僕とあの人の関係を何かに例えるなら、プラスチックがいいかもしれない。
一見透き通っているようで、実は様々なものを合成して出来ている。
そんなプラスチックと同じように僕とあの人の関係も、打算とか愛とか計画とか色々なものが絡み合って成り立っていた。
多分どっちが悪いとかじゃなくて、お互いに色々な思惑があったに違いない。
透明で、でもそれは見かけだけのまやかしで、水面下の複雑な探りあいで構築されていて、だけどそれでも透明な、そんな関係だった。



ムーンライト―――。



あの人といる時の僕といえば、心の中で呆れたり罵ったりしてばかりだった気がする。
あの人はあまりに無茶苦茶で、罵倒されても仕方ないようなことしかしてなかったから自業自得だ。
だけどそこが面白くて、だから一緒にいた。
……実際のところ僕はあの人に期待してたんだと思う。
もちろんどっちの考えも口に出すことはしなかったけど。
あの人が僕の考えてることに気付いていたかは知らないし、興味も無い。
僕はあの人がとんでもないことをしでかすのを見ていられればそれでよかった。
その為なら自分の感情も、向こうの感情だってどうでもよかった。
あの人が面白いことをやる、って事実だけが重要だったからだ。

「だけど、一度くらい言っておけばよかったかな」

メール画面を指でなぞる。
やっぱりもうあの人のメールは残っていない。
あの人に消されたから。
……ってことは、僕があの人からのメールを女々しく保護してたのも見られたんだろうなぁ。
多分大笑いしただろう、そういう人だ。
そういう意味じゃ言わなくて正解だったのかもしれない。
言ったら多分笑い転げたに違いないんだから。

「そんなところも含めて、僕は臨也さんが好きです、って」

何度でも言うけど、僕とあの人の――臨也さんの関係は愛とか恋とかで簡単に括れるものじゃない。
だけど僕にも何パーセントかはそういう気持ちがあったのも事実だ、残念なことに。

「臨也さんは笑って僕を馬鹿にするだろうけど、それでも言っておけばよかった」

言っておけば、こんな風に後悔しなかったんだろうか。
やけに明るい月が目に染みて、僕は布団に潜った。



情報ってやつは生き物で、刻一刻と変化していく。
俺が今持っている知識も明日には古くなってしまうんだ。
まるで人間の細胞が毎日入れ換わっていくみたいにね。
そんな欠点は情報屋である以上、当然理解してるよ。
俺が持ってる彼の情報が、日が経つにつれて使えない、古くて信憑性皆無な情報になってしまうってことも。
……それも仕方ないよね。
人間なんてたった数日で別人に変わってしまう生き物なんだから。
まあそこが面白いんだけどさ!
逆に、次に彼と会う頃には俺が別人になってる可能性だってあるしね。
……いや、それは無いか。

「だって現に俺は何一つ変わってないからさ。
君が池袋にいた頃から、何も」

そう、何も変わってないんだ。
彼がこの池袋にやって来て、人間を平等に愛してた筈の自分が崩れたまま、何一つ変わってない。
彼が俺に近付いて以来、どうやら困ったことになってしまったらしい。
俺だって初めは彼を観察して楽しむだけのつもりだったんだよ?
それが結局、お互いの色々な思惑が絡んでややこしいことになってしまった。
ややこしいこと、っていうのは、俺と彼の関係を表す言葉が見つからないからそれ以外に表現のしようがない。
愛だの恋だので括れるような簡単な関係なら良かったんだけどね。
……人間全てを愛してる筈の俺が、あんな子供一人に振り回されるとは思わなかったよ。
俺もまだまだ未熟ってことかな。
もちろん、それを悟られないようにはしていたけどね。
だから俺が何を言っても彼は皮肉を返したっけ。
そうですね、臨也さんは人間全部が好きですもんね、って。

「信じないだろうけど、俺はこの世に存在する全ての人間の中で、一番三好君が好きだったんだよ」

何度でも言うけど、俺と彼の――三好吉宗という人間の関係は愛や恋で簡単に括れるものじゃない。
だけどそんな関係が何より心地よくて、俺が他の人間より彼を愛してたのも事実だ、自分でも驚いたことに。

「まさか俺がこんなことを考えるなんて思わなかったよ」

消さなかったアドレス宛の未送信メールを読み返して呟く。
些細なことから仕事のことまで、馬鹿馬鹿しいまでの依頼メールが並んでいる。
書くだけ書いて結局送信しないとは、俺にも女々しいところがあったようだ。
それを消さずに残しておくところなんて彼が見たら呆れた顔をするだろう。
溜め息を吐く三好吉宗を想像しながら、俺はビルの屋上に出た。
残念ながら東京の空に星は無いけど、今日は満月でやけに明るい。
もっとも、そんなもの無くてもいつもこの街は明るいんだけど。
月明かりとネオンで眩しいくらいに光る池袋を見下ろす。
そういえば、ここから見えるのは彼と一緒にシズちゃんから逃げた道だ。



メールを何度か送ってみようとしたけど駄目だった。
受信拒否されてるのか、あるいは僕の記憶が間違っているのか。
消されてしまったアドレスを懸命に思い出そうとするけど、そうすればするほど分からなくなってしまう。
小文字とか大文字とかから始まって、そもそもこの文字列であってたか、なんてことまで。
こうやって記憶は消えていくんだなぁ、と漠然と思った。
……もともと僕がその程度しか臨也さんに興味が無かったってことなのかもしれないけど。
いや、それならこんなに必死になって記憶を辿ったりしないか。
――なんて、わざわざ訂正してる自分がちょっと笑えてきた。
なんだ、僕は自分で思ってるよりあの人が好きなのか。

「なら、尚更これで終わるのは嫌だ」



「……え?」

何か音が聞こえた。
いや、誰かの声だったかもしれない。
正体を探ろうと耳を澄ますと、また音がした。
今聞こえたのは流行の歌だ。
次に聞こえたのは古い電話のようなベル。
次は電子音。
あとはもう、ひっきりなしに音が続いて分からなくなった。
それに僅かに遅れて、眼下の街に光が広がっていく。
すぐ下の道では人々が立ち止まり、携帯電話の画面を確認していた。
携帯電話の光が池袋を更に輝かせる。

――ダラーズのメール?

俺は訝しく思いながらメールを確認した。
ここ数日の街は酷く退屈なほど平和で、ダラーズのメンバー全員に通達すべき出来事なんてひとつも起きていないのに。
誰かのいたずらか、あるいは今この瞬間に何かが起きたか。

――……これは。

俺はメールを確認して、目を見開いた。



『メールアドレスが分かりませんが、ここなら届くか、届かなくても確実に伝わると思うので使わせてもらいます。
ダラーズの方、私情に巻き込んですみません。

ずっと言えなかったので言います。
僕は臨也さんが好きでした。
いや、残念ながら今も好きです。
言葉の裏も屁理屈も無く、世間一般に使われる意味で愛してます。
それでは、約束通りいつかまた会えるのを楽しみにしています』



送信しました、の文字を見て僕は笑った。
ダラーズ全員に送信してやった。
しかも匿名が基本のネットで、実名を明記して名指しで送ってやった。
今頃どんな顔してるだろう。
……先に浮かんだのは大喜びしてる狩沢さんと、名前を見ただけで携帯電話をへし折ってそうな静雄さんだった。
名前は書かなかったけど、臨也さんなら差出人くらい分かるだろう。
きっと悔しがるだろうな。
連絡先を消したくらいでどうにかなると思ったんだろうか。
僕がどこかで誰かに頼んで、ダラーズの仲間になってるとかは考えなかったんだろうか。
なんとなく、ざまーみろ、って気分だ。
僕を子供扱いして、油断してるからそうなるんだ。



やられた、と俺は舌打ちした。
差出人は考えるまでもない。
連絡先は全部消したのに、まさかこんな方法を使うとは。
でも一斉送信されるのは分かってるんだから、ちょっとは人に見られることを考えて文章を書きなよ。

「それにしても、よりによって好きだ、愛してるとはねぇ!
本当に君は予想外な言動ばかりで面白いよ!
っあははは……は」

笑っていたはずなのに、気付くと涙が出た。
いや、違う。
笑いすぎたからに決まってる。

「――でもさ、まさかこれで俺を出し抜いたつもりじゃないよね?」

俺は笑みを浮かべ、電話をかけた。



……まあ、そうだよな。
光りもしないスマホを見て、溜め息を吐いた。
メールを見た臨也さんが返事をするかも、なんて乙女思考もいいとこだ。
そこで返したら足が付くだろうし、そんな間抜けなことはしないだろう。
今頃は悔しさもおさまって、メールの文面に大爆笑してる頃だろうか。
あの人ならあり得る、というかそれしか無い。
……まあいいや。
連絡する手段を持ってることは分かってもらえただろうし、それがあるだけで僕は十分だ。
それさえあれば僕は何年でも頑張れそうな気がする。
臨也さんは最初から約束を反故にするつもりだろうけど、それが出来ないくらい力を付けて池袋に戻ればいい。
なんでもいいから、臨也さんが無視出来ないほどの力を。
それまで僕は、定期的に嫌がらせのメールを送れることをダラーズのボスに感謝していよう。



数回のコールで相手はすぐに出た。
もちろん、まさかここで彼に電話するほど馬鹿じゃない。

「もしもし、波江さん?
突然だけど一週間くらい来なくていいよ。
ちょっと旅行に行くことになったから」

波江さんは何一つ興味が無さそうに、いつも通りに「そう」と答えただけだった。
さて、そうと決まれば早速荷造りだ。
旅行の準備をするために、俺はさっさと新宿に戻った。
さっきのメールを見たシズちゃんに追いかけられるのも面倒だしね。
それにしても酷い内容だなあ。
荷物を詰めながらメールを読み返すと、ますます恥ずかしい文章だ。

「あんなメールをして、三好君は本気で俺が約束を守ると思ってるのかな?」

約束っていうのは多分、別れる時に「自立して戻ってきたら助手にしてあげる」って言ったことだろう。
そんなのを信じてるから君は子供なんだよ。

「残念だけど、その約束は守ってあげられない」

必要そうな物は大体詰め込んだけど、もうひとつ大事な物があった。
忘れないうちに用意しておこう。

「だって君は、大人になる前に、今すぐ、ここに帰って来てもらうんだからね」

大きな空っぽのスーツケースを用意して俺は呟く。
窓から見えた空では、大きな満月がやけに眩しく輝いていた。



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