サイファーが真剣な面持ちで俺を見た。
瞬間、ピンと張り詰めた空気が辺りに漂う。

『いいか?』

一度閉じた目をゆっくりと開けながら、サイファーがスケッチブックをこちらに向けた。
スローなその動きとは対照的に、まるで見た者全てを射抜くような鋭い眼光。
空ではあらゆる物へと向けられるその目が、今は俺にのみ向けられていた。
思わず俺は固唾を飲み、頷く。

「……ああ」

どれくらいの時間がたっただろう。
ちらりと時計を見る。
時計の秒針は俺が頷いてから、ほんの少し歩みを進めただけのようだった。
しかしそのほんの僅かな、一秒にも満たない刹那が、今の俺には永遠のように感じられた。
そんな恐ろしい程に短く、恐ろしい程に長い時間ののち、サイファーの唇が弧を描く。
その様子を俺は、ただ黙って見ることしか出来なかった。

「…………」

口元に笑みを浮かべたサイファーの手が、テーブルの端にあったフォークを握った。
そして手を合わせ、ほんの僅かに唇を動かす。
俺とサイファー以外誰もいない部屋だ。
外では消え入りそうな小さな声も、この部屋では確かに聞き取れる。



「いただきます」。



フォークがチョコレート色のケーキに突き刺さる。
しゅわ、と心地よい音がして、サイファーは嬉しそうに目を輝かせた。
この音のしないシフォンケーキはただのケーキだと主張するそんな俺の相棒は、フォークを口に運ぼうともせずにただ角度を変えて眺めることを続けている。

「早く食えよ、サイファー」

そんなにジロジロ見て万が一食べられた代物じゃないとしたらどうするんだ。
サイファーはそれを聞いて僅かに眉を寄せた。
どんなに見た目を可愛らしく装っていても、所詮は素人の作ったケーキだ。
しかも普通の料理はともかく、ケーキなんて作ったことがない。

『不味かったらその時はその時だ』

……その時、俺は間違いなく普通のケーキ屋にシフォンケーキを買いに行かされてるに違いない。
隊長命令とは便利なもんだ。

「食わないならPJの顔にぶつけてくるぞ」

さすがにぶつけるのは冗談だが、サイファーは慌てて首を振った。
そしてフォークの先のケーキをあっという間に口へと運ぶ。
もぐもぐと口を動かすサイファーに、黙って見守る俺。
沈黙。

「……相棒」

静寂に耐えきれず、先に俺は口を開いた。
放っておけばサイファーはいつまでも喋らないし、俺が先に話しかけるのは当然だと言える。

「その……どうだ?」
せめて美味いか不味いかくらいは教えてくれ。
サイファーは俺の言葉に頷き、フォークを置いてペンを握った。
少し困ったような顔をしているところを見ると、やはり不味かったらしい。

『正直そんなに美味いとは思えないんだが』

遠慮がちに向けられたスケッチブックにはそう書かれていた。
まあ、当たり前だ。

「だから店で買えって……」
「…………」

サイファーが言葉を遮るように、僅かに俺を睨んだ。
よくよく見てみると文章はまだ途中のようにも見える。
ちょっと待て、とでも言いたいらしい。
サイファーは俺を待たせるまいと懸命にペンを動かしている。
やがてその動きも止まり、完成した文章が俺の方へと向けられた。

『正直そんなに美味いとは思えないんだが、今まで食べたシフォンの中で一番美味い』

……美味いとは思えないが、一番美味い?

「おいおい、矛盾してるぞサイファー」

俺の言葉にサイファーは首を横に振った。

『味はぶっちゃけたいしたことないが、
お前が俺の為に作ったんだから俺にとっては一番美味いんだよ』

無茶苦茶な理論の書かれたスケッチブックが机を叩いた。
言いたいことは分かるんだが、やっぱり不味かったのか。

「つまり不味いんだろ」
『料理は愛情と根性だ』

新しく書き足された文章は先程聞いたのと同じ物だった。
要するにサイファーの基準は味より気持ちらしい。
俺は愛情と根性はあっても、料理の腕は無かったようだ。
ケーキは普通の料理と違い、正確な分量が要求される。
俺のような大雑把な作り方で美味い物が出来上がるはずがない。

「いやだから、愛情と根性はあっても、不味いもんは不味いだろ。
無理して食べると身体に毒だぞ」
「…………」

さっさと片付けようと手を伸ばすと、サイファーがケーキの乗った皿を俺の届かない場所に置いた。
どういうつもりだ。
まさかそれでも食う気なのか?
俺に背を向けるようにして、サイファーは口にケーキを運んでいる。

「不味いだろ」
「……くない」

……不味くない、と言ったんだろう。
サイファーは食べ物の、特に甘い物のことになるとガキのように駄々をこねる。
一体どういうつもりなんだ。
不味い物を無理して食う必要はない。
俺がいいと言っているのだから、気を遣うことはないはずだ。

「……ケーキ」
「なんだよ?」

思ったより苛立ったような声が出た。
その声に驚いたのか、サイファーが俺から目を逸らす。
こいつが口で伝えようとする時は、わりと重要なことだったりすることが多い。
少なくとも、サイファーにとっては重要なことだ。
あんまり苛立ったような態度を露わにしていると、サイファーも喋りにくい、か。

「……なんだよ、相棒。
ほら言ってみろ」
「う……」

俺は出来る限り苛立ちを隠し、サイファーにそう言った。
俺の言葉にサイファーが少し緊張したような面持ちで、蚊の鳴くような声で呟き始める。

「ケーキ……初め……て、作って、もらっ……」

……今、なんて言った?
ケーキを作ってもらったのは初めてだから、不味くても食うってことか?

「馬鹿だろ、お前……」
「……っ!?」

馬鹿じゃない、という目でサイファーが俺を睨む。
ああそうだ、こいつは真剣に言ってるんだ。
よくもまあ、こんなことに真剣になれるもんだ。
俺が思わず笑い出すと、サイファーは少し不思議そうに眉を動かした。

『何か面白いこと言ったか?』
「いや」
『じゃあ何でそんな爆笑してんだよ』
「気にするな」

気にするな、と言われると余計に気になってしまったらしい。
サイファーは少し考え込み、ぺたぺたと自分の顔を触り始めた。

「ん、何だ?」
『いや、もしかしてクリームでも付いてるんじゃないかと』

その答えに、俺はまた笑ってしまった。

「お前、妙なところで犬っコロみたいだな」
「!?」

俺達のチーム名のガルムは猟犬のことらしい。
しかし自分の顔にクリームが付いていないか首を傾げている相棒は猟犬どころか、普通の犬よりも弱そうだ。

『お前の顔面にお手するぞ』
「……ネガティブ」

そういうところがまたガキなんだよ。
……なんて言うとスケッチブックの角で「お手」されそうだ。

「で、結局ケーキは食うんだな?」
「ん」

俺の言葉にサイファーは力強く頷く。
それはもう、当たり前だと言わんばかりに。

「……そうかよ、勝手にしろ」

若干呆れながら言うと、サイファーはもう一度頷いた。
まったく、こいつは。
俺は美味くないと言ったくせに笑顔でケーキを頬張るサイファーに背を向け、扉を開けた。

「ん……?」
「本屋だよ、欲しい本がある」

サイファーはいつも俺が読んでいる旅行記かなにかだと思ったらしい。
ふーん、と興味無さそうに返事をし、ケーキに視線を戻した。
俺への興味は不味いケーキにも劣るというのは若干ショックだが、今は都合がいい。
扉を後ろ手に閉め、俺は扉にもたれかかった。

「……ケーキ作りの本買うところなんか見られたらどうなるか……」

間違いなく、死ぬまでケーキを作らされる。
それだけは阻止しなければ。
何より、二度も不味いケーキを相棒に食わせるわけにはいかない。

「うぉっ!?」

急に扉が開き、俺は思わず間抜けな声を上げた。
片手でドアノブを掴み、もう片方の手でスケッチブックを持っているのは紛れもなく俺の相棒だ。
なにやってんだ、という顔をしながら、サイファーがスケッチブックを俺に向けた。

『俺も欲しい本があるからついでに買って来てくれ』

文章はすでに書かれていた。
サイファーは聞き返す俺に向かって頷き、ぺろりとページを捲った。

『ケーキ作りの本、出来れば簡単そうなやつ。
今度は俺がお前に作ってやるよ』

…………。
俺は何度か文章を読み直し、ようやく理解した。
礼のつもりなのか、自分の方が美味く作れるという意味なのか。
あるいは両方なのか、もっと別の理由なのか。
そこまでは分からなかったが、とにかくサイファーが俺にケーキを作るという。

「――なら、ついでになんて言わずに一緒に行こうぜ。
俺もリベンジに料理の本が欲しかったところだ」

サイファーに見られたらどうだとか、そんなものは吹っ飛んでいた。
気付くと、何故か口からその言葉が出ていたというのが正しいかもしれない。

「……ん」

サイファーが少し笑いながら頷く。
とっくに雨雲も消えていて、絶好の買い物日和だ。

「よし行くか、相棒」
「ん」

まあ、俺達なら雨が降っていても買いに出たかもしれないが、晴れている方がいいに決まってる。
他愛のない話をしながら、俺達は暖かくなり始めた外へと足を踏み出した。

「あれ?二人でどこ行くんですか?
え、本屋?
丁度よかった!俺も行こうと思ってたんです。
俺も連れて行って下さいよ!
大好きなマンガの最新巻が今日発売で――」
「空気読めよ小僧……」



Back Home