩沢さんが言った感じで、身長はー……僕より少しだけ高いくらいかな」
「ふんふん……なるほどなるほど。性格は?」
「狩沢さんッ! そのメモ何に使う気なんすか!」
 いつの間に取り出したのか、狩沢は真剣にメモをとっている。使い道には触れない方がいいだろう、と三好は判断した。
「性格……うーん、うざ……いや」
 言いかけて、三好はふと首を傾げた。いくつか思うところがあったからだ。どうもしっくりくる言葉が見つからない。三好はそのまま少し考え、ぱっと満面の笑顔を浮かべて言った。
「――ツンデレですね、あれは」
「ツンデレ!」
「ツンデレすか!?」
 すぐさま二人が食いつく。狩沢は心底嬉しそうに、遊馬崎は信じられないといった顔で。
 狩沢はメモ帳に「ツンデレ」と大きく書いて丸をつけた。そして妙に生き生きとした表情でメモ帳を閉じる。
「ごめんゆまっち、私先に帰るね! この溢れる想いをなんとかしなきゃ! 本っ……当にありがとう、ヨシプー。んじゃねー!」
 メモ帳をいそいそと鞄にしまうなり、狩沢は手を振りながら凄まじいスピードで走っていってしまった。あとに残された三好と遊馬崎は、ぽかんと口を開けたまま狩沢を見送る。
「えーと……」
「いやいやいや、ご愁傷様っす、ヨシヨシ君」
 あまりにも素早い狩沢の行動に呆気にとられている三好の肩を、遊馬崎がポンと叩いた。
 ――本当にいろんな人間がいるなぁ……。
 とっくに消えてしまった狩沢に、三好は一種の感心を覚えた。好きな物のために迷わず全力疾走出来るというのは凄いことには違いない。
「じゃ、俺はもうちょっと本を見てくるんで。ヨシヨシ君も頑張って下さいっす!」
「はぁ……」
 今日は仕事の本を探しに来たのか、遊馬崎はコミックスのコーナーとは逆の方向に歩いて行った。
 自分も河童の話をするためではなく、雑誌を買いに来たのだった。それを思い出した三好は目当てのコーナーへ移動する。探していた雑誌はすぐに見つかり、三好はパラパラとページを捲った。
 ――うーん……。
 もうすぐ発売する携帯電話の最新機種に関するレビューページで手を止め、三好は唸った。三好が以前から気になっていた機種だ。機能やスペック、長所や短所などが細かく解説されており、記者は買って損はしないと言っている。
 ――欲しいけど、結構これも気に入ってるしなぁ……。
 三好はポケットから携帯電話を取り出し、じっと見た。ガジェットマニアである三好には携帯電話ひとつにも並々ならぬこだわりがある。今使っている物も、こだわった末に選んだものだ。
 三好がじっと見つめていると、突然携帯電話が震えた。
「うわっ!?」
 狙ったかのようなタイミングのそれに、三好は思わず声をあげて驚く。周りにいた数名が迷惑そうにちらりと三好を見た。
 ――……買うのは今度にしよう。
 雑誌を元に戻し、三好はそそくさとその場を離れる。今のはメールだったので、離れなくてもよかったかもしれない。しかし一応外に出てからディスプレイを確認した。
 新着メールが一件。読むなり、三好から思わず笑顔がこぼれた。やはり外に出たのは正解だったようだ。
 それは「暇ならおつかいを頼まれて欲しい」という「河童」からのメールだった。



◇◆



「やあ、寒い中ご苦労様。まさか本当に引き受けてくれるとは思わなかったよ」
 臨也は三好の姿を見るなり、驚いたようにわざとらしくのけぞってみせた。
 三好は片方の手をいつも通りにポケットに、もう片方の手に寿司をぶら下げて立っている。露西亜寿司のものだ。
 露西亜寿司で寿司を買って来る、というのが臨也の「おつかい」の内容だった。どうせ暇だし、サイモンやデニスにも会いたかったので、三好はそれを承諾した。
「……こんなに一人で食べるんですか?」
 三好は顔をしかめ、寿司を少し持ち上げた。予め臨也が電話で注文していたらしいそれは、一人で食べきるには少し多いように感じる。ましてや臨也の細い身体に収まるとは到底思えなかった。
「いや、半分は君の分だよ。退院祝いと、渡し損ねたお見舞いも兼ねて」
 三好はぴくりと眉を動かし、臨也を見た。何を企んでいるのか探るためだ。
 その視線の意図に、臨也もすぐに気付いた。しかし敢えて訝しげな視線を無視し、三好に上がるように勧める。今日は波江はいないようだ。
 三好は当たり前のようにソファーに座った。一週間もここで暮らしていたのだから、大抵のことは決まっている。
「うん? 俺が頼んだのより随分多いみたいだけど」
 茶を出した臨也も、当たり前のように向かい側に座った。そして三好の荷物の量を見ながら、怪訝そうに言う。容器が想像していた物よりも大きかったらしい。
「実は……」
 三好は先程露西亜寿司に行った時のことを思い出してみた。
 三好の姿を見るなり、やけにニコニコと笑っていたサイモンとデニス。初めは怪我の回復を祝ってくれているからだと思ったが、どうもそれだけじゃないらしい。
 ――坊主、サービス付けとくぜ。
 ――露西亜寿司、大繁盛ヨー。毎日オ客サンイッパイ、ミヨシのオカゲ。ショーグンサマサマネー!
 一体何故、自分のおかげなのだろう。しかもサービスとやらまで付けてくれている。
「ふうん……。どうもよく分からないけど、まあサービス出来るくらい繁盛してるなら何よりじゃないかな」
「そうですね」
 三好の話を聞いた臨也はどうも納得がいかないような顔をした。しかし貰える物は貰っておけばいい。二人はそう納得し、ぱかっと蓋を開けた。
「さて、何が……」
「これは……」
 その中身に、二人は絶句した。
 半分は臨也が頼んだとおぼしき高級なネタの数々。祝い事でも無い限り、高校生には食べられないような物ばかりだ。
 そしてもう半分を占めていたのは、キュウリを巻いた寿司――所謂河童巻きだった。
 なるほどそういうことか、と二人は理解する。先に笑い出したのは三好だった。
「はい、臨也さん。好きでしょう河童巻き」
 三好は笑いをこらえながら、ひょいと摘んだ河童巻きを臨也の口元に運んだ。臨也は閉口し、溜め息を吐く。三好はまだ河童扱いを続ける気らしい。
 こんなにも愛らしい笑みなのに、裏では何かを企んでいる。まったく器用なことをする、と臨也は感心すると同時に警戒を強めた。
「はい、あーんして下さい」
 三好がにこにこしたまま、河童巻きで臨也の口をつつく。その三好の笑顔があまりにも完璧だったので、臨也はフンと鼻を鳴らした。意地でも口は開けないつもりらしい。
「…………」
 三好は大きな目で数度まばたきをした。首を傾げているところを見ると、何か考えているようだ。
「……じゃあ、キスしていいですか?」
 考えた末、微笑みを浮かべた三好の出した答えはそれだった。
 何が「じゃあ」なのかよく分からなかったので、臨也は思わず口を開いた。嫌味の一つでも言ってやろうとしたからだ。
 しかし次の瞬間、臨也は呻き声を上げることになった。その口に、三好が河童巻きを放り込んだからだ。三好はこれが狙いだったらしく腹を抱えて笑っている。
「……しょうがないなぁ、君は。よほど俺が好きらしいね」
 そんな三好を一瞥し、河童巻きを嚥下した臨也は伏し目がちに嘲笑を浮かべた。嫌味だということは当然三好も理解している。
 三好は笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭きながら、輝かんばかりの笑みで答えた。
「ええ、臨也さんも僕が好きみたいだけど」
 やけに自信に溢れた物言いに、臨也は面食らった。臨也が人間全てを愛していることを知っているとはいえ、ここまで自信を持って言い切れる人間はいないだろう。
 当たり前だよ、俺は人間全てを愛しているからね。そんないつもの返答は、三好の言葉に遮られてしまった。
「退院祝いなら、僕にお寿司を届ければいい。それをわざわざ自分のところに持って来させるなんて、臨也さんはよほど僕に会いたかったんですね」
 三好がくくくと可笑しそうに笑う。
 臨也はその言葉に、そういえばそうだ、と何故か納得してしまっていた。確かに何故自分はそうしなかったのだろう。決まっている、三好吉宗を観察するためだ。
「そこで俺の言うことを聞いてわざわざ新宿まで来る君こそ、俺に会いたかったんじゃないの?」
「どうでしょう」
 三好は口の減らない臨也に首を傾げてとぼけて見せ、自分の口に高級な寿司ネタの数々を運んだ。
「すごい美味しいです」
「高いのばかり食べてないでちゃんと河童巻きも食べなよ。三好君のせいなんだからさ」
 臨也も同じく寿司を口に運びながら、端の方に大量に残っている河童巻きを指差した。サービスとはいえ、捨てるのは勿体無い。
「――ああ、心配しないで下さい。河童はこれを食べた後でじっくり味わいますから」
 三好はじっと臨也を見据えながら、敢えて真剣な表情を浮かべて言った。
 何を勘違いしたのか、臨也が驚いたように目を見開く。
「……どうかしたんですか?」
 三好は例の人懐っこい笑みを浮かべ、臨也の顔を覗き込んだ。ほんのりと臨也の頬が赤く染まっている。彼には珍しい、初々しい反応だ。三好が一瞬、満足そうに嗤う。
「…………っ」
「あ、ワサビきつかったですか? はい、お茶」
 しかしその笑みもすぐに影を潜めた。本当に器用なことをする。
 口元を押さえて悔しげに顔を歪ませる臨也に対し、三好は明るい向日葵のような笑顔を返した。



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