※2016/08/21に出したコピー本と同じ内容です。
喝采のあらすじだけを元に妄想で書かれているため、実際の喝采とは内容が大きく異なる可能性しかありません。
・車椅子臨也と大学生三好
・喝采の事件後という捏造
・「喝采めっちゃおもしろかったー!まさかあれがああなってこうなるなんて!」という体でお読みください



 キイキイと車椅子の車輪が音を立てる。
 座った男は一人、供もつけずに自らの手で車椅子を手繰りゆっくりと進んでいく。本来この車椅子は車輪を回さずとも進める電動式なのだが、男はあえてその機能を使わなかった。
 男がいるスタジアムの客席には他に誰もいなかった。ナイターの試合でもあればまばゆいライトが灯り、このあたりは大勢の観客達で賑わっていただろう。しかし今日はそれも無く、スタジアムは暗闇が広がっているばかりだった。もっとも、あんな事件があった後では試合など出来なかっただろうが。
 闇と静寂が広がるスタジアムを見ていると、昼間の事件と喧騒が嘘のようだ。
 この場所で殺人事件が起き、探偵がそれを解決し、事件が終わった。当事者達にはもちろん紆余曲折あったのだが、乱暴にまとめてしまえば推理小説一冊分にもならない、明日のニュースになるかならないかという、些細な事件だった。
 だが、そんな些細な事件を男は愛していた。正確には、その事件に関わったすべての人間達の物語を。だから事件の余韻に浸るように男はいまだこの場所に留まっているのだ。
「お待たせしました」
 男がうっとりと真っ暗な客席を見回していると、後ろから青年の声がした。男は振り向きもせず小馬鹿にしたような調子で答える。
「随分遅かったねえ。言っただろう、俺に繋がるような証拠は何も無いって。心配性だなあ、三好君は」
「別に臨也さんが捕まっても構いませんけど、僕まで巻き込まれたら困るので」
 青年は男の物言いなどいつものこととばかりに表情を変えず答える。すっかり慣れきっているのだろう。男も楽しげに笑みを浮かべている。
 男は事件の発生にも解決にも協力しなかった。男がしたことといえば犯人と探偵に、それぞれちょっとした情報を与えてやっただけだ。それを元に殺人の計画を 立てて実行に移したのは犯人だし、それを解決まで導いたのは探偵の手腕だ。もし男が彼らと接触していたという証拠があっても、そこから男が罪に問われるこ とは無いだろう。
 男はいつも自分の手を汚さないギリギリのところで遊んでいる。青年が念のため確認してきたところ、今回もその境界線を見事に見極めていたようで、男の不利になりそうなものなどひとつも無かった。可愛いげが無いとすら思える完璧なまでの完全犯罪だった。青年がそれを口にすると、男は肩を竦めた。
「酷いなあ。俺は情報屋として、彼に情報を教えてあげただけだよ。それを殺人計画なんかに悪用されて心外なのは俺の方なんだからさ」
 思っても無さそうなことを平気で口にする男に、青年は乾いた笑いを返すことしか出来ない。それなりに長い付き合いなので男の答えは予想していたが実際言われてしまうと返答のしようが無いのだった。
「野球のバットだって、ボールを打つのに使わずにスイカや他人の頭をかち割るのに使う人間は大勢いる。手に入れたものをどう使うかは、手に入れた人間が決めることだ。道具は道具、情報は情報として存在してるだけで、そこに意味を持たせるのは人間なんだよ。まあ、バットは凶器になるから野球そのものを禁止しましょう……なんて考える人間はいるかもしれないけどね」
 言ってることは正しいかもしれないが、あまりに正当化が過ぎるのではないだろうか。青年は諦めたような目をして呟く。
「臨也さんは、人間が与えられた情報をどう使うかニヤニヤしながら眺めてるだけですもんね」
 もちろん、と男は得意気に肯定した。この男に出会ったばかりの頃、青年もその被害にあっているので身を持って知っているのだ。
「最初はまた、君を探偵に仕立てあげようとしたんだけどね。そのために君を呼んだんだけど」
 同じことを思い返していたらしい男は、首を傾げるようにして振り向きながら続ける。
「君も随分成長した、と言うべきかな。なかなか俺の思い通りに動いてくれなくなったし。池袋に来たばかりの君はあんなに素直に俺の手伝いをしてくれていたのになあ」
「僕もあなたのやり口は学習したので、さすがに」
 青年は昔を思い出して苦笑する。少しは自分も大人になったということだろうか。だが今でもこうして男に協力しているあたりどうしようも無いのだが。
「それに僕に出来るのは探偵ごっこだけで、探偵にはなれないですよ。だって僕は助手ですからね」
「助手見習い、だよ。ちゃんと君が学校を卒業して、大人になるまではね」
 またそれかと青年は不満を露にする。男の態度は出会った頃から変わらない。いつまでも青年を子供扱いし続けている。「成人式もやったのになあ」と青年は口を尖らせた。
「まあいいです。いつか臨也さんより偉くなって、臨也さんをこき使おうと思うので」
「それは楽しみにしてるよ、可愛いワトソン君」
 青年の不遜な言葉も一笑に付すと、男は鼻唄でも歌い出しそうなほど上機嫌になった。ゆったりとソファーにでも座るようにして、車椅子に肘をついて目を細めている。
 男は全ての人間を愛している。それは青年のことも例外ではない。そのため男は自分に関心を寄せてくる青年のことを気に入っているのだ。それがどのような内容であろうと。
「……臨也さんって、自分のことを憎んでる人のことも好きですよね。刺されるんじゃないですか、そのうち」
 気味悪がる青年に対し、男は能天気に笑った。この男の場合、それも本望だというのだろう。
「もしそうなったら俺は心から幸せに死ねるだろうね。自分で言うのもなんだけど俺はそう簡単には死なないと思うから、もし普通の人間で俺を殺せる人間がいたとしたら、その人間に喝采を贈るよ」
「…………」
 不意に車椅子の背を蹴飛ばしてみたい衝動に駆られたが、青年は黙って微笑みを浮かべ、男の後頭部を見つめる。何年経ってもこの男の本質は最悪なままのようだ。
 話はそこで終わると思っていたのだが、男は続けて口を開いた。
「だから俺は楽しみにしてるんだよ。君が言う、偉くなって俺をこき使う日ってやつをさ。そのためにも君にはこれからも俺のために頑張ってもらわないとね」
 矛盾したことを言う男に、青年は顔をくしゃくしゃにして笑った。青年はその答えを待っていたのかもしれない。それでこそ折原臨也だと、青年のほうこそ喝采を贈りたい心持ちだった。



Back Home