――サイファーの奴、どこ行ったんだ?

ピクシーは舌打ちした。
何故か、今朝からサイファーの姿が見えないのだ。
昨晩まではいつも通り自分の隣にいたはずなのに、一体どこへ消えてしまったのだろう。

「また寝てないのか、あの馬鹿」

彼がそんな行動に出るのは、決まって眠れない時だ。
絵を描いたり本を読んだり散歩に出たりして、彼は皆が起きるのを待っている。
部屋や食堂にいないとなれば、残るのは外だろうか。

「眠れない時は起こしに来いって何度言えば……」

ピクシーはぶつぶつと呟きながら、上着を羽織り、自身も外へと飛び出した。



sleepwalker



ヴァレー空軍基地は山間部に建てられた基地だ。
故に、とっくに春も半ばを過ぎたこの季節でも、一歩外に出れば銀世界が広がっている。
雪の上に微かに残った足跡を見て、ピクシーは小さなため息を吐いた。
やはり外だったようだ。
消えかけた足跡の隣に、真新しい足跡をつけながらピクシーは雪の上を歩く。
いつもよりやや速めに歩くと、すぐに見慣れた黒髪が見えた。

「サイ……」

上げかけた手と言葉は、半ばで止まった。
もう一度前を行く人影を見据えれば、ゾクリと背筋に寒気が走る。
サイファーは暖かい室内にいるかのような薄着で、ふらふらと雪原を歩いていた。

「サイファー!」

ピクシーは雪に足をとられながらも、サイファーの元へと走った。
追いつくと同時にピクシーは叫ぶ。

「馬鹿、せめて上着くらい着ろ!」

すっかり冷え切っているであろう肩に、ピクシーは少々乱暴に自身の上着をかけた。
サイファーは止まらず、未だ歩き続けている。
まるでピクシーが来たことなど気付いていないようだ。

「おい!」

一体どうしたというのだろう。
ピクシーは普通ではない相棒の行動に焦りながら、その細い腕を掴んだ。
それに反応するように、ぴたりとサイファーの歩みも止まる。

「どうしたんだ、サイファー。
そんな格好で外に……」

ゆっくりとサイファーがピクシーの方へ振り返る。
目の下のいつもより濃いクマが、彼が眠っていないことを示していた。
吸い込まれそうになる深い色の瞳は、ふわふわと浮いているかのように視線が定まっていない。
ピクシーもサイファーの異常に気付いたらしい。

「サイファー!?」

肩を掴んで揺すっても、サイファーの黒い瞳に自分は映らない。
焦りから早口になるピクシーとは裏腹に、サイファーはゆっくりと口を開いた。

「……てくれ」

ピクシーは目を見開いた。
今、こいつはなんて言った?

「おい、相棒……」
「ほっといてくれ」

聞き返そうとするピクシーに、サイファーはもう一度はっきりと告げた。

「なっ……!」

その言葉を聞いて、ピクシーは思わずサイファーの肩を掴んでいた腕に力を込めた。
サイファーの顔が僅かに歪む。

「どういうことだよ相棒。
久しぶりにはっきり喋ったと思ったら、それか?
一体何を……」

何を考えているんだ?
そう問おうとしたところで、サイファーがピクシーの手を振り払い、再び歩き出した。
その手は、まるで凍っているかのような冷たさだった。

「おい!」
「も、少し……なんだ……」

だから、ほっといてくれ。
サイファーは静かに、しかし強い声でそう言った。
ピクシーは訳が分からない、といった様子で困惑した表情を浮かべている。
そんなピクシーを無視して、サイファーはふらふらと歩いた。
が、二、三歩進んだところで雪に足をとられ、転倒した。

「サイファー!」

すぐにピクシーがサイファーに駆け寄り、手を差し伸べた。
しかし、彼は起き上がろうとしない。
雪の上に倒れたまま、動かないのだ。
おかしい、いくらなんでも。
ピクシーがサイファーを抱き起こす。
妙に息が荒い。
もしや、とピクシーがサイファーの額に触れた。
凍っているような手の温度とは裏腹に、彼の額は火傷してしまいそうな程に熱い。
酷い熱だ。今すぐ医者に診せなければならないほどの。

「も……少しで……れ……」
「おい、しっかりしろ!」
「も、少しで……眠れそ……なんだ……」

ゾクリと背筋に再び嫌な感覚が走った。
馬鹿野郎、と怒鳴ることも出来ず、ピクシーはただ呆然とサイファーを見た。
サイファーはもう殆ど意識が無いのか、そう譫言を繰り返している。

「何やってんですか!」

その声に、ピクシーは顔を上げた。
一度転んだらしく服を雪まみれにしたPJがこちらへ走って来る。
彼も異変に気付いたらしく、サイファーを見て絶句した。
しかしすぐにPJは冷静さを取り戻し、早く医者のところへ連れて行けとピクシーを急かした。

「今寝たら死んじゃいますよ!
ピクシー、早くサイファーを医務室へ!」
「ああ、分かってる……!」
「早く早く!もしもサイファーが死んじゃったらあなたの責任にしますからっ!」

言いながらPJがサイファーを支える。
ピクシーはサイファーをしっかりとおぶって走った。
走る間も、サイファーの譫言は続いていた。



「ん……」

外が暗くなり始めた頃、サイファーは目を覚ました。
ここは自分の部屋ではない。
サイファーはそれに気付き、何故か朦朧とする頭で周囲を見渡した。
ふと目に映ったのは、自身の腕から伸びる透明のチューブだった。
腕からそれをたどると、先には液体の入った袋がついている。
点滴だ。
腕に繋がれたそれから、一定のリズムで水滴が落ちていく。
点滴がある、ということはここは医務室らしい。

「起きたのか」

声の方へ目をやると、ベッドのすぐ隣の椅子にピクシーが座っていた。

「あ……」
「まだ寝てろ」

肩を掴み、ピクシーが起き上がろうとするサイファーを制止した。
サイファーは状況をまったく理解していないが、大人しく身体を起こすのを止め、再び枕に頭を預ける。

「…………」
「よし、それでいい」

言いながら、ピクシーがサイファーの額に乗っていたタオルをどかし、サイファーの額に触れた。
若干冷たいそれは、はっきりしない頭に心地いい。

「……熱は多少下がったみたいだな」
「…………?」

熱?とサイファーは眉を寄せた。
頭の中が先程から靄がかかったようにぼんやりとしているのは、熱があるせいだろうか。

「なんだその顔……まさか覚えてないのか?」

驚いたようにピクシーが言うので、サイファーは顔を背けながら頷いた。
なんてこった。
ピクシーは思わずそう口に出しそうになった。

「お前、昨日の晩なにやってたんだ?」

昨日の晩、ピクシーの予想が正しければ、サイファーはその時からおかしくなったに違いない。

「寝れな……くて……絵、描い……て」

眠れなくて、絵を描いていた。
やはり、ピクシーの予想は当たっていた。

「その後は?」

その問いにサイファーは首を振った。
その後は殆ど覚えていないという。

「暑……て、外、出た……っしたら眠れ……う、あ……眠れそ、で……」

何度も苦しそうに、サイファーは息継ぎをしながら言葉を紡いだ。
これ以上喋らせるのはまずいだろう。

「分かった、もういい。悪かった」

サイファーは喋るのに体力を使う。
いつもより体調が悪いのにそんなことをさせれば、余計辛いのも道理だろう。

「スケッチブック取って来た方がいいか?」

ピクシーはそう言ってくれたが、サイファーは首をゆっくりと横に振った。

「手……」
「手?」
「つめた……」

おそらく、少し前にタオルを換えた時に水を触ったからだろう。
悪い、と呟いてピクシーはサイファーの額から手を離した。

「違う」

しかし、サイファーはその手に自分の手を重ね、押さえつけた。
離すことを望んでいないかのように。

「……おい相棒」
「ん……?」
「俺にタオルの代わりをしろと?」

ご名答、とサイファーが笑顔を浮かべた。
ピクシーはため息を吐きながらも、手を再び額に乗せる。
そして少し怒ったような顔をしながら言った。

「お前はな、熱だしてぶっ倒れたんだよ、サイファー。
こともあろうに散歩に出た雪野原の真ん中で」

ピクシーの声にも怒りの色がある。
体調管理も任務のうち、当然だ。

「……覚えて、ない」
「だろうな。基地のやつらはみんな……」

あれだけ譫言を繰り返していたのだから、覚えていなくてもおかしくないのだが。
怒ったようなピクシーの顔を見て、サイファーは親に怒られる子供のように顔色を窺っている。
それを察し、ピクシーは表情を緩めた。

「怒ってるんじゃない、心配してるんだ。
俺も、クロウ隊のやつらも、基地のやつみんな」
「ん……謝、とく……」

ごめん、とサイファーは付け足し、ため息を吐いた。
それを見たピクシーが「普段からこう素直に喋ればいいのに」などと考えたことは言うまでもない。

「ピクシー」
「なんだ?プリンか?」

いきなりプリンかと聞かれ、違う、とサイファーは笑った。
ピクシーにしてみれば、彼が地上で自分を呼ぶ時は大抵プリンなのだが。

「なんか、ピクシー……兄貴に、見えた……」
「……はぁ?」

ピクシーが首を傾げた。
突然そんなことを言われるとは思わなかったのだろう。

「似て、る……なんか……」
「兄貴、いるのか?」
「いた」

いた、と返した意味は明白だ。
ピクシーはどうも気まずくなり、目を伏せた。
しかし、サイファーはそんなことなどお構いなしに、口を開く。

「……ピクシー」
「ん?」
「……寝る……」

どうやら喋り疲れたらしい。
おやすみ、とピクシーが返すとサイファーはすぐにすやすやと寝息を立てた。

「兄貴か……ん?」

兄貴というのはいい、信頼してもらえていると思っていいだろう。
だがちょっと待て、俺は兄貴なのに二番機なのか?
ピクシーとしては複雑な心境である。
それはどうなんだ、とピクシーがため息を吐いた時だ。

「兄貴ですか」
「……!?」

隣にニヤニヤと笑うPJが現れたのは。
ピクシーは思わず、大きな音を立てて立ち上がった。

「お前……いつからいた?」
「ずっといましたよ、兄貴」
「PJ……」
「騒いだらせっかく眠ったサイファーが起きますよ、兄貴」

その言葉で、ピクシーは再び椅子に座り直した。
いちいち兄貴兄貴とうるさいPJを黙らせたいのは山々だがそうもいかない。
何より片手は、まだサイファーが握っている。

「後で覚えてろよ、お前……」
「はいはい、兄貴」

手を振って、PJが医務室を出て行く。
おそらく、言いふらしに行ったに違いない。
サイファーが回復したら、また敵が増えているだろう。
しばらくは食堂で背中に刺さる視線に耐えなければならない。
相棒の立場としては、困ったことだ。

「なにが兄貴だ馬鹿野郎……。
相棒だろ、なあ相棒」

ピクシーは未だ押さえつけられたままの手を、ちらりと見ながら呟いた。

「相棒も大変ですね、兄貴」

まだ扉の向こうでPJが笑いをこらえながら立っているとも知らずに。



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