※と過去に出したコピー本と同じものです。
・折焼け臨也と大学生三好
・全体的に捏造




1(2015/08/14)

「やあ、君か」
 それが男の第一声だった。まるで彼がここに来ることを最初から知っていたかのような、少しの驚きも感じられない口調だった。
 車椅子で出迎えた男に少しだけ面食らいながら、青年はペコリと頭を下げる。
 青年は突然の来客、或いは招かれざる客といっていい。にも関わらず、男は彼が訪ねてくることを予想していたようだ。今にも紅茶とケーキを出して彼をもてなすのではないかというほどに、自然な出迎え方だった。
 そんな男の態度に青年は少し不貞腐れたように口を開く。
「お久しぶりです。……なんだ、もっと驚くかと思ったのに」
 青年の不満はもっともである。失踪したとされる男の所在を調べ、はるばるここまでやって来たのだ。居場所を突き止めたことに驚くとか、よく分かったねと労いの言葉をかけるとか、もう少し何かあってもいいはずだ。だというのにこの出迎え方は、まるで新宿にかつてあった男の事務所を訪ねた時のようだった。
「君ならいつか俺を追いかけてくるだろうと思っていたからね。まあ、思ったよりも早かったけど」
 そうですか、と青年は複雑そうに答える。確かに彼は男が失踪した時から行方を追っていた。いずれ探し出してやろうと全国に網を張り続けて。だがそれを本人に指摘されるのは、なんともばつが悪い。
「人探しは探偵の基本ですからね」
 これ以上言われるのは面倒だとばかりに青年は話をそらす。それを聞くなり、へえ、と男は感嘆の声を上げた。その裏側に不穏なものを感じて弁解するように青年は付け足す。
「あ、本当に探偵になったわけじゃないですよ。昔と同じ、ただの探偵ごっこです。ネットで調べたり、友達に聞いて、あなたが好きそうな事件を探してただけです」
「なんだ、そういうことか」
 ほんの少しだけ男は落胆したような声で言った。高校を出てすぐ探偵になったと思われたのだろう。
 青年は昔、親の転勤の都合で各地を転々としていた。その頃には既にパソコンも携帯もあったので、転校後もそういった機器で交流を続けてきた友人が全国にいる。彼らにそれとなく話を振ったり、或いはネットで情報収集をして男の居場所を探していたのである。正確には、男が好むキナ臭い事件が起きそうな場所を。それが実を結び、やっとこの男にたどり着いたのだった。
 そこまでして地道に男を探していたということを知られるのは格好がつかないので絶対に言いたくは無いが。
「ということはまだ学生なのかな。ところで今日は平日だけど、学校はどうしたんだい」
「休みました。大学は高校と違って自由がききますからね。友達にノートを頼んできたので、大丈夫だと思います」
 男の咎めるような質問に青年はけろりとして答える。その答えに、男は懐かしむように少し笑った。昔から青年がこうだったのを思い出したせいだろう。
 見た目は真面目でおとなしそうなのに、時には大胆で後先を考えない行動を取る子だった。そのうえ、雰囲気も相まってか、人の信頼を得るのが上手い。更にはトラブルに縁がある体質だったので、様々な事件に巻き込まれ、色々な相手と協力してその解決に当たっていた。何度か男も彼と協力したり、或いは利用しようとしたことがある。
 そうか、もう大学生か。そんなことをぼんやりと考えながら車椅子の車輪をゆっくりと操り、男は青年に近付く。
「どうりで背が伸びたと思ったよ。新しいスーツケースを買わなきゃいけないなあ」
 その言葉に青年はハッとした顔をして、男を見つめた。男は以前と同じように笑っている。あの時、スーツケースの中から見たのと同じ顔だ。
 普通なら屈辱的な思い出だろう。しかしこの時だけは懐かしく、そして嬉しく感じた。
 この男は今もまだ、あの時から変わっていないのだ。化物に敗北しても、根城を追われても、走り回る足を失っても、それでもなお男は変わっていない。救い難い最低な人間のままだ。
「臨也さんが縮んだせいだと思います」
 青年も同じく、いつもの微笑みを浮かべてそんな辛辣なことを言い返した。車椅子の相手に言うのは些か気が引けるが、もしこの程度でダメージを受ける人間ならそもそもこんな大怪我をしていないので遠慮はいらない。
「ねえ、臨也さん。また一緒に遊びませんか。もちろん学校が無い時だけですけど」
 青年は少しばかり興奮した声で伝えた。男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑みをより深くした。その顔が青年への返事を物語っている。
「本当に懲りない子だね、三好君は」
 呆れたような声で言いながら、男は楽しげに目を輝かせている。
「そうかもしれませんね」
 懲りないのはお互い様だろう。そんな思いはおくびにも出さず、青年は爽やかに笑って見せた。



2(2015/08/23)

 前にこの男に会ったのはいつだっただろう。もう数年前になるだろうか。少なくとも青年がまだ高校生の少年だった時のことだ。
 身長も伸び、やや大人びた顔付きになった青年とは違い、男の見た目はあまり変わっていない。いや、車椅子に乗っていたという大きな違いがあったせいで些細な変化に目がいかないだけかもしれない。それが自分を出迎えた男に青年が抱いた印象だった。
 久しぶりの再会なのだ、積もる話も山のようにある。夕焼けが綺麗だから散歩しながら話そうか、と男は提案してきた。
 その物言いに違和感を覚えながらも、深く考えずに従った青年は、すぐにその意味を知ることとなった。
「どうしたの、三好君」
 ニヤニヤと笑う男を青年は緊張した面持ちのまま睨む。車椅子を押す両手に不自然に力がこもった。
 散歩となれば、当然車椅子を押さなければならない。まさか自分でこいで散歩しろ、とは青年の性格では言えるわけが無かった。
「すみません、こういうのってあんまりやったことなくて」
「それはそうだろうね。学生なら身内にでもいない限り、他人の車椅子を押すなんて滅多にないだろうから」
 どうやら男の中身はまったく変わっていないようだ。それを喜ぶべきか、呆れるべきか。
「そんなに気負う必要は無いよ。俺は君に快適な操縦なんて期待してないから。段差に引っ掻けてつんのめるとか、カーブを曲がりきれなくて手足をぶつけるとか、スピードを出しすぎて俺が振り落とされるとか、そういうことが無いようにだけ気を付けてくれればいいからさ」
 男は振り向きながら、まさに青年が気を遣っている内容をそのまま念押ししてきた。車椅子になったことを少しは反省したらどうかと青年は内心毒づく。
 青年の文句を言いたげな目に気付いたのだろう。男は前を向き直って、話題を変えた。
「今は池袋の大学に通ってるんだっけ。確か君はガジェットが好きだったし、専攻は理工学部かな。電子工学とか?」
 この男であれば、そんなことは調べればすぐに分かるだろう。それが出来るだけの能力を持っている。にも関わらず本人に尋ねるのは、本当に知らなかったのか、それとも彼の口から聞くためか。
 きっと後者だろう。青年は少し微笑んで答えた。
「人間科学部ですよ。心理学とか、そっちが専攻です」
 男は何も言わなかった。青年の言葉の続きを待っているようだ。まるで面接だと苦笑しながら、青年は理由を述べる。
「ほら、僕の友達も、みんないろんな悩みを抱えていたでしょう。もし簡単に解決出来るような悩みじゃなくても、話を聞いてくれる大人がいれば少しは気持ちが楽になったり、解決策を見つける手助けが出来たのかな、って。もちろん機械をいじるのは好きですけど、そういう職業に就けば悩んでる人を助けることも出来るんじゃないかと思ったんです」
 なるほどね、と男は相槌を打った。前を向いているため、青年からその表情をうかがうことは出来ない。
「カウンセラー志望か。聞き上手な君には向いてるだろうね」
 青年は礼を言いながら肩を竦めた。この男が何を言わんとしているか察したためだった。
「……特に、中高生はあなたみたいなのに利用されて、余計な事件に巻き込まれやすいですからね。僕が話を聞くことで事件を未然に防いだり、情報を集めて解決に導けるんじゃないかと思って」
 言われる前に敢えて青年は自ら目的をバラした。責めるような青年の視線に、男はケラケラ笑っている。自分のことを言われていると本当に分かっているのだろうか。
「相変わらず君は事件に首を突っ込むのが好きだねえ。いつか火傷しても知らないよ?」
「しませんよ。臨也さんじゃあるまいし。……敢えて言うなら、あなたと出会ってしまったのが僕の人生で一番の痛手だとは思いますが」
 刺々しい口調の青年に対し、何故か男は満足そうに笑った。昔からそうだ。この男は、青年がどんなことを言ってもこうして笑みを浮かべるのだ。
「それにしても心理学か。いいねえ、随分と君も俺に染まってきたんじゃない?」
 苛立ちを露にした声で青年は聞き返す。一体どういう意味なのか。答えによっては車椅子を蹴っ飛ばしてやろうか、とさえ青年は思った。
「君が人間について学ぶ学部とはね。俺も情報屋にならずに進学していたら、きっと君と同じことを学んでいただろう」
 男はあからさまに上機嫌だ。ここで口を挟むと更に余計なことを言われるに違いない。それを知っている青年は何も言わずに相槌だけを打った。
「ねえ、三好君。君は頭もいいし、行動力もある。様々な出来事を引き寄せる運も持ってるし、何より人に警戒心を抱かせないという大きな才能もある。それをカウンセラーという職業では活かしきれないと、勿体無いと、自分では思わないのかな」
 おそらく男は不敵に笑っているのだろう。前に回るまでもなく想像がつく。
「……何が言いたいんですか」
 分かりきったことを青年は尋ねた。それを自分から切り出すのは気が引けたのだ。
 その想いを汲み取るように男はいつもの、厄介事を持ち込む時の声で答えた。
「俺の助手になりなよ。もっとも、君がちゃんと学校を卒業してからの話だけどね」
 青年はその傲慢な物言いに溜め息を吐いた。まだあんな口約束を覚えていたのか。今でもこの男は、あんな戯れ言を。
「……三好君?」
 不意に青年が車椅子から手を離し、立ち止まった。どうしたのかと男が振り向く。その時になって、男は自身の車椅子の鈍色に夕日が反射していることに気付いた。その光のせいか、青年の顔が茜色に染まって見える。
「就活の時期になって、あなたがまだ生きてたら考えますね」
 青年はどこか泣きそうにも見える穏やかな笑みでそう返答してきた。酷いことを言うなあ、と男は笑う。しかし青年の心配もあり得ないことでは無かった。今回こうして生きて再会出来たのは運が良かったに過ぎない。
「約束は出来ないけど、まあ、努力はするよ。俺もまだまだ君と遊び足りないしね」
 男の軽口に困ったように笑ってから、青年はまたぎこちなく車椅子を押し始めた。けして快適とは言えない乗り心地だが、男は足を組んで楽しげな表情を浮かべている。
 そんな二人の影を、地平線へと消えていく夕焼けが伸ばしていった。長く長く、どこまでも。



3(2016/01/10)

 それは三好のちょっとしたイタズラだった。
 臨也の居場所を突き止めることは出来たが、三好はまだ臨也が黙って姿を消したことを根に持っていた。せめて一言くらい何か言ってくれても良かったのではないか、と。
 その一件に限らず、臨也は三好をいつも蚊帳の外にしてきた。池袋で起きたあらゆる事件に、いや池袋という特殊環境そのものに近付くことが出来ないようにしているかのようだった。スーツケース詰めで海外発送されたのがその最たる例だ。
 それほど臨也にとって自分は邪魔なのだろう。そのくせ、自分がなんとか近付こうと躍起になれば、楽しそうな笑みで迎え入れる。この場所を突き止めた時もそうだった。
 前々から三好は臨也のそういうところが気に入らないと思っていた。そこでちょっとした仕返しをすることにしたのだ。
「…………っ」
 臨也の手が空を切ったのを見て三好は笑いを堪えた。
 先程から臨也がプルプルと震えるほどに手を伸ばして取ろうとしているのは、何の変哲もないただのマグカップだ。問題はそれが彼には届きそうで届かない場所にあることだ。
 マグカップを洗ってその場所に置いたのはもちろん三好だ。車椅子の臨也には届かないことも承知の上で。
 かつて臨也は自分より身長の低い三好の頭をポンポン叩いて子供扱いしてきたことがある。高校生になったばかりの頃なのだからまだ身体が出来上がっていなく て当然なのだが、三好はいつか絶対に臨也を見下ろしてやろうと密かに決意していたのだった。まさかこんな形で叶うことになるとは思わなかったが。
 こちらに恨めしそうな視線を投げ掛ける臨也を見ると溜飲も下がるというものだ。そろそろマグカップを取ってあげようと三好は立ち上がる。あくまでこれはイタズラなので、車椅子の相手をそれ以上困らせる気はもともと無かった。
 その時、臨也の伸ばした手がマグカップのバランスを崩した。それに気付いた三好が声を発する間もなく、マグカップは床へ落下し大きな音を立てて二つに割れた。
「っ臨也さん、大丈夫ですか!?」
 慌てて駆け寄りながら三好が問う。臨也はしかめっ面をしていたが、幸い怪我は無かったようだ。
 三好はしゃがみ込み、割れてしまったマグカップを手に取る。飲み口の部分が斜めに欠けてしまっている。これはもう使えないだろう。
「まさか予想して無かった訳じゃないだろう? 手の届かないところに割れ物を置いたらどうなるかなんて、推理するまでもないよね? 君ももう子供じゃないんだからさ」
「……すみません」
 やや刺々しい声で聞かれて、三好はマグカップを見つめたまま眉尻を下げた。
 三好はもっと早く臨也はこちらに助けを求めてくると思っていた。届かないところに置いたことに対して、相変わらずよく回る口でいつものように嫌味を浴びせてくるのを三好は待っていたのだ。こんなふうに無理にマグカップを取ろうとするなど臨也はしないだろうと予想して。
 しかし三好の予想は外れてしまった。もし落ちた場所によっては臨也も怪我を負っていたかもしれない。三好は今更になって自分の浅はかな考えを後悔した。
「……本当に君は変わらないなあ」
 しゅんと落ち込んでしまった三好の頭に、臨也の手が乗せられていた。三好は何事かとしゃがんだまま臨也を見上げる。
「もう子供じゃない、って言ったけど、やっぱり君は子供だよ。俺に構って欲しくてあんなところにマグカップを置くなんてさ。もっと早く俺が負けを認めて君に助けを求めてくると思ってたんだろう?」
 先程の刺々しさはどこにいったのか、臨也はすっかり明るい声になって三好の頭をポンポン叩いた。まるで昔のように子供扱いをしながら。
 そこで三好はやっと臨也に踊らされていたのだと気付く。怒ったように見せていたのも全て演技だったのだ。マグカップを落としたのもわざとかもしれない。臨也の手先の器用さを考えれば出来ないほうがおかしいというくらいだ。
「でも本当に危ないよ? この足じゃ例え頭に落ちてきたとしても咄嗟に避けられないからね。まあ、君が車椅子の人間にそんな意地悪を働くとは思えないし、相手が俺だからいいけど」
 全部見抜かれ、さらに説教までされてしまい、三好はむくれた顔をした。その顔を見て臨也はまた笑っている。
「……いつまで撫でてるんですか」
 三好は自分の頭にずっと乗っている臨也の手を睨む。そのまま臨也へと視線を移すと、車椅子に頬杖をついて笑みを浮かべていた。車輪がついていなければリクライニングチェアでくつろいでいるようにも見えただろう。
「車椅子だとなかなかこうやって君を子供扱い出来ないからね」
「なんですかそれ、ちょっとよく分からないです」
「分かってるくせに」
「分かりません。ぜんぜん、まったく」
 涼しい声でのたまう臨也に三好は顔を歪める。
 臨也は三好のイタズラを知った上で逆に利用したのだろう。ただこんなことのためだけに。
 諦めたように三好は溜め息を吐いて、一旦割れたマグカップを置いた。そして猫のように臨也の脚に擦り寄る。それを待っていたのだと満足そうに臨也が笑った。
「そうそう。素直な子は好きだよ」
 三好は反論する気も無くなって、臨也の足元に座る。
 そういえば頭を撫でられるなど何年ぶりだろうか。一人暮らしで、しかも大学生にもなれば頭を撫でてくるような人間はいない。ここにいる一人を除いて。
 三好が思わず目を細めると、臨也は吐息を漏らすように小さく笑った。三好の考えていることも彼には分かっているのだろう。
 しばらく三好を撫でて満足したのか、やがて臨也の手が静かに離れた。ほんの少しだけ名残惜しさを感じながら、三好はマグカップを片付けようと立ち上がる。
「――そうそう、三好君」
 呼び止められ、壊れたマグカップを手に三好が振り向くと、相変わらず臨也は頬杖をついたままだった。先程と違うのは、その顔がいつものような含みのある笑みに変わっていることだ。
「君を責める訳じゃないけど、実はそのマグカップは俺のお気に入りだったんだ。まだ買ったばかりだったし、勿体無かったなあ。また買いに行けば済む話なんだけど、この足じゃそれもままならないし。ああ、三好君は気にしなくていいよ。物はいつか壊れるし、そのマグカップはちょっとそれが早かっただけだから」
 一方的に喋っている臨也に、三好は目を泳がせて苦笑した。最初はこの反応を期待していたのに、実際にやられるとイラッとくる。マグカップがお気に入りだなどという話は初めて聞いたし、きっと全部出まかせなのだろう。
 だがここで「ネットで買えばいいじゃないですか」などと言ってしまえばますます面倒なことになる。それを経験で知っている三好は、あくまで申し訳なさそうな顔をしながら臨也に提案した。
「すみません。僕のせいで壊れちゃったので、僕が買ってきます。出来るだけ似たようなのを探してくるので」
「へえ、君が?」
 思った通り臨也はわざとらしいくらいにゆっくりと聞き返してきた。もうニヤついた顔を隠そうともしない。三好は呆れながらも、知らないふりをして頷いた。
「でも、君が買ったものを俺が気に入るとは限らないよ?」
「じゃあ、自分で買いに行って選んでください。僕が車椅子押しますから」
 茶番だと思いながら、三好は誘導されるままに臨也の期待通りの答えを述べる。臨也はそのやり取りを楽しむように笑うと、すました声で続けた。
「それなら一緒に買いに行こうか。君の分も必要だしね」
 そこで三好は首を傾げる。一緒に行こうという誘いだというのは分かっていたが、後半の言葉は予想していなかった。臨也の使っていたものが割れただけで、来客用らしいティーカップなどは他にもあったし、三好もそれを使っている。何故三好の分が必要なのか。
「前に君が使ってたやつは新宿に置きっぱなしになってるからね。また新しいのを買わないと」
 当然のように答える臨也に、三好は目を瞬かせた。
 そう言われて記憶を手繰り寄せると、確かにいつも臨也の事務所で出されたカップは同じものだった気がする。てっきり来客用に同じものを揃えているのだと思っていたのだが、あれは自分のためだけに用意されたものだったらしい。
 三好の反応に臨也も目を丸くしている。臨也も臨也で三好が知っていると思っていたようだ。
「なんだ、波江さんからとっくに聞いてると思ってたよ。俺が愛する三好君に来客用、なんて他人行儀なものを出すわけないだろう?」
 さらりとそんなことを言う臨也にどういう反応をすればいいのか。三好はなんとも複雑そうに笑う。
「勝手にそういうの用意しないでください。気持ち悪いですよ」
「だから今回は一緒に買いに行こうって言ってるじゃないか」
「何一つ『だから』に繋がってないんですけど」
 どんな辛辣なことを言っても臨也には通じない。三好は早々に諦めて車椅子の後ろに回った。それが車椅子を押すためだけではないことは、臨也にも分かっているだろう。今三好がどんな顔をしているかということも。
「やっぱり君と遊ぶのは楽しいなあ! 人間観察と同じくらいやめられないね」
 勝ち誇ったように臨也は笑っている。三好は悔しげに顔を歪めて、早足で車椅子を押した。



4(2016/08/12)

「これ、どうやって動いてるんですか?」
 はつらつと問う三好吉宗に、臨也は朝から頭が痛くなりそうだった。
 三好の言葉が指す「これ」とは、臨也の使っている電動車椅子のことだ。特注品で通常のものよりゆったりした形になっており、出せるスピードも段違いのものだ。どうやら三好はその電動部分の仕組みについて聞いているらしい。
 臨也は車椅子の仕組みなどどうでもいいが、困ったことに三好が臨也を遮る形で車椅子を占領しているため、臨也は車椅子に移ることが出来ない。起きたばかり の癖のついた頭でベッドに座ったまま三好の様子を観察する以外にすることが無い状態だ。もっとも、それはそれで悪い気はしないが。
「形も面白いし、高そうですね。臨也さん、ちょっと分解してみてもいいですか?」
 そう言ってこちらを向いた三好の顔はいきいきしていた。その表情が池袋で出会ったばかりの頃とまったく変わっていないので臨也は肩を竦める。
 いつだって彼はそうなのだ、臨也の言動に振り回されて困惑しているかと思いきや、こんな顔で大胆なことを言い出したりもする。
「君のそういうところは好きだけどね」
 臨也はわざと呆れたような表情を作った。
「いいかい、三好君。君にとってはただの面白い機械かもしれないけど、俺にとっては大事な足なんだ。君がそれをバラバラに分解するってことは、俺の足を細切れになるよう切断することと同じなんだよ。君にそんな猟奇的な趣味があるとは思えないけどね」
「よく起きてすぐそんなこと思い付きますね」
 思ってもないことを口八丁で並べると、三好は気味が悪いとでもいうように顔を歪めてみせた。しかしまだ車椅子からは離れない。
「……でも、今はこれが臨也さんの足なんですね」
 何を思ったのか、三好はそう呟きながら車椅子を優しく撫でる。臨也としては別に感傷から言ったわけではないので、そんな三好の反応が滑稽にすら思えた。
 実際、この車椅子が無くても立ったり歩くくらいは少しなら可能だ。自由に動き回ることは出来ないが、這わなければ動けないというほどでもない。なので車椅 子が無くなった状態を例えるなら、両足を切断されるというより、杖や手押し車が無くなった老人くらいの動きになる、といったところか。
 そんなことを真面目に考えていると、三好はまたこちらにいきいきとした目を向けてきた。
「じゃあ、僕が代わりに臨也さんを運べば、車椅子分解してもいいですか?」
 そう来ると思った。予想通りの言葉で、臨也はやはり頭が痛くなってきた。
 再会してからの三好はやけに臨也の優位に立とうとしてくる。臨也が子供扱いし続けてきた仕返しなのか、それは勘違いで本当に親切心から言ってるのかは分からないが、とにかくそういうことが続いていた。
「まさか君が俺を抱き上げて運ぶとでも言うのかな」
「ええ。出来なくはないと思います、多分。臨也さん軽そうだし、僕もこう見えて最近は鍛えてるので」
 本気で三好は臨也を抱き上げて連れ回すつもりらしい。
 確かに三好は背も延びたし、体つきもすっかり成人男性になっている。連れ回せるかはともかく、細身の臨也を抱き上げるくらいは難なく出来るだろう。
「車椅子は建前で、そっちが狙いなんだろう?」
「うーん。車椅子を分解してみたいのは本当ですよ?」
 臨也が嫌味を言っても、三好はあっさりかわしてしまった。こういうところも大人になったらしい。
 しかし臨也にとっては、三好はまだまだ可愛い子供のままだ。本人は優位に立とうとしているつもりらしいが、要するに臨也に対抗しているだけだ。それは高校生の頃から何も変わっていない。
 こちらが構いにいけば嫌そうにするくせに、放置すればどこまでも追いかけてくる。まるで猫のようだが、臨也はその付かず離れずの距離を楽しんでいた。三好のほうはどうだか知らないが、こんなところまで追いかけてくるのは、それなりの意思がなければまずやらないだろう。
「三好君」
 臨也は三好の手を引き、自分の膝の上に座らせようとする。さすがに怪我人相手なので三好は遠慮したように膝立ちになって臨也と向かい合った。
「臨也さん。足、痛いんじゃなかったんですか?」
「うん、痛いよ? でも君みたいな子供を乗せるくらいは問題ないかな」
「子供、って」
 その言いぐさに三好は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
 臨也と出会ったばかりの頃に比べれば身長も伸びて顔つきも変わったと思う。既に世間的には大人の年齢だ。それを子供だと言い切る臨也には、もうどんなことを言っても無駄な気がした。
「あなたくらいですよ、未だに僕を子供扱いするのって」
 三好の言葉に、臨也は「それは良かった」と可笑しそうに笑った。そして手を伸ばして三好の頬をそっと撫でる。
「もちろん君は世間的に見れば大人だし、周りから見てもそう思うような振る舞いをしているんだろうね。真面目な君のことだ。だけど、俺の前にいる君はずっと変 わらない。見た目が変わっても、俺を見てる目も、俺にかける言葉も、俺に対する君という人間は何一つ変わってないんだ。俺はそれが嬉しいんだよ」
「……それ、褒めてるんですか?」
 臨也は心から称賛しているのに、三好は複雑そうに顔を歪めた。自分がずっと臨也の掌の中だと暗に言われたと感じたのだろう。実際、臨也もそのつもりで言ったのだから期待通りではあった。
「もちろん。俺は成長したり変化していく人間が好きだけど、君のずっと変わらない、そういうところを嬉しく思うよ」
 余裕の笑みで言い切る臨也に、三好はますます複雑な顔をした。だが、けして嫌だというわけではない。それが臨也なりの甘い言葉だということを理解しているからだ。
「ああ、そうそう。君の変わったところで、ひとつだけ気に入らないことがあるとすれば、その高すぎる身長だね。車椅子からじゃ何も出来やしない」
 突然眉を潜めた臨也に、三好はつい笑ってしまいそうになった。臨也が何を言おうとしているか察したためだ。
 三好はまだ少し遠慮しながら、臨也の膝の上にぺたんと腰を下ろした。
「……どうですか? これで大丈夫ですか? 重いとか痛いとかあったら言ってくださいね」
 まだそわそわした様子の三好が問うと、臨也は対照的に満足げに笑ってみせた。
「察しの良い子は好きだよ。さすが三好君だ」
 辛そうな様子は無いが臨也ならそれくらい顔に出しもしないだろう。本当に大丈夫なのかと三好が臨也の様子を伺っていると、臨也は笑みを浮かべたまま三好の頬に添えていた手を滑らせ、今度は唇を撫でた。
「それじゃあ察しの良い三好君。俺は君を膝に乗っけて何がしたいんでしょう?」
 明るい声で言う臨也の瞳には三好の姿がはっきりと映っている。
 やっぱり大人しく車椅子を分解しておくべきだった。そんなことを三好は本気で考えながら、臨也の首に腕を回して目を瞑った。



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