※2014/1/12に出したコピー本と同じものです。
13巻のネタバレを含みます。



 病院のエントランスに彼は立っていた。帝人が彼に会うのは久しぶりのことだった。その懐かしいはずの友人は、まるで毎日顔を合わせているかのような自然さでそこに佇んでいた。それはまさしく出会った頃と同じように。
「退院、おめでとう」
 彼の第一声はそれだった。言葉を交わすのはひどく久しぶりだったのに、空白の時間など存在しなかったような、いつも通りの声だった。
 彼が海外へ引っ越してから帝人の周りでは様々なことがあった。ありすぎた。自分も周囲も変わってしまった。海外という新しい環境へ身を置いた彼も同じだったはずだ。
 なのに彼の声は最後に聞いた時となんら変わりなかった。ならば、自分が言うべき言葉は「久しぶり」でも「いつ日本に帰ってきたの?」でもない。
「ありがとう、三好君」
 帝人はいつかの日常を思い出しながら彼の名を呼ぶ。三好吉宗、その懐かしい友人の名を。実際に口にしてみると今度は不思議なことに彼を古い記憶の、まるで何十年も遠い昔の友人のように感じられた。



 二人は池袋の街を歩くことにした。特に宛があったわけではないが、池袋という街をゆっくり歩きたいと思った二人はそうすることに決めた。今はもういつも通りになった街からはあんな大規模な事件があったことなど微塵も感じられない。
「心配してたんだよ、色々と大変なことになってたみたいだから」
 三好がいない間に起きた数々の出来事を、彼は果たしてどこまで知っているのか。それを問おうか考えて帝人はやめた。三好はダラーズのメンバーだ。そしてあのチャットにも参加していた。そんな彼が何も知らないはずはない。
「ダラーズのサイトは消えたし、チャットも……見るたびにものすごく荒れてたね。僕も結構あそこ気に入ってたのにな。残念だよね」
 三好はそう言って苦笑を浮かべた。壊れていくダラーズやチャットを、異国の地で三好は一人どう思っていたのだろう。
 かつて帝人は、三好にあのチャットルームが自分の帰る場所なのだと語ったことがある。そして三好にとってもそんな場所になればいい、とも。しかしその想いとは逆に、あの場所はどんどん壊れていってしまった。
「……ごめん、僕のせいだ」
「なんで帝人君が謝るの?」
 帝人がぐっと手を握り締めて俯く。立ち止まった帝人にあわせて、三好も足を止めた。その顔は困ったような笑みを浮かべている。
「僕は帝人君を責めようとして言ったんじゃないんだ。帝人君はあの場所が好きで、それを守ろうとしてた。それを邪魔したのは別の人達だ。君は悪くないよ」
 眉をハの字にして、三好は帝人を励ましてくれた。しかし、帝人はその言葉を受け入れられずにいる。自分が起こした事の大きさは、簡単に許されるものではないと思っていた。
「でも、」
「『僕が弱かったから』とか、言わないでね」
 言いかけた言葉を制止し、三好はぴしゃりと言いはなった。友人のいつもと違うきつい口調に思わず帝人は顔を上げる。
「帝人君は悪くないよ。もちろん、全部が悪くないとは言えないけど、帝人君だけが悪いんじゃない」
 珍しく三好は笑みを消し、語気を強める。誰かに罪があるのではない、正臣や杏里や自分も含め、それぞれの選択の相性が悪かっただけなのだと三好は言った。
 そう述べたあとで、今度は三好が俯いてしまった。
「謝るとしたら僕のほうなんだ。僕は肝心な時にここにいなかった人間だから。肝心なことになる前に止められたのに、止めなかった人間だから」
 三好は帝人がダラーズの創始者であることを、一連の出来事の中でも早い段階から知っていた。偶然知ってしまったこととはいえ、当時はまだ臨也とセルティくらいしか持っていなかった情報を三好は持っていたのだ。それは今思えば、帝人の中の何かが壊れ始めた時期だっただろうか。
「僕は君のことを知っていた。そんな僕にしか出来ないこともあったはずだ。なのに僕はそれをしなかった。出来なかったんじゃなくて、しなかったんだ」
 三好は帝人がダラーズの創始者であることを知った時に、批判することも止めることもしなかった。その時に三好が真剣に止めていれば、あるいは違った未来になっていたのかもしれない。
「僕は友達が危ないことに首を突っ込んでるのを知っていたのに、止めようとしなかった。なんとかしようと行動する気すら無かった。僕はダラーズの創始者を知って、知っただけで、それ以上何もしなかった」
「それは違うよ。僕はあの時、三好君っていう理解者が出来て嬉しかったんだ。それこそ三好君の言う通り、その後の選択肢を間違えた僕が悪いんだ」
「だから帝人君は悪くないって。結果的に選択肢が間違ってただけで。その前に僕が友達を失う覚悟で止めていたら、」
「でも僕は、」
 二人は立ち止まったまま、お互いに自分が悪いと言って譲らなかった。まったくの平行線だ。それは実に不毛な争いであった。
「……やめようか。このままだと終わらなさそうだ」
「そうだね……」
 やっと大通りで立ち止まったまま口論していたことに気付いた二人は、周囲の好奇の目から逃れるようにそそくさとその場から離れる。相変わらず宛は無いが、止まっているよりは足を動かしているほうがいい。
「……じゃあ、ここからは謝るのは無しにしよう。謝ったら罰金百円」
 口では停戦を宣言しても、きっと二人は何かにつけて自分が悪いと主張してしまうだろう。それでは話が進まない。そこで三好は強制的に互いの謝罪を封じることにしたようだ。
 提案する三好は何事も無かったように、いつもの柔和な表情に戻っている。その表情が取り繕ったものであることに帝人は気付いていたが、何も言わずに普段通りの反応に努めた。
「結構高くない!?」
「そのくらいのほうが罰金ぽいかなって」
「ええー……なんか僕、すぐ謝ってお金無くなりそう……。夕飯買えるかな」
 そう言って帝人が大袈裟にため息を吐いたので、三好は思わず吹き出した。それを見て帝人も笑う。ようやく出た自然な笑顔だった。
「――あ」
 不意に、帝人がまたぴたりと立ち止まった。数歩先に進んだ三好が不思議そうに振り向く。
「何?」
「その罰金が始まる前にどうしても謝っておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「謝っておきたいこと? さっき話した以外のことで?」
 三好の問いに帝人が頷く。帝人は妙に沈痛な面持ちだった。彼の謝罪内容はダラーズの件でも、チャットルームの件でもないらしい。まったく覚えが無い三好は不思議そうに首を傾げる。
 帝人は真っ直ぐに三好の目を見ると、彼に対する懺悔を口にした。
「僕は自分のためなら、君のことを平気で撃てるって言ってしまったんだ」
 二人の間にしばしの沈黙が流れた。
「……撃てる、って?」
 三好は逆側に首を傾げながら言葉の意味を問う。首の骨が鳴るくらいの勢いだったので、彼の頭の中には相当数のクエスチョンマークが浮かんでいるのだろう。
「うてる、って言うのは、ええと……野球の話?」
「拳銃の話だよ」
「……つまり、帝人君は自分が必要だと思ったら僕を銃で撃っても平気ってこと?」
「ごめん」
 帝人の声は悲愴な表情とは違い、逆に淡々としすぎているくらいだった。三好は少しだけ眉を寄せて帝人を見ている。
「言わなきゃ僕は知らないままだったのに、真面目だね。そういうところは、初めて会ったクラス委員のときのままだ」
「うん、黙っててもよかったんだけどね……。どうしても、君には謝っておきたかったんだ」
 あの日、帝人は三好を撃てると言った。友人である三好に向かって自分は引き金を引けてしまう人間だと。その言葉を正臣も聞いていたが、優しい彼は帝人が言ってしまった言葉を誰にも漏らさず自分の心に封印しているだろう。だから正臣と同じく、帝人も口をつぐんでいれば三好が知ることは無かったはずだ。それでも、帝人は自分から謝らずにはいられなかった。こんなことは友人に向ける言葉ではない。普通であれば相手に嫌悪感を抱かせ拒絶される言葉だ。帝人は友人を失う覚悟で自分の罪を三好に晒したのだ。何故自分がそうしたのか、三好の言う通り真面目で不器用だったからなのか、単純に自己満足のためだったのかは帝人にも分からない。
「ふーん、そうなんだ」
「ごめん……」
「いや、責めてるんじゃないよ。皮肉とかでもなんでもなく、そうなんだ、って思っただけだよ」
「うん、ごめ……えっ?」
 しかし、何故か三好は怒ることも拒絶することもなく普通に納得していた。まるで天気か何かの世間話でもしているかのように。
 思わず帝人が聞き返すと、何故聞き返されたのか分からないとばかりに、三好は目を瞬かせた。
「あ、あのね三好君。普通は怒ったりしていいところなんだけど……」
「え、なんで? 別に今すぐ僕を撃ち殺そうってわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
 帝人をフォローしているわけではなく三好は本気で言っているようだ。
 自分のことを棚に上げて、三好は変わっていると帝人は思った。そこにあるものをあるがままに受け入れて納得してしまう。それが三好の良いところであり、悪いところでもあった。そんな三好だからこそ帝人がダラーズ創始者であることを知った上で池袋クリーン化計画の阻止に協力し、そんな三好だからこそ帝人を正臣のように止めることなく受け流してしまったのだから。きっと三好は今ここで帝人が本当に拳銃を持っていたとしても同じことを言うのだろう。彼はきっと全てを受け入れてしまうはずだ。
 そんなふうに帝人が考えていたのを知ってか知らずか、思考を遮るようにけろりとして三好は言った。
「それより帝人君、さっき二回半謝ったから、罰金二百五十円だよ?」
「カウントしてるの!?」
 帝人がすっとんきょうな声を上げるが、三好はいつもの微笑みをたたえているだけだ。というか、こちらが真面目に話しているのにそんなことを数えていたのか。気を遣って場を和ませようとしているのか、それとも本気なのか三好の人懐こい笑みから読み取ることは出来ない。そんな三好はある意味、大物かもしれない。帝人は少し呆れた目で三好を見た。
「どうしようかな。ゲーセンとカラオケ、どっちをおごってもらおう」
「もう、罰金が始まる前にって言ったのに……!」
 足取り軽く歩き出す三好の後をむくれた帝人が追う。そんな子供っぽいやり取りをしながら二人は池袋を歩く。まるで遠いところにあった年齢相応の日常生活を噛み締めるように。


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