「本当に馬鹿よね、貴方も私も」
 私はふぅっと溜め息をついてグラスを置いた。この後出掛ける用事があるので中身は水だ。私の隣ではかつての相棒が酒の入ったグラスを手に取り苦笑している。
「若気の至り? それともまだ危ない計画を立てているのかしら?」
 私が茶化すようにそう言っても、相棒は煙草に火をつけたきり答えない。まあ、それもそうか。
 あの時、彼がしたことは許し難いことだし、私も許すつもりはない。そもそも許すのは私じゃなく、被害を受けた人達だ。私に許しを乞うのは、お門違い。
「……サイファー」
「今はメビウス1よ?」
 サイファーは昔の名前。
 私がそう言って笑うと相棒は頷いた。
 私は一つの名前を持たないことにしている。名が通ればやりにくい仕事もあるからだ。
 現在の私はISAFで「メビウス1」と呼ばれている。もう二度と隊長はやるまいと思っていたのに、再び隊長にさせられてしまった。
「そうだな、メビウス1。世界を救ったISAFの英雄だ。まさかと思っていたが本当にお前だったとは」
「私こそ、貴方が義勇軍にいるなんて思ってなかったわよ。……まあ、落ち着いてきたらまた次の仕事を探すわ」
 一時的にISAFに参加したけれど、やはり私は傭兵だ。国の為に戦う兵士じゃない。好きな場所で飛ぶ方が性に合っている。
 こんなことを言うと、また引き留めようと様々な待遇が用意されるかもしれない。だけど、残念ながら私は地位や名誉とかいう物に興味が無いのだ。興味があるのは飛ぶことと戦いと、ついでにお金だけ。
「可愛くない女だな、勿体無い」
「あら? その可愛くない女に毎日上司の息子との縁談が持ち上がるんだけど?」
 私を引き留める手段なのか、本気なのかは知らないけどね。
 私が笑顔で言うと、相棒は複雑そうな笑みを浮かべた。私が家事に向いていないことを知ってるからかもしれない。
「それでも、いい年なんだ。少しは考えてみたらどうだ? 玉の輿に乗ればお前の好きな金はいくらでも手に入る」
「馬鹿ね、自分で稼ぐから価値があるのよ」
 私がお金好きなのは賭けた命の対価だからだ。夫の帰りを待って手に入る金なんて、そういう意味では何一つ価値が無い。
 それに地上にいたのでは使い道も無いだろう。愛機以外に使った覚えがほとんど無い。生きるのに最低限使った以外は貯金してそのままだ。
「本当に可愛げが無いな、お前」
「そう?」
 昔からそういう考えの私にはよく分からないが、そうなのかもしれない。自給自足が基本の世界で生きてきたせいだろうか。
「私は基本的に飛べればなんでもいいのよ。英雄とかなんとか言われてるけど、私が死んだり世界が滅んだりしたら飛べなくなるから、阻止しただけ」
「そういうところは相変わらずだな」
 どうして傭兵になったのか、と彼に聞かれたことがあった。私が素直に「飛ぶ為」と答えたら彼は苦笑していたっけ。まあ彼の理想論に今度は私が苦笑したんだけど。
「戦う理由なんてそれ以外無かったの。飛ぶと戦いがくっ付いてくる、負けると飛べなくなる、だから戦う。他には何も無い。……こう言ったら確か貴方と口論になったわよね?」
「ああ――」
 あれは、忘れてくれ。
 相棒は、煙草を灰皿でもみ消しながら頭をかいた。
 あれも、若気の至りかしら?
「そしたら貴方、私に別の戦う理由を見つけさせようとするんだもの。本当にお節介よね。……まあ挑発に乗った私も若かったんだけど。他人の為に戦ったのは後にも先にもあれっきり」
「あの時のお前は強かったな。隣で飛んでいた時以上だった」
「貴方がいない間に腕が上がったのよ」
 私の言葉にひとしきり笑った後、かつての相棒は首を振った。
「いや、お前が他人の為に戦ったからだ。背負うものがあるとお前はあそこまで強くなるんだな。本気のお前と戦いたい、という俺の願いは叶ったわけだ」
 くつくつと彼は笑うが、私は複雑だった。確かに私は長く飛ぶ為に少し遊んでしまう癖がある。それでも、戦う時は常に本気だ。実力を知る相手ならなおのこと。それをそんな風に言われるなんて。
「馬鹿にしないでくれる?」
「馬鹿にはしてないさ。本気のお前と戦ったのが俺一人だと、光栄に思ってるくらいだ。お前がこれからも自分の為だけに戦うのならそういうことになる」
「私はいつでも本気で全力よ。なんならもう一度殺し合ってみる? 今の私は鬼神の上に死神よ?」
 本当に散々な呼ばれ方だと自分で呆れる。もう少し可愛い呼び方は無いのだろうか。
「どうだかな。試しに恋人作るなり結婚するなりしてみれば分かるさ。他人に関心が向けば嫌でも背負うことになる」
 彼は笑ってグラスを口に運んだ。カラカラと氷の音が静かな室内に響く。
 ……恋人? 結婚ですって?
 私はその言葉に違和感を覚えた。
「……っていうか私、結婚してるんだけど」
「え?」
「ほら、指輪もあるわよ。まあ、今は戦争のせいで離れてるんだけどね。去年の結婚記念日なんて、会いに行きたかったけど戦争してたし、偵察衛星の打ち上げとかで呼ばれて戦ってたらそれどころじゃなかったし」
 そういえば、彼には言っていないんだった。知っていれば恋人や結婚なんて言葉は出て来ないだろう。
 あれから十年も経っている。結婚くらいしていてもおかしくはないはずだ。もしかすると、彼はそんなこと少しも考えていなかったのかもしれない。確かに十年前の私の姿からは結婚なんて到底考えられないだろう。
「そうか……正直、残念だ。おめでとう」
「……貴方がそんなことを言ってくれるとは思わなかった」
 照れくさそうに頭をかく相棒の姿に、私は心の底から驚いた。
 あの頃の私は今以上に飛ぶことに固執していて、それ以外は文字通り眼中に無かった。その頃の私しか知らないはずの彼が残念がるなんて思いもしなかったのだ。
「安心して。空での相棒は永遠に貴方だけよ。彼はパートナーだけど、バディじゃないわ。教会へ行って神様の前で誓ってもいいわよ?」
「鬼神だの死神だの呼ばれてる物騒な神が、何を言ってるんだかな」
「ふふ。でも私達の関係なんて、その辺りの神様に誓うのがお似合いかもね。一度は殺し合った仲なんだし」
「そうだな……鬼神と戦って生きてる奴の方が珍しいんだ。下手打つと死神に会ってたかもな」
 少し酔いが回って来たのか、相棒は上機嫌な様子だ。私は用事を断ればよかったと後悔した。昔の仲間と酒を飲みながら語らうのは時間を忘れてしまう。
 しかも彼はかつての敵であり、最高の相棒だ。出来れば思いっきり酒を飲みながら、彼とは腹を割って話してみたいと思っていた。私が彼を許すことはないかもしれないけど、これからもずっと相棒でありたいと思っているから。
 どうやら彼も同じ考えだったようで、そんな性格の私達だからこそ相棒と呼び合えるのかもしれない。そもそも私が許すか許さないかなんて関係無いし、見当違いだし、問題ではないのだけど。
 グラスに残った水を飲み干して、私は時計に目をやった。そのうち迎えが来るだろう。わざわざ迎えに来るのは、私が逃げるのを防ぐ為に違いない。残らない、と言っているのに破格の待遇で私を引き留めようとするだけの会話。時間の無駄だと分かっていて逃げない人間がいるだろうか。
 それでも私が行くのは、私が逃げるとスカイアイや他の隊員まで巻き込んで、逃げる前以上に面倒なことになると分かっているからだ。
 ピンポーン。
 静寂を破るインターホンの音。迎えが来たらしい。
「じゃあ私、行くわね。泊まっていくでしょ? 帰って来るのは少し遅くなるかもしれないから、勝手に何か食べて寝ててくれる?」
「ああ、ベッドで待ってる」
「ふふ。羽の代わりに腕もぐわよ」
 私の言葉を聞き、冗談に決まってるだろ、と彼は少し表情をひきつらせた。もちろん酔っ払いの戯れ言だということは私も分かっている。
「じゃ、行って来るわね。愛してるわ、ラリー。空の上ではだけど」
 お前こそ似たようなもんだ、という相棒の悪態を聞き流して私はドアを開けた。景色に合わない高級な車が止まっている。私は車は嫌いだ、乗っていると気持ち悪くなるから。私の溜め息など無視して、待ち構えていた運転手が車のドアを開けながら敬礼した。
「お迎えにあがりました、ベケット中尉」
 その名前が中にいた相棒に届いたのか、そして彼が反応したのかは分からない。車のエンジンがかかっていたし、私はとっくに背を向けていたから。それに彼がその名前を知っているとは限らなかったし。
 私は再び溜め息をついて車に乗り込んだ。そして運転手に聞こえないように呟く。
「……一番の馬鹿は、貴方よね」
 左薬指の指輪に口付け、私は腕を組んだ。運転手が下らない世間話を始める。
「中尉はどんな待遇を用意すれば留まってくれるんですか? 我々としては是非とも軍にいて欲しいのですが」
 彼はそう言って笑った。私は作り笑いで適当に誤魔化す。飛ぶことと戦いとお金、なんて言っても軍人の彼には分からないだろう。国を守る為に戦う人間には。
「お願いします、中尉がいれば心強い」
「貴方の国でしょう、貴方が守りなさい」
 私がいればどれだけの戦力になるかを喜々として語る若い運転手に、私はぴしゃりとそう言った。私は自分の為以外では飛ばないことにしているのだ。国の為、なんて考えられない。
 たった一人の為に戦うだけで、あれだけ重いのだ。国なんてものを背負えばきっと私は飛べなくなってしまう。結局私は、いつか相棒に言われた通り臆病者なのだ。
「……さっさと帰りたいわ」
 早くも気持ち悪くなって来た私は窓の外、遠くを見た。鬱陶しいくらい派手な自己主張をする建物達の光の海が広がっている。空から見ればあんなに綺麗なのに、とますます私は憂鬱な気分になった。



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