「サイファー!今さっき――」

バシッ!
喚きながら走ってくるPJの頭に、サイファーのスケッチブックが振り下ろされる。
あまりに唐突だったせいか、PJはそれを回避出来ず、見事に額にダメージを受けた。

「だっ!な、何を」
『うるせえ』

確かに自分は騒ぎすぎたかもしれないが、何も殴らなくても。
PJが反論しようとすると、サイファーが左手の人差し指を自分の口元に持っていった。
右手は相変わらずスケッチブックの上で踊っている。

『起きるだろ』

起きる?誰が、とPJがサイファーの視線を辿る。
そこには珍しく、頬杖をついて眠っているピクシーの姿があった。



sleeping...?



「うわ、珍し」

サイファーに注意された通り小声で話しながら、PJはピクシーの顔をじっと見た。
どちらかというと、いつも眠そうなのはサイファーだというイメージがある。
目の下には常にクマがあり、日中も時たまゴシゴシと目を擦っているからだ。
そうやってうっかり歩きながら眠ってしまいそうなサイファーを起こしてやるために、
そしてそんなサイファーを一部の魔の手から守るために、
ピクシーが常に気を配っているんだとPJは思っていた。
なので、警戒心の強そうなピクシーの寝顔など拝めるものではないという勝手な想像があった。
寝るんだなあ、なんて当たり前のことを考えながら、
PJはピクシーの周りをうろうろと歩き、珍しい寝顔をまじまじと観察した。

『すまん』

スケッチブックが机を叩く音に気付いてそちらを向くと、サイファーが軽く手を動かしながらその文字を指差していた。
どいてくれ、と言いたいらしい。

「はいはい」

確かに自分がここにいるとサイファーには少々目障りかもしれない。
サイファーの意思を汲み、PJが大人しくピクシーから離れた。

「…………」

サイファーが微笑みながら頷く。
ありがとう、と言いたいのかもしれない。
いちいちそんなことで気を遣う必要はないのに、とPJは心の中で呟いた。
俺とかピクシーにまで気を遣う必要はないんじゃないですかね。
PJがそんなことを考えているとは露知らず、サイファーはスケッチブックのページを捲り、何かを書き始めた。
いつものペンではなく、鉛筆を握っている。
大雑把に動く鉛筆を見ても、文字を書いているのではないことは明らかだ。

「……それってもしかして」
「!」

ニヤニヤと笑い、PJがスケッチブックを覗き込む。
サイファーが慌ててスケッチブックを後ろに隠した。
だが、一瞬遅かったらしい。
すぐに隠されてしまったため、あまり見ることは出来なかったが、それは確かにピクシーの絵だった。

「…………」

少し気恥ずかしそうにサイファーがPJを睨む。
見たな、と視線が訴えていた。

「見せて下さいよ」

それでもPJは退かない。
むしろもっと見せろと迫る。
サイファーはどうやら最後のページをデッサンに使用しているらしい。
ページを戻し、鉛筆のまま文字を書いた。

『下手だぞ』
「そんなことないですよ」

俺美術2でしたし、とPJが笑った。
それが冗談なのか本当なのかは分からないが、なんとなくこいつになら見せてもいいかもしれない、という気がしてきた。
それがPJの不思議なところだ。
サイファーは少し躊躇ったものの、こくりと頷き、スケッチブックを翻した。

「へえー!」

PJが感嘆の声を上げた。
サイファーは恥ずかしそうに目を逸らしている。

「下手どころか普通に上手いですよ!」

スケッチブックには、今目の前にいるピクシーが正確にスケッチされていた。
頬杖をつき、眠るピクシーの絵。
この絵をピクシー本人が見たら、どんな顔をするだろうか。
そんなことを考えてPJは笑った。

「でも、これはちょっと美化しすぎじゃないですか?
このピクシーかっこよすぎですよ」

からかうように、PJが絵とピクシーを交互に指差す。
しかしサイファーにそんなつもりはないらしい。
それどころか、ピクシーは元からかっこいいぞ、などと書いてのける。
あなただって、かっこいいじゃないですか。
PJはそう言おうとして、止めた。
スケッチブックで殴られるのは目に見えている。

「他には描いてないんですか?」

なんとなく話題を変えようと、PJはスケッチブックのページ端を指で摘んだ。
PJの言葉を聞き、サイファーは目を丸くしている。
もっと見せろ、と?
彼の目がそう言っているのを見て、PJは頷いた。
一枚見たからには、幾ら見たって同じでしょう。
サイファーは少し悩んでいる様子だったが、曖昧に頷いた。

『笑わないなら見せてやってもいい』
「笑いませんって」

勿論この質問に意味などない。
もう殆ど、サイファーは絵を見せてやる気になっているからだ。
強いて言うなら、サイファーの照れ隠しだろうか。

「お願いしますよ」

PJが手を合わせて自分をじっと見ているのを見て、しょうがないな、とサイファーはスケッチブックを手渡した。
PJは子供のようにはしゃいでいる。

「前は文字を書くのに使ってるから、絵は後ろから……ですか?」

言いながらPJはスケッチブックを後ろからパラパラと捲る。

「これはえーと、部屋の窓?
次は……ああ、整備士の。
これ、色は塗らないんですか?」

一つ一つ確認しながら、PJはページを進めていった。
彼の言うとおり、どれもラフなスケッチばかりだ。
いつスクランブルがかかるか分からないのに、悠長に色を塗ってる暇はないだろう。
サイファーの書いた文章に、PJは苦笑しながら頷いた。

「…………」

もういいだろ、返せ。
サイファーはそう言いたい様子だったが、PJはお構いなしだ。

「……これって」

無理矢理にでもスケッチブックを取り返そうとした矢先、PJの手が止まった。
何かまずいページでもあったかと、サイファーもそのページを覗き込む。

「これ、イーグルですよね。
片羽が塗ってあるってことは、ピクシーの」

F-15C、通称イーグル。ピクシーの愛機。
イーグル乗りは他にもいるが、彼のイーグルだけは特別で、片方の羽が赤く塗られている。
スケッチブックの中のイーグルも、PJの指摘通り片方の羽が鉛筆で塗りつぶされていた。

「どうしてピクシーのイーグルなんですか?」

PJはやけに真剣な顔で言う。
サイファーは意味が分からない、と首を傾げた。

「だって次も、その次もピクシーのイーグルじゃないですか」

PJは机に置いて見ていたスケッチブックを立て、サイファーに向けた。
確かに数ページに渡って、別の角度から描かれたイーグルが続いている。
どれも片羽が塗りつぶされたピクシーのイーグルだった。

『納得いくまで描き直』
「どうしてですか」

描き直したんだよ、と向けられたスケッチブックに書きかけた手は、PJに掴まれて止まってしまった。

「そんなにイーグル、好きなんですか。
……違うでしょ、好きならあなたもイーグルに乗ってますよね」

こいつは何が言いたいんだ。
サイファーは眉を寄せ、PJを睨むように見た。
PJは何も言わない。
少しの間、静寂が訪れた。

「……すいません、なんでもないです」

だが、すぐにPJはいつもの笑顔に戻り、サイファーの腕を離した。
そう言われても、サイファーに納得出来るわけがない。

『なんでもなく無』
「そうそう!整備の人達が呼んでたんですよ!」

PJは最初の用事を思い出したらしく、サイファーの書こうとしていることを遮るかのように早口でまくしたてた。
呼び出されたとなっては、これ以上PJを問い詰めている時間はないだろう。
サイファーは渋々といった様子で立ち上がった。

『そういうことはもっと早く言え』

新しいページにそう書いたのを見せ、サイファーはさっさとスケッチブックをた
たんで走り去った。

「次は俺と俺の機体描いて下さいね!」

小さくなる背中にそう叫ぶと、サイファーは片手をひらひらと振り返した。




サイファーの背中が見えなくなってすぐ、PJは未だ眠っているピクシーの方を見た。

「起きてますよね」

いつもより若干低い声に反応し、ピクシーが目を開けた。
たった今起きた、という様子ではない。

「いつから気付いてた?」
「気付いてたも何も、サイファーのスケッチ薄目開けて見てたじゃないですか」

サイファーは気付いてないみたいでしたけどね。
PJの言葉に、はは、とピクシーが可笑しそうに笑った。

「だろうな、あいつは空の上以外では鈍い」

まったくだ、とPJは頷いた。
空の上では全方位に目があるかのような鋭さを発揮する鬼神も、地上では狸寝入りにも気付かないとは。

「……どうして狸寝入りなんかしてたんですか」

改めて、PJが真剣な顔でピクシーを見た。
その目にはごく僅かに敵意が宿っている。

「深い意味は無い。
あいつの絵の邪魔をしたくなかった、それだけだ」

ピクシーはサイファーが絵を描いていることに気付いていたらしい。
だが、彼は自分が起きたことを知ればすぐさまスケッチブックをしまうだろう。
そんな風に邪魔はしたくないので、せめて彼が描き終えるまで寝たふりでもしていよう、ということだった。

「嘘でしょう」
「……お前、俺が何言っても信じないだろ」

ピクシーの言うとおり、PJはピクシーに妙な敵対心を燃やしている。
おそらくピクシーがどう弁解しても、信じてはくれないだろう。

「俺、あなたには負けませんから」
「……はあ?」

やけに強い意志のこもった目でそう言われ、思わずピクシーは間抜けな声を出した。
そんなことにはお構いなしに、PJがバンッと机を叩いた。

「ガルムの二番機は、いつか俺が貰う!」

おい、とピクシーが止める間もなく、PJはサイファーの走って行った方向へずんずん歩いていった。

「な……何なんだ……?」

よく分からない対抗心を勝手に向けられたピクシー。
ただ一つ分かるのは、自分の想像以上にサイファーは人気者だ、ということだけだった。



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