「サイファー、お客が来てますよ」

ノックの音と声に反応してサイファーは鉛筆を置いた。
おかしいな。
サイファーは首を傾げた。
自分を知る者や尋ねて来る者など、心当たりが無い。
傭兵家業は長いが、わざわざ尋ねて来るような仲間はいなかった。
いたとしても、既にこの世からいなくなっていた。

「…………」

サイファーは無言でドアを開けた。
そして伝言を告げに来たPJに、スケッチブックを向ける。

『一体誰だ』

これは曖昧な質問だ、とサイファーは理解していた。
しかし何を聞けばいいのかが分からなかった。
例えば、名前。
お互いTACネームしか知らない相棒もいたのだ、聞いて分かるはずが無い。
空でしか顔を合わせず、顔なんて覚えていない、そんな奴と組んだこともあった。
喋らない自分とコミュニケーションを取ろうとする奴の方が珍しいのだ。
その点、ここの傭兵達は特殊だと思う。
口にはしないが目の前にいるPJも、サイファーは有難いと思っていた。

「それがいきなり『あの青い羽の機体のパイロットを呼んでくれ』って言われたんですよ。
あ、でも傭兵仲間だって言ってました」

青い羽は、サイファーだけですし。
PJは間違いない、という顔で言った。
確かに迷彩の機体なんかはあるが、両端を青色に染めた機はこの基地ではサイファーの機体だけだ。
サイファーの愛機はずっとそのカラーリングを使っている。
そこから考えても、昔の仲間である可能性が高そうだった。
何年前に会った人間だろうか。
最近か、それとも自分が傭兵になってすぐか。
――あるいは、もっと前か。
サイファーは頭を軽く振り、背筋を這う悪寒を振り払った。
そんなことは、あるわけが無い。
そう自分を納得させる。
PJはサイファーの行動の意味が分からない様子だったが、伝えましたよ、と言って笑った。
こくり、と頷くとPJは去っていく。
サイファーは一度部屋に戻り、真新しいスケッチブックとペンを用意することにした。
万が一嫌な人間だった場合に、そのスケッチブックを躊躇無く捨てる為だ。
出来ればそいつの勘違いで、俺には関係の無い人間であればいい。
心の中でそう呟き、サイファーは部屋を後にする。



言われた通りに外に出ると、そこには二人の人間が立っていた。
片方は長身の、三十代半ば程の男だった。
もう一人はその男に手を引かれ立っている、十歳前後程の幼い少女。
もちろんサイファーには見覚えの無い二人だった。
危惧していた人物が墓から這い上がってきたわけでは無さそうで、サイファーはほっと溜め息をついた。

「やあ、久しぶり――」

男が親しげに繋いでいない方の手を挙げて、何かを言いかけた。
それは名前だった。
聞き覚えのある――どころか、大切な人間の名。
サイファーは男の正体が分かった。
この男は、俺の兄貴の仲間だ。

「いや、君は……。
そのスケッチブック、もしかして君が弟の……」

男も気が付いたらしい。
どうやらサイファーの話をされたことがあるようだ。

『サイファー』

本名は思うところがあって、名乗りたくは無かった。
サイファーはぶっきらぼうにスケッチブックを向ける。
喋れないのかい、と男に問われたが、無視した。
見ての通りだ、と態度で示したつもりではあるが。

『ここではそう呼ばれてる。
お前は誰だ、兄貴の仲間か』

男はスケッチブックを見るなり、何度か頷いた。
少女が不思議そうな顔でスケッチブックを眺めている。
初対面の相手にくらい、もう少し丁寧な文章を書くべきだっただろうか。
いや、そんなことは出来ない、これで精一杯だ。
どうでもいい言い訳を頭の中でしながら、サイファーは男の言葉を待った。
そんなことでも考えていなければ、今すぐ男の胸倉を掴んで殴り飛ばしたい衝動から逃れられそうになかった。

「分かった、ではサイファーと呼ばせてもらうよ」

そう言って男は微笑み、少し考え込むような動作をした。
少女が指差し確認を行いながら「さいふぁー?」と男の腕を引っ張る。

「まずはそうだな、私の名前か。
私はフェルディナント・クライン、一応階級は今は大尉だ。
こっちは娘のオーガスタ。
名前が呼びにくければクラインでもなんでも構わないよ。
君の兄の戦友、と言えばいいだろうか。
とにかく何度か組んで飛んだことがある」

クラインは喋り終えるなり、空を見上げた。
兄と一緒に飛んだ日のことを思い出しているのかもしれない、と考えてサイファーは何も言わなかった。

「今は娘を学校に行かせるために傭兵は止めて故国の軍にいる。
しかし傭兵時代のコネで、たとえ参加していなくても戦争についての細かい情報は入って来るんだ」

クラインはしゃがみ、オーガスタの頭を撫でる。
オーガスタは嬉しそうに屈託の無い笑顔を父に向けていた。
自分も兄に撫でられた時はあんな顔をしていたのだろうか。
仲の良い親子を少しの間じっと見守っていたサイファーだが、漸くペンを走らせ、言葉を返した。

『それで、何故俺に会いに来たんだ』
「いや、君に会いに来たわけではないんだ」

クラインは笑って頭をかく。
当然サイファーは納得がいかない、という顔をしてみせた。

「先程言った通り、私に昔の傭兵仲間が情報を届けてくれる。
そのうちの一人がこの戦争に参加しているらしくてね。
『鬼神と呼ばれるエースがいる』と聞いた。
一度彼はその鬼神を空で見たらしい。
それは青い羽の機体だった……さすがに君も分かっていて使っているんだろう?」

サイファーは悟る。
この男は、鬼神を、自分を追って来たのではなかった。
兄の愛機に施されていた、自分が勝手に借りている機体の青を追って来たのだと。

「君の兄は素晴らしい傭兵だった。
あの青い翼を何度も空で見た。
娘が生まれる際に傭兵を辞めて以来会ってなかったが、私は鬼神が彼だと思った。
そして、久しぶりに彼と酒を飲みたくて訪ねて来たんだよ」

クラインは遠い目をして、再び空を見上げた。
その視線の先に自分の物ではない青い翼が見える気がした。
しかし、見えたところでどうだと言うのだ。
そのままあの世まで連れ去られてしまうかも知れない。
サイファーは唇を噛んで、その幻想を振り払った。

「残念ながら当てが外れたらしい。
君が鬼神だったのか。
彼はどうしてる?
君が飛んでいるということはもう傭兵は引退したのかな」

……何を言っているんだ、こいつは。
引退したのか、だって?
サイファーはクラインを睨みつけた。
同時に、スケッチブックとペンを投げ捨てる。
怯えるようにオーガスタが父親の後ろに隠れた。
クラインもオーガスタと同じく、急に態度が代わったサイファーに戸惑いを隠せない様子だった。

「……だ」
「え?」

可哀想に、と思った。
オーガスタはこれから父親が殴り飛ばされるところを見るだろう。
そんなことを頭の片隅で冷静に考えながらも、サイファーはクラインに伸ばした手を止められなかった。
コートの胸倉を掴み、サイファーは声を上手く出せないことも忘れて思い切り叫んだ。

「兄貴は死んだ!俺にその話はするな!!」

クラインはおそらく、いや間違いなく知らなかっただけなのだろう。
そして共に戦い、並大抵のことでは撃墜などされないだろう、という思い込みをして尋ねたのだ。
それくらいはサイファーにも分かっている。
分かっているのに、右腕は止まらない。
オーガスタが、ぱっと顔を手で覆った。

「サイファー!」

刹那、世界がスローに見えた。
右腕を引かれ、ゆっくりと後ろに倒れていく。
気が付くとサイファーは尻餅をついてクラインを見上げていた。

「どうしたんだ、お前は」

右腕を握る手を辿り、サイファーは後ろを振り向く。
そこには怒ったような、困ったような、曖昧な表情をした現在の相棒がいた。

「いきなり殴りかかる奴があるか」

ピクシー、と名前を呼びかけて、サイファーは咳き込む。
いきなりあんな大声を出しては無理もないだろう。
呆れ顔でピクシーがサイファーの背を摩った。

「……私が軽率だったよ。
すまなかった、サイファー」

クラインが頭を下げるのを見て、サイファーはかぶりを振った。
悪いのは自分だ、と。
彼は何も知らなかったというのに。

「せめて、彼の墓があれば教えて欲しい」

サイファーはもう一度かぶりを振った。
そうか、とクラインは寂しそうに肩を落とした。
あの兄貴が俺の話をするくらいだ、親友だったのかも。
少しずつ冷静になってきた頭で、サイファーはそんなことを考えた。

「今日は邪魔をして悪かった。
もしも気が向いたら、というのは変かもしれない。
もしも彼の話を……いや、君の話でもいい。
聞かせてくれる気になったら、私のところに来て欲しい」

クラインはサイファーの投げたスケッチブックとペンを拾い上げ、自分の住所を書いた。
前のページの走り書きとは違い、美しい読みやすい字だった。
サイファーは少し迷って、頷いた。
今はまだ何も話す気にはなれないが、いつかは話すべきだろう。
それが互いの為かもしれない。

「行こうか、オーガスタ」

クラインは再び頭を下げてから、オーガスタの手を引いて歩き出した。
遠慮がちに振り向き、オーガスタが手を振った。
サイファーは先程怯えさせてしまった詫びのつもりで手を振り返す。
オーガスタは再び、あの屈託の無い笑顔を見せた。



『で、どこから聞いてたんだ』

サイファーは部屋に戻るなり、そんな文章をピクシーに向けた。
あのタイミングで割り込んで来るなんて、今まで裏でスタンバイしてたとしか思えない。
そう言いたげなサイファーの疑いの眼差しを、ピクシーは目を逸らしてやり過ごした。
鋭い、さすが俺が相棒と認めただけのことはある。

「それでも、いきなり殴るのはないだろ。
兄の友達が訪ねて来た、たったそれだけで、だ」

まずは紙に書くとか、口で言うとかしてからにしろ。
ピクシーはそう言ってみたが、サイファーはまだ不機嫌な表情を浮かべている。

『何も知らないくせによく言うな』
「お前が話さないからだろ」

睨みながら突き出したスケッチブックだが、痛いところを突かれてしまったようだ。
サイファーは少し唸って、そっぽを向いてしまった。
話さないのではなく、話せないのかも知れない。
言葉は話したくない、兄貴の話は話せない。
我が儘な奴だ、とピクシーは思った。

『悪かったよ』
「なにがだ」

唐突にそう言われて、相棒とはいえ何のことか理解出来るはずもない。
サイファーがどうして謝っているのか、ピクシーにはさっぱり分からなかった。

『止めに入らせたことだよ』
「ああ……あれか」

確かにお前のいきなりの行動には驚いたが、誰も怪我をしなくて済んだんだ。
ピクシーの言葉を聞いても、サイファーは俯いている。
あんな風に激昂した相棒の姿を見たのは初めてだったが、だからどうということもない。
むしろ珍しいものが見れた、とまでピクシーは思っていた。

「止めない方がよかったか?
俺はお前の昔話は何も知らないからな」

いや、とサイファーが首を振る。
もしも兄の仇がどうたら、という話なら止めるどころか加勢するが、どうやらそうではなかったらしい。
そう言うと、サイファーは困ったような顔をした。

『なんだ、聞きたいのか?』

どうやらサイファーは過去の話はあまりしたくないらしい。
それは兄の旧友だという人物に対しての態度を見ても明らかだった。
彼が声を上手く出せなくなってしまった原因もそこにあるのかも知れない。
ふむ、とピクシーが腕を組む。
まあ別に話せと強制してるわけじゃない。
喋ることも話すことも、いつか自分から両方出来ればいい、というだけだ。
思ったまま口にすると、サイファーは少し微笑んだ。

「兄貴も傭兵だったんだろ。
いつかその話も聞かせてくれ」
「…………ん」

サイファーは数秒悩んでから、ほんの僅かに頷いた。
いつかな、いつか。まあそのうちな。
そう言っているようで、何年先の話だろうとピクシーは溜め息をついた。
随分冷静になったようだし、コーヒーでも飲んで落ち着くか。
そう誘うと、サイファーは黙って後を付いて来た。
肯定のようだ。

……『おい』!

食堂を目前にしてバシンと肩をスケッチブックで叩かれ、ピクシーは振り向いた。
サイファーは明らかに「怒ってます」というオーラを発している。
その右手で作られた拳は、わなわなと振るえていた。

『やっぱり話聞いてたんじゃねーか』!!

さすがは俺の相棒、鋭いな。
ピクシーは自分の失言に気付き、苦笑した。
――ああ、これはもう、プリンで買収するしかない。
そんなことを考えて苦笑いを浮かべていると、サイファーのスケッチブックが再び飛んで来た。
先程クラインに住所を書かれたスケッチブック。
どうやら廃棄処分では無いらしい。
いつかは聞けるだろうか、初代「青い羽の傭兵」の話を。
三度目のスケッチブックを手で受け止めながら、ピクシーはいつか自分が兄と似ているとサイファーに言われたことを思い出し、笑った。
俺に似てるって、一体どういう兄貴だよ。



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