「三好、お前大丈夫か?」
 脈絡の無い静雄の言葉に、三好はコテンと首を傾げた。その言葉の前は簡単な挨拶だったはずだ。心配の言葉にはどうやっても繋がらない。何の事だか理解出来ず三好が聞き返してみると、静雄は嫌悪感を顕わにした。
「なんでも、お前があのノミ蟲――臨也の奴に脅されてるっていうじゃねえか」
 ――は?



腐れ外道とチョコレート以下の話



 一体何がどうしてそんな話になったのやら。三好は自分の行動を振り返ってみた。
 ここ最近、池袋で会うことはしたが、特にといって変わったことはしていない。何かの受け渡しもしてないし、会話もただの世間話だ。だというのに万が一「自分が臨也に脅されているように見えた」のだとしたらそれは――
 ――日頃の行いだろうなぁ。
 片や裏世界の情報屋、片や善良な高校生。そんな二人に接点があるとは誰も思わないだろう。むしろ接点があれば静雄のように、三好に対し「縁を切るべきだ」と誰もが口を揃えて言うだろう。
 しかし生憎、三好は皆が言うほど善良では無いし、臨也と縁を切るつもりは毛頭無かった。
「あの野郎が何かしやがったら俺に言えよ。ぶっ殺してやるからな!」
「はい、ありがとうございます!」
 自分の身を案じてくれる優しい先輩にほんのりと罪悪感を抱きながら、三好は元気よく返事をした。素直で元気のいい人間を嫌う者はあまりいない。三好は経験からそのことをとうの昔に知っていた。
「おう、任せときな」
 三好の返事に満足したのか静雄はニッと笑い、三好の背中を叩いた。上機嫌のため、その強さは一般的な男性のそれだ。三好はそのことに胸をなで下ろしつつ、僅かに苦笑の混じった複雑な微笑みを浮かべた。




「――というわけなんです」
 何が、というわけ、だ。臨也は辟易した。突然押しかけられ、上がり込まれた上でそんな話をされても何ひとつ感じるところなど無い。いや、ひとつあった。噂は真逆で、実は自分の方が被害者なのではないかという懐疑的な感情だ。
「そういう噂が流れてる、ってれっきとした情報ですよ」
 どうやら食いついてくると思っていたらしい三好は少し退屈そうな表情で言った。
 臨也が食いつかなかったのには訳がある。三好の言葉を「それは違うよ」と否定するなり、臨也は長々と自分の考えを述べた。
「噂なんてものは情報になり得ない、ただのコミュニケーションツールだよ。そりゃあ俺だって、こういう噂があるよって情報は扱う。だけどその中身を正しい情報だと確定して扱うことは出来ない。いつどこで伝言ゲームになってるか分からなくて、正確性に欠けるからさ。扱うのはある程度の真偽を確認してからだ」
 なるほど、情報屋の見解だ。三好は自分との視座の違いに、目を丸くした。
 確かに情報屋にとって、扱う情報の質は自分の信頼に関わる。正確な情報でなければ商品としては扱えないのだろう。しかし、一般人の自分にとってはそうではない。
「逆に言えば、情報にならない噂の段階では真実だろうと虚偽だろうと構わないわけですよね。僕はそういう曖昧なところが好きですけど」
 三好が思ったままぽつりと呟くと、同じように差異を感じたのか臨也が興味深そうに聞き返した。まるで自分が間違っているかのような好奇の目に、三好は思わず首をすくめる。
「僕だけじゃなく、誰だって、何だってそうですよ。面白ければ好きだとか嫌いだとか嘘だとか本当だとか、どうでもいいんです。自分が楽しければ、それで」
 人間なんてそんなものだ。
 そう言い切った三好に、臨也は意地の悪い笑みを浮かべた。
「なるほど。君はまさにそれを体現しているわけだ。俺みたいな人間と話しているくらいだからね」
 臨也が何を言わんとしているのか、三好はすぐに察した。しかしそれが嫌味なのか、もしくは拗ねているのか、その意図までは分からなかったが。
「臨也さんを好きなのは本当ですよ?」
 三好は白々しく、心外だという顔をしながら言った。
 好きでも嫌いでも面白ければ構わない、とは言ったものの、三好にとっては少し違う。面白いものを好む三好は、面白いと思った時点で今までの感情に関係無く対象を愛しているのだ。
 三好の基準では臨也は面白くてたまらない人間だ。そんな観察対象を嫌うはずがない。
「僕は面白いもの全部を愛していますから、臨也さんのことも当然好きですよ」
「つまり、君にとって俺が面白くなくなった時はどうでもいいわけだね」
 間髪入れずに言い換えした臨也に、三好は首を傾げそうになる。そんなことを言うとは、彼らしくない。そんなことが有り得ないのは臨也本人が一番分かっているだろうに。
 確かに三好は臨也が好きだから面白いのではなく、面白いからこそ臨也が好きだ。しかしもし臨也が三好の観察対象から外れる時があるとしたら、折原臨也という人間の精神か肉体が死んだ時だけだろう。だから臨也が臨也として存在している限り、そんなことは起こり得ないのだ。
 三好がそう答えると、臨也は曖昧に相槌を打って立ち上がった。何か気に障ることをしたかと思考を巡らせる三好に対し、臨也は伸びをしながら答える。
「喋ったら喉が渇いたからね。三好君も何か飲むだろう」
 はい、いただきます。三好がそう言いきる前に臨也は二人分の飲み物の用意を始めた。なんとなく妙だ、と思いながら、三好は黙って待つ。
「はい、どうぞ」
 今茶葉切らしてるから。そう言って出されたマグカップにはココアがなみなみと注がれていた。臨也が出すには些か似合わない飲み物で、よくこの家にこんなものがあったものだ、と三好は感心すらした。
「俺は構わないけど、もう少ししたら帰りなよ。表向き、君は真面目な高校生って設定なんだろう?」
 ココアに息を吹きかけている三好に、臨也は頬杖をつきながら言った。臨也の方にあるカップには紅茶が入っている。茶葉は無いんじゃなかったのか、僕の方にココアを入れたのは子供扱いしてるのか、と三好は内心少し不満を募らせた。それに、早く帰った方がいいと言うなら何故、飲むのに時間がかかる熱いココアなど出したのだろうか。三好はムッとしながら、ココアを口に運んだ。
 ――あ。
 そこでふと、三好は以前ネットのニュースで見た雑学を思い出した。チョコレートには脳波や心拍数に影響を及ぼす――つまり人間を興奮させる成分が含まれているとか。太古の時代には媚薬として使用されていたとか。カカオにはその他にも様々な効用があるとか。
 ――なんだ、やっぱり拗ねてるって解釈でいいのか。
 臨也のおかしな言動も、これで合点がいった。意外に可愛いところもあるものだ。三好は思わず笑みをこぼしたが、マグカップで隠したので幸い当の臨也には気付かれなかったようだ。
「心配しなくても、臨也さんが一番面白いですよ」
 三好がいつもの笑みを浮かべてみせると、臨也は怪訝そうに眉を寄せた。三好の返答が見当違いの上、まったく明後日の方向の内容だったからに違いない。
「……なんだか引っかかる言い方だね」
 「一番面白い」と言われ、褒められたのか馬鹿にされたのか判断しかねたのだろう。いや、後者と取ったのかもしれない。
 臨也が眉間に益々深く皺を刻んだので、三好は適切な言葉を探す。
「じゃあ――臨也さんを一番愛してますよ」
「三好君、俺の話は聞いてたのかな?」
 せっかく言い直したのに、臨也の反応はつれないものだ。少なくとも、表面上は。三好は堪えきれずくつくつと笑った。
「ねえ臨也さん。恋人とキスするよりチョコレート食べる方が人間は興奮するらしいですよ。面白いですよね」
「へえ……じゃあ、恋人でもなんでもない俺が相手ならどうなるのかな。試してみる?」
「いえ、遠慮しておきます」
 なにそれ、と臨也が笑った。じゃあ言うな、とその目が言っている。こういうやり取りが出来るのも彼の面白いところだ。三好は残りのココアを飲み干し、にっこりと笑い返した。
「だって、こんなココア以下のことなんて、してもつまらないですよ」



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