杏里は困惑していた。
 自分を守るように一歩前に立つ三好は、妙に真剣な顔をしている。
 そして自分達の前に現れた男は、そんな三好を見て笑みを浮かべている。フードの付いた黒いコートを着た、眉目秀麗という言葉を絵にしたような男だ。
「ごめん、園原さん。知り合いなんだ。ちょっと話して行くから、先に行ってて」
 肩越しに杏里に微笑みかける三好は、まるで目の前の男を警戒しているようにも見える。杏里自身も、何か得体の知れないものを感じていた。男はただ普通に挨拶をしてきただけだというのに。
「どの野菜が安いかとか先に見てて欲しいんだ。行く時にはメールするから」
 食い下がる杏里に、三好は再三先に行くように告げる。そうされては仕方なく、杏里はその場を離れることにした。
「――そんなに警戒しないでよ、ちょっと見かけたから声かけただけなんだからさ」
 スーパーへと向かう杏里を見届けてから、三好はふうっと息を吐いた。それを待っていたように男も口を開く。
「改めて、こんばんは三好吉宗君」
「……こんばんは、臨也さん」



「ふうん……風邪ひいた知り合いに、ねえ」
 何故か貰ってしまった缶ジュースを手に、三好はこくりと頷いた。
 自販機にもたれている臨也はどこかおかしそうに笑っている。もしかするとこの男は全てを知っているのかもしれない、と三好は思った。
「臨也さんって、風邪ひいた時は何食べてるんですか?」
 それでも一応、単刀直入に問う。さっさと用を済ませ、杏里に合流しようと考えたからだ。
「うん? 俺が何食べてるかって? 教えてあげてもいいけど、情報料はもらわないとねぇ」
 思わず三好は顔をしかめそうになる。いや、情報屋に話を聞くということはそういうことには違いないが、それでも。
「やだなあ、冗談だよ」
 そうやって三好が閉口するのは彼の予想通りだったらしい。臨也はどこか馬鹿にするように笑ってみせた。
「それで、大体どんなものを作るのかは決まってるの?」
「とりあえず、お粥に野菜を入れようと思ってます」
「ふーん……ちょっと愛想がない気もするけど、確かに体力が無い時はシンプルな方がいいかもね」
 しかし、臨也はそこからは意外にも真摯に相談に乗ってきた。それには三好も少し驚いたが、答えてくれるなら丁度いいと会話を続けてみる。
「はい、料理が下手なので」
「なるほどね、じゃあ尚更簡単なものの方がいいかな」
 そう言うなり、臨也はぴたりと口をつぐんだ。どうやら本気で思案してくれているらしい。存外いいところもあるものだと感心する三好に対し、臨也は少ししてから口を開いた。
「それじゃあ、俺は料理じゃなくて飲み物にしよう。ジンジャーティー、なんてどうだろう」
「ジンジャーティー?」
 なんですかそれ、と三好はクエスチョンマークを浮かべる。
 ジンジャーと言えば生姜のことだ。そういえば風邪に効く食材のリストにも入っていたような気がする。
「すりおろした生姜と蜂蜜を紅茶に入れると身体が温まるんだよ。冬の寒い時期は勿論、夏は冷房対策や夏バテ防止にもなるから一年通して飲めるし、お手軽だから覚えておいて損は無いよ」
 臨也は人差し指を振りながら得意気に解説してみせた。確かに言っていることは正しい。だがあまりにもあんまりな情報だったので三好は「あんたはOLか」というツッコミを心の中で行った。
「……今、何か失礼なこと考えなかった?」
 しかし臨也にはそれもお見通しだったらしい。予測していたのか、鋭い勘によるものかは定かではないが。
 三好はふるふると首を横に振り、一応きちんと礼と挨拶を述べた。この男とあまり長く喋っていると、一体何に巻き込まれるか分からない。何より三好は早く杏里を追いかけたかった。
「構わないよ、これくらい。世の中ギブアンドテイクだしね」
「……え」
 臨也の言葉が引っ掛かり、三好は歩き出した足を止めて振り返った。臨也はニヤニヤとどこか悪意を感じる笑みを浮かべている。
「三好君は料理が下手、と。覚えておくよ」
 そういうことか、と三好はようやく気付いた。あんな会話の中にも臨也は何か意味を見出だしていたらしい。その程度のことが役に立つとも思えないので、彼の単純な好奇心を満たす情報ということだろう。
 ほんの僅かに不快感を露にした三好に、臨也は尚も続ける。
「一人がなんとか出来れば、料理なんて大抵の場合上手くいくものだよ。にも関わらず簡単な料理しか出来ない、ってことは君だけじゃなくあの女の子も料理が下手ってことかな?」
「っ!」
 その言葉で、三好が驚愕の表情を浮かべる。それが図星であることは火を見るより明らかで、臨也は満足そうに頷いた。
 ――やっぱり、この人は油断ならない人物だ。
「じゃあね、三好君。その知り合いの人にお大事にって言っといてよ」
 臨也がそう言って別の方向へと歩き出すのを、三好は固まったまま見送ることしか出来なかった。



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