『今日は俺の誕生日なんだ』

鏡に映った文字を読み取るのに数秒、そしてそれを理解するのに数十秒かかった。
誕生日?
誕生日って……生まれた日ってことか?
俺はひげ剃りを置いて振り向く。
サイファーはスケッチブックを持って、いつもの顔でつっ立っていた。
今まで一度も聞いたことが無かった、こいつの誕生日。
確かに俺も聞かなかったが、そうでなくても前もって言ってくれたっていいだろう。

「嘘だろ相棒。
どうしてお前は当日になっていきなり……」
「うん」

…………。
うん、ってなんだ。

『なんだ、すぐバレたな』

バレた?
何のことだ。
さっき自分が言ったことを思い出そうと首を傾げると、丁度カレンダーが目にとまった。
四月一日。
そして俺の台詞。

「エイプリルフールか……」



RE:birthday



『少しは騙されろよ』

サイファーは俺が騙されなかったのが気に入らないらしい。
自分があっさり白状したから俺が気付いた、なんてことも知らずにスケッチブックの角を弄っている。
俺はコーヒーを口に運び、サイファーのスケッチブックを指で弾いた。

「どうせ俺を騙してホールケーキでも買わせるつもりだったんだろ」

俺の言葉にサイファーは笑った。
笑ったが、否定はしなかった。
図星らしい。

『やっぱり誕生日じゃ無理か。
知らないもので嘘つくのは難しいな』

サイファーは何でもなさそうに、そんなことを書いた。
自分の誕生日を知らない、というのはそれなりに重大なことだと思うが。
しかし名前からでっち上げるような奴だ。
誕生日くらい適当な数字を書いておけばいい、程度の認識なんだろう。

「エイプリルフールだからって、わざわざ嘘つく必要も無いだろ」

そういえば、こいつは妙にイベント事をやりたがるんだった。
確かにイベントには甘味が付き物だが、今回はまったく関係が無い。
だからあんな嘘でケーキを食おうとしたんだろう。
油断も隙も無い奴だ。

『じゃあ、嘘じゃないならケーキくれるのか?』
「おいおい、今『知らない』って言ったばかりだろ」

呆れる俺に、サイファーは首を振った。
そして先程の文章に×印を付け、下に文字を書き足す。

『明日はサイファーの誕生日なんだ』
「……はあ?」

前半を書き換えただけの文章。
何も変わってない。
だがサイファーはスケッチブックを翻し、次の文章を書いた。

『明日は俺がウスティオの外人部隊に雇われて、サイファーと名乗ってから初めての任務の日だ。
俺がお前と初めて会った日だよ』

ああそういえば、と俺は頷いた。
「サイファー」という名は聞いたことが無い、そんな奴と組ませる気か。
イーグルアイあたりにそう文句を言った覚えがある。
サイファーは仕事の度に名前を変えるから、聞いたことが無くて当然だと返されたが。
なるほど、それなら明日がサイファーの誕生日だというのも理解出来る。
しかしそんな上手いことを言ってまでケーキが食いたいのか。

「そこまでして俺にケーキ買わせたいのかよ」

空で敵を追いかけ回す執念を、こんなところで発揮しなくてもいいだろ。
呆れて溜め息をつく俺に、サイファーは首を傾げた。

『じゃあ俺もケーキ買ってやるから』
「俺はお前と違ってそういうのは好きじゃないんだ。
そもそも何でお前が俺に買うんだよ。
なら初めから自分のケーキでも買えばいいだろ」

まったく、訳の分からないことばかり言う奴だ。
しかしサイファーは自信満々、といった顔でスケッチブックを向けた。

『だって逆にいえば俺の相棒誕生記念日だぞ。
お前も関係あるだろ』

…………。
俺の相棒誕生記念日、だ?
そのシュールな文字列に、思わず吹き出してしまう。

「得意気に何言ってんだお前は」

腹を抱えて笑う俺に、サイファーは不満そうな表情を浮かべた。
まさか笑われるとは思ってなかったんだろう。
本当に、訳の分からないことを次から次へと。

「…………」
「いや、結構笑えるぞサイファー。
誕生記念日……っくく」
「なんだよ」

自分ではおかしなことを言ってる自覚が無いのが更に面白い。
どこをどうすればそんな発想が出てくるのやら。
ケーキより、むしろその発想の源を教えて欲しいくらいだ。
一通り笑った俺は、不機嫌なサイファーの頭をポンポン叩いた。
丁度その時だ。
ピンポンピンポン、と連続で呼び鈴が鳴ったのは。
こんな鳴らし方をするのは一人しかいない。
サイファーも分かっているようで、何の躊躇も無くドアを開けた。

「誕生日おめでとうございまーすっ!」

近所迷惑なくらいやかましい声で言いながら、PJが部屋に上がり込む。
第一声がそれとは、相変わらず中身は成長していないようだ。
俺が前にこいつに会ったのはいつだったか。
サイファーは仕事の関係でよく会っているらしいが。

「今日はガルム隊の結成日!
ってことは俺達の誕生日も同然ですよねー」

さり気なく自分もカウントしていることには目を瞑っておく。
それよりも、結成日とやらは明日のはずだ。
こいつまでエイプリルフールか?

「お前、今日何日か知ってるか?」
「もちろん知ってますよ!
知ってるからお祝いの為に飛行機でぐるっと……。
――あああっ!?」

PJは時計の日付を見てようやく気付いたようだ。
俺も今の台詞ですべてを理解した。
こいつ、時差のこと忘れてたのか。

「じゃあこっちじゃ明日ってことですか……」

サイファーがこくりと頷く。
わざわざケーキまで持参したらしいPJが溜め息をつきながら肩を落とした。
対照的に、二日連続でケーキが食えることになったサイファーは嬉しそうだ。

『せっかく来たんだから、明日までいたらどうだ?』
「え、いいんですか!
じゃあ俺なんか作りますよ!」

俺が止める間も無く、勝手に話が進んでいく。
まるで修学旅行のようにキャッキャとはしゃぐ二人に、頭が痛くなった。

「あのな、ここが誰の家か分かってるのか?」
「お前」

サイファーは悪びれもせずに答えた。
ここで謝るような奴じゃないとは思ったが、そんなに普通に返されても困る。

「半分俺」

自分を指差しながら、サイファーはそう付け足す。
確かに俺よりサイファーの方が家にいる時間は長い。
金の話も含めて、確かに半分はサイファーの家だと言えるかもしれない。

「……分かった、もういい」

どうせ言っても無駄なので、俺は早々に諦めることにした。
PJは床で寝させよう。
それを言うとPJは、

「あ、俺サイファーの隣で寝ますからあなたに迷惑はかけませんよ」

などと言ってのけた。
俺が何か言う前に、すかさずサイファーが反論する。

『やだよお前抱きついてくるから苦しい』

……おい。
どこからつっこめばいいのか分からない文章を、俺は引きつった顔で反芻した。

「え、いつですかそれ?」
『5年くらい前。
どこ行った時かは忘れた。
多分冬だったとは思うが』
「あー多分、丁度使ってた抱き枕と間違えたんじゃないですかね」
『抱き枕どころか、半分何かの技みたいになってたぞあれは』

聞いててここまで眩暈のする会話は初めてだ。
よくこれで仕事が成り立つものだと感動すらする。

「おい小僧」
「なんですか?」

見かねた俺はこのどうしようもない会話にストップをかけることにした。
逆に、何故止められたか分かっていないPJは腕を組んで理由を考え始めた。

「……あっ」

どうやら何かに気付いたらしい。
PJは真剣な表情で、俺の目を見て言った。

「大丈夫ですよ!
抱きつく時はもっと優しく抱きつくように努力しますから!
もうサイファーに技かけたりしませんよ!」

…………。
日常会話で倒れそうになったのは、生まれて初めてのことだった。
どうやらPJは俺が止めた理由を「サイファーが怪我をしないか心配している」
と解釈したらしい。

『本当か?』
「ほんとですよー。
苦しくないようにもっとこう……ほわっと抱きつきますから」
『よく分からないぞそれ』

……多分、これはもうどうしようも無いんだろう。
考えるだけ無駄なことも、世の中にはある。
こいつらの思考回路もそういう類いのものに違いない。
俺はすべてを諦め、唯一の解決策を口にした。

「いい、俺が床で寝る」



Back Home