ピピピ、とアラームの音がした。
大抵鳴る前に目が覚めてしまうのに。
珍しいと思いながら俺は手を伸ばした。
時計を軽く叩くと音が止み、狭い部屋がまた静寂に包まれる。
やけに寒いな、と思ったらうっかり裸で眠ってしまっていたようだ。
風邪をひくからやめろ、とサイファーに何度か注意されているのにな。
別に素っ裸で寝ているわけじゃないし、上脱ぐくらい普通だろうに。
そう言うと「正直お前の筋肉見ると落ち込む」と返されたっけな。
サイファーもトレーニングはしているはずなのに、確かに妙に細い気がする。
加えてあの童顔だ、いろいろ気にしていることも多いのだろう。
はは、と苦笑しながら俺は身体を起こし、椅子にかけっぱなしにしていた服へと歩み寄った。

「んー……」

俺がベッドから出たせいで隙間が寒いのだろう。
俺の隣に寝ていた相棒が不満そうに布団を引っ張った。

「こら、サイファー。
もう朝だぞ……」

起きろ、と言いかけて伸ばした手を俺は引っ込めた。
ちょっと待て。
ちょっと待ってくれ。
心の中で何度かそう呟くが、現実は待ってはくれないようだ。
これは夢ではないと、覚醒し始めた頭が告げている。

「……なんでこいつが隣で寝てるんだ……!?」

朝の肌寒さとは違う悪寒を感じ、俺は思わず小声でそう叫んだ。



夢の夢のまた夢であれ



よし、落ち着け。
落ち着くんだ俺。
まずは昨日なにをしたか思い出すんだ。
そうすれば自ずと答えは出るはずだ。
俺は腕組みをして頷き、昨晩の記憶を辿った。

「今日の撃墜ランキングはもちろんサイファーとピクシーのワンツーフィニッシュ!」
「おいおい、俺達にも残しておいてくれよ」

そうだ。
確か昨日はそんな話をしていた。
いつも通り酒を飲んで、他の傭兵達に戦功を讃えられていたはずだ。

「ほらよ、ピクシー!これも飲んでくれ!」
「サイファー!プリン奢るぜ!」

ただ、昨日は確かに飲み過ぎたような気がする。
あれもこれもと勧められたからには飲まないわけにはいかなかった。
相変わらず喋りはしなかったが、サイファーも珍しく随分と飲んでいた気がする。
それから騒ぎがそこそこ収まった頃合いを見て、確かに俺は半分寝ていたサイファーを部屋に送ってから自分の部屋に戻って寝……。
寝た、か……?
…………。

「いやいやいやいや」

俺は首を振った。
そうだ、俺は部屋に戻って寝たんだ。
その他に何があるんだ。
サイファーが隣で寝てる理由なんかない。
何かの間違いだ。
いや、間違いがあったから隣で寝ているのか。
待て待て、間違いってなんだ。
だから、するとつまり……。

「無い、絶対にそれだけは」

爽やかな朝には似合わない想像をしてしまった俺は、急いでそれを無かったことにした。
そんなことがあるものか。
俺もサイファーも酒は強い方だ。
意識がぶっ飛ぶなんて有り得ない。
それに万が一俺が酔って血迷おうものなら、既にサイファーに半殺しにされているだろう。
きっといつも通り過ぎて、当たり前過ぎて気に止めていなかったから忘れているだけだ。
俺は自分に言い聞かせた。
何も後ろめたいことなんかない。
普通にサイファーを起こせばいいんだ。
そして「人のベッドで勝手に寝るな」とでも言えばいい。
そうだ、俺は今まで床で寝ていたんだ。そう信じろ。
よし。
俺は決心し、サイファーの肩を軽く叩いた。

「サイファー、朝だぞ」

我ながら、完璧な起こし方だ。
ここが俺の部屋ということ以外はまったくいつも通りだ。

「うー……」

サイファーはごそごそと寝返りをうって俺に背を向けた。
珍しく寝ているのだから、このまま寝かせてやりたいのは山々なんだが。

「なあ相棒、早く起きろよ」

仕方なく俺はサイファーの肩を掴んで少し強めに揺すった。
不機嫌なうなり声がして、サイファーが目を開ける。

「ん……」
「起きたか?」

返事の代わりか、サイファーが起き上がりながら軽く頭を振った。
どうやらまだ半分寝ているらしい。
まあ、いつも何分の一かは寝ている気もするが。

「まったく、何を勝手に人のベッドで……」

座ったままボーッとしているサイファーに、俺は先程考えた言葉を発した。
通じているのかいないのか、相棒は軽く首を傾げて俺を見ている。
じっと俺の目を真っ直ぐに。

「……あ、相棒?」

気恥ずかしく感じ視線を外すと、サイファーが口を開き、少しかすれた声で言った。

「……ラ、リー」

本名を呼ばれたことで、心臓が妙に大きな音を立てた気がした。
別にサイファーに名を呼ばれるのはしばしばあることで、初めてではない。
なのに何故だ。何を意識しているんだ俺は。

「…………」

サイファーは黙って俺を見ている。
まだとろんとしている瞳に、何故か考えていることを見透かされそうな気がした。

「服、着ないと風邪……ひくぞ……」

……風邪ひくぞ、か。
何を言い出すかと思えば、いつも通りの言葉で内心ほっとした。
もしもおかしなことを言われたらどうしようかと思っていたところだ。

「あ、ああ……そうだな」

俺は返事をしながら、曖昧に頷いた。
サイファーはベッドの周りをきょろきょろと見回している。
いつも枕元に置いてあるはずのスケッチブックを探しているのだろう。

「サイファー、ここ、俺の部屋なんだがな」
「ん?」
「お前が寝てるのは俺のベッドだし、俺が裸なのは自分の部屋だからなんだよ」

相棒が訝しげに首を少し傾げた。

「だから、相棒……」
「知ってる」
「……は?」

聞き返す俺を無視してサイファーは廊下へ出て行き、すぐに手にスケッチブックとペンを持って帰ってきた。
隣の自室へ行ってきたらしい。
ついでにそのパジャマを着替えてくればいいものを、なんてことを俺は思ったが口には出さなかった。
人間こういう時は、妙なところに気がつくものだ。

「どういうことだ」

知ってるとはどういう意味なのだろう。
訳が分からず、俺は若干苛立ちながらサイファーが文字を書くのを待った。

『覚えてないのか?』
「何をだ」
『お前相当酔ってたもんな』

何が癪かというと、サイファーは俺より酒が強いということだ。
いや、正しくは基地で一番強い。
他の奴らが完全に酔っ払っていても、こいつだけは最後まで平気な顔をしていたりする。

『お前が俺のこと部屋に呼んだんだぞ』

まじかよ。
俺は何度もスケッチブックの文字に目を走らせた。
俺が?
まさか。それはない。
しかし酔っていたなら有り得るかもしれない。だが……。

「サイファー」
「ん?」

俺は頭をかいた。
はっきり言って、こんなこと聞きたくはない。
聞きたくはないが、聞かなければ釈然としない。

「俺はお前に何かしたか?」

サイファーが目をぱちぱちさせた。
そして突然吹き出し、大笑いしはじめた。
こいつの笑顔は甘いもの以外には滅多に向けられない。
声を出して笑うなんて尚更だ。
それでもこいつが笑うと基地の奴らは喜ぶので、もう少し日常的に笑って欲しいと思っている。
だが、今は面白いことは何も言っていない。こっちは真剣だ。

「はは……ありえね……っ!」

お前は腹を抱えて笑っているようだが、本当に真剣なんだぞ、相棒。
俺の少々苛立った視線に気付いたのか、サイファーは笑いながらペンを握ると、またスケッチブックに文章を書き始めた。

『お前馬鹿だな。
俺の相棒がそんなことするわけないだろ。
されても返り討ちにする』

笑いながら書かれたせいか文字が歪んでいるが、こちらに向けられたスケッチブックには確かにそう書いてある。

「まあ……な」

俺の相棒がそんなことするわけないだろ、か。
たったそれだけの文章で嬉しく感じてしまう俺は随分甘いのかもしれない。

『俺の部屋が寒いって言ったら、お前が部屋に来いって言ったんだよ』

サイファーによると、俺はこいつに「自分の部屋が寒い」と言われて、「なら俺の部屋へ来い」と言ったらしい。
確かにサイファーの部屋は俺の部屋に比べると殺風景で、隙間風でも入ろうものなら部屋中冷え切ってしまうのだろう。

『そしたらお前は床で寝るとか言い出した』

よく言った、と俺は心の中でガッツポーズをした。
酔っても、俺は俺だ。
きちんと理性は働いていたらしい。
働いていたらしい、が……。
なら、どうして俺はこいつの隣で寝ていたんだろう。

『でもそれだとお前が風邪ひくだろ。
いつも通り服脱いでたし。
だから俺がお前のことベッドに引っ張り込んでみた』
「おい」

お前のせいか、サイファー。
俺は心の底からため息をついた。
サイファーはなんとも思ってない様子でけろりとしている。
風邪をひかないよう心配してくれるのは有り難いんだが……。

「限度があるだろ、相棒……」
「ん?」

相棒は何故俺がため息をついたのか分かっていないらしい。

『寒くないだろ』
「まさかとは思うが……一緒に寝たら、か?」
「ん」

名案だろ?といった様子で相棒は頷いた。
まったく、どうしてこいつは……。
人がこんなに悩んでいるのに、と俺はサイファーを恨めしく思った。
――ん?
どうして俺は悩んでいるんだ?
そもそも俺は何をまだ悩んでいるんだ?
サイファーが隣にいた疑問は解けた。
なのに、俺は何を引きずっているんだ?
ただの酔っ払いの行動じゃないか。
それをどうして、俺は。

「……ラリー?」

急に俺が黙ったせいか、サイファーが怪訝そうな顔をした。

「あ、ああ……」

まただ。
サイファーに名を呼ばれると、不思議な気分になる。
まさか、と俺は息を呑んだ。

「おーいガルム隊ー、二人揃って寝坊かー?」

その時、唐突に部屋の扉が開いた。
そこには昨日一緒に飲んだ傭兵達が集まっている。
何の迷いもなくガルム隊と言った辺り、昨日の俺達の会話は知っているようだ。

「サイファー大丈夫か?
二日酔いとかしてないか?」
『別になんともないぞ』
「ならいいんだけどよ、昨日は俺も酒勧め過ぎたからさー」
『まあ確かに少し飲み過ぎたかもな』

その傭兵のうち一人が、サイファーの肩に馴れ馴れしく腕を回した。
サイファーは嫌がる様子もなく、そのままスケッチブックに文字を書いている。

「おい片羽よぉ」
「何だ」
「そんな怖い顔するなよ。な。
お前普通に怖いから」

別の傭兵が呆れ顔で俺の肩を叩いた。
怖い顔?
俺はそんな顔してたか?

「いや……何故かイラッときて」
「お前、それ……」

俺の発言にサイファーに絡んでいた奴が思い切り吹いた。
俺の肩を叩いた傭兵も今にも笑い出しそうな顔をしている。
どうして今朝はこんなに笑われっぱなしなんだ?

「ふ……」

何かを言いかけてサイファーが口を押さえた。
他の奴らがいるのを忘れて、さっきまでの調子で口を開きそうになったらしい。
そのまま喋ればいい、という訳にはいかないんだろうな。

『二日酔いか?無理するなよ』

サイファーの文章を見て、遂に今までこらえていたらしい他の傭兵達も一斉に笑い出した。
訳が分からない、という様子でサイファーもきょとんとしている。

「朝から夫婦漫才すんなよ!」
「作戦中に思い出して吹いたらどうすんだよ……!」
「めお……っ」

夫婦漫才とはなんだ。
何故俺とこいつが夫婦扱いされてるんだ。

「お前らいい加減に……!」
「やべ、ピクシーがキレた!」
「はは、全機撤退!」

俺が拳を振り上げると、全員がすぐに部屋から出て行った。
何しに来たんだ、あいつらは。

「……サイファー、お前はなんとも思わないのか?」
「ん」

頷くということは、サイファーはなんとも思っていないらしい。
まあ、こいつはそもそも理解していない気もする。

「とにかく、早くそのパジャマ着替えて来いよ。
確かにいつもならとっくに部屋を出てる時間だ」
「んー」

サイファーが俺の言葉に従い、部屋を出たのを見て俺は大きなため息をついた。
これは二日酔いだ、胸焼けだ。
サイファーに名を呼ばれるのと他の奴に呼ばれるのとでは感じ方が違うなんて、気のせいだ。
俺は自分にそう言い聞かせ、服に袖を通した。



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