「今日、誕生日なんだってな」
 静雄に声をかけられ、三好は目をぱちくりさせた。
 確かに今日は三好の誕生日だ。しかし三好にはそれを静雄に教えた覚えがない。三好がこの池袋にやってきたのは、つい一ヶ月ほど前のことだ。まだそれだけしか経っていないのに誕生日を伝えるのも図々しい気がして、三好は特に誰にも伝えていなかった。
「これ、お前がどんなもんが好きか分からなかったからよ。俺の基準で選んだんだけどな。よかったら食ってくれ」
 だというのに何故か静雄は三好の誕生日を知っていて、プレゼントだと言って可愛らしいラッピングのクッキーを手渡してきた。これではずっと以前から用意していたような口振りではないか。
「仕事終わってから呼び出して渡そうと思ってたんだけどな。丁度会えて良かったぜ」
 うろたえている三好のことなどお構い無しに、静雄はクッキーを押し付けてニッと笑った。
「あ……ありがとうございます。それにしても、よく知ってますね。僕あんまりそういう話しないんですけど……」
 三好はひとまず礼を言い、ようやく話を切り出した。何故静雄が誕生日のことを知っていたのか。忘れているだけで三好自身が伝えたのかもしれないが、その可能性は低いだろう。転校が多い三好は相手に気を遣わせないよう、誕生日などは伏せるようにしている。それは昔から続けていた習慣で、簡単に変わるものではない。
「あぁ、セルティに聞いたんだよ。こないだ話したときにお前が誕生日だって教えられて」
「セルティさんが?」
 静雄は共通の友人であるセルティの紹介だと説明した。
 しかし、三好にしてみればセルティが知っているのはますます妙だ。セルティと友人になったのはほんの少し前のことだ。そんなセルティに自分が誕生日を話すことは無いはずなのに。
「それ聞いたのっていつですか?」
「うん? 確か昨日の昼くれぇだったかな……。それがどうかしたか?」
 やはりおかしい、と三好は思った。一週間ほどセルティには会っていない。その前に三好と話して誕生日のことを知ったのなら、誕生日の前日などという慌ただしいタイミングで静雄に話したりはしないだろう。つまりセルティは三好以外の誰かから情報を得ているはずなのだ。
「いえ、なんでもないです。クッキーありがとうございます」
 三好はぺこりと頭を下げ、まだ仕事があるのだという静雄と別れて歩き出した。



 幸運にも、公園で一休みしていたセルティと鉢合わせた。次の仕事まで時間を潰しているのだという。ならば話を聞く時間くらいはあるだろうと、三好が本題に入ろうとしたところで先にセルティが文字を入力する。
『三好君、誕生日なんだよね。今日。おめでとう!』
 先に言われてしまったが、これで自然に話を持っていくことが出来る。三好はきちんと礼を述べてから疑問をぶつけた。
「よく知ってますね。僕、言いましたっけ」
 三好があくまで冗談めかした口調で問うと、セルティは頭をかくようにヘルメットを揺らした。
『ううん、実は数日前まで知らなかったんだ。遠慮せずに言ってくれて良かったのに』
 やはり、自分から話したためではなかったようだ。ならば何故セルティがそのことを知っているのか。まだ納得いかないでいる三好にセルティは続ける。
『この間、臨也に仕事を頼まれてね。その時に聞いたんだけど……』
「えっ? ……臨也さんから?」
 唐突に出てきた臨也の名前に三好は少し眉をひそめた。その反応にセルティはため息を吐くような仕草を見せる。
『……その調子だと、臨也が勝手に調べてきたのか。まったくあいつは……』
 二人の頭には三好の個人情報をどこかから手に入れてほくそ笑む臨也が浮かんだ。なんのためにそんなものを手に入れたのかは分からないが、臨也なら何の理由も無くやりそうだ。
『そういえば臨也も三好君にプレゼントを用意してるとか言ってたっけ。……ちょっと不安だけど、危ないようなことはないんじゃないかな。私にも教えてくれるくらいだし。もし何かあったら、私や静雄を呼び出してくれたらいいからね』
 まだ口をへの字にしている三好をなだめるようにセルティが言う。しかしセルティのほうもあまりフォローになっていなかった。臨也の日頃の行いを思えば仕方の無いことかもしれない。
 一抹の不安が残っているが、セルティは仕事の時間が来てしまったと言った。三好は笑顔でセルティを見送る。
 今のところ、特に臨也からはなんの連絡も無い。プレゼントとやらを渡しに現れるのだろうか。もしかすると自宅に郵送されているのかもしれない。自宅の住所も伝えた覚えがないので、それはそれで複雑だ。
 もしプレゼントを渡すつもりなら、池袋に来ているかもしれない。特に予定も無いので、三好は池袋をぶらつくことにした。



 拍子抜けするほど、池袋は平和だった。喧嘩も無ければ、事件も無い。とにかく平和で買い物日和の池袋だった。
 もちろん臨也も現れなかった。いつも待ち合わせをする公園や駅も覗いたが、臨也は当然いなかった。約束も何もしていないのだから当たり前だ。一応電話もかけてみたが、すぐに留守電になってしまった。
 自分の誕生日だという理由で臨也が厄介なものを渡してくるのでは、と予測していた三好は肩透かしを食ってしまった。結局三好はそのまま帰宅し、両親に誕生日を祝ってもらい、普通に自室に戻ってきた。
 平和なのは、けして悪いことではない。なのになんだか納得がいかない。三好はスマートフォンを手に取り、再度臨也に電話をかけた。
 ――出ない。
 コールはするものの、電話に出る気配は無い。いつもならすぐに出るか、むしろ向こうから都合をお構い無しに連絡が来るのに。
 もしや何かに巻き込まれているのだろうか。あの狡猾な臨也には考えにくいことだが、危険な職業だということに変わりは無い。何があってもおかしくないのだ。
『――も、』
「臨也さんっ!」
 少し不安になった三好がしつこく電話をかけ続けると、ようやく臨也の声が聞こえてきた。先ほどの不安が勝ってしまい、三好自身も驚くほどの大声で臨也の声はかき消される。
『……やあ三好君。元気そうだね』
 おそらく呆れているのだろう。一呼吸置いて、臨也からは刺々しい言葉が返ってきた。三好はすぐに謝罪する。
『しつこいよ、君。何回も電話してきてどういうつもりだい? もし俺が大事な商談の最中だったりしたらどうするつもりだったの?』
 しかし、臨也の苦言は終わらない。三好は謝りながらもどこか違和感を感じていた。
「すみません……。臨也さん、いつもわりとすぐ電話に出るから何かあったのかと思って」
『俺がそんな、誰かの助けを借りなきゃいけないような危機的状況に陥るって? 舐めてもらっちゃ困るなあ。……もっとも、今日の池袋は平和すぎるくらいに平和で、そんな事件はひとつも起きてないし、起きるような状況じゃなかったけどね。君も知ってるかもしれないけど』
 せせら笑う臨也に、三好はひとつの推測をした。それが正しい確証は無いが、臨也の妙な物言いに繋がる答えはこれくらいしか思い付かなかった。
「――臨也さん、実は僕、今日が誕生日なんです」
 その確証を求め、三好は話を切り出した。
『へえ、それはおめでとう。池袋で誕生日を穏やかに過ごせるなんてある意味運がいいよ。ここのところ、毎日のように乱暴な誰かさんが暴れてるからね』
 臨也は今知ったような口振りだが、それが嘘だというのは分かっている。ここまでくれば、推測は確信に変わる。
「遠慮なんてしなくていいのに、らしくないですよ」
 三好は少し目を細め、聞こえるかどうか分からない小さな声で呟いた。
『三好君、少し電話が遠いようだけど?』
 その声は臨也に届かなかったらしい。あるいは、聞こえていない振りをしているのか。
「いえ、なんでもないです。ところで臨也さん。僕が今まで住んでいた場所は池袋ほどスリリングではなかったんですよ」
 今度は三好が反撃する番だ。三好が何を言わんとしているのか、興味深そうに臨也が相槌を打つ。
「だから池袋で平和な誕生日を迎えても、いつも通りで、あんまり有り難みが無いんです。せっかくだから池袋でしか味わえないような誕生日っていうのも、悪くないと思いませんか?」
『……何が言いたいんだい?』
 勿体ぶって三好が言うと、臨也は予想通りに乗ってきた。あとは臨也が同意するかどうか。
「臨也さん、今新宿ですよね。池袋までご足労いただけませんか? 誕生日ですから、どうせならお寿司が食べたい気分です」
 少し緊張した笑みで三好は提案する。言ってしまったのなら、あとは答えを待つのみだ。自分の推理が正しくても臨也がそれを認めるとは限らない。痛い沈黙が数秒続いた。
『……せっかく俺がお膳立てしてあげたっていうのにね』
 ふっと臨也が笑う声が聞こえた。それは小さな、本当に小さな敗北宣言だった。周囲の音に紛れて消えてしまうくらいの声ではあったが、三好には確かに届いた。
「えっ? 臨也さん、何か言いましたか?」
『君から夜のデートのお誘いなんて楽しみだなあ、って言ったんだよ』
 三好がすっとぼけると臨也はすぐに減らず口を叩いた。三好はつい笑いそうになって、こらえるのに必死だ。
「じゃあ、駅で待ち合わせにしましょうか」
『そうだね。俺も今から向かうから』
「はい。じゃあまた」
 三好は電話を切り、スマートフォンに表示されている時計を確認した。そろそろ静雄は仕事が終わった頃だろうか。ならば上司とあの寿司屋にいてもおかしくはない。そんなことは臨也も分かっているだろう。サイモンがいるとはいえ、十分危ない橋だ。それでも了承した臨也を少し意外に感じながらも、三好は臨也に感謝した。
 もし万が一のことがあったら、盾になって逃がしてあげるくらいはしようか。三好は高揚する心を抑えきれぬまま、足早に家を出た。



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