とにかく憂いは去った。早く杏里の元に向かわなければ。
「ふぅ……」
 臨也がいなくなったところで、三好は緊張した身体をほぐそうと首を回した。彼のペースに乗せられないようにするのは一苦労だ。どんな言葉が飛び出してくるか分からないのだから。
 最後にぐっと伸びをして、三好は歩きだそうとした。
「――!」
 しかし三好の足は動く前に止まる。先程杏里が、たった今臨也が歩いて行った方向で、謎の轟音が響いたからだ。
 いや、三好にはその正体がすぐに理解出来た。おそらく池袋に済む人間ならば他の誰でも見当がついただろう。
 三好は携帯電話を取り出すと、まずとあるサイトを開き、独り言を呟くように文章を書き込んだ。
 ――『平和島静雄が暴れてる』っと。
 簡素で事務的な書き込みは三好の癖だった。どんなに長い文章でも興味が無ければ見向きもされないし、どんなに短くても興味を惹かれる内容なら勝手に食い付いてくる。そんな現代のネットの特性を理解していたからだ。
 ――とりあえず、今向かうのは危ないかな……。
 早く杏里の元へ向かいたいのは山々だが、今行けば巻き込まれる可能性もある。何せ、自分はこの先で暴れている二人の知り合いなのだから。
 そこで、三好はある友人がここから近い場所に住んでいることを思い出した。そうだ、彼に杏里のことを頼もう。
 早速三好は電話をかけた。
『もしもし、三好君?』
「あ、帝人。急にごめん」
 竜ヶ峰帝人。彼は杏里に好意を持っている。信頼出来る人物だし、杏里のことを頼めば彼にも利があると三好は踏んだ。
「実は――」
 二人の知り合いが風邪をひいて寝込んだこと、作る料理はある程度決まっていること、そして自分は今向かうに向かえないことを三好は説明した。
 どうやら丁度帝人も買い物に向かうところだったらしく、快く引き受けてくれた。もちろん、理由はそれだけではないだろうが。
「そういうわけで帝人、悪いけど頼んだ。俺のことは心配しないでって園原さんに……」
 言いかけて、三好は気付いた。例の轟音がこちらに近付いていることに。そして、別れたはずの折原臨也がこちらに走ってくることに。さらに、それを追いかけて自販機を掲げた平和島静雄が走ってくることに。
「待ちやがれ臨也ぁああ!」
 平和島静雄が、自販機をぶん投げたことに。
「ちょ、うわああっ!?」
 三好の目前に、臨也がかわした自販機が落下してくる。三好は叫び声を上げつつ尻餅をついた。その拍子にボタンを滅茶苦茶に押してしまい、電話が切れる。しかし、かけ直している暇は無かった。
「やあ三好君、さっきぶりだね。大丈夫? 怪我してない?」
 優雅といってもいいほどに、臨也はひらりとスクラップと化した自販機を飛び越え、立ち上がれないでいる三好に手を差し出した。誰のせいだ、と思いつつも、三好はその手に甘えておく。
「なっ……三好!?」
 そこに、静雄が追い付いてきた。彼は三好の存在に気付いていなかったらしい。
 臨也は三好に手を貸しながら、咎めるように言った。
「本当にシズちゃんって乱暴だよね。大事な後輩が怪我したらどうするのさ?」
 今回ばかりは、臨也の言うことは正論だった。
「……ッすまねぇ」
「あ、いえ。なんともないです……」
 苦々しい顔で謝罪する静雄に、三好は首を振る。ただ驚いただけで、特に外傷などは無い。
 それでもなんとなく、二人は沈黙した。
「よし、じゃあ三好君」
「……へ?」
 それを破ったのは臨也だった。
 たった今三好に貸したままだった手を、臨也は何故かぐいっと引っ張った。いや、引っ張っただけではなく、何故かそのまま走りだしたのだ。
「ちょ、臨也さん!?」
「悪いけど、しばらく一緒に来てもらうよ」
「……!? ま、待ちやがれ!」
 当然、すぐに静雄も追ってくる。しかし、先程とは明らかに違う部分があった。
 静雄が何か物を投げるなどの攻撃を一切行わなくなったのだ。
 その理由を、三好はすぐに察した。自分がいるからだ、と。どうやら臨也は三好を人質にとることを思い付いたらしい。
「あれー、どうしたのかなシズちゃん! 俺を殺すんじゃなかったっけ?」
「手前……っ! 三好を離せ!」
 こうして臨也は、三好という盾を構えながら池袋を走り回った。



 走り始めてからどれくらい経過したのだろう。臨也は盾にした三好のおかげで、何事もなく駅の階段までたどり着いていた。新宿に帰るつもりなのだろう。
 臨也の意図に気付いた三好はある人物に、手早くメールを送った。
「いやー、わざわざお見送りありがとう、三好君」
「……いえ……」
 憎たらしいフルスマイルで手を挙げてみせた臨也に、三好は息も絶え絶えでなんとかそう答えた。結局ここまで臨也に引っ張られてきてしまった。後ろでは相変わらず静雄が臨也を睨み続けている。
「どうやら君は事件を呼ぶ体質らしいね。その調子でシズちゃんの頭上に隕石でも呼んでくれると有難いんだけど!」
「うわっ!?」
「三好!」
 臨也は興味深げにそう言うなり、手を離して三好を静雄の方へ突き飛ばした。静雄は驚きつつも手にしていた標識を放り出し、足のもつれた三好を受け止める。
「大丈夫か!?」
「じゃあまたね、三好君」
 あんたが勝手に巻き込んだんだろ、というもっともな反論をする間もなく臨也は消えてしまった。あっけにとられている三好とは対照的に、静雄がますます怒りを募らせている。
「っ待ちやがれぇえっ!」
「ちょ、静雄さん!」
 再び標識を手に臨也を追おうとした静雄をなんとか止めようと、三好は静雄の前に立ちはだかる。駅構内で二人が暴れれば死人が出てもおかしくないだろう。
「止めんな三好! あいつはぶっ殺さなきゃ気がすまねぇ!」
「暴力は駄目ですよ!」
 今日の静雄の怒りはいつも以上だ。やはり、臨也が三好を盾にとったことが関係しているのだろう。これでは三好もいつまで無事か分からない。
 果たして自分に今の静雄が止められるのだろうか。三好が不安に駆られた時だった。
「シズオ、喧嘩ヨクナイヨー」
 大柄な黒人の男性が、静雄の肩をガッシリと掴んだのは。
「サイモン!」
 この巨漢サイモンこそ、先程三好がメールを飛ばした人物だ。池袋で唯一といっていい、静雄に対抗出来る力の持ち主。三好は彼に二人の喧嘩の仲裁を頼んだのだ。
「邪魔すんな! 俺は三好を守る為にあのノミ野郎をぶっ殺……こら、離しやがれ!」
「呑ミ? オー、ウチで呑むイイヨ、オ客サン。カニ、シジミ、ナンデモ呑メルヨ」
「静雄さん、僕はなんともないですから……ちょっと落ち着いて」
 暴れる静雄を引きずって寿司屋に連れて行くとは、さすがサイモンである。三好は感心と感謝をしながら、一刻も早く静雄を落ち着けようとサイモンと引きずられる静雄の後に続いた。



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