「三好ーっ!」
後ろから聞こえた声に振り向くと、長身の男性がぶんぶん手を振っていた。
彼は平和島静雄、僕の先輩にあたる人だ。
まだ昼過ぎにも関わらずこの辺を一人で歩いてるということは、今日は休日か何かなんだろう。
「こんな時間に珍しいな」
テスト期間なんです、と僕は答える。
授業がテストだけになるため、帰宅も早い。
卒業生である彼は当然そのことを知っていて、僕の言葉に懐かしそうに頷いた。
「静雄さんは何してるんですか?」
僕は特に他意もなく聞いてみる。
彼の言う「こんな時間」に何をしているのか気になっただけだ。
「あー……」
すると、何故か静雄さんは口ごもってしまった。
俯いて頭をぐしゃぐしゃとかいている。
聞かない方がよかっただろうか。
言いたくないならいいんです、と僕が言いかけると、それを遮るように静雄さんは突然口を開いた。
「あのな三好。
……お前、甘いもんとか好きか?」
……うん?
何故今そんなことを聞かれるのだろう。
ちょっと意味が分からないが、甘いものは好きなので正直に頷く。
すると静雄さんは急に声を潜めて続けた。
「じゃ……じゃあよ、クレープ、とかは……」
「はい、好きですよ?」
僕はもう一度頷く。
するとどうだろう。
急に静雄さんはパアッと明るい顔になり、嬉しそうに声のトーンを上げた。
「そうか、好きか!
じゃあ俺が奢ってやるよ!」
えっ。
どうしてそうなるんだろう。
僕は「いいんですか?」と聞き返してみた。
「いや、俺も丁度腹減っててよ。
お前がそんなに食いたいなら、仕方ねぇよな。
俺もついでだしたまにはクレープでも食うかな。
あー……ほら、移動すんのも面倒だしよ」
……静雄さんは嘘が下手なようだ。
僕はその白々しい物言いで全てを理解した。
どうやら静雄さんはクレープが食べたかったらしい。
確かに大抵の学校がテスト期間で早めに下校出来るし、特に来良は今日がテストの最終日だ。
テストから解放された女子高生達がクレープ屋に集まっていてもおかしくはない。
そんなときに静雄さんはクレープが食べたくなってしまい、困っていたというところだろう。
あの集団に一人で並ぶだけでも辛いのに、静雄さんは結構有名人だ。
目立ってしょうがない。
そこで僕を喜ばせつつ、自分も目的を果たせる手段を取ることにした、というところか。
「はい、僕もクレープ食べたかったんです」
僕はそのことを指摘したりはせず、話を合わせておいた。
下手なことを言って先輩に恥をかかせたりするのは避けるのが無難に決まってる。
案の定静雄さんは目に見えてソワソワしながら、クレープ屋の方へ大股で歩いていった。
「うーん……」
僕が静雄さんと会ってからおよそ三十分。
甘いクレープを味わってる……かと思いきや、僕らはまだクレープ屋の前にいた。
会話していた時間や移動時間を差し引いても、十分はここにいることになる。
理由はひとつ。
さっきから唸ってる静雄さんだ。
静雄さんはクレープの種類が紹介されている看板を穴が開くほど見つめている。
どうも何味にするか迷っているらしい。
某情報屋に「名探偵さん」とか未だかつて無いあだ名をつけられた僕だがそんなことは探偵じゃなくても分かる。
なんせ静雄さんの目は、二つの写真を行き来してるんだから。
「……イチゴもバナナも美味しそうですね」
「んー……お前もそう思うか?」
いや、僕は正直ツナサラダが食べたい。
だけどそれは言わずに、静雄さんがじっと見てるクレープの種類を挙げた。
イチゴもバナナも生クリーム+チョコレート入りの相当甘いやつだ。
静雄さんは甘党らしい。
しかしどうも埒が明かなそうだ。
あんまりここにいるのも後ろに並んでる女性と店員の目が痛いので、僕は提案した。
「あの、ひとつずつ買って僕と半分こしませんか?
そしたら両方食べられるし……」
あくまで、僕が二つとも食べてみたいというふうを装ってだ。
先輩を立てておくのも後輩の務めだろう。
すると静雄さんは嬉しそうに頷き、僕の提案に乗ってきた。
早速店員にイチゴとバナナを注文している。
「お会計、720円になります」
「あ」
やっと決まったのか、という顔で値段を読み上げる店員の言葉に、何故か静雄さんが固まった。
続いて、店員も固まる。
ついでに、後ろの女性客も。
財布を忘れた訳じゃ無い。
静雄さんの財布に入っていたのが万札だけだったからだ。
720円に対し一万円から。
店側にとっては迷惑だろう。
そこまでを一瞬で察知した僕はとりあえず、自分の財布から千円札を出した。
「……すまねぇ」
クレープを受け取り、静雄さんに手渡すと、静雄さんは肩を落としながら蚊の鳴くような声で謝罪してきた。
僕は笑顔で首を振る。
静雄さんは何も悪いことなんかしていない。
最初の動機はどうあれ、僕を喜ばせようとしてくれたのは事実だし、それが空回ってしまってるだけだ。
僕は静雄さんのその気持ちだけで十分嬉しい。
それを告げると、静雄さんは照れたように笑った。
自分を良い先輩らしく見せようと四苦八苦してるよりは、こっちの静雄さんの方がいい。
「自然体な静雄さんの方が好きですよ」
「あー……そうか?」
「はい」
そう言うと、静雄さんはますます恥ずかしそうに俯いてしまった。
多分あんまり褒められるのに慣れてないんだろうな、と漠然と思う。
「どうぞ」
「うん?」
「半分こです。
食べ掛けですけど」
とりあえず当初の目的を果たそうと、僕は静雄さんに一口かじったバナナクレープを差し出した。
「ん……うめぇ。
ありがとな、三好」
「…………」
と、何故かその手に静雄さんの手を重ねられ、わざわざ屈んでクレープをかじられる。
僕は空いてる手にクレープを渡したつもりだったんだけど。
「うん、どうした三好?
変な顔して」
「いえ……」
自然体すぎるのも、よくないと思います。
僕は出かけた言葉を飲み込む。
しかし、すぐに言っておけばよかったと後悔した。
「ほら」
「……はい?」
僕の口元に、静雄さんが手に持ってたクレープを持ってきたからだ。
なんですかこれは、なんて聞くまでもない。
「半分こだろ」
……やっぱり。
確かにそれは僕が言い出したことだった。
けれど、こうなるなんて思いもしなかったんだ。
僕は彼に対し「理屈が通じないから嫌いだ」と言った某情報屋に少なからず共感を覚えた。
そして半ば自棄になってクレープにかじりつく。
「……美味しいです」
嬉しそうに笑った静雄さんと、甘酸っぱいイチゴクレープに辟易した。
確かにこの平和島静雄という人は、あの情報屋が言っていた通りに厄介な人物かもしれない。
違うとすればただひとつ。
静雄さんは、自分の気持ちを素直に表現出来るかっこいいくらい真っ直ぐな人だってことだ。
「あの、静雄さん。
言いにくいんですけど……」
「なんだ?」
「クリームついてます」
「っ!?
ど、どのへんだ?」
そのくせ、色々と抜けてて妙に可愛かったりする。
かっこいいのか可愛いのかどっちかにすればいいのに。
「そこのショーウインドウとか見たら分かりやすいかもしれないです」
「なるほど……って滅茶苦茶付いてんじゃねぇか!」
ショーウインドウの前で格闘する静雄さんがおかしくて、僕は思わず笑った。
その横に小さく映る僕の顔が赤かったのは、きっとガラスの向こうの色のせいだろう。