!注意!
この文章が書かれたのは2011/01/09です。
alleyが発売される以前にかかれた内容です。
口調などがほぼオリジナルで書かれているため、違和感を感じる部分があると思います。
以上のことを踏まえてお読みください。










貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、ずうずうしい、うぬぼれきった、残酷な、虫のいい動物なんだろう。

(芥川龍之介「河童」より)

◇◆



「河童ですよ」
 これは私が、とある患者から聞いた話だ。
 この患者はまだ若い少年である。大きな丸い瞳が特徴的で、見る者によっては年齢以上に幼く感じるかもしれない。いつも微笑みを浮かべている、愛想のいい可愛らしい少年だ。
 彼がこの場所(仮に病院と呼ぶ)に運ばれて来たのはつい昨日のことだ。少年の友人によると、この少年は一週間ほど行方知れずだったらしい。学校にも現れず、電話も繋がらない。
そんな少年が一週間ほどして、ふらりと帰って来た。顔や身体に殴られたような痣や傷があり、足を引きずるようなおかしな歩き方をしていたという。それを見た彼の友人は迷うこと無くこの病院に彼を連れてきた、というわけだ。両親には少年から「友人のところに泊まっている」と連絡があったらしく、捜索願いは出されていなかった。
 もう遅いからと少年の友人をなだめて家まで送り、私と院長のSはすぐさま治療を開始した。
 しかし奇妙なことに、少年の傷は全て、既に完璧な手当てが施されていたのだ。
 何故少年は怪我をしているのか、一体誰がその手当てを行ったのか、彼が一緒に居た友人とはどこの誰なのか――。
 その問いに対する答えこそ、冒頭の言葉である。
 この話を疑う、もしくは更に詳しく聞きたいのなら東京都T区のとある病院を尋ねてみるといい。少年は布団から起き上がるなり礼儀正しく頭を下げ、それから人懐っこい笑みを浮かべて、何度でも同じ言葉を繰り返すだろう。
「河童ですよ。C(私の名前だ)さん。Cさんなら信じてくれるでしょう」



◇◆



「うーん……」
 新羅は腕組みをし、大袈裟なくらい身体を傾けて唸った。それに合わせるように、上半身裸の少年が同じように身体を傾けた。その顔には新羅からすると忌々しいくらいの微笑みが浮かんでいる。新羅をここまで悩ませているのは、紛れもなく目の前の少年だった。
「もう一度聞くけど、三好君」
 少年――三好吉宗は「はい」と姿勢をしゃんと戻して答えた。その身体には包帯が巻かれている。布団に隠れて見えない下半身も似たようなものだ。これらは新羅が巻いたものでは無い。昨晩三好がここに来た時から巻かれていたものだ。
 新羅は巻かれた包帯を眼鏡を動かしてじっと凝視し、ほんの少し眉を寄せた。
「その包帯を巻いて、君の怪我の手当てをしたのが……河童、だって?」
 三好は満面の笑みで力一杯頷いた。その自信に満ちた答えに、新羅は思わず面食らってしまう。
 普通の人間であればそんなものはいるはずが無いと一蹴し、彼の正気を疑うだろう。それが医者ならば尚の事だ。
 しかし新羅はそれをしなかった。疑うどころか真剣に、河童という存在について頭を巡らせた。岸谷新羅は常に池袋の伝説と呼ばれる存在の隣にいたのだ。今更何が現れても驚きはしない。
「奇々怪々な話だけど、君が冗談でそんなことを言うとは思えないし……。確かに河童が人間を助ける話もある……」
 独り言のように呟きながら新羅は包帯の交換を始めた。三好の治療に使われている包帯やガーゼは、どう見ても薬局で売っているような物だ。もし河童がいたとして、人間と同じ道具を治療に用いるだろうか。用いるとしても、寸分違わず人間と同じ物を使うだろうか。
 そんな新羅の疑問を感じ取ったのか、わずかに三好が首を傾げた。彼は河童に助けられたと信じ込んでいるようなのでわざわざ言うことも無いだろう。新羅はそう判断し、誤魔化すように口を開いた。
「うん、傷はもう殆ど治っているし、痣も少しずつ消えると思うよ。足の捻挫も軽いし、すぐに普通に歩けるようになる」
「――ありがとうございます!」
 新羅の言葉に、三好の表情がパッと明るくなる。彼の傷の治りが早かったのは、確かに「河童」が手当てしてくれたおかげだった。それが嬉しいのか、三好は今日一番元気な声を出した。
 疑問は残るが今は三好の回復を喜ぶべきだろう。包帯を巻き終えた新羅も笑顔で頷き、応えた。
「それだけ元気なら――」
 新羅の言葉は、突如響いた轟音に遮られた。
 何事かと新羅が音の聞こえた方へ走って行く。玄関の方だろうか、と三好はぼんやりと考えた。遠くで新羅の悲鳴に似た素っ頓狂な声が聞こえる。一体何があったのだろう。思わず身構えた三好の方へと、足音が近付いてくる。
「三好!」
 声と同時に扉が倒れた。正確にはふっ飛んだ。扉が斜め後ろの壁に叩き付けられ、紙のように折れ曲がるのを、三好は口を開けたまま眺めた。
「静雄さん……?」
「なんだ……思ったより元気そうじゃねえか」
 扉の飛んできた方へ向き直ると予想通り、ぽっかりと扉が無くなった部分にバーテン服の男が心配そうな顔で立っている。三好には実際のところ、最初の轟音の時点で来客が誰かは薄々見当が付いていた。
「静雄! あんまり家を壊さないでくれ!」
 壊れた扉を見て新羅が戦々恐々と叫ぶ。その言葉から察するに、先程の音は玄関の何かが壊れた音らしい。しかしそんなことは気にも留めずに、静雄は三好の傍に腰を下ろした。
「そこでセルティに会ってさ」
「セルティさんに?」
 セルティ――首無しライダーと呼ぶ方が有名かもしれない――は二人の共通の友人であり、新羅の恋人でもある。
 彼女は運び屋を営んでおり、今朝も仕事だと言って出掛けて行くのを三好と新羅は見送った。どうやらもう少しで仕事が終わるという時に静雄と会ったようだ。
「それで、お前が行方不明だったことや怪我したことを聞いた。……悪かったな。もっと早く知ってたら、俺も助けてやれたかもしれねえのによ」
 そう言って静雄があまりにも深刻な顔をしたので、三好は慌てて首を横に振った。同時に、行方不明というのは少し違うかもしれない、とどこか冷静な頭で考えた。両親と学校には定期的に連絡を入れていたし、問題は無いはずだ、と。問題があるとすればこの怪我だろうか。
 身体の怪我は服さえ着れば誤魔化せるが、さすがに顔の痣や捻挫はどうしようも無い。どう言い訳しようか。以前と同じく階段で転んだ、とでも言おうか――。
「まさか誰かに拉致られてたのか!? そういう時は俺に連絡しろよ! すぐ助けに行ってやるから! ……にしてもこんな傷だらけになっちまって……。許せねぇ……!」
 三好がはっと我に返ると、静雄の心配はいつの間にか物騒なところまで飛躍していた。
 静雄は現在三好が通っている来良学園の卒業生で、三好の先輩に当たる。三好が静雄に物怖じせずに話しかけること、静雄の方も三好相手には何故か普通に会話出来るということもあり、静雄は三好を後輩としてとても可愛がっていた。
 その大事な後輩が行方不明になった上、全身傷だらけで帰って来たのだ。静雄の怒りも尤もだろう。
「いや、大丈夫です。そこまで大した怪我も無いし……」
「怪我に大したも大してないもねえだろ! 大事な後輩のお前が誰かにやられた! それは事実だろうが!」
 三好はなんとかなだめようと試みたが逆効果だったらしく、静雄は握り拳を作って叫んだ。その怒号があまりにも大きかったため、すぐ隣にいた三好は飛び上がりそうになる。
 自分の為に彼は怒っているのだ。有り難いことじゃないか。
 そうは思うのだが、自分のために暴力が嫌いな静雄が暴力を振るうなんて、と複雑な心境になることも確かだ。三好が遠回しにそれを伝えると、静雄はかぶりを振って笑った。
「大丈夫、今回のは暴力にカウントされねえよ。無差別にキレるんじゃなく、その犯人をぶっ殺すだけだ」
 ――そういう問題じゃないと思う。
 三好は出かけた言葉をぐっと飲み込み、乾いた笑いを浮かべた。空気を読む、というのは彼の特技の一つだった。



◇◆



 程なくして帰宅したセルティは、無くなった自室の扉を見てしばし呆然とした。自分のせいだと慌てて三好が弁解する。
 ――いや、静雄にややこしい伝え方をしたのは自分だ。こうなることは分かっていたのに。
 三好の言葉が終わる前に、セルティは説明の足りなかった自分にも非があった、と頭を切り替えることにしたらしい。溜め息を吐くような素振りを見せ、構わないという風に三好に手を振った。内心は今日の報酬で修理出来るかを考えていたのだが。
 扉の修理代を気にする首無しライダーと、それに謝罪する池袋最強の男。その異様な光景がコミカルで、三好は思わず吹き出した。
 池袋の伝説とまで呼ばれる二人は、皆が思っているほど特別な存在ではない。少なくとも一部の能力を除けば、一般人と何ら変わりない。三好はそれを知らない人々が彼らをどれほど恐れているか知っている。だからこそ余計にそれが面白かった。
『三好君、もう大丈夫みたいだね』
 三好があまりにも可笑しそうに笑うので、セルティは首をすくめて照れ隠しのようにPDAに文章を入力した。三好も笑顔のまま頷く。
「はい、お陰様で」
『杏里ちゃんから連絡を貰った時にはびっくりしたけど、そんなに酷い怪我じゃなくてよかった』
「――ああ、そうだ! こんなことしてる場合じゃねぇ!」
 セルティがほっと息をついたのを見て、突然静雄が声を上げた。と、同時に和みかけた雰囲気がピリピリと痛くなるのを三好は肌で感じた。それが静雄の放つ殺気だということも。
「悪いな、セルティ。今はそれどころじゃねえんだ。三好に怪我させた野郎を探してぶっ殺さなきゃならねえ。扉は後で必ず弁償する」
 静雄は早口に言い、部屋を出ようとした。しかしセルティがさっと前に回り込み、行く手を遮る。このまま行かせれば怪我人、或いは死人が出るのは火を見るより明らかだ。
『静雄、ちょっと待て』
「三好が自分から喧嘩するわけがねえ。巻き込まれたか一方的に因縁付けられたに決まってる! そんなことされて黙って引き下がれってのか?」
『そうは言ってない! 確かに三好君が喧嘩するとは思えないし、怪我の具合からしてもお前の言う通りだろう』
 だったら、と言いかけた静雄を制止し、セルティは入力を続けた。静雄は今すぐにでも外に飛び出したい様子だが、じっとそれを待っている。
 やがてセルティが文章を入力し終えたPDAを突きつけると、静雄が笑った。何事かと覗き込んだ新羅が驚いたように目を見開く。
『私も行く! 腹が立つのは私も同じだ! だから少し待っててくれと言ってるんだ』
「ええっ! セルティまで!?」
「そうか、協力してくれんのか……! ありがとよセルティ!」
 三人から遠い位置にいたせいで三好にはPDAの文字が読めなかったが、セルティも静雄と一緒に行くらしいことだけは分かった。
 二人が力を合わせたところなど、想像するのも恐ろしい。三好は眉尻を下げた情けない顔で、大丈夫だからと繰り返した。静雄は少し困ったような顔をしたが、セルティは三好の傍にしゃがみ込み、安心させるようにそっとPDAを見せた。
『私は犯人を殺したりしないから大丈夫。だから三好君、詳しい状況をもう一度だけ教えてくれる?』
「でも……」
『いざという時は私が必ず静雄を止めるから。あいつも三好君のことが心配だから怒ってるって事、分かってあげて』
 三好は戸惑うように視線を逸らした。セルティは何も言わずにじっと待つ。こんなことは伝えるまでもなく、彼は分かっているはずだ。セルティはそう信じて、ただただ三好の答えを待った。
「……分かりました」
 三好はしばらく迷っていたが、セルティの真剣な言葉に心を打たれたのか、静寂を破り力強く頷いた。
 そして三好は少し俯き加減のまま語り始める。あの日、「河童」に出会った時の事を。



◇◆



「河童……ですか」
 首を捻る杏里に、セルティはヘルメットを傾けコクリと頷くような仕草を返す。
 昨晩帰って来た三好を真っ先に発見したのが園原杏里だった。いや、真っ先に発見したというのは語弊があるかもしれない。
 彼女は「ある特殊能力」で大勢の人間に独自のネットワークを持っている。忽然と消えてしまった三好を探す為に、杏里は彼らに三好を見つけたら自分の所に連れてきて欲しいと頼んでいたのだ。
 そしてそのうちの一人が三好を発見し、彼女の元に連れてきた。杏里は一週間ぶりに会った傷だらけの友人に驚き、セルティに連絡したというわけだ。
『うん、三好君が昨日からずっと言ってるんだ。河童に助けられたって』
 セルティは先程と同じ言葉を改めてPDAに入力した。その言葉をどのように受け取ったのか、杏里は慌てて言葉を付け足す。
「いえ、疑うわけじゃないんです。ただ……三好君、私には大丈夫の一点張りで、何も言ってくれなかったので……すみません」
 セルティも昨晩のことは覚えている。珍しく泣き出しそうな程に顔を歪めた杏里に、心配無いと繰り返す三好。これじゃ園原さんの方が重傷みたいじゃないか、と三好は苦笑していた。
『三好君によると、犯人は分からないけど助けてくれたのは河童らしい。比喩なのか、本当に河童がいるのかは教えてくれなかったけど……』
 セルティは犯人よりも河童の方が気になるようだ。杏里がそれを指摘すると、セルティは少し離れた場所で煙草をふかしている静雄をちらりと見た。
『……うん、犯人探しに躍起になってる静雄には悪いけど、私は正直河童の方が気になってる。もちろん三好君を襲った犯人は許せないし、突き止めたいよ。だけどはっきり言って私は犯人より河童の方が気になるんだ』
 静雄は時折物騒な独り言をこぼしてはいるが、こちらの会話には気付いていないらしい。それを確認してから、セルティは文章の続きを入力した。
『私は妖怪なんかが近くにいれば分かる。だけど今回はそれを少しも感じない。だから本当に河童がいるのか、三好君が言う「河童」は本当に河童なのかに興味があるし、もし本物なら会ってみたい。それに何故「河童」が三好君を助けたのか、三好君に何があったのか……聞きたいことは山ほどある』
「でも、三好君があえて河童という言葉を使ったのかもしれませんから……。その人に会って欲しくないとか、探さないで欲しいとか……」
『それが、そうじゃないみたいだよ』
「え?」
 予想外の言葉に、杏里が思わず聞き返す。説明するセルティ自身も腑に落ちない様子だ。
『今朝、それとなく三好君に聞いたんだけどね。河童を探してもいいかって』
 そう前置きし、セルティは今朝三好の言った言葉を、一字一句違わず杏里に伝えた。
 ――居場所を教えない約束ですけど、探すのなら構わないと思います。結構来客好きみたいだから。ただ、失礼ですけど、セルティさんを歓迎してくれるかは分かりません。河童は人間が大好きですから。
「――人間が……」
 杏里の呟きに、セルティがこくりと頷く。杏里は複雑な表情を浮かべていた。その理由はセルティも熟知している。
 杏里が体内に所持する妖刀「罪歌」。それこそが杏里の特殊能力の正体であり、巷を騒がせた切り裂き魔事件の元凶でもある。
 罪歌の所持者には止むことの無い声が聞こえるという。彼女が発する、人間に対する歪んだ愛の言葉が。それは杏里とて例外では無かった。
「河童も人間を愛している……」
 杏里が確認するように呟くと、まるで対抗するように罪歌が人間に対する愛を叫んだ。もちろん、杏里にしか聞こえない。
 杏里はその声を意識の外に追い出し、三好のことを思い浮かべた。彼女の中の三好はいつも笑っている。昨日会った傷だらけの三好も、笑っていた。
 許せない。そんな言葉が浮かんだ。怪我をしたのが自分であれば浮かばなかった言葉だ。いつも自分のことすら傍観している杏里だが、大切な友人を傷付けられたことには怒りを覚えた。
『ごめんね、嫌なこと思い出させちゃったかな……』
「いえ、大丈夫です。私も皆さんに改めて聞いてみますね。何か知っていることはないか」
 ぎゅっと手を握り締めている杏里を、セルティはどう思ったのだろう。
 気遣うセルティに微笑みを返す杏里の瞳が、眼鏡の奥で赤く光った。



◇◆



 セルティと静雄は池袋を何時間もさ迷った。出会った知り合いに片っ端から声をかけたりもしたのだが、めぼしい情報は今のところ一つも無い。
「河童だって?」
 セルティの話を聞いた者は大抵の場合、そう言って首を傾げる。それはセルティの方も無理もないことだと思っていたし、セルティ自身も最初は同じ反応をした。
 稀に違う反応を示した者もいたのだが――
 ――河童の着ぐるみを着てたのかもしれないっすよ!
 ――荒川? 荒川?
――まったく参考になりそうもなかったので、スルーした。
「…………」
 犯人も河童も手掛かり一つ無く、静雄の苛立ちはピークに達している。まるで今にも爆発しそうな爆弾のようで、セルティですら声をかけていいものかと迷う程だ。
 怒りのあまり笑みすら浮かんでいる顔に似合わず、手にしているのは所謂河童巻きだ。サイモンに話を聞いた際に何を勘違いしたのか強引に売りつけられた物で、静雄は半ばヤケになってそれを口に放り込んでいた。腹が減っては戦は出来ぬ、と新羅なら言っただろうか。
「一週間前とはいえ、誰も見た奴がいねえ……ってのは妙だな……」
 静雄は地の底から響くような低い声で、実に冷静な分析をもらした。確かにそれはセルティも気になっていたところだ。
 池袋は現在、カラーギャングの――特にダラーズと黄巾賊の――危ういバランスの上で成り立っている。なので、街のどこかで喧嘩や火事などの事件が起こると、必ずダラーズのメンバーは反応した。例えそれが自分達には全く関係の無い事だったとしても「○○で喧嘩が起きている」といった書き込みがメンバーズサイトに出現するのだ。不確かな部分もあるが、何よりも素早い情報の発信と受信。それがダラーズの強みでもある。
 しかしセルティがどれだけログを遡っても、一週間前に事件が起きた事など書き込まれていなかった。
 三好の痣は前だけではなく後ろにもあった。一対一の喧嘩でああはならない。大勢に囲まれて殴られでもしない限り。しかも三好は捻挫までしているのだ。一対多の喧嘩、いや一方的なリンチ。それを受けているのは制服の少年。目立たないわけがない。
 セルティはそのことについて、いくつかの推測をした。
 静雄の言うように、三好がどこかへ拉致された上で袋叩きにされた場合。例えば相手が黄巾賊で、三好が連れていかれた場所が奴らのアジトだったとしたら。これならばダラーズのメンバーに目撃者がいないのも頷ける。
 しかし三好は自由に携帯電話を使用し、両親や学校に連絡を取っていた。拉致誘拐の類ならそんなことは許されないだろう。
 ――いや、空白の一週間の初日に怪我をしてすぐに河童に助けられたのかも。
 セルティは腕を組み直し、頭の中で一本の線を引いた。タイムテーブルだ。
 三好が怪我をしたのが初日でなくとも、拉致誘拐後すぐに河童に助けられたとすれば矛盾は解決される。それならば定期連絡になんの不都合も無い。河童に助けられた、という言葉とも合致する。
 ――だけど、黄巾賊のメンバーにも杏里ちゃんは話を聞ける……。
 一つの矛盾を解決すると、別の矛盾が顔を出した。
 園原杏里の持つネットワーク――罪歌の子供達は様々な場所に紛れ込んでいる。ただの一般人、ダラーズのメンバー、そして黄巾賊にも。
 杏里からも数回連絡を受けたが、何も見つからないという内容ばかりだった。黄巾賊の仕業であれば杏里が既にそこに辿り着いているはずだ。
 他に考えられるのは身の代金等を目的とした誘拐だが、大事な人質をあんな風に扱うだろうか。少なくとも金が手に入るまでは暴行は加えるまい。しかもそんな大それた犯罪であれば、三好も犯人が分からないとは言わず「誘拐された」と言うだろう。
 ならば、誰が一体なんのために三好を?
 三好吉宗はどこにでもいる普通の高校生だ。家が特別裕福なわけでもなく、裏社会の人間でもなく、ついこの間池袋に来たばかりの。そんな人間を誘拐して、なんになるというのか。
 ――もしくは……。
 存外、全て三好の狂言ではないのか。
 セルティにはどうも笑顔の三好が引っかかる。始めはこちらを心配させない為の笑顔だと思っていた。しかしあんな怪我をして「犯人は分かりません」などとヘラヘラ笑っていられるだろうか。河童というのも、ミスリードを誘う為の罠ではないだろうか。
 ――でもそれなら何のために……。
 この推測の最大の疑問点は、三好が何故そこまでしたのか、そこまでして何がしたかったのかが到底理解出来ないところだ。前や後ろに擦り傷や切り傷や痣を作り、足は捻挫までしている。そんな本気の怪我をせずとも、風邪だなんだと言っておけば一週間程度は学校も休めただろう。そうまでして三好は何をしたかったのか。怪我と引き換える価値のあるものなのだろうか。
 ――分からない。
 セルティは一旦伸びをして頭を空っぽにした。考えれば考える程、深みにはまっていく気がする。
 改めて情報を確認しようとセルティはPDAをダラーズのサイトに接続した。しかし何故か掲示板は同じ画面ばかりが表示されて動かない。壊れたのかとセルティは思わずPDAを振った。
 ――……違う!
 自分が何もしないと、書き込みはどんどん流れて行く。そこでセルティは気付いた。PDAが壊れたのではない。自分が履歴を遡る以上の速さで、書き込みが追加されているのだ。セルティは最新の書き込みがあるページへとアクセスした。
 ――なんだこれは……!
 秒単位で次々と増えていく書き込みにセルティは圧倒された。一体どれほどの人間が今、ここにいるのだろう。しかしセルティが驚いたのはそこではなかった。
 皆の書き込みに一様に含まれる単語、河童。
 今や河童は確実にネットの海に存在し、その空間を悠々と泳いでいた。



◇◆



 河童は存在するのか。偽者なら正体は何者なのか。
 次々に更新される書き込みは、それに対する各々の意見が混ざり合っていた。存在を疑う者、信じる者、伝説や文献を引き合いに出す者、果ては河童を探すオフ会をしようと言い出す者までいる。
 どこから情報が広まったのか、三好の名前は伏せられているものの「仲間が正体不明の犯人に襲われ、河童に助けられた」という話は既に皆の知るところとなっていた。
 ――三好君もダラーズの一員だったのか。
 セルティは意外な事実に驚いたが、今はそれどころではないと再び書き込みを追った。
 河童に関する書き込みに混ざって、犯人の方を探そうとする声もある。一部では黄巾賊の仕業だとか、切り裂き魔にやられたのだという意見も出ていた。犯人を探し出して報復をしようとする過激派もいるようだ。
 ――いつの間にか、話がとんでもなく大きくなってる……。
 おかしな方向へと転がりだした事件に、セルティは一抹の不安を感じ始めていた。いや、本当はもっと前から感じていたのかもしれない。三好の話を聞いた瞬間から。
『静雄、なんだか嫌な感じがしないか? 妙な気配というか……』
 セルティは静雄に同意を求めた。静雄ならこの空気に気付いているかもしれない、という思いがあったからだ。
「ああ……確かになぁ……」
 やはり、静雄も同じことを感じていたのか。
 セルティは改めて静雄に向き直った。そして不安感を払拭すべく、その正体を知ろうと文章を入力する。静雄の勘は鋭く、よく当たる。静雄なら何かに気付き、この不快な感覚を振り払えるかもしれない。
 セルティが文章を入力し終えたと同時に、ビキッ、と何かの音が響いた。
「間違いねぇ……この空気……!」
 それは静雄のこめかみに血管が浮かび上がる音だった。
 実際にはそんな音はしなかったのかもしれない。しかし、まるで聞こえたように感じさせるほどの迫力があった。セルティですらそう感じたのだから、他の者ならどれほどの恐怖だっただろう。
 静雄はサングラスを胸のポケットにしまうなり、周囲を見回して叫んだ。
「あのノミ蟲野郎が近くにいやがる!」



◇◆



「相変わらず目ざといね、まだ来たばっかりだっていうのにさ。久しぶりに来たと思ったらすぐこれだ。そんなに暇なの?」
「なんで手前がここにいやがる? 池袋に来るんじゃねえって何度も何度も何度も何度も何度も言ったよなぁ? ええ!?」
 あぁ、また始まった。
 セルティは二人の間に立ち、何とか静雄をなだめるようにしながら、どうしたものかと考えていた。今は三好のことを調べているのにそれどころじゃないだろ、と。
 静雄の勘は今回も正しく、駅のすぐ傍で自称「まだ来たばかり」の臨也を発見した。その手にはナイフではなく、何故かメロンの描かれた箱を持っている。中身もおそらく箱の通りだろう。
「なんでって言われてもなぁ。シズちゃんの方がよく知ってるんじゃない?」
 そう言って、臨也はメロンの箱を雑に放り投げた。それを逆の手で同じく雑に受け止める。それなりに高級品のようだが、臨也は興味が無さそうだ。
「なんだと?」
 臨也の回りくどい物言いに、静雄が眉をひそめる。相手の神経を逆撫でする核心に触れない物言い。臨也のこういう性分が静雄は気に食わないようだ。
 臨也は大袈裟に肩をすくめて、ふーっと溜め息をついた。それから、自分の顔よりも大きなメロンの箱を静雄の目線に掲げた。
「これ見て分からない? 三好君のお見舞いだよ」
「何!?」
 突如後輩の名が出たせいか、静雄の臨也に対する殺意が一瞬影を潜めた。臨也はその様子を見て面白がるようにニヤニヤと笑っている。
『どうして三好君のお見舞いに?』
 臨也が見舞いに来る、しかも高級なフルーツを持って。彼を知る者にとってはにわかに信じがたい話だ。おそらく誰もが「何か裏があるに違いない」と疑うだろう。セルティの言葉も、口にこそ出さないものの僅かながらそういった意味合いが込められていた。
 臨也の方もそんなことは百も承知のようで、わざとらしく困ったような表情を浮かべている。
「やだなあセルティ。俺にとっても三好君は大事な後輩だよ? 怪我をしたって聞いたらお見舞いに行くのが普通じゃないか。……あとはまあ、彼の話の方にも興味があるんだけどね。河童がどうとかって」
 何故そのことを、と問おうとしてセルティは止めた。その話が既に大規模に広まっていることを思い出したからだ。そうでなかったとしてもどうせ、情報屋だから云々、で誤魔化されることは目に見えていた。
 しかし静雄は納得していないらしい。見た者を凍り付かせる憤怒の笑みをひきつらせ、今にも叫びたいのを我慢しているようだ。
「んなこたぁ聞いてねぇ。なんで手前がここにいやがる、って聞いてんだよ」
「……あのさぁシズちゃん、話聞いてた?」
 先程と同じ言葉を繰り返した静雄に、臨也はうんざりしたように首を傾げた。
「三好君のお見舞いに来たんだってば。さっきも説明したよね?」
「手前が池袋に来る時は十中八九、何か企んでやがる時だ。ここんところ見ねぇからようやくくたばったかと思ってたのによ……まさかこんなことを企んでやがったとはなぁ……」
「はぁ?」
 臨也が逆方向に首を傾げると同時に、静雄が力強く一歩前に踏み出した。その拍子にアスファルトが砕けたが、今の静雄にはそんなことを顧みる余裕など無い。激昂。あるのはそれだけだ。
「どうせ今回のことも手前が絡んでるんだろ! 決まってる! 手前が三好に怪我させやがったに違いねぇ! そうなんだろ!? 答えやがれ!」
 まるで猛獣の咆哮を思わせるような、静雄の叫び。
 セルティですらも怯ませる迫力のそれにも、臨也だけは平然と立っていた。それどころか臨也は腹を抱えて笑いだす。静雄の怒りを煽ろうとしているわけではなく、本当に可笑しくてたまらない、というふうだ。
「ハハハ。俺が三好君に怪我を、ねえ? 俺が可愛い後輩にそんなことをする人間に見える? シズちゃんはもっと俺を信用するべきだよ。人間関係ってやつは相手を信じるところから始まるんだから。いや、君達には関係無いか……」
 だって君達は人間じゃないんだから。
 そんな嫌味を言ってのけた臨也に、遂に静雄の怒りが頂点に達したらしい。すぐ傍にあった物――今回の場合は駅の案内板だった――を力任せに投げつける。
 臨也はそれを余裕の笑みで避けると、大袈裟に溜め息を吐いた。
「あーあ、こうなるから嫌だったんだよ。今日も三好君に会ったらすぐ帰るつもりだったんだけどなぁ。まあ仕方ないよね、当の三好君が見つからないんじゃ」
 頭に血が上っている静雄は気付いていないようだが、セルティは臨也の言葉に少し引っかかるものを感じた。
 三好は新羅のところにいる。見舞いに来たという言葉からしても、臨也はそれを知っているはずだ。さっさと新羅のもとへ向かい、箱を渡して帰ればいい。それをしないのは別の企みがあるからだろうか。
「新羅のところへ行ったんだけど、どうやらもう帰らせちゃったみたいでね。無事に退院出来て何よりだけど」
 セルティの疑惑を見透かすように、臨也はそう付け足す。そして警戒するように静雄を見た。静雄は辺りを見回している。次の攻撃手段を探しているようだ。
「一応これを渡そうと思って三好君に連絡したところで、シズちゃんが来たってわけだ。これを渡したら帰るって言ってるのにさ。……どうやら、それまで待ってくれる気は無さそうだし、大人しく新宿に帰るかな」
 くるりとセルティが振り向くと、そこには数台の自転車をいっぺんに頭上に掲げた静雄の姿があった。自転車だけでなく、バイクも混じっている。どちらにせよ当たればただでは済まないだろう。セルティはなんとかそれを下ろさせようと、まるで猛獣にするように手を振りながら近付く。
「――だからさ、これ代わりに渡しといてよ!」
 そう叫んだ臨也が振りかぶって投げたのは、例のメロンの箱だった。箱はセルティの横をすり抜け、静雄の持つ自転車へと完璧なコントロールで飛んで行く。静雄はかわそうとしたが、これだけ大きな的だ。箱は自転車の一つに当たり、バランスを崩した自転車達がバラバラと静雄に降り注いだ。
『静雄、大丈夫か?』
 慌ててセルティが自転車の山に駆け寄る。その隙に臨也が駅の構内へと消えていくのが見えたが、そんなことには構っていられない。
「っんのノミ蟲!」
 自転車の山の中から現れた静雄の第一声はそれだった。自転車の一つで打ったのか額に血が滲んでいる。それでも臨也を追おうとする静雄を、セルティは何とか引き止めた。
 静雄も少しは冷静になったのか、臨也がここに三好が来ると言っていたことを思い出したようだ。
「あのクソノミ野郎……次こそは逃がさねぇ」
 ギリッと静雄が歯噛みし、臨也の逃げた方向を睨む。静雄は本気で臨也が犯人だと信じているようだ。
 一方セルティは自転車を片付け、下敷きになっていた潰れたメロンの箱を手に取った。この状態では渡すに渡せないだろう。あるいはそれを狙って臨也は箱を投げたのかも知れない。
 ――ああ、勿体無い……。
 セルティは箱の底から滴り落ちるメロンの果汁を覗き込みながら、自分が食べるわけでもないのに肩を落とした。



◇◆



 三好は目を丸くして周囲を見た。休日の駅前だというのに、この一角だけは人がいなかった。
 いや、誰もが避けて通るのだ。駅の案内板が地面に刺さり、スクラップと化した自転車の散らばるこの一角を。その場所の中心に立っているのは首無しライダーと池袋最強の男だ。自分を呼んだ情報屋はいない。理由は考えるまでもなかった。
「三好! もう大丈夫なのか?」
 なんと切り出せばよいか迷っていた三好に、先に声をかけたのは静雄だった。親しげに手を挙げて振り向いた静雄の額には血が滲んでいる。三好は返事をするより先に、鞄の中の絆創膏を探した。
 三好は松葉杖をついているが、これは新羅が大袈裟に用意した物らしい。もう殆ど平気だという。おそらく、それが伝わっていたから臨也も三好を呼び出したのだろう。
『臨也は見ての通り、もう帰ったよ。お見舞いの品も残念だけど潰れちゃって……』
 セルティが言うまでもなさそうだったが一応説明し、潰れたメロンの箱を見せた。三好は乾いた笑いを浮かべる。犬猿の仲である二人がここで鉢合わせて何が起きたのか、この惨状を見るまでもなく想像は容易い。
「――ところで三好、聞きてぇことがあるんだけどよ」
 額に三好から受け取った絆創膏を貼り付け、静雄が表情を険しくした。これからされるであろう質問にセルティが身体を強ばらせたが、来たばかりの三好には分からない。すっと息を吸い、静雄は三好を真っ直ぐに見据えた。
「あのノミ蟲が――臨也がお前に怪我させた犯人なんだろ?」
「……はい?」
 一瞬の間の後、三好は小首を傾げ、聞き返した。突拍子もない質問をぶつけられた、という表情だ。
 しかし静雄は何故かこくりと頷き、言葉を続けた。
「そうだな、お前は優しいし本っ当にいい奴だ。けどな、三好。あんな奴のことなんざ庇わなくていいからよ、正直に言ってみな」
「いや違っ……あの……」
 静雄が最初から決め付けて話すので、三好はしどろもどろになってしまった。臨也さんは違います、と言おうとしたのだが言える空気ではない。
 それを察したのかセルティは『ご両親が心配するから早く帰った方がいいよ』と助け舟を出した。静雄もそれに同意する。
「えーと……じゃあ今日は帰ります。本当に色々ありがとうございました」
 三好はぺこりと頭を下げると、松葉杖をつきながら駅の方へゆっくりと歩いていった。奇しくも臨也が消えた方向と同じで、静雄が無意識に苛立ちを募らせる。
 ――あれ?
 それを見送り、バイクに跨ろうとしたところでセルティのPDAにメールが届いた。たった今別れた三好からだ。何か言い忘れていたことでもあったのだろうか。
『静雄さんは信じていないようですが、犯人は本当に臨也さんじゃないんです』
 ああ、なるほど。セルティは納得した。確かにこれは静雄に面と向かって言いづらかっただろう。静雄に悪気は無いので余計に言い出せなかったようだ。
 文章にはまだ続きがある。更にスクロールすると、そこに書かれていたものにセルティはますます納得した。これを静雄に言えばもう一悶着あっただろう。三好の判断は賢明だった。
『臨也さんには明日にでもお礼を言いに行っておきます』



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