「……ごめんね、園原さん」
 帝人と別れから、二人は無言で歩いていた。突然謝った三好に、杏里が首を傾げる。
「ほら、二人で買い物に行く約束だったのに、僕が途中で抜けたから」
 杏里は何も事情を知らないが、言うわけにもいかないだろう。
 平和島静雄は以前杏里を助けたというし、彼女も感謝しているようだからわざわざその評価を貶めることはない。警戒すべきは折原臨也で、彼はおそらく杏里の持つ力の存在を知っている。そして興味を持っているに違いない。ならば杏里を関わらせ、危険にさらすことはないと三好は判断した。
「いいんです。竜ヶ峰君と見て回るのも楽しかったし……。何より、三好君は途中で役割を放棄したんじゃなく、別行動で色々調べていたんですよね」
「う、うん。まあ……」
 ――実際は臨也さんに引っ張られて走ってたのが大半なんだけど……。
 確かに出会った相手に色々聞いてはいたが、もう情報はとっくに集まっていたし、ほとんど走っていただけだった。これではフォローしてくれた杏里に申し訳ない。三好は原因を作った臨也を恨めしく思いながら、俯いてとぼとぼ歩いた。



『おかえりー!』
 二人が新羅宅に戻ると、セルティが出迎えてくれた。
「た、ただいま……です」
「ただいま、セルティさん」
 両親のいない杏里と、両親の帰宅が遅い三好。おかえりと言われる機会の無い二人は、今までの気まずい雰囲気も忘れて照れたように笑った。
 早速、新羅に露西亜寿司でもらったまだ温かい茶碗蒸しを振る舞う。さすがはプロで、実に美味そうな茶碗蒸しだ。
『新羅、大丈夫か? ちゃんと食べられる?』
「うん、大丈夫だよ。味も分かるし」
 風邪をひいている新羅本人より、セルティの狼狽ぶりの方が心配だ。逆にセルティが倒れたりはしないだろうか。
 不安に思った三好は、新羅に悪いとは思いつつ、早速調理を始めることにした。
「――というわけで、野菜と鶏肉を入れて中華風に味付けしたお粥を作ります」
『な、なんか難しそう! 出来るかな……?』
「頑張りましょう、セルティさん! ……私も自信は無いんですけど……」
 ――だ、大丈夫かなぁ……。
 女性陣はやる気があるようだが、いささか頼りない。しかしいくらなんでも鍋で煮るだけなら大丈夫だろう、と無理矢理納得し、三好は早速用意を始めた。
「じゃあ、園原さんにはお米研いでもらって……セルティさんは野菜切って、その間に僕がダシを取っておきます」
「はい……あっ」
 張り切って米を研ぎ始めた杏里が、僅か数秒で焦ったような声を上げた。まだ野菜を洗ってもいない三好の表情が固まる。
 どうやら、うっかり水と一緒に米を排水口に流してしまったらしい。杏里は慌ててシンクに散らばった米をすくい上げている。
「す、すみません……!」
「大丈夫だよ、これくらいなら」
 頭を下げる杏里に、三好は笑いかけておく。どうせ洗うのだから心配は無いだろう。正直なところ自分でやった方が早いとは思いつつ、杏里がゆっくり米を研いでいる間に三好は野菜をまとめて洗った。
「指とか切らないように気をつけて下さいね」
『うん! 私、切るのは得意だから!』
「あ、これが終わったらお手伝いします。私も言われた通りに切るだけならなんとか……」
 ――なんかこの二人が言うと怖い!
 三好は刃物を振り回している二人の姿を思いだし、納得して頷いてしまった。
 しかし、予想に反して二人の、特に杏里の手付きは素人目に見ても危なっかしい。やっぱり自分でやった方がよかったかもしれない。
 野菜の切り方や大きさなど不安ばかりが募るが、一番重要な味付けだけはきっちりと三好がやった。これさえやっておけば食べられないものは出来ないはずだ。
「……よし、後は弱火にしてじっくり煮込むだけ」
 やっと一息ついた三好は、思わず汗を拭うような仕草をした。粥ひとつでここまで苦労するとは夢にも思わなかったからだ。
『……もうそろそろいいんじゃない? 新羅もお腹減っちゃうし』
「……まだ五分しか経ってませんよ」
 新羅が心配なのか、煮込んでいる間、セルティは何度かそう尋ねてきた。そこで三好が「これでも煮込む時間が短くなるようにしているし、本気で作ったら何時間もかかる」と説明するとかなり驚いたようだった。
 もしもセルティが一人で粥を作ったら一体何が出来上がっていたのだろうか。三好は遠い目をしながら、セルティにまだ時間がかかるので新羅の看病に戻って構わないと告げた。



「うん、美味い!」
 粥を口に運んだ新羅が目を輝かせるのを見て、三人はほうっと溜め息を吐いた。
「よかった……ちょっと薄味かな、と思ったんですけど」
「風邪の時は内臓に負担がかからないようこれくらいが丁度いいし、大味必淡なんて言葉もあるからね」
 三好も早速粥を土鍋から椀に移した。お世辞にも見た目がいいとは言えないが、味は悪くない。杏里も同じことを考えていたようで、自分がきちんと料理を作れたことに驚いているらしい。
『あ、そのネギ私が切ったんだ。どうかな……?』
「美味しくないわけがないよ! セルティの愛がこもってるんだからね! ……ついでにセルティが『あーん』なんてしてくれたらもっと美味しくなると思うなぁー」
『まったく……今日だけだぞ』
 新羅はデレデレと鼻の下を伸ばしているし、セルティは相変わらず新羅を甘やかしている。どうやら三好と杏里の存在は忘れているらしい。
 そのあまりのバカップルぶりに三好が辟易していると、突然杏里がクスクスと笑いだした。
『杏里ちゃん?』
「あ、すみません! お二人を笑ったわけじゃないんです!」
 首を傾げるような動作をしてみせたセルティに、杏里は頬を染めながら答える。
「ただ、こんな風に美味しいお夕飯をみんなで食べるのは本当に久しぶりで……。楽しいな、って思ったんです」
 三好は無意識のうちに頷いていた。自分も杏里と同じだったことに気付いたからだ。
 いや、今この瞬間に限った話ではない。なんだかんだで、今日という日は非常に楽しい一日だった。本当に様々な、多種多様な人と出会い、話し、ちょっとしたアクシデントはあったが、無事に美味しい夕食にありつけた。今まで移り住んだどの街でもこんなことは不可能だっただろう。
「僕も今日いろんな人に会って、改めて思いました。園原さんやセルティさん、新羅さんに会えて……池袋に来て、本当によかった!」
 今日出会った人の顔を思い出しながら、三好は粥を頬張った。
『私と同じだね』
「同じ?」
『うん。私も首を探すために仕方なくここに来たんだけど、今は三好君と同じように心から池袋が好きなんだ』
 PDAにそう入力したセルティは本当に楽しそうで、三好がやってきたことを改めて歓迎しているようだ。
「ああっ! セルティ! いくら親近感が沸くからって三好君に浮気したら駄目――げほげほっ!」
『ああもう、大声出すから! 一体いつ私が浮気したんだ?』
「だって今、滅茶苦茶いい顔で三好君に笑いかけたじゃないか! その笑顔は俺だけに向けててくれっ!」
『分かったからさっさと食べて寝ろ!』
 ――……!?
 二人が再び夫婦漫才を始め、杏里がまた笑った。しかし三好は驚愕の表情を浮かべ、目を擦る。
 セルティの首から上の何も無いはずの部分が、新羅の言う通り、にっこりと微笑んだのを確かに見たからだった。



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