「ご機嫌だな、サイファー」

空では頼れる俺の相棒は、食堂のいつもの席でいつもとは違う情けない程デレッデレの笑顔をしていた。
花が飛んでる幻覚さえ見える。
こんな顔をする奴が「鬼神」なんて呼ばれてるんだから驚きだ。

「ん」

人前ではまったくといっていいほどに喋らない相棒が、珍しく声を出して頷く。
年のわりには幼すぎる顔で満面の笑みを浮かべているせいで、さらにその童顔が目立っている。
キラキラと目を輝かせる鬼神の前には、プリン。
彼の大好物だ。



プリン>>>>>俺



しかも、今回はただのプリンじゃない。
生クリームと、少々の果物が寄せられている……レストランで出てきそうなやつだ。

「今日は随分と豪勢なプリンだな」

敵味方双方に畏怖される鬼神が唯一勝てない物がプリンだったりする。
ましてや今日のやたらと豪華なプリンには勝てるはずがない。
サイファーは笑顔のまま、勿体無いという様子でちびちびとスプーンでプリンとクリームを掬い、口に運んだ。

「〜〜〜〜っ!!」

プリンを口に入れた瞬間ぎゅっと目を瞑り、大袈裟すぎるほどに身震いするサイファー。
プリンへの感動と感謝だろうか。
どういう反応だ、理解できん。

「そんなに美味いのか?それ」

俺の問いに、サイファーは首を縦にぶんぶん振った。
スケッチブックに文字を書くことなんか忘れているらしい。

「へえ……」

俺はいつも通り、サイファーの向かいに座ってブラックコーヒーを啜った。
ちなみにサイファーはブラックコーヒーは飲めない。
俺の相棒は甘党だ。

「なあ相棒」

少し待つが、返事は返ってこない。
プリンに夢中になっているらしい。
俺の話よりプリンが大事なのか、ああそうか。
……と、俺が拗ねたところで、気持ち悪いだけだな。

「サイファー」

そこで、拗ねはしないが少々の意地悪をして困らせてみることにした。
人の話を聞かないこいつが悪い、ということにして。

「?」

俺の考えていることなど露とも知らないサイファーは、プリンを食べながらこちらを見ている。
意識はどちらかといえばプリンに向いているらしい。
俺はニヤリと笑った。
サイファーはそんなことにも気付いていない。
そして彼が最後の一口をスプーンに掬おうとしたと同時に、俺は口を開いた。

「なあ……一口食わせろよ」

ぴたり、とサイファーのスプーンが止まった。
続けて、ゆっくりと顔を上げる。
ぽかん、と口を開けて俺を見つめる鬼神に、笑ってしまいそうになる。

「だから、一口食わせろって」

それ、とプリンを指差せば、呆けた顔が明らかに困惑した顔に変わった。
それはそうだよなぁ、なんせ大事なプリンの最後の一口だ。
サイファーの反応が予想通りで、ついつい顔がにやけてくる。

『ピクシー』
「どうしたサイファー」
『これ食いたいのか?』

文章は冷静だが、顔には困惑の色がしっかり出ている。
今すぐ腹をかかえて笑ってやりたいところだが、まだ我慢だ。

「駄目か?」

う、とサイファーが言葉を詰まらせた。
その目はたった今スプーンで掬ったプリンと生クリームを名残惜しそうに見つめている。
しかもプリンは最後まで大事に取っておいたカラメルが程よくかかった一番美味いところだ。
さあ、どうする円卓の鬼神。

「なあ、駄目か?相棒」

こいつがこう呼ばれるのに弱いのは知ってる。
だからわざと優しく、ゆっくりとそう呼んでやった。

…………『分かった、今回だけだぞ』

サイファーは少し迷って、こくり、と頷きながらスケッチブックを俺に向けた。
やっぱりな。俺は笑った。
こいつをこうやってからかうのは、比較的楽しかったりする。
ただ、あまりにもからかうとPJと違って可哀想になるんで、食べるのは約束通り今回だけだ。
相手がPJの場合は迷わずにいつも全部横取りして食ってもいいんだが。

「じゃ、有り難く――」

サイファーからスプーンを受け取るために、俺が手を伸ばそうとした時だった。

「…………」

しっかり、俺の口元にスプーンが伸びていた。
ご丁寧に、きちんと下に手まで受けられている。
俺達をちらちらを見ていたクロウ隊のメンバーが、今はもうこちらを凝視していた。

「おい相棒、なんのつもりだ」

俺が若干頭を引きながら問うと、サイファーは挑戦的な笑みを浮かべた。
せめてもの抵抗、のつもりだろうか。
食えるものなら食ってみろ、という様子でプリンを渡すまいとしている。
クロウ隊は特にPJが物凄くこちらを見ていた。
そんな興味津々な顔で見るな。

「ぐっ……」

今度は、こちらが困る番だ。
この状態では食っても食わなくても俺の負けかもしれない。
立場が逆転し、サイファーがニヤリと笑っている。
いや、負けてたまるか。

「サイファー、一つ忘れてるんじゃないのか」
「…………?」

勝利を確信した笑みのサイファーに俺はそう切り出した。
先に仕掛けたのはこちらとはいえ、俺だけが恥をかくのはごめんだ。

「『はい、あーん』って言えよ?」
「!」

どうだ、言えないだろ。
言えないよな。
分かったらスプーンを引っ込めろ。

「言わなきゃ、口は開けないからな」
「…………っ」

俺はニヤリと笑って口を閉じた。
無理やり口にスプーンを突っ込むことも出来なくなり、サイファーの表情が悔しげに歪む。
勝った。今度こそ俺はそう思った。

「……あ……」

……あ?
まさか。

「あ、あーん……」

驚く俺から目を逸らしながら、サイファーは悔しそうに、半泣きになりながら小さな声で言った。

「…………」
「…………」

俺は確かに、確かに口を開けると約束した。
だが、まさか本当に言うとは思ってなかったんだ。
困らせてみるだけのはずが、向こうが意地になったから、それで。

「う……」

意地を張り合った結果が、これか。
……ああくそ、どうしてこうなったんだ。
既に俺達はクロウ隊どころか、食堂中の注目の的だった。
呆けている者、にやついている者、俺を睨む者。
とにかく、食堂中の誰もが俺達を見ていた。
この状況でプリンを食える奴などいないだろう。
サイファーは意地でもスプーンを引っ込めるつもりはなさそうだ。
……俺の負けだな。
仕方ない、折れてやるか。

「わるかっ……んぐっ!?」

悪かったよ。俺の負けだ、相棒。
そう言おうとした俺の口に、サイファーがスプーンを突っ込んだ。
おおー、と一部から歓声が上がる。
こんな時にあれだが、プリンは美味かった。

「お、おい」
『ばかやろう』!

俺が続きを言う前に、サイファーが顔を真っ赤にしてスケッチブックで俺を叩いた。
叩き方が本気だ。
しかし馬鹿野郎はこっちの台詞なので、俺もつい言い返してしまう。

「知るか、元はと言えば俺の話を聞かないお前が悪い」
『プリンよこせなんて言ったお前が悪い』
「なら普通に渡せばいいだろ」
『お前こそちゃっちゃと食えばいいだろ』

…………。
ああ言えば、こう言う。
そしてこう言えば、ああ言う。
この短いやり取りで俺達は、永遠にこの言い争いが決着しないであろうことを悟った。
これ以上言い争ったところで得る物はない。
そう思うと、急な脱力感に襲われ、俺達は机に突っ伏した。

「……どうでもよくなってきた」
『同じく』

はぁ、と同時にため息が漏れる。
一体今まで何をやってたんだろうか。
何がしたくてああなったんだろうか。
考えているうちに分からなくなってきた。
なんだかもうどうでもいい気分だ。
もう一度ため息を吐こうとした俺の腕を、サイファーがつついた。
何事かと顔を上げれば、いつもより汚い字がスケッチブックに書かれていた。
顔を伏せたまま書いたらしい。

『なんか疲れて眠くなってきた』
「おいおい」

サイファーがぺろりとページを捲る。
次の文は既に書いてあった。

『昨日ほとんど寝てない、ちょっとだけ寝させてくれ』
「なんだ、また眠れなかったのか?大丈夫か?」

サイファーは不眠症か何かなのか、あまり眠ることが出来ないらしい。
たまに、まったく眠れない日もあるらしく、食堂で舟を漕いでいる時もある。

「眠れない時は起こしに来いって言っただろ」

俺が言うと、サイファーは僅かに首を横に振った。
相棒だけに辛い思いをさせるわけにはいかないから起こしに来い、話し相手くらいにはなってやる。
何度そう言っても、こいつはそれをしない。
朝までただ黙々と絵を描き続ける。
今日もそうだったんだろう。

「次は起こしに来いよ」
「……ん」

返ってきたのは本当に小さな返事だった。
本当に起こしに来るかは別にして、声に出して返事をしてくれたのは嬉しい。
信頼されてると思っていいはずだ。

「よし、寝ろ」

サイファーの頭をぽんぽんと叩くと、ほんの少し、サイファーが微笑んだ気がした。

「ぉ……み」
「ああ、おやすみ」

俺が言い終わる頃には、既にサイファーは寝息を立てていた。
余程眠かったらしい。
もしかすると、寝られない分、甘い物を食べてストレスを発散しているのかもしれない。
だとしたら少し悪いことをした。

「…………」

ふとさっきとは違う種類の視線を感じて周りを見渡すと、サイファーのファン数名が手にカメラを持ってこちらを見ていた。
おい、と言おうとすると、まるで蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
何なんだ、一体。
……そういえば、サイファーの写真が基地のどこかで売り買いされているという噂を聞いた覚えがある。
さすがは円卓の鬼神、というわけか。

「……人気者は辛いな、相棒」

お前も苦労してるんだな。
俺は返事をするはずもない相棒に向かって呟き、頭をもう一度ぽん、と叩いた。



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